2016年9月15日 第170回「今月の言葉」
「謙虚」についての一考察
③ー①

●(1)「謙虚」とは何かと考えてみると、実に不思議な感じがします。

「謙虚」って何でしょうか?
また、「謙虚」になるのが何故難しいのでしょうか?

 恐らく、多くの方が「謙虚さ」を美徳というか、素晴らしい人間性だと思っていらっしゃることと推測します。また、多分、日本人ならば、褒められたときに、多くの方は「謙遜」することと思います。「謙虚」と「謙遜」はどう違うのでしょうか?

「謙虚」・・・ひかえめですなおなこと。謙遜。「・・・に反省する」「・・・な態度」(広辞苑)
「謙遜」・・・控え目な態度で振る舞うこと。へりくだること。「・・・して言う」「ご・・・でしょう」(広辞苑)

 私たちは、多分、ほとんどの方は、褒められたとき、「謙遜」することと思います。つまり、多くの日本人は「謙遜」することが気質・体質になっているくらいに得意だと思われます。しかし、何故か、「謙虚さ」は、私(藤森)を筆頭に、かなり不足しているように思われるのですがいかがでしょうか?

 しかし、辞書によれば、少なくとも私の理解力では、ほとんど同じ意味のように思われます。
しかし、何故、「謙遜」は得意でも、「謙虚さ」は苦手・・・・・へりくだって「謙遜」していうことは簡単ですが、「謙虚に反省」することや、「謙虚な態度」はとても難しいように思うのですがいかがでしょうか?

 まずは下記2つ(2)と(3)の資料をご覧ください。

●(2)平成28年9月16日・23日、週刊ポスト「逆説の日本史 第1110回」(井沢元彦)

 <近現代史を歪める人々編 その⑩>

 <「身に付けるべき基本的常識」の欠如こそ日本文化の構造的問題>

 身内の労働組合からも「戦後の朝日新聞史上最悪と言ってもいい致命的なミス」と評される判断を下した木村伊量(ただかず)朝日新聞社長(2014年当時)は、そんな判断を下すぐらいだから極めて異常で誰が見ても「おかしな」人間だったのか?

 ここに貴重な証言がある。木村社長の友人だった加藤清隆・元時事通信社特別解説委員が雑誌の寄稿で木村社長の人となりを語っているのだ。
この『わが友、木村伊量社長への「訣別状」(『WiLL』2014年12月号)によれば、加藤は時事通信のワシントン支局在勤時代、朝日新聞の同支局にいた木村と親しくなり、その後は双方家族ぐるみのつきあいをしていた。また2014年に長年日英友好に尽くしたとの功績で、東京のイギリス大使館で大英帝国勲章を授与される際の立会人に、木村が当初選んだのも加藤だった。

 ところが、こんな親しい2人が突然袂を分かつことになった。従軍慰安婦強制連行に関する吉田虚偽証言を朝日新聞が紙面で訂正した後、これを見た加藤が次のように忠告したからだ(以下<>内は「訣別状」からの引用)。

<「木村君、吉田某の証言を虚偽として訂正したなら、きちんと謝罪して社内の処分をしないといけない。それですべてケリがつくわけではないけれども、それぐらいしないと大変なことになるよ」>

 ところが、木村はこの忠告を受け入れることを拒んだ。その理由は、<「歴史的事実は変えられない。だから謝罪する必要はない」>であり、加藤が何度真剣に忠告しても、その答えを<繰り返すだけ>で、<聞く耳を持ってくれ>なかったという。

 もう一度強調しておくが、訂正するならば同時に謝罪することはジャーナリストとしての常識、それ以前に人間界の常識である。
そういう常識があるからこそ、私は大変申し訳ないが、木村に関する情報が他にまったく無い白紙の状態でこの文章だけを読んでいたら、「この加藤という男、ジャーナリストか何だか知らないが、デタラメを書くにもほどがある。記者出身の朝日新聞のトップがそんなバカなことを言うわけが無いじゃないか」と思ったことだろう。

 しかし、ここに書かれていることはまったくの事実に違いない。なぜなら、すでに述べたように、その後朝日紙上で紙面批評のコラムを連載していた池上彰が「過ちを訂正するなら、謝罪もするべきではないか」と同じ批評を書いたところ、他ならぬ木村社長がこのコラムは掲載を認めないから池上に突き返せ、という決断を下しているからである。しかも、これもすでに述べたように、木村社長はその行為「池上斬り」について「言論の自由の封殺であるという批判」を受けるとは「思いもよらぬ」ことだったと公言しているのだ。

 木村社長にはジャーナリストとしての最も基本的な常識が欠けていたと言わざるを得ない。
誤った決断を下したときにたまたま体調が悪かったとか、何か特別な事情があったわけでは無いのだ。それどころか友人の忠告もあったし、朝日新聞社がわざわざ自らを正すため外部の人間に依頼しているコラムもその問題を提起していた。もちろん部下たちも必死になって判断を翻すように求めた。いわば判断を改めるチャンスはいくらもあったのに、木村社長が下したのは朝日新聞社という組織を滅ぼしかねない最低最悪の決断であった。

 しかも状況が複雑でも誰もが判断に困るという状況では無かった。ジャーナリストなら1年生でもわかるはずの最も基本的な常識、職業倫理に基づけばこんな判断を下すはずが無いのである。

 私に言わせればこれはまだ朝日新聞社だけの話で良かった。これが日本国に関する決断だったら国が滅びるということになるからだ。そして、もう何度も言っているように現実に存在した大日本帝国は、こうした「バカトップ」が滅ぼしたのである。

 なぜ同じ轍を踏むのか。踏もうとするのか。それを明らかにすることこそ真に「歴史に学ぶ」ということであり、そういう知的作業を無視していかに、「軍国主義反対」などと叫ぼうと、結局同じ失敗を繰り返すことになる。現に「昔陸軍、今朝日」になってしまっているではないか。

 その意味で、この「加藤証言」は貴重である。バカトップというものがいかなるものか、分析するためのヒントを多数提供してくれているからである。
まず確認しておこう。このバカトップは通常の意味でいうバカとは違う。それどころか学歴優秀、語学堪能のエリート中のエリートである。もちろん能力もある。

 木村社長をひとつだけ褒めておこう。彼の英断として特筆すべきことは、歴代社長が先送りしてきた「吉田虚偽証言訂正」を自分の代できちんと成し遂げたことである。本来なら、池上も指摘しているように少なくとも20年前に朝日はこの記事を訂正すべきであった。証拠はそろっていたのである。ところが歴代社長は自分の経歴に傷がつくことを怖れてこの問題に眼をつぶり、満額の退職金を受け取って系列企業に転出していった。

 本当に朝日がこの問題を反省しているなら、今からでも遅くないから歴代社長のこの怠慢を紙面で追及すべきだろう。そうしなければ薬害問題などを先送りして天下り人生を楽しんでいる官僚等を批判する資格は無い。

 しかし、木村社長はこの問題に手をつけた。それは大変立派な態度である。しかも組織の中においては「正しいこと」が必ず実行できるとは限らない。様々な抵抗があるからだ。特に自らの過ちを認めることについては大きな抵抗がある。

 だから、そうした抵抗を排除して訂正が出来たのは、木村社長は組織人として並々ならぬ能力を持っていたということでもある。だからこそ、この点では「加藤証言」も木村社長の能力を<朝日政治部のなかで彼の能力はダントツでした。風通しが悪く、上司のご機嫌ばかり伺っているヒラメ記者ばかりの朝日を改革できるとすれば彼しかないと私は思っていたし、いまもそう思っています>と高く評価しているのだ。

 つまり「バカトップ」とは学歴優秀、語学堪能だけでは無い。果断な実行力があり組織人としては極めて優秀で、さらに付け加えれば良き家庭人でもある。非の打ちどころのない人間に「見える」。それゆえ多くの人がダマされる。まさか「バカ」とは思わず、それどころか極めて優秀に見えるからこそ、その組織たとえば陸軍だったらエリート参謀長あるいは大将になるし、朝日だったら社長になってしまうのである。

 しかし彼らバカトップには致命的な問題点がある。それは軍人なら軍人、記者なら記者として、最も最初に身に付けるべき基本的な常識、軍人なら「複数の敵をいっぺんに相手にしてはいけない」、記者なら「記事を訂正したのなら謝罪すべき」あるいは「言論封殺につながるような行為は絶対にしてはならない」が、身に付いていないということである。

 日本人としては大変残念だが、これは欧米では偶発的に起こり得ても継続的には絶対起こらない現象で、日本文化の構造的問題だと私は思っている。

 <暴力団員には謝罪の必要無し?>

 では、朝日新聞の事例を使って、この問題を解析してみよう。ここでも「加藤証言」が大変ありがたいのは、ジャーナリストならば誰でも心得ているはずの常識を踏まえた説得に対して、バカトップが何と言ってはねつけたかを記録していてくれたことである。
<歴史的事実は変えられない。だから謝罪する必要はない>
これは論理的に見ると極めておかしな言葉である。

 たとえば現代の日本で連続殺人事件が起こったとしよう。ある新聞が紙面で「犯人は○○だ」と名指しで大々的に報道したとする。ところが捜査が進んで犯人が逮捕されるとまったく別人だった。そうなればその新聞は絶対に記事を訂正しなければならないし、無実の人間を犯人扱いしたのだから当人には謝罪しなければいけない。もし新聞社の社長が「殺人事件が起こったという歴史的事実は変えられない。だからわれわれが犯人だと誤報した人に謝罪する必要は無い」などと開き直ったなら一般人はどう思うか。この新聞社の社長は頭がおかしいと誰もが思うだろう。論理に一貫性がまるで無い。しかし木村社長は現実にそう言っていたというのである。

 「事件が起こったということ」つまりそういう「歴史的事実」があったことと、新聞社の「誤報の責任問題」は論理的にまるで関係が無い。しかし、木村社長はこの2つを結びつけ、しかもその論理にならない論理で、最も大切なジャーナリストの職業倫理を否定しているのだ。

 あくまで論理的に考えてみよう。どうしてそんなことが出来るのか?
吉田清治というペテン師がウソの証言をして朝日新聞をダマした。その証言の内容を朝日は歴史的事実だとして報道した。しかし、その証言は虚偽だったのである。つまり、そんな歴史的事実は存在しなかったのだ。だったら「歴史的事実は変えられない」という言葉自体がおかしい。もしあえてこれに意味を求めるとすれば「吉田清治の証言は嘘だった。

 しかし慰安婦の強制連行はあった」と考えているとしか思えない。それは話が逆だ。そもそも「吉田証言」があったからこそ「強制連行という歴史的事実はあった。これが決定的な証拠である」と朝日も追随する左翼や一部ジャーナリストも主張していたのだ。これが否定されるなら、当然そうした主張は根拠を失うのである。もしそれでも強制連行説を主張するなら、「吉田証言」に代わる有力な証拠を探し出すべきだ。そういうことをしない限り「歴史的事実は変えられない」と主張することは、予断と偏見に満ちた態度と言わざるを得ない。

 ところで、この木村社長の拒否理由において「誤報の被害者」は一体誰になるかを考えてみると、彼の考え方の別の側面がわかる。
誤報によって惑わされた読者も被害者には違いないが、何といっても最大の被害者は誤報によって「してもいない犯罪をしたと決めつけられた存在」であろう。これは個人ではなく組織だ。つまり陸軍であり大日本帝国である。仮に、あくまで仮の話だが本当に陸軍なり大日本帝国がどこかで慰安婦の強制連行をやっていたとしても、「済州島で強制連行をしていた」という点に関しては無実だ。証言はデタラメだったのだから。

 ならば朝日はやはり報道被害者に対して謝罪すべきなのである。「あなたたちの名誉を傷つけ犯罪者扱いして申し訳ありませんでした。済州島にいた旧軍関係者などに深くお詫びします」と。しかし、木村社長はそんな必要は無いと突っぱねた。つまり「どうせあいつらは、悪人なんだ。だから罪はいくら押し付けてもいいし、そういうインチキがバレたって謝罪する必要はまったく無い」と考えていたということである。論理的に考えれそうなるのである。

 納得しない向きは次のようなことを考えてみればいい。たとえば、ある地方で暴力団という反社会的勢力が抗争を重ね何の罪もない市民が次々に犠牲になっていたとしよう。まさに許しがたき事態である。そうしたなか、また市民が他殺体となって発見された。そこに吉田某という男が新聞社に現われ「殺したのは暴力団員です。間違いありません」と証言し、その証言を報じた記事によって暴力団員が逮捕されたが、実はその証言はデタラメで犯人は暴力団とはまったく関係の無い人間だったとする。

 そんな場合、新聞社は「殺したのはやっぱり暴力団員だった」という記事を間違いなく訂正するだろう。では、謝罪は?
無実の人間を犯人扱いしたのだから、少なくともその件については謝罪するのが当然だと私は思う。

 しかし、その新聞社の社長が「今回に関してはたまたま無罪だったけれども、あいつらはどうせ人殺しではこれまで何人も市民を殺している。そういう歴史的事実は変えられないから謝罪する必要は無い」と主張したら、あなたはどう思いますか?その主張を支持しますか?

 もちろん支持するはずがない。それが民主主義社会の原則だ。しかし木村社長はこれもわかっていなかったということだ。相手が暴力団員であったとしてもしなければいけない配慮を、木村社長はしていない。つまり旧陸軍や大日本帝国を「虫ケラ」としか見ていないということだ。

 人はあくまで人である。身分の上下もない。それなのに相手を「虫ケラ」と見下す人間は、要するに傲慢の権化なのである。<文中敬称略>

●(3)平成28年9月9日、週刊ポスト「いのちの苦しみが消える古典のことば(田中雅博・普門院診療所内科医・西明寺住職)

 <私を銃で撃った犯人を許す ヨハネ・パウロ2世

 ローマの話を3回書きましたが、毎回ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が登場しました。そもそも仏教僧侶の私がローマ教皇庁の国際会議に招待されたのも、元を辿ればヨハネ・パウロ2世の影響です。彼は異教徒と争った過去を反省し、他宗教との対話を呼びかけたのでした。

 ヨハネ・パウロ2世は現代の人ですが、その葬儀に各国首脳を含め世界中から500万人も集まったことだけを考えても、まちがいなく彼の言葉は古典となって将来も読まれ続けることでしょう。彼は過去に行なったローマ教皇庁の過ちを100件以上反省し謝罪しました。

 例えば十字軍の歴史を反省し、イスラムに、そしてユダヤに、プロテスタントに、各地の民族宗教や伝統文化に、そして前回書いたジョルダーノ・ブルーノやガリレオ・ガリレイに、また奴隷貿易に関わったことに、等です。更に、ナチスの大量虐殺に反対しなかったことなど、不作為の罪にも謝罪しました。また「空飛ぶ教皇」としても有名で、世界100か国以上を訪問しています。プラハを訪問した際には、異端判決で1415年に火炙りの刑になったヤン・フスに謝罪しました。火刑に際してのヤン・フスの言葉「真実は勝つ」はチェコ共和国の旗に書かれています。

 バチカン放送局のホームページを見ると「紀元2000年には大聖年の開幕を告げ、これを機会に世界中の信徒に回心と償い、赦しと和解、新しい希望を呼びかけると同時に、過去の歴史の中でカトリック教会の子らが犯した様々な罪を認め公式に謝罪した」とあります。バチカンの公用語はラテン語ですが、バチカン放送局では39か国語に翻訳して放送しています。局内では放送言語ごとに部屋が用意されていて、日本向けの部屋には紺色の暖簾がかけてありました。

 私が最初に訪問した2002年には、すでにFM放送や短波放送からインターネット放送に切り替わっていました。この年に、私も握手して確かに生きていた、ヨハネ・パウロ2世の死亡時のニュース原稿が既に作られていて、日本語訳も済んでいるとのことでした。実際に亡くなられたのは、この3年後でした。

 東西冷戦に反対していたヨハネ・パウロ2世はソビエトKGBが放った刺客に狙撃されました。1981年サンピエトロ広場でオープンカーから手を振っていた際に銃撃を受けて重傷を負ったのです。銃弾は2発命中し、その1発は大動脈から数ミリの所で止まっていました。血液の60%が出血で失われ、大腸を22センチ切除して腸瘻造設術が施術されました。4日後、教皇は病床から「狙撃者を許す」とコメントを発表しました。退院後に教皇は刑務所へ行って、狙撃者アジャに面会して直接許すことを伝えています。

 <たなか・まさひろ・・・1946年、栃木県益子町の西明寺に生まれる。東京慈恵会医科大学卒業後、国立がんセンターで研究所室長・病院内科医として勤務。90年に西明寺境内に入院・緩和ケアも行なう普門院診療所を建設、内科医、僧侶として患者と向き合う。2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数カ月と自覚している>

●(4)さて、バカトップの場合は言うまでもありませんが、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の場合はいかがでしょうか?

 私(藤森)が言いたいことは、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が「謙虚」であるとするならば、それ以前のローマ教皇はどうなのか、です。これほどの反省が必要であるとするならば、それ以前のローマ教皇は「傲慢」だったということにならないでしょうか?
本来ならば、キリスト教に限らず、伝統のある大宗教の最高責任者であるならば、こういう反省は当然すぎるほど当然のことだと思われます。知らないことならばいざ知らず、分かり切っていることを、何故、もっと早く、最高責任者が反省しなかったのであろうかという強い疑問を感じます。

 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が立派であるならば、立派であるほど、今までのローマ教皇は何をしていたのか。つまり「バカトップ」と同じではないかという強い疑問を感じてしまいます。いやむしろ、「バカトップ」よりも酷いと言いたくなります。何故か?私たち一般人は、欲望渦巻く娑婆に住んでいます。だから、良し悪しは別にして、「自己保身」や「打算」で行動することに、それなりに一定の理解ができます。

 それに対して、ローマ教皇という何億か何十億人かは分かりませんが、世界中の信者から「神」のように思われ、かつ、生活とか収入とかの心配が全くない立場のローマ教皇。が、何故、もっと早く、それ以前のローマ教皇たちが、ヨハネ・パウロ2世のように「謙虚」になれなかったのだろうかという強い疑問を感じます。そんな宗教が信じられるのだろうかという「ヘソ」が曲がった印象さえ、私のような人間には感じられてしまいます。

●(5)それだけではありません。映画「スポットライト」の一部を下記に再録します<「今月の映画」第165回をご参照ください
「謙虚」とは、一体全体何なんでしょうか?
  <全米各地で教会が賠償金で破産>
2002年から現在まで全米で1850人の被害者に合計で約13億ドルが支払われた。
 

 <なぜカトリック教会で> 

 このスキャンダルは、全米の人口の2割、約6千万人のカトリック信者はもちろん、全世界に衝撃を与えた。なぜ、こんなことに?人々はさまざまな理由を論じ合った。だが、ゲーガンやマーフィ神父のようにひとりが長年にわたって100人や200人もの被害を出すことは普通ありえない。これほどの被害数を可能にしたのはやはりカトリック教会のシステムなのだ。

 

 <神父は神に等しい存在> 

 第一の原因は、カトリックの聖職者が「神」に匹敵する権威を持たされていること。第三の問題は教会のもみ消しだ。
被害者の訴えに対して、カトリックの教区は徹底した隠蔽工作を行ってきた。「スポットライト」で描かれた通り、神父は貧しい家庭の子どもを標的にする。示談金で簡単に口が塞げるから。犯人の神父は遠くに転任させる。時には南米やヨーロッパなど地球の反対側へ。それは地球規模のネットワークを持つカトリックならではのやり方だ。

 以上のような構造的な理由によって、カトリック教会はアメリカ、いや全世界に被害を拡大していった。

 

 <ついにローマ教皇が辞任> 

 ローマ教皇ベネディクト16世は、最初、沈黙していたが、被害者の訴えはアメリカからアイルランドやドイツ、イギリス、オーストラリア、中南米に広がった。2006年には、教皇もついに虐待の事実を認め、再発を防ぐと宣言したが、彼自身が大司教を務めていたドイツで性犯罪を起こした神父の隠蔽工作に関わっていたことが暴かれてしまった。2002年から全世界で報告された神父によるレイプは4000件におよび、800人が神父の資格を剥奪され、2600人が職務永久停止処分を受けた。カトリック教会が支払った賠償の額は2012年には26億ドルを超えた。多くの教区が破産した。

 金銭的損失以上にカトリック教会にとってダメージだったのは、信者の信頼を失ったことだ。アメリカでは、カトリック信者の7割近くが性的虐待についての教会のやり方は間違っていたと考えており、300万人以上が教会を去ったという。2000年続いたカトリック教会にとって、宗教改革などと並ぶ、歴史的危機だ。

 ついに2013年にはベネディクト16世が辞任した。598年ぶりの生前退位だった。
「こんな事態に発展するなんて、私たちの誰ひとりも予想もしていませんでした」
ボストン・グローブ紙の記者サーシャ・ファイファーは言っている。
現在のフランシス教皇は「聖職者の50人にひとりは幼児性愛者である」と現実を認め、信者からの虐待の訴えを教区で内内に処理せず、常にバチカンに報告するよう通告している。

 この事件が恐ろしいのは、被害者が何よりも信じていた神父、親、そして神から裏切られた形になることだ。もう何も信じられない。祈ることすらできない。たとえ賠償がなされて神父が裁かれても、世界を信じることができるだろうか。<スポットライト>にあるように、これは単なる性的虐待ではなく、

 「魂に対する虐待」なのだ。

●(6)平成28年9月7日、日刊ゲンダイ「営業マンのヤル気を引き出す奇跡のひとこと」(田村潤(たむら・じゅん)・・・元キリンビール株式会社代表取締役副社長。1950年、東京生まれ。成城大卒。95年に支店長として高知に赴任し、厳しいシェア争いの末、アサヒビールからトップシェアを奪い返す。その現場の戦いぶりをつづった「キリンビール 高知支店の奇跡」(講談社+α新書)がヒット中>)

 <第17回 リーダーは腹をくくれ>

 勝つために、あるべきリーダー像とはどういうものでしょうか。私は次のように定義しました。
(1)正しい指示を出せ
(2)現場を熟知している
(3)覚悟と責任感を持っている

 しかし、それ以前に、最も重要なこと、それは「腹をくくること」です。
高知支店で、施策を捨てるところは捨て、狙いを絞るしかないと考えた時、当時の看板商品の商品政策に異議を申し立てた時、いずれも社内での戦いに立ち向かうことになりました。

 正しいと思うことを最後の一人になっても自分はやる。社内の壁と戦う。こう腹をくくらざるを得なかった理由は、窮地に追い込まれたのがきっかけでした。
ただし、それはキリンブランドを守る使命が会社と自分にあると考えたこと・・・・この使命感が大きく影響したと思います。
そして覚悟を決め、自分の考えを上層部に話し、メンバーに伝え、迷いなく市場へ打って出て、流れを反転させることができたのです。

 講演会などで、「どうしたら腹をくくれるのか」という質問をよくいただきます。私の場合、若いころに労務セクションにいた時の経験が、自分に使命感をもたらせてくれました。

 <“徹底的に考えること”で使命感や覚悟が身に付く>

具体的にはこうです。リーダーである部長をはじめ、メンバー全員があらゆる情報を共有化し、その上で年齢や立場に関係なく自分の意見を率直に述べる。部長はメンバーの意見に対し批判もホメもせずじっと聞き、全員が対等の立場で議論する。そして部長が結論とそれに至る理由を分かりやすく説明していました。

 こうしたミーティングスタイルを繰り返すことで、“物事は徹底的に考えることが大事である”という考えが身に付いたのです。そして何より意味があったのは、会社の一構成員である自覚と誇りが生まれてきたこと。自分も認められているという自信が、後に高知で“覚悟を決める時の力”になった気がします。

 私はその後もずっと、若いころの経験を忘れずに仕事を進めてきました。それにより、チームに一体感だけでなく、使命感や、いざという時の覚悟が養われたのは間違いありません。

 リーダーが本気になると、メンバーには必ず伝わるものです。メンバーは嫌というほど上司の背中をよく見てますから。リーダーが腹をくくればメンバーはついてきます。そうしてメンバーは現場で熱く戦いながら仕事の意味を感じ取り、チーム全体に共通の使命感が湧き上がってくる。リーダーの覚悟と勇気が変革の起点になるのです。

●(7)上記にある<<講演会などで、「どうしたら腹をくくれるのか」という質問をよくいただきます。私の場合、若いころに労務セクションにいた時の経験が、自分に使命感をもたらせてくれました。>>

 実は、この「腹をくくること」が一番大切であると同時に、最も難しいことです。「研修」だとか、「カウンセリング」だとか、「啓蒙書」だとか、「心理学」だとか・・・・・は、一番難しいことを、簡単に、一言で済ませてしまいますが、それこそが最大級に難しいことです。最大級に難しいことを一言で片づけますから、なんとなく分かったつもりにだけはなりますが、何も変わらないのです。

 何も変わらないことこそが、案外、本を読んだり、学問をする「目的」・・・無意識の目的である可能性が高いのです。何故ならば、「真理」とは驚くほど「簡単」なことなんです。その簡単なことを「体得」するために命がけの「修行」・・・つまり、行動が必要なんです。

 ということは、うっかりすると、行動したくないから、頭で分かることで取り繕うとしている可能性があります。つまり、私たちは「謙虚さ」がかなり不足しているのですね、残念ながら。
次回に続きます。

く文責:藤森弘司>

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