2017年11月15日 第184回「今月の言葉」
東洋医学と「怒り」について

●(1)私たちが、日頃、何気なく、あるいは、気軽に使っている言葉の中に、とてつもなく重いというか、とてつもなく重要な言葉があります。

 その典型例が「肝心(腎)要」という言葉です。

<<「かんじん」・・・とりわけ大切であること。肝要。「努力が・・・だ」△肝と心、あるいは肝とは、共に人体にとって大切なもの。・・・かなめ【・・・要】一番大切なこと。非常に肝要なこと。「・・・のこの一点だけは譲れない」>>(岩波国語辞典)

 「心(臓)」の場合は、呼吸が止まってしまいますので、「心(臓)」が重要なことは誰でも分かることですが、「肝腎要」、つまり、「肝」と「腎」がとてつもなく重要であることに気づくことは、「自己成長」にとって、文字通り「肝腎要」、極めて重要です。

 「臓器」を治すことと、「人間性」とは無関係だと思いがちですが、実は「心身は一如」が「心身医学」の根本精神であり、驚くことに「東洋医学」も人間性を診るのです。

 昔、ご指導いただいた漢方の天才、故・杉本直司先生が「引っ越し」を繰り返す方の事を漢方の立場から診断されたときは本当に驚きました。「漢方」「人間性」を診る、つまり「心理学」的な分野も対象になっていることを知り、とても驚いたことがあります。

 さて、私(藤森)の実例(心身一如)を一つ、申し上げます。

 私は、若い頃、人間性がとても・・・とてもつもなく未熟でした。その頃、口内炎ができるとかなり重症化しましたが、「口内炎」の治療はしたことがありません。しかし、「自己成長」に取り組み、それなりに少しずつ、人間性を育てて来た結果、今では「口内炎」は全くできなくなりました。多分、少しは、「免疫力」が上がったのだと思われます。
稀に、頬を思いきり咬んでしまい、口の中に傷ができても、口内炎にはならず、傷口が治るまでの2~3日が少々痛いだけで完治するようになりました。

 もう一つ、素晴らしい言葉を紹介します。
私(藤森)が尊敬している石原光則先生。とてつもなく難しい「論理学」の天才で、外国の学会に日本で唯一参加するほどの方です。漢詩も、日本では数少ない創作をされる達人でいらっしゃいます。石原先生とは不思議なご縁があり、30年来、個人的に親しくさせていただいています。

 先日、石原先生と雑談している最中、石原先生が「生命の工業化」とおっしゃいました。帰宅後、メールで確認させていただいたところ、石原先生が独自に考え出した言葉で、先例はどこにも無く、先日、書き終えた一文に使ったとのことでした。

 私が、日頃、西洋医学について考えている批判的なこと、しかし、なかなか適切に言い表せないことが、この「生命の工業化」というわずか一言でズバリと言い尽くしていることに深く感動しました。

 今や、最先端と言われる西洋医学は人間性を無視していて、文字通り、生命を「工業化」していると言わざるを得ません。最先端とは、技術や薬が中心で、そこには「人間性」が全く関わっていないどころか、むしろ、人間性は疎外されています。ほとんど、犬や猫などの動物の中の「最高等動物」的な対応をしていると言わざるを得ません。そのために、医学や医者は、やがて「AI」に取って代わられる可能性が高いと私は思っています。

 もしそうではないと言うならば、何故、人間は「大腸炎」になるのでしょうか?何故、「自己免疫疾患」になるのでしょうか?何故、「癌」になるのでしょうか?何故、「結核」になるのでしょうか?何故、難病を患うのでしょうか?何故、「口内炎」になるのでしょうか?

 伝染性の病気は「ウィルス」が原因だと言うならば、その人の周囲の人は、目に見えないために防ぎようのない「ウィルス」に、何故、感染しないのでしょうか?何故、一人が感染したならば、一家全員が感染しないのでしょうか?何故、その会社の人全員が感染しないのでしょうか?何故、満員電車の乗客が全員感染しないのでしょうか?何故・・・なぜ・・・ナゼ?!

 そういう疑問の一つの大きな答えになる極めて貴重な資料をご紹介します。

 今回のテーマ「東洋医学と怒り」は極めて重要で、それを詳しく、分かり易く、必要十分な解説がなされた貴重な資料を下記にご紹介申し上げます。

 東洋医学では「肝」は極めて重要ですが、それと同時に「腎」も極めて重要です。そのために、「肝腎要」となります。なお、東洋医学では、「怒る」という「感情」の所属は「肝」だと言います(五臓の色体表ご参照)。

 (私・藤森は、「肝」が関わる問題は、「肝」の問題だけでなく、「肺系」「腎系」が抱える問題を防御・防衛するために、「肝」が使われていることを発見しました。だから「自己成長」するためには、「肝」は二重の重要性があります。いつか別の機会に説明させていただきます)。

 さて下記は、私が尊敬する天下第一級の飛鳥井雅之先生の極めて重要な資料で、「自己成長」には不可欠の貴重な資料です。ジックリとご覧ください。

 なお、下記の資料をさらに深めるための最大級の資料が<「今月の言葉」第158回「交流分析のストロークとは何か?」>に詳しく掲載されています。同じく、飛鳥井雅之先生の資料です。「自己成長」を渇望される方、一流の専門家を目指す方は、熟読玩味をお勧め申し上げます。

●(3)昭和56年7月23日、日本工業新聞、<東洋医学と「怒り」~「安心」と「自己存在への自覚」が極意~>(飛鳥井雅之・東洋医学研究家)

 <「怒り」の概念の把握>
   「怒り」と癌とは密接な関連がある。この他にも難病は言うに及ばず、万病の元と言われている風邪は「怒り」の発散即ち、生命維持の為の中和現象でもある。現代西洋医学では、なぜ風邪に罹るのかは未だに解明されていない。従って治療法も無い。

 しかし、これから述べようとする「怒り」の概念を把握されると、多くの方は、自らの体験に照らし合わせて、風邪は言うに及ばず万病の予防法と治療法とを自ら創意発見する事が出来るはずである。最近話題になっている家庭内暴力、登校拒否、自殺、凶悪犯罪などや、急激に増加している離婚や戦争への緊迫ムード等も全て「怒り」の概念をもってして理解し得る。

 先ず、ここで述べている「怒り」の意味は、感情としての「オコル」ことだけでは決してない事をしっていただきたい。例えば、あなたが、むし暑い室で汗をかいたとしよう。これはあなたの体が「怒った」と言える。又、反対に、冬の日の早朝、寒さに震えたとしよう。

 勿論、鳥肌が立つだろう。これも体が「怒った」と言える。つまり、ここで述べている「怒り」とは俗に「頭に来た」と言うような感情だけを表しているのではなく、東洋医学特有の心と体を分けて見ない心身一如的立場からの全体表現であると言い得る。敢えて確定的表現をすると「によって生じたエネルギー」もしくは「エネルギーが惹起された状態」であるとも言える。従って常に流れている状態であり、一刻も留滞していないと言える。 

 <人間と環境は一体> 

 人間だけに限定しても、東洋医学的考え方で言うと、人間と、それを取り巻く環境とはワンセットになっており、決して切り離すことはできないが、それ故、常にそこには差があり、常に「怒り」(エネルギー)が生じ、一つの流れを形成しており、その流れの放出が結果的に「生きている」という結果を生み出している。

 つまり、発電と放電の現象に似ている。しかし、この現象をも別々に観ずに同時に全体的に観るが故に、これを東洋医学では「気」と言う概念でとらえている。「気」とは「はたらきがあって、かたちの無いもの」であるが、これが今ここで述べている「怒り」でもある。「怒り」は常時生じている。

 例えば、他人と意見の違い(差)によって自己内面にエネルギーが惹起し、これを感じると「憤り」を感じることとなる。更に自分の理想と現実の自分とのギャップ(差)によっても自己内面には「怒り」が生じる。そして、これ等の差を埋め合わすべく行動(エネルギー放出)して行けば生命は順調に流れる訳だが、これが出口を失って、滞ると先に述べたような様々な形をとって、無方向性を帯びて溢れ出る。病んでいる人を詳細に観察してみると、必ず、そこにはその人の生きる事の意味が失われており、エネルギー放出が閉ざされたり、溢れて、行為としてよりも無方向無目的な行動として流れている事が判る。

 更に、「病」という字を字義で見てみると、「病ダレ(丙の無い字・字を出せず、ごめんなさい)」と「丙」になるが、「病ダレ(丙の無い字)」は「やまいだれ」のままで、ここでは言及する事をやめて「丙」を検討してみると、象形文字としては「魚の尾びれ」を象徴しており、字義としては「ピンと張った状態」を表している。因みに木扁をつけると「柄」となり柄はピンとしていなくては物の役に立たない。更に「丙」は中国語の音では「ピン」と発音するからよくできている。

 そこで「病ダレ(丙の無い字)」プラス「ピンと張った状態」が病気と言う訳だが、気は「怒り」であるから「怒り」(エネルギーが放出されないで、心身共にピンと張りつめている状態)が病気の本態である事が判る。ついでに付け加えると、不安とは不安定の事であり、本来流動している可きエネルギーが、

 拮抗状態で抑えられていることでもあり、この時に人間は不安を覚える訳である。そこで風邪をひく前頃には、心は不安定となり、体は硬く、ひどい時は筋肉痛くさえなるのは、多くの方が体験されているだろう。これは「怒り」が出口を失って充満している状態であり、発汗や利尿によって解熱し急速に回復に向かう事は、これ等は「怒り」の発散でもあるからである。 

 <ガンは“肉体分裂病”> 

 つまり全ての病気は「怒り」の<よどみ>によって現象化されたものだと言えるが、そうしてみると、すでに気づかれたように、家庭内暴力や登校拒否にはじまり、自殺、他殺、離婚なども全て、その人が「生きている事の意味」を失った状態だと言う事が判る。

 そこで、ある人は、その方向を仮に定める。例えば、感情的に「おこる」ことで発散をする人、病気をする人を始めとして、ギャンブル等のスリルを持った快楽から酒、タバコ、果ては薬物嗜好への道を歩む人、又ある人は、財を求め、権力を求める事を仮の意味として、かなり長期間努力するかも知れない。が、しかし、このような自転車操業的エネルギー放出は息切れし、いつか自己存在の意味喪失の地金があらわれて来る。

 この時に、程度と長さによって、軽いものは自律神経失調症を入り口として、風邪→アレルギー→膠原病→癌という系譜が成立する。ガン細胞は、増殖するエネルギーを持ちながらも、その目的性と方向性を見失った細胞であるが、これは、あまりにも、その人の生き方と似てはいないだろうか。

 つまり快楽や権力、財力そして地位名声を極端に求め過ぎた人達にあまりにも多い現実を見ると、その背後に秘められた根本的な問題は、生命エネルギーが自己存在の意味の喪失によって方向性を失った事実を直視せずその代用品に肩入れしすぎた結果の息切れ現象であることが判って来る。結論的に言うと自己本来の生きて行く方向と分裂して別の自分が肉体に表現された訳である。即ち癌は“肉体分裂病”と言える。癌年齢とは、先付小切手の不渡りによる倒産間近な時期であるとも言える。では、「怒り」を如何にスムーズに流すかと言う事だが、極意は腹と呼吸にある。多く述べる紙数はないが、決して「息」を止めず、特に長く出す息、つまり長呼吸によって「怒り」はよりよくコントロール出来るし、長生きは長く出す息によって得られる

 「安心」と「自己存在の意味への自覚」がその極意である。

く文責:藤森弘司>

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