2017年7月15日 第180回「今月の言葉」
「危機とは何か?(障害)」
⑦ー④(赤ちゃんポスト)

●(1)<2006年3月15日、「今月の言葉」第44回「危機とは何か?」>の下記の部分を再録します。

<<< 「危機」の「危」は「危険の危」で、まさに「ピンチ」です。
ところが驚くことに「危機」の「機」は「機会」を意味します。つまり「チャンス」です。
これは何を意味するかといいますと、「危機」とは、「ピンチ・チャンス(危機一如)」であって、「ピンチの後にチャンス」があるのではありません。つまり「ピンチとチャンス」は同時に並存しています。>>>

<<<つまり、常に「危険を冒す」ことと「成長する」ということは、「コインの表と裏」の関係にあります。これが「危機」の本来の意味です。
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」は、まさに「危機」を表わしているのではないでしょうか。また同様の表現方法に「剣禅一如」「茶禅一味」「心身一如」「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」などがあります。>>>

●(2)熊本県の「慈恵病院」が新生児を匿名で預けられる「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を開いてから、約10年が経過。その特集がビッグイシューに掲載されたのが今年の1月15日号。その後、5月9日の「NHK7時のニュース」、5月10日の「NHK9時のニュース」、そして6月8日の「クローズアップ現代プラス」で放映されました。

 賛否いろいろあり、角度が違えば、思わぬ意見が出たりしますが、完全な方法というものは無いことを前提に考えるならば、「赤ちゃんポスト」はとても素晴らしい試みだと私(藤森)は思っています。

 どんな方法も、必ず、賛否両論があり、また、良い面もあると同時に、好ましくない部分もあるものですが、私としては、この「赤ちゃんポスト」は、病院側の誠実な対応と共に、とても素晴らしいシステムだと思っています。
もちろん、こういうシステムは無いほうが良いに決まっています。

 しかし、でも、利用せざるを得ない困難なj状況の方もいらっしゃいます。やむにやまれぬ事情がある方もいらっしゃることを前提に考えるならば、最低限、そういう方々が救われるシステムがあるべきだと私は思います。

 改善できる部分が、もし、あるならば、そして批判される部分が万一あるならば、甘んじて受けながらも、やむにやまれぬ事情のある方々のために、是非、システムを継続してほしいと私は念じます。

 私たちは、あることに対して、最低限ギリギリの体験をしないと、その立場の方々の苦境を十分に分かり切れないものです。赤ちゃんが産まれて、最悪の場合を避けるために、是非、継続してほしいと思っています。
そのための大変なご尽力を慈恵病院の関係者の方々にお願いせざるを得ない部分は心より感謝申し上げます。

●(3)「The BIG ISSUE」(2017年1月15日、VOL.303)

 <命のバトン・・・「赤ちゃんポスト」の10年>

 児童虐待はここ15年間で、相談件数が8倍に増えた。死亡例の6割以上は0歳で、そのうち55%が生まれたその日に殺されている。そんな赤ちゃんを遺棄や虐待死から救うため、熊本県の「慈恵病院」が新生児を匿名で預けられる「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を開いてから、約10年がたった。当時は「子捨てを助長するのか」など、賛否両論が巻き起こった。

 その後の10年、「ゆりかご」が預かった赤ちゃんは125人以上となった。預け入れは当初に比べると減りつつあるが、それを未然に防ぐため開設した24時間フリーダイヤルへの妊娠相談は10倍以上に急増している。

 慈恵病院・理事長の蓮田太二さん、そして現場スタッフのみなさんに「こうのとりのゆりかご、その10年」について。また、柏木泰典さん(千葉経済大学短期大学部准教授)に「緊急下の女性と、ドイツの『内密出産法』」について聞いた。
いま“命のバトン”をつなぎ、誰もが幸せに育つ社会を考えてみたい。

駆けつけの瞬間、
扉の前で泣き続ける女性たちも。
10年間で、預け入れ減り、
相談のSOS電話は
10倍

 女性たちはなぜ「こうのとりのゆりかご」を訪れ、自ら生んだ赤ちゃんを預けようとするのだろうか?熊本県・慈恵病院の10年にわたる取り組みから見えてきたのは、行き場のない日本の母子が置かれた“孤立”だった。理事長の蓮田太二さん、そして現場スタッフに話を聞き、「ゆりかご」が歩んできた道を振り返った。

赤ちゃんが無事か
お母さんの具合は?
そこだけが心配で扉の前へ走る

 慈恵病院のマリア館(新館)東側に、「こうのとりのゆりかご」と書かれたアーチがある。細い道路に面した門扉を開けると、高い木々と塀によって人目から守られた曲がりくねった道が続く。奥まで進むと、突き当たりに屋根のあるスペースが広がり、「赤ちゃんをあずけようとしているお母さんへ」と呼びかける看板、中にいる看護師と話せるインターホン、そして赤ちゃんを預けられるだけの小さな扉が見つかる。そこには、こう書かれている。「秘密は守ります。赤ちゃんの幸せのために扉を開ける前にチャイムを鳴らしてご相談ください」

 そこでインターホンを押さず、もし扉を開けたなら、目の前に「お父さんへ、お母さんへ」と書かれた手紙が現れる。手紙にはそれがいつ受け取ったかわかるように印がつけられており、大切に保存してほしいとも書かれている。

 手紙を取ってさらに引き戸を開けると、そこには24時間、一定の温度に保たれたベビーベッドがある。そこに赤ちゃんを寝かせ、扉を閉めるとロックがかかり、外からは開けられなくなる。赤ちゃんが預け入れられるとすぐ、ナース・ステーションと新生児室にはブザーが鳴り響く・・・・・。

 慈恵病院に勤務して6年になる看護部長の竹部智子さんは「現場への駆けつけは何とも言えない瞬間ですね」と話す。

 「アラームが鳴った瞬間に預けられた赤ちゃんの姿がモニターに映し出されるんです。けれど、新人が初めて遭遇すると、立ちすくんで涙を流してしまうこともあります。駆けつける時は、赤ちゃんが無事か、お母さんの具合は悪くないか、そこだけ心配して走って行きます」

 赤ちゃんを預けた女性は、すぐにその場を立ち去るはず・・・・・。そんなイメージとは裏腹に、竹部さんたちは扉の前で泣き続ける女性たちを数多く目撃してきた。

 「その場からなかなか離れられない方が多いんです。『相談にのれることがあったらお話をお伺いしますけど、いかがですか?』と声をかけると、たいていの方が『お願いします』とうなずいて相談室に入られます」

 そう語るのは、副看護部長の本田七重さん。「最初は涙、涙という感じで、話を聞くのに時間がかかり、一度預け入れがあると5~6時間は要します」

 そうしてしばらく寄り添い、「どこから来たんですか?」と尋ねるうち、女性たちはぽつぽつと話し始めるという。病院ではその間、赤ちゃんに異常がないかを診察。洋服を着せたり、ミルクを飲ませたりして、新生児室で見守る。

 「女性が最初に言うのは『ごめんなさい・・・・・』という謝罪の言葉。預けに来る人たちの根底には『自分が子どもを育てなくちゃいけない』という思いがあるのです」

 慈恵病院に「こうのとりのゆりかご」を設立した蓮田太二さんは、女性たちの心情をそう代弁する。
「罪の意識も強いから簡単に言葉が出てこない。話すだけの勇気がない。赤ちゃんを預けに来る人の思いは、簡単なものではないんです」

熊本で起きた2人の放置死に
「ゆりかご」開設を決意。
24時間の電話相談もスタート

 2007年5月、蓮田さんたちは「こうのとりのゆりかご」を開設した。
「赤ちゃんポストの存在を初めて知ったのは03年。翌年、かかわりがあった『生命尊重センター』(妊婦と胎児の命を守る活動をしている民間団体)に誘われて赤ちゃんポスト発祥の地であるドイツへ視察に行きました。当時ドイツには約70ヵ所の赤ちゃんポストがあり、その目的はひとりでも多くの赤ちゃんを放置死から救うことでした」

 日本でも児童虐待の相談件数はここ15年で8倍に増え、死亡例のうち6割以上は赤ちゃん。そのうち55%が生まれたその日に殺されている。視察後、蓮田さんの耳にも熊本市内で生まれて間もない赤ちゃんが3人遺棄され、うち2人が亡くなったというニュースが飛び込んできた。

 なぜ救えなかったのか・・・・・。自責の念に駆られた蓮田さんは赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」の開設を決意。病院が遺棄幇助罪に問われないか法学者に意見を聞き、「安全なところに預かれば問題ない」との結論を得た。県や市、警察署にも相談し、現在は熊本市児童相談所と警察に連絡している。

 しかし、ゆりかごの開設にはさまざまな批判が巻き起こった。代表的な批判は「出自をめぐる問題」だった。中には「道端に赤ちゃんを捨てると警察が捜査し、親(出自)がわかる。だから、道端に捨てられたほうがよい」というものまであった。

 「しかし、冬なら冷たい空気の中で、赤ちゃんの身体は冷えていきます。未熟児の場合は特に影響が大きい。実際、熊本で遺棄された赤ちゃんは2人が亡くなったのです」
また、ゆりかごの設置によって「子捨てを助長するのではないか?」という批判に対しては、預け入れを未然に防ぐため、24時間フリーダイヤルの電話相談「SOS赤ちゃんとお母さんの妊娠相談窓口」を開設。赤ちゃんを預け入れる前にも相談にのることにした。その結果、「やっぱり自分で育てよう」と決意する親が現れたり、預け入れが当初より減ったことを社会に説明してきた(2007年17件、2008年25件・・・2015年13件)

大量出血、痙攣、子どもの仮死
一番の理由は「貧困」。
孤立無援の危険な自宅出産へ

 ゆりかごの開設から10年が経ち、これまで見えてこなかった母子たちの状況が少しずつわかってきた。

 第一に、なぜ女性たちはゆりかごを訪れるのか?複数回答で聞き取りを行った結果、最も多かったのは「生活困窮(貧困)」問題。そして「未婚」「世間体・戸籍」「パートナーの問題」「不倫」などが続く。しかし、実際のケースはこうした事情が複雑に絡み合っているという(生活困窮32件、未婚27件、世間体・戸籍24件、パートナーの問題27件、不倫16件、親・祖父母などの反対10件、養育拒否10件、育児不安・負担感6件。ゆりかごを利用した主な理由、複数回答、16年7月熊本市公表)

 たとえば、人工妊娠中絶が可能な21週6日を過ぎた後に、パートナーから突然、妻子がいることを告げられ、連絡が途絶えてしまう。貧困状態にあり、人間関係も希薄で、相談できる相手も病院に行くお金もなく、そのまま自宅出産を迎える・・・・・といったものだ。

 また、16年3月までの預かり件数125件のうち、最も多かったのは近隣「九州」からの30件(熊本は9件)。しかし、2番目は「関東」22件、3番目が「中部」11件と、遠方から訪れる女性も多いという(北海道1件、東北3件、近畿10件、中国8件、四国1件)

 「熊本県外の自宅で出産し、直後に自分の命をも顧みず、ひどい出血状態でここまで車を運転してきた女性もいます。そこまでしてでも育てられない事情がありながら、子どもの命を助けようとしているのです」

 そう話すのは、本館師長の西村美和さん。「私はゆりかごを、社会に対する一つの問題提起だと感じています。遠方から預けに来る方も少なくない中、もう少し各地の行政が相談業務をしていることをアピールして、悩んでいる女性たちに周知し、利用しやすい状況になってほしいと思います」

 「今は、貧困状態にある女性は自宅でひとりで生まざるを得なくなっている。しかし、自宅出産は母子ともに危険なものです。母親の場合、大量出血や痙攣、子どもの場合、仮死などのリスクがあるからです」と蓮田さんは指摘する。

 慈恵病院はそんな状況にある女性にも、24時間フリーダイヤルの電話相談を利用してほしいと願っている。担当する社会福祉士の平田直美さんによれば、どのような社会的支援が受けられるかアドバイスし、必要に応じて行政への橋渡しをするという。

 「相談員は在宅を含めて11人。足りない時は看護師の協力も得ています。いったん、ゆりかごに預けられた赤ちゃんは児童相談所の管轄となり、乳児院へ行くことになりますが、お母さん自身が預ける前に相談してくだされば、施設への一時入所や里親、特別養子縁組も選択肢として考えられるようになります」(養子を養親の実子として戸籍に入れる養子縁組)

 電話相談には「陣痛が始まって赤ちゃんが見え隠れしている」というような出産寸前の女性たちからの一刻を争う危機的なSOSも寄せられる。中には「貧困で病院に行けず、住む場所もなく、(妊婦が)車の中で意識を失った」というパートナーからの相談もあった。

 慈恵病院では預ける前の相談を再三にわたって促してきた結果、預け入れは08年度の25人をピークに年間10人前後まで減ったが、その分、ゆりかご開設初年度501件だったSOS電話への相談件数は増え続け、16年度は6000件を超える見通しだという(2007年501件、2013年約1500件、2015年約5500件)

 これら相談業務の運営には年間2000万円近くかかる。そのうち、約600万円は「こうのとりのゆりかご基金」でまかない、残りの1400万円以上は、“病院の負担”だという(寄付金は預けられた赤ちゃんのミルクや衣服代、困窮した妊婦への支援、妊婦を保護する交通費、フリーダイヤルの電話代、相談員の人件費などに充てられる)

預けられた赤ちゃんのその後は?
願いは「ゆりかごのない社会」

 そして気になるのが「ゆりかごに預けられた赤ちゃんのその後」だろう。
熊本市の場合は児童相談所の努力により施設以外にも選択肢が広がっており、14年に発表されたところによれば、101人の赤ちゃんのうち、30人が「乳児院等施設への養育委託」、29人が「特別養子縁組の成立」、19人が「里親への養育委託」、18人が「実母が引き取り養育」となった(その他5人)。時には里親のもと、元気に成長した子どもが病院を尋ねてくることもある。また、相談を受けたことで子育てに前向きになり、小児科に通院するたび「こんなに大きくなりました」と近況を報告してくれる母親もいる。

 一方、過去には児童相談所の判断で、ゆりかごに預けられた子どもが実母のもとへ帰されたのち、母子心中に至ったケースもあったという。「私たちは当初から、子どもは愛情深い家庭で育てるべきだと主張してきました。ただ、必ずしもすべての子が実の親のもとで幸せになるとは限らない。育てられない親のもとには無理に返すべきではない」と蓮田さんは話す。

 養子縁組についてはこう考えている。母子の愛着形成は生まれてすぐから始まるため、「特別養子縁組をするなら生後3ヶ月以内が理想」だとして、慈恵病院では「赤ちゃんの幸せを最優先し、養親の費用負担を極力抑えたペアリングを行っている民間の斡旋団体「命をつなぐゆりかご」とも連携している。

 「養親に育てられた多くの人に話を聞きましたが、深い愛情を注がれて育った子は養親を実の親のように思い、試し行動をしたり、自分の出自で悩むことも少ないのです」(「試し行動」・・わざと困らせる態度を取って、愛情を確かめる行動)

 そして、蓮田さんたちの願いは、いつの日か「ゆりかご」が必要とされなくなることだという。

 「『自身の妊娠について知られたくない』という思いを抱えた妊婦さんの理由は実にさまざまで、性的被害など、どれも深刻なものばかりです。日本もドイツやフランスのように、匿名出産や内密出産(次の4ご参照)に公的な支援があれば、サポートのない危険な自宅出産を少しでも減らせるはず。制度は変えられます。しかし、人の命は何ものにも代えられないのです」
 (以上、香月真理子氏)

 <はすだ・たいじ・・・1936年、台湾生まれ。産婦人科医。78年、医療法人聖粒会j慈恵病院を設立。理事長に就任。07年、「こうのとりのゆりかご」を設立。共著に「名前のない母子をみつめて・・の本のこうのとりのゆりかご・ドイツの赤ちゃんポスト」(北大路書房)など>

 <「医療法人聖粒会 慈恵病院」〒860-0073 熊本市西区島崎6ー1ー27 http://jikei-hp.or.jp/
「SOS 赤ちゃんとお母さんの妊娠相談(24時間フリーダイヤル)電話0120ー783ー449」>

●(4)「The BIG ISSUE」(2017年1月15日、VOL.303)

<ドイツで始まり、世界17か国に広がる赤ちゃんポスト・緊急下で選べる、
「匿名出産」「内密出産」・・・・・柏木泰典さんに聞く
  2000年、ドイツで世界初の赤ちゃんポストが開設され、10年以上にわたる研究を続けてきた柏木泰典さん(千葉経済大学短期大学部准教授)。民間の教育財団から始まったドイツの赤ちゃんポスト、そして14年に制定された「内密出産法」について聞いた。

 ドイツに100ヵ所のポスト発祥の地ハンブルクでは遺棄事件ゼロ日本の赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」を作る際、参考にされたのが、ドイツの赤ちゃんポスト(Babyklappe)だったという。柏木泰典さんは、ドイツの赤ちゃんポストに関心を抱き、たびたび現地を訪れている。

 柏木さんによれば、最初の赤ちゃんポストは、2000年に保育園や母子支援施設などを運営する民間の教育団体「シュテルニパルク」がドイツのハンブルクに置いたものであるという。その後、ドイツ各地に広がり、約100ヵ所(閉鎖も含む)に設置されてきた。海外においても、オーストラリアやスイス、ポーランド、イタリア、中国、韓国など、およそ17か国に広がっているという。

 「日本の『こうのとりのゆりかご』もそうでしたが、赤ちゃんポスト発祥の地であるドイツにおいてもきっかけは

 遺棄事件でした。99年5月にハンブルク市内で4人の赤ちゃんが遺棄され、2人が死亡。これをきっかけにシュテルニパルクの代表たちが新たな母子支援施設を開設する計画を立て始め、同じ年の12月に『24時間のホットライン』を開設。翌年の4月に赤ちゃんポストを開設しました。

 こうした『捨て子プロジェクト』の結果、ハンブルクでは00年以降、乳児遺棄は一度も起こっていないといいます」現在、日本の赤ちゃんポストは熊本の慈恵病院がやっているものだけだが、ドイツでは医療関係者に加え、地域の保育園、キリスト教系福祉団体、養護施設、母子生活支援施設、児童相談所など、さまざまな立場の人たちが複合的に関わっているのが特徴だという。赤ちゃんポストを開設しただけでなく、シュテルニパルクはドイツで初めて「匿名出産」を実施した団体でもあるという。

 匿名出産とは、女性たちの名前や身元は聞かず、医療機関で安全に出産してもらうことを目指すものだ。
「ドイツではこれまで推定400人が赤ちゃんポストに預けられ、700人が匿名出産によって誕生しました」
女性から相談を受けたシュテルニパルクでは、最適な医療機関を選び出し、出産中にも妊婦に同伴。出産後は母子支援施設に入所してもらい、専門的なサポートも受けながら母子の未来を考えてもらう。その中で自ら育てようと考え直す女性も現れるという。

 子どもが16歳で出自を閲覧できる「内密出産」という選択肢  

 しかし、匿名出産で預けられた赤ちゃんが増えるにつれ、子どもの「出自を知る権利」が問題視されるようになった。そして議論を続けてきたドイツでは、14年に「内密出産法」が制定された。

 「内密出産とは、子どもが満15歳を迎えるまで、母親の身元を秘密にすることができる出産のことです。しかし、子どもが16歳になった時点でその子どもには出自証明書を閲覧する権利が与えられます。女性に何らかの不利益があれば16歳以降も情報開示を差し止めることは可能ですが、公開に同意する母親は多いです」現在、ドイツでは主にこの内密出産を要として妊婦の支援を行っているが、それでもなお赤ちゃんポストと匿名出産は最終的な選択肢の一つとして残されているという。それはなぜだろうか?

 「現実的に、赤ちゃんポストや匿名出産でなければ救えない母子がいるためです。たとえば、アンベルクの相談所では4人の妊婦がやってきて、2人が内密出産、2人が匿名出産を希望しました。後者の2人は性的暴行を受け、その結果として妊娠し、精神的にも追い詰められていたようです」

 「子どもが出自を知る権利が侵されると反対する人はいますが、赤ちゃんの命と出自を知る権利とどちらが重要か?と問われれば、おのずと答えは決まってくると私は考えています」

 

幸せイメージに隠された“弱者”
国が支援サイト、
女子トイレにも相談カード
 

 また「内密出産法」が施行されたのと同時に、ドイツ政府は内密出産の機会情報を提供する公式ウェブサイトを立ち上げている。自分が住んでいる地域を入力すると、最寄りの支援機関の情報を一覧することができ、要請があると直ちに医師や看護師、児童福祉の専門家らのサポートを受けることが可能になる。

 「ドイツではこうした母子支援のためのポスターを駅や電車の中に掲示したり、女子トイレに相談カードを置いたり、情報の周知も行ってきました」
柏木さんが“名前のない母子たち”の思いに寄り添う背景には、自身の体験もある。

 「僕は不登校児だったんです。中学から学校に通えなくなっていました。不登校になった時、先生や家族は心配して声をかけてくれた。でも理由など言いたくなかった。『助けてほしい』と思ったけれど、それを口に出す勇気がなかったんです。でも家庭教師の先生は、一言も理由を聞かず、ただひたすら僕に寄り添い、“同伴”してくれた。そのことに自分も救われたんです。この先生がいなければ、僕もどうなっていたかわかりません」日本では多くの場合、「無責任な母親」「資格のない母親」として女性たちはバッシングの対象になる。そのため彼女たちは、さらに助けを求めにくくなるという状況に陥ってしまう。

 「妊娠という幸せなイメージだけを持ってしまいがちですが、望まない妊娠をして追い詰められている女性も少なくありません。彼女たちは幸せなイメージに隠された

 “弱者”であり、“緊急下に置かれた女性”なのです」そんな母子に寄り添い、同伴する姿勢が、何より求められている。

(以上、飯島裕子氏)<かしわぎ・やすのり・・・1975年、三重県生まれ。千葉経済大学短期大学部こども学科准教授。主な著書に『赤ちゃんポストと緊急下の女性・・・未完の母子救済プロジェクト』(北大路書房)、『名前のない母子をみつめて・・・日本のこうのとりのゆりかご ドイツの赤ちゃんポスト』(北大路書房。共著)など>

●(5)平成29年6月30日、週刊ポスト「昼寝するお化け」(曾野綾子)

 <直助(なおすけ)が来た日>(藤森注・量販店で購入した子猫の名前)

 <略>

 家に連れて来て最初の夜、私は彼のために用意した有り合わせのバスケットに古いタオルを入れた寝床を、私の寝室の隅において寝た。しかし夜中、直助は全く騒がなかった。一回だけ、私が目を覚まして直助の居場所を見ると、彼は私が明日洗うつもりで脱ぎ捨てておいたジーンズとTシャツの間にうずくまって寝ていた。この家に連れて来る時、私はその服装でずっと直助を抱いていたので、私の匂いを覚えていたのだろう。

 朝一番に私は、直助を抱いて階下に降り、キャットフードのお皿の前におくと、この健康な子はかりかりと音をたてて餌を食べ、すぐ隣の水のお皿に不規則な小波をたてて水を飲み、順序に従って次においてあるウンチ箱にはいった。そして母猫が教える日々があったのかどうかわからないが、すぐに砂を掻き、その穴とは少しずれた位置に太いウンチを二本半した。餌、水、ウンチ箱とまことに手慣れたように見える行動で、すでに彼は生きる手順をことごとく知っているようだった。

 体重はまだわずか650グラムである。乳離れするや否や、ブリーダーの手を離れて、ガラス箱の中で新しい飼い主を待ったのだろう。その幼い日々を、人間の幼児期と比べてはいけないが、私の家に来たからには、何年だろうと我が家の家族として暮らすことになる。

 人間もできるだけ元々の家族といられるような生活をさせるべきだが、新しい環境で生き抜く力もある。ネズミより一廻りしか大きくないような“がかい”の直助でも、もう好みもあるし、冒険心も探検心もある。行きたい場所も、隠れていたい隅っこもある。<藤森注・「がかい」外見の大きさ。かさ。図体(広辞苑)>

 子供たちに、温かい家庭というねぐらと同時に、冒険に出す勇気を期待するのは難しいことかもしれない。しかしその二つがあれば、ネズミくらいの大きさしかない子猫でも成長する。
夫のへそくりで、夫の死後猫を飼うことになろうとは思わなかった。しかし多分、夫はものごとが、予定通りにならないことを面白がる人だったから、結構楽しんで見ているような気がする。

 先日、熊本にできている「赤ちゃんポスト」のことがテレビに出た。そこから育った子供たちは、125人以上にもなっているという。

 親が捨てたなどと思ってはいけない。子供を育てられなかった親たちは、育てられた親たちよりも、もっといつも子供のことを思っているかもしれない。

 それに親は、多くの能力を既に遺伝子として子供に託している。直助がその事実を伝えている。

●(5)東海道五十三次は、華厳経という経典の中にある善財童子(ぜんざいどうじ)の旅に由来してつくられたものと聞いております。

 華厳経は、仏陀が菩提樹の下で開かれた悟りの内容を示したものといわれますが、善財童子は、その中の入法界品(にゅうほっかいぼん)という章に出てまいります。ここでは善財という少年の求道者を設定し、この少年が五十三人の善知識(師)をたずねる旅をつづけ、やがて悟りの世界(法界)に入るという物語が展開いたします。たいへん親しみやすい文学的構成をもつ経典なので、私たち俗人にも身近に感じられるのです。

 この少年を導く善知識は、文殊菩薩にはじまって、比丘(僧)・医者・長者・外道(仏教以外の宗教家)・王・遊女・夜神(やしん、土俗の神・鬼神)・在俗の信者などさまざまです。その中に女性は20人も登場します。これは、社会のすべての人々が、師として学ぶことのできる大切な存在であることを教えております。

 善財童子が出会う11番目の善知識は、慈行童女(じぎょう・どうにょ)という、美しい少女です。この少女は善財童子に、人間の生きる姿は、たとえどのような姿をしていても、すべて真実なものであり、この宇宙を成り立たせ、支えているかけがえのない存在であることを教えています。そして具体的な例を118に分析して示していますが、その一つ一つを丁寧に味わってみますと、そのとらえ方の深さに、ふだん人生の表面しか見ていない自分をつくづく反省させられます。
<「東洋の心を生きる・いのち分けあいしもの」大須賀発蔵先生著、柏樹社>

 故・大須賀発蔵先生には、私・藤森は大変お世話になり、多くの深いご指導を賜りました。ある時、あることに対して、「私には何もできない」と申し上げた時、先生は「祈ることができる」とおっしゃってくださいました。私は、この言葉を大切にしています。

 「赤ちゃんポスト」で育つ方々の健やかな成長を心よりお祈り申し上げたいと思っています。

●(6)平成29年7月15日、東京新聞「神戸の助産院 来年3月から」

 <「面談型」で赤ちゃん受け入れ>

 親が育てられない子どもを匿名で受け入れる「赤ちゃんポスト」を神戸市の助産院に設置する計画を進めていたNPO法人「こうのとりのゆりかごin関西」は14日、神戸市で記者会見を開き、助産師が24時間対応する「面談型」での赤ちゃん受け入れを来年3月に始めると発表した。

 NPO法人は今年2月、神戸市北区の「マナ助産院」に、熊本市の慈恵病院に続き国内で2例目となる赤ちゃんポストを開設する計画を発表。しかし、神戸市が求める常駐医師の確保が難しいとしてポスト方式を断念し、面談型で開設を目指す方針に変更していた。

 神戸市などとの調整がまとまったことを受け、助産院に通常の玄関とは別に、面談室につながる出入り口を新たに設置するなど準備を進める。10人の助産師が24時間態勢で対応し、母親の希望や赤ちゃんの状況を踏まえ、児童相談所や特別養子縁組などにつなぐ。

 面談は母親が希望する場合、匿名で応じる。電話での相談も今年12月から受け付ける予定。同助産院の永原郁子院長は「命を守ることを最優先に取り組みたい」と述べた。

く文責:藤森弘司>

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