2016年7月15日 第168回「今月の言葉」
「得失一如」とは何か?
(補足)③ー②

●(1)前回の「得失一如とは何か?」は、書き始めて意気がドンドン上がって来てキリが無いほどの気持になり、私のオームページ史上、最大の「量」になりました。ホームページでなければ、前回<167回「得失一如とは何か?」>の分析をさらに掘り下げたいところでした。

 前回の分析からさらに驚くほどの分析・・・掘り下げたり、広げて解釈することができますが、不特定多数の方を対象にする以上は、ある程度のところで止めるということも大事ですので、ほど良いところでストップしました。

 私(藤森)の場合は個人対応が専門です(時折、研修をするときも、多くは、質問を受けて、その方個人を対象に解説します)ので、ご本人に了解をいただきながら、私が集めた偏見の無い様々な「資料」「理論」、私が独自に打ち立てた「理論」や、長年の「経験」等々を加えていきますと、驚くほど広く、深く、分析ができ、ご本人が全く想像もしていなかったことが明らかになる場合もあります。

 一人の方を対象にお話をしますので、推測を含めて、かなり大胆な解説をしますが、ほとんどピッタリと正解になります。どうして正解だと言えるのかといいますと、その方がほぼ納得されるからです。

 一つの<分かりやすい例>で説明します。

 その方が3人の兄弟姉妹だとします。その方の上の方、あるいは下の方はこういう性格傾向ではありませんか?この方はこうではありませんか?と分析しますと、ほぼ、正解になります。

 何故、そういう推測ができるかと言いますと、目の前の方の「性格傾向」は、ある程度の対応をすれば、当然、分かってきます。さらに、その方の「症状」(例えば「ウツ」であるとか、「せっかち」であるなど)が分かり、さらには、若干の情報が得られたり、私独自の理論を加味したり、兄弟順位などを聞いたりすると、かなりのことが分かります。

 兄弟姉妹の順位、例えば、長男(長女)であるとか、末っ子であるとか、末っ子の長男であるとか・・・の順位や兄弟姉妹関係は、その方の人間形成に大きな影響があります。

 そこで、私なりに必要な情報が集まったところで、他の兄弟姉妹の方の性格傾向を推測して申し上げると、一度も見たり聞いたりしたことが無い方々の性格傾向が、ほぼ、ピッタリ当たります。一般論ではなく、特定の個人の方の性格傾向が具体的に分かります(ただし、読み切れないときは、当然、解説はしません)。

 前回の小倉氏ご夫妻のことも、さらに深く、広く、驚くほどの推測ができますが、しかし、やはりホームページという公開の場ですので、発表されている情報の範囲に留めるべきだと思い、前回の範囲、3割くらいに留めて、解説しました。

 しかし、素晴らしい情報(6)が手に入りましたので、それを活用しながら、もう少し解説(7)を加えたいと思います。(8)の「免疫とエネルギー」は、私が創案した「理論」です。お2人の大家の理論を活用していますので、これはほぼ完成(確立)された「理論」であろうと自負しています。ご意見、ご批判をいただければ幸いです。

 前回の「得失一如とは何か?」の中から、一部を下記の<<< >>>の中に再録(2)(3)(4)(5)します。

●(2)前回の再録です。

<<<人生をうまく生きるための「あれやこれや」が分かりすぎるほど分かっているにもかかわらず、何故、私たちは、人生をうまく生きられないのでしょうか?

 その理由は、私たちは、皆、無意識界に潜む深層心理に操られているからです。そうでなければ、どうして「知性」も「教養」も抜群に高い人たち(東大の法学部を首席で卒業したらしい舛添知事等々)が、驚くほどバカバカしいことをやるのでしょうか?!(辞意を表明したようですが)。

 抑圧した無意識界には、表面に現れている人間性とほぼ真逆の人間性が潜んでいて、それを私たちは、必死で防衛(国境を軍隊が防衛するように)しているために、やがて防衛に疲弊して発症するのが「病気」です。

 それが「病気(慢性病)」という形に現われるのか、イジメや乱暴な運転、非行などの「行動面」に現われるのか、ウツや情緒不安などの「精神面」に現われるのか・・・・・の違いがあるだけで、全ては、無意識界を防衛するためのエネルギーが枯渇し、「疲弊」することで「症状化」します(私・藤森の資料「癌とは何か?」のp15 「ストレスが溢れて惹起する3症状」ご参照)

 そういうバカバカしいことを避けるにはどうしたら良いのでしょうか?それはあらゆる方法を駆使(他人の指導を含む)して、自分自身を 「よく識る(深く分かる)ことです(「識る」ことについては、後日、私の尊敬する先生の卓越したものをご紹介します)。いわゆる「頭が良い」と言われる人とは、一体、どういう人のことでしょうか?それは、物事をたくさん知っている人のことで、下記の①です。 

 「よく識る(深く分かる)こととは全然違います。たくさん暗記をした、クイズに強いなどのレベル、それは単なる「情報」であって、情報ならばコンピューターのほうがはるかに優れています。舛添知事のように頭が抜群に良いひとは、多分、①の段階が多いのでしょう。①の段階の情報を「よく識る(深く分かる)」ことが②です。よく識る(深く分かる)」ことができた方が、舛添知事のようなことをするでしょうか、まず恥ずかしくなるはずです。

 そして、よく識る(深く分かる)」ことができれば、それを行動に移したくなるはずです。そして、十分に行動するならば、そのような「人格」になっていくのではないでしょうか(未経験な私が、見てきたような講釈・・・・・を言うのはおかしな話ですが)(最近の映画「殿、利息でござる!」を、是非、ご覧ください。百聞は一見に如かずです)。 

①Learning  →  ②Understanding  →  ③Doing  →  ④Being 

 私(藤森)の実体験を述べます。私は若いとき、かなりひどい愚かな人生を生きていました。今でもかなり愚かですが、特に若いときは、振り返るのも辛くなるほど愚かな人生を生きていました。

 しかし、今は、それがいかに愚かであったかがよく分かりました。つまり、に達しました。②に達すれば、少しでも、そんな愚かな生き方を止めたくなります。つまり、③「Doing」、少しでもまともな人生を生きたいと必死で行動したくなります。しかし、しかし、です。長年の悪いクセというものは、残念ながら、簡単には修正されません。特に私のように

 重症な愚か者は、さらに長い期間が必要です。
しかし、②の愚か者であることは十分過ぎるほど理解できましたので、少しでも、愚かな世界から脱したいと思い、③愚かである「己と日々」取り組んでいます。日々、取り組むことで、百に一つくらいは、それらしくなっている部分④もあるのかなと、時には自分を褒めてあげたくなります。>>>

●(3)前回の再録です。

<<< <<<玲子さんは均整の取れたスタイルで、外見はいかにも健康そうに見えたが、森氏の著書によると、五十代で狭心症を患い、ニトロを持ち歩いていらしたという。夫が財界の伝説的名経営者ともなれば、どんなに一見穏やかそうな家庭に見えても、それなりの大きな配慮で心の休まる時もなかったのだろう。家族のこと、食事の配慮、親戚づきあいなど、気を配らねばならないこともさぞかし多かったろう、と思う。そしてやがて心配されていた玲子さんの病状は、深刻な事態になった。五十九歳で急逝されたのである。>>>

 この中の<<<夫が財界の伝説的 名経営者ともなれば、どんなに一見穏やかそうな家庭に見えても、それなりの大きな配慮で心の休まる時もなかったのだろう。家族のこと、食事の配慮、親戚づきあいなど、気を配らねばならないこともさぞかし多かったろう、と思う。>>>の部分。

 恐らく、ほとんどの人が(多分)こういう考え方に納得されることと思われます。しかし、本当にそうだろうか?というのが 本題で、これを徹底解剖することは極めて貴重なケースになると思われます。「他人の心は分からないのか?」、それとも適切な情報さえあれば「十分に分かるのか?」・・・・・今回は、本気で、徹底的に解剖させていただきます。私たちは、現状に影響されて行動しているように思われていますが、実は、深層心理に操られているのです。何故、伝説的名経営者という素晴らしい方が、ニトロを持ち歩くほど大変な状況にいらっしゃる奥様が、死ぬまで追い詰められるような状況を放置するのでしょうか?
また、何故、知性も教養もある「敬虔なクリスチャン」で、お金も溢れるほどお持ちであろう「名経営者」やその奥様が、このようなバカバカしいことで、死に突進するかのような生き方をするのでしょうか?
>>>

●(4)前回の再録です。

<<<(8)人生とは実に不思議です。

 ありとあらゆる理論や技法を活用して、人間の深層心理を掘り下げることを職業としている私(藤森)としては、お一人お一人、どの方の場合も全てのケースが不思議としか言いようがありません。たくさんの方々をお世話させていただいていても、毎回、不思議としか言いようがない気持ちになっていますので、初めて深層心理に触れる個人、個人の方々は、さらに理解し難い気持ちになるのは、当然過ぎるほど当然のことです。

<<<小倉氏は寛容、謙虚、自然、そして物事の関係を端正に正す方だった。どれも、現世で芳香を放つ強力な力を持つなのである。>>>

<<<財団の評議員になったからといって小倉氏には何のメリットもない。無給の奉仕的な仕事である。しかしそれはキリスト教の信仰に裏打ちされた小倉氏と夫人の玲子さんにとっては、それも神から与えられた一つの任務と思って下されたのだろう。>>>

<<<・・・ただし玲子さんは、身近な人に六十歳を過ぎたらボランティアをやりたいと言っていらしたというし、夫妻は深い信仰生活をしておられたようである。
その恩恵を私は夫妻の死後受けたのだが、その一つは小倉氏が以前から手がけておられた「障害者も働くベーカリー『スワン』」を、日本財団が2001年に新しく移転した赤坂の新社屋ビルの1階に設置したことである。>>>

 こういう人徳がある方の奥様が・・・・・
<<<五十代で狭心症を患い、ニトロを持ち歩いていらしたという・・・・・心の休まる時もなかったのだろう。家族のこと、食事の配慮、親戚づきあいなど、気を配らねばならないこともさぞかし多かったろう、と思う。そしてやがて心配されていた玲子さんの病状は、深刻な事態になった。五十九歳で急逝されたのである>>>

 <藤森注・・・ニトログリセリン(nitroglycerine)・・・分子式C3H5(NO3)3 三硝酸グリセリンの慣用名。グリセリンと硝酸および硫酸の混合物との反応により生じる三硝酸エステル。無色油状の液体で強力な爆発物。ダイナマイトの原料。血管拡張作用があるので狭心症の特効薬に用いる(電子辞書・広辞苑)>

そして、<<<<女房は表に出すもんじゃない
自宅の奥さまは政治家が訪問しても挨拶に出てこないし、正月にも少し顔を出す程度。お酌なんてとてもとても・・・・・。オヤジさんは「女房は表に出すもんじゃない。だから家内と言うんだ」と冗談を言ってましたが、女房は家を守っているんだという気持ちが強かったようです。

 だから選挙運動に家族を駆り出したことは一度もない。当時としては珍しいですよ。・・・オヤジさんは娘の真紀子さんも外遊には連れて行ったけど、選挙は手伝わせなかった。僕の記憶する限り、事務所に連れてきたことも一度もなかったと思う。>>>

 このように家族を大切にされた方が・・・・・
<<<姉と私は、同じ「田中」の姓を名乗ってはいますが、現在は交流がありません。父が亡くなった翌日の1993年12月17日の午後、私は冬の冷たい雨が降る中を、前日から泣き崩れて床に伏せてたままの母を家に残し、妻と17歳と14歳の2人の娘を連れ、目白の家の門前に立ちました。
しかし、出て来た若い男性秘書に「会わせるわけにはいきません」と拒まれました。

 私は田中角栄の実子として正式に籍を与えられている立場です。亡き父の遺体を見届ける権利があります。姉はそんな私たちを門前払いして、父と孫娘が会する最後の機会を永遠に葬ったのです。周囲には300人を超える大勢の報道陣が詰めかけていました。「ここで騒いだら父の顔に泥を塗ることになる」とその場を去り、心の中で父と姉に永遠に別れを告げたのです。

 私はこれまで「別腹の子」として沈黙を守り続けてきました。人といさかいを起こし、泉下の父を悲しませたくないとの気持ちがありました。しかし、かくなる上はこれ以上、周囲のことは忖度する必要はないと腹をくくったのです。>>>

 こういう典型的な2つのケースをどのように説明したら良いのでしょうか?

 田中角栄元首相と小倉昌夫氏・・・・・両者共に巨大な業績をあげていらっしゃるけれども、上記の内容を読む限りは、かなり対照的な人格、奥様に対する対応は真逆と言えるのではないでしょうか?・・・・・しかし、巨大な業績を除けば、ありふれたごく普通の「こじれた夫婦」の姿です。私(藤森)から見れば、巨大な業績に美化されているだけで、世間によくある普通の夫婦関係のようにしか思えません。もちろん、巨大な業績は、高く評価されるものであることは当然のことです。

<<<小倉氏は寛容、謙虚、自然、そして物事の関係を端正に正す方だった。どれも、現世で芳香を放つ強力な力を持つなのである。>>>という方の奥様がニトロを服用し、若死にしていらっしゃる。

 一方、<<<自宅の奥さまは政治家が訪問しても挨拶に出てこないし、正月にも少しを出す程度。お酌なんてとてもとても・・・・・。オヤジさんは「女房は表に出すもんじゃない。だから家内と言うんだ」と冗談を言ってましたが、女房は家を守っているんだという気持ちが強かったようです。だから選挙運動に家族を駆り出したことは一度もない。当時としては珍しいですよ。>>>という方が「別腹の子」を設けて大きな問題を起こす。

 いかに「黄金の業績というものと、「本質的な人間性が「かい離」している、あるいは、「真逆」であるかということがこれほど分かりやすい例は他にはなかなか無いでしょう。こういう事例が「標本」にできれば、心理関係の専門家はいい加減な解説や誤魔化しはできないはずです。

 多くの場合、大きな業績があると、その業績に目が行ってしまって、その人の裸の「人間像」が、しばしば、見落とされてしまいます。オリンピックでメダルを獲得したり、ノーベル賞を受賞したり、芥川賞などを受賞したり、文豪(夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、有島武郎、宮沢賢治、島崎藤村、谷崎潤一郎、川端康成・・・後日、解説します)などと言われるような大作家がいかにハチャメチャな人間性であったか。
さらには、文化勲章や科学などのいろいろな賞を受賞したり、ミスター○○などと称賛されると、そういう際立った面だけがクローズアップされて、その方の背後に存在する人間的な「本質」が忘れがちになったり、おかしな部分が「美化」されたりします。

 しかし、いかなる高級な賞を受賞しようが、いかなる巨大な業績を上げようとも、その人の本来の人間性は全く変わりません・・・・・というよりも、そういう巨大な業績を上げる人ほど、残念ながら、本質的な人間性を歪めている可能性が高いものです(大相撲の横綱は、還暦の60歳を迎えると、赤いフンドシを締めて土俵入りすることになっていますが、還暦まで生存する横綱のほうが少ないそうです)。

 本質的な人間性を高めるためには、本質的な人間性に取り組む(つまり、己の愚かさと真剣に取り組む)という極めて珍しいというか、貴重なごく少数の類稀な方以外にはあり得ません。そういう意味で、曽野綾子先生は、私が尊敬(私淑)したくなる貴重な方で、もの凄いトンネルをくぐり抜けてご自分を鍛えて来られた方であろうと思っています。

 さて、最後に・・・・・
<<<小倉氏は寛容、謙虚、自然、そして物事の関係を端正に正す方だった。どれも、現世で芳香を放つ強力な力を持つなのである。>>>

 こういう徳のある方だった小倉氏の奥様の「狭心症」とは一体全体、何だったのか、大変残酷な気持になりますが、しかし、事実は事実として、日本の心身医学会が総力をあげてまとめた「定義」をご紹介します・・・・・くれぐれも、悪意も敵意も恨みも何もありません。単に、人間の本質を追及したくなる私の職業病から、記述しています。>>>

●(5)前回の再録です。

<<<(9)「心身医学用語事典」(編集・社団法人 日本心身医学会 用語委員会、医学書院)

 <虚血性心疾患>p52
冠動脈病変(動脈硬化、閉塞、血栓形成、攣縮など)による心筋虚血に基づく心疾患を虚血性心疾患と総称し、狭心症・心筋梗塞・心筋虚血由来の急死・心不全・不整脈などがこれに含まれる。
このうち狭心症は一過性に起こる心筋虚血に基づいて起こる胸痛(胸部不快感)発作で、診断上は胸痛時に虚血性ST変化の起こることを確認することが肝要である。しかし一般には運動負荷(トレッドミルなど)試験やホルター心電図などで虚血性変化発生の再現や冠動脈造影による病変の確認、RI検査による虚血巣の検出などにより診断される。なお近年注目されている自覚症のない無痛性虚血性心疾患も治療の対象とされるようになってきた。

 <タイプA型行動パターン>p149
A型行動パターンともよばれる。1959年、フリードマンらにより、虚血性心疾患親和性行動パターンとして提唱された。時間切迫感、焦燥感を伴う敏速な行動、熱中的精力的傾向、他者に対する敵意攻撃性などを特性とする複合的な概念であるが、のちに欧米では敵意、攻撃性のみが虚血性心疾患と関連するとして強調されるようになった。
日本では敵意、攻撃性などの表出に乏しく仕事中毒的傾向の著しいいわゆる日本的タイプA行動パターンの存在が注目されており、また広くストレス関連疾患の心理社会的要因をみる1つの視点としてタイプA行動パターンを評価しようという見解も出されている。

<<<小倉氏は寛容、謙虚、自然、そして物事の関係を端正に正す方だった。どれも、現世で芳香を放つ強力な力を持つなのである。>>>
<<<夫が財界の伝説的名経営者ともなれば、どんなに一見穏やかそうな家庭に見えても、それなりの大きな配慮で心の休まる時もなかったのだろう。家族のこと、食事の配慮、親戚づきあいなど、気を配らねばならないこともさぞかし多かったろう、と思う。>>>

<<<<女房は表に出すもんじゃない
自宅の奥さまは政治家が訪問しても挨拶に出てこないし、正月にも少し顔を出す程度。お酌なんてとてもとても・・・・・。オヤジさんは「女房は表に出すもんじゃない。だから家内と言うんだ」と冗談を言ってましたが、女房は家を守っているんだという気持ちが強かったようです。>>>>>>

●(6)さて、これからが今回の解説です。

 小倉玲子氏の人間性を推測する上でとても参考になる素晴らしい資料がありますので、まず、それをご紹介します。全文を紹介したいほど素晴らしいのですが、一部にさせていただきます。

平成28年7月22・29日、週刊ポスト「忘れられない記憶、伝えられなかった感謝 我が母の記」

 <略(橋幸夫氏)>

 <世話好きで隣人を助ける母の姿から商売人の感覚を受け継いだ>(高田明・67・ジャパネットたかた創業者)

 写真(割愛)は今年1月にジャパネットたかたが創業30周年を迎え、30時間の特番を終えてスタジオで撮影したものです。生放送の出演も最後ということで、家族が集まりました。おふくろは平戸に住んでいるのでいつもはスタジオへ来ないのですが、この日ばかりは来たいと言って、「ごくろうさん」と花をくれました。

 僕がこの世界に入って働く姿を見続けてきたのが母でした。息子がテレビに出るのを楽しみにしているので出演前に知らせるのですが、母親にとって子供はいくつになっても子供なんですよね。表情などを実によく見ていて、「きついんじゃないか、最近。体は大丈夫か」って、すぐに電話がかかってくる。その勘はたいてい当たっています。

 92歳になる母に伝えたい言葉は、「産んでくれてありがとう」ですね。30周年の席でも社員に話しましたが、今この人生があるのは母が産んでくれたからこそ。親とのつながりを考えずして、自分の人生はない。本人の努力や周囲の方々の支えはもちろんのことですが、やっぱり「この母に生命をいただいたことに、ありがとう」と。生を授けてくれた母ほど尊い存在はないと思っています。

 父のカメラ好きが高じて夫婦で写真屋を開き、それがカメラ店「カメラのたかた」となって、僕らきょうだいも入ったわけですが、商売を支えていたのは母の存在。おふくろの実家は平戸で古くから商家をしていて、根っからの商売人の感覚を持っているんです。

 店では近所のお年寄りが来たら、さっと椅子を出して何も買わなくてもにこにこ世間話をする。おふくろのそういう姿をみてきたから、挨拶やお年寄りを敬う心は自然と身についた。僕はやりすぎるくらい社員に声をかけますが、それも母親譲りなのでしょうね。

 父は地域で写真クラブを作って仲間が大勢集まりましたが、その時もお茶を出したり、下げたり、声をかけたりと、八方きめ細やかに目を配ってね。〝三丁目の夕日”のように仲間を助けてきたのは母。僕の友達もよく泊まりにきていたのですが、おふくろが世話好きでしょう。高校や大学の友達が67になった今でもみんな、「おふくろさんに会いたい」と言って、電話をかけてきてくれますよ。

 おふくろらしいのは、高倉健さんとのエピソードです。映画『あなたへ』の舞台が平戸だったので、会いたいと言って娘夫婦と撮影現場へ出かけてね。もちろん簡単に会えるわけはないのですが、たまたま健さんが近くへ歩いてきたらしいんです。おふくろは駆け寄ると10分も15分も立ち話をして、しまいには健さんと肩を組んで写真まで撮っちゃった(笑い)。

 「高倉健さんが車まで送ってくれて、握手したとよ!」
 と、それはもう喜んで。写真は額に入れて飾ってありますが、90のばぁちゃんの勇気ポジティブな姿勢でこんなに素敵な写真が撮れたんだなって、おふくろは好奇心旺盛で、色々なことに関心がある。スポーツも大好きで、錦織圭選手のテニスの中継を見て、「すごいね!」と夜中に電話がかかってくることもあるんです。まだまだ長生きをしてもらって、一緒に東京五輪を見たいですね。

 <おしゃべりだけど放任主義の母ちゃんが黙って持ってきた真打のご祝儀>(六代目三遊亭円楽・66・落語家)

 母ちゃんはずっと働いている人だった。食事をしているとか、横になっているという姿が記憶にないほど。父ちゃんは仕事があんまり好きじゃなくて、世話好きでね。いつも家には居候がいた。金もないのに人の世話をして、働くことも金の工面も、全部母ちゃんが後ろでやっていた。苦労したんだよ。

 でもね、写真を見ればわかるけど暗い顔をしていない。明るいの。あっけらかんとしていた。ないもんはしょうがねぇって。ウチの師匠(故・五代目三遊亭圓楽)は母ちゃんが好きだった。
 「おめぇの母ちゃんは下町らしいな。おしゃべりでお調子もんだ」「やですよ、師匠」なんてね。俺も、酒好きでおしゃべりなところは母ちゃん似だね。<後略>

 <略(毒蝮三太夫氏)>

 着物を質に入れて仕送りしてくれたおふくろに「ありがとう」が言えなかった>(鈴木宗男・68・新党大地代表)

 <略>

 おふくろは大正9年生まれで、大正人特有の我慢強さがあった。男性上位で女性が常に従うという、昔の女性のひとつの生き様みたいなものがありました。
親父と畑仕事を朝早くから日が沈むまで、よく働くおふくろでした。学芸会でウサギの役をすることになって白いセーターが必要だと言ったら、ひと晩
寝ずに編み上げてくれた。

 ウチは金がなかったから大学へ行く時もおふくろは反対でした。「母ちゃんも行かせてやりたいけど、現実を考えろ」ってね。
 でも、私はとにかく東京へ出ていかなくてはいけないと考えていた。その時は親父が「やってみろ」と言ってくれて大学へ行けたけど、私が19の時に親父が亡くなってしまった。おふくろはまだ45でした。

 仕送りは毎月2万円。当時の大卒の初任給が2万ぐらいだったと思います。時々仕送りが滞ることもありましたね。結婚した時、地元の質屋のおじさんにこう言われたんです。
「あの頃、お母さんは着物を質に入れてでも2千円、3千円のお金を作って送っていたんですよ」
なんとも言えない気持ちになったんですね・・・・・。

 おふくろは政治の道へ進むことも反対でした。安定した収入があるサラリーマンがよかったんです。でも結局は、私が進んだ道を応援してくれましたけどね。
 ただ、親孝行したい時に親はなし、でね。そんなおふくろに1回も、感謝の言葉を伝えられなかったことがつらいです。もっともっと、「おふくろのおかげですよ」と言えばよかった。
 <藤森注・・・鈴木宗男氏はとてつもない大物だと思いました。「ウチは金がなかった」上に、お父さんが亡くなられ、お母さんは45歳。それにもかかわらず、大卒初任給相当の2万円を毎月送金されている。それにもかかわらず、「時々仕送りが滞ることもありましたね」とは、私にとって想像を絶します!!!

 <後略>

 <略(輪島功一氏)>
<略(村田兆治氏)>
<略(山川豊氏)>

●(7)さて、小倉玲子氏ですが、上記の皆さんの母親像にかなり似ていらっしゃる方のように、私(藤森)は推測しています。おそらく、宅急便のヤマト運輸が業績を上げる上で、玲子氏の果たした役割はかなり大きかったことと推測します。
アイデアはご主人の昌夫氏が出したのかもしれませんが、裏方としてご主人や会社をを支えた業績は
巨大なものがあるはずです(本を読んでいないので、正確なところは分かりませんが)。
そういう業績がご主人と比較して正当に評価(?)されていなかったり、さらには 「脚本」として、大変申し訳ありませんが、ご両親に対する「抑圧した猛烈な怒り」があることは確実です。それが心身医学の定義です(この「抑圧した猛烈な怒り」が、上記のお母さん方と少し違う部分です。

 しかし、これこそが大仕事を成し遂げる原動力になります。それは当然です。何故ならば、「命」を賭けていますから)。その両者が複合して、ご自分の戦場(職場)を離れることは、①怒りの発散(投影)場所を放棄することになるために、職場を「死守」したかったであろうこと。つまり、多分、かなり心配したであろうご主人に対して、半ば無意識の反抗心(嫌がらせ)がなせる業であったろうと推測します。

 ②根本的には、生育歴の中でご両親に植え付けられた(投影された)無意識の「怒りの感情」で、これは玲子氏の人格形成に極めて大きな影響を与えたはずです。玲子氏のようにバリバリ(猛烈に)働くタイプの方<下記の(8)の一覧表、⑧「解糖系」優位タイプ>は、おっとりとした人の良さそうな・・・しかし、イライラするようなタイプ<下記の⑨「ミトコンドリア系」優位のタイプ>の配偶者を選ぶ傾向があります。玲子氏から見れば、多分、小倉昌夫氏はそういうタイプの方ではなかったかと推測しています。

 何故ならば、「人生ゲーム」「今月の言葉」第160回「交流分析のゲームとは何か?④ー①」~第163回「④ー④」ご参照>をするためには、ゲーム(こじれた人間関係)・・・イライラさせてくれる配偶者が絶対に必要だからです。それは、同じく小倉昌夫氏にも「反対の意味」で言えることです。全ては無意識の「脚本」に影響されているのが我々人間で、これに取り組んで「解除」するという膨大な作業をしない限りは、絶対に避けられません。つまり、かなり表面を繕った「仮面夫婦」であったと言わざるを得ません。本当にごめんなさい。でも、上流階級には結構多いはずです。

 私(藤森)のような下層階級も同じですが、下層階級は派手に喧嘩をしたり、飲みに行ったり、素行が悪いダメ人間をやり易い・・・いやいや、もともと、我々人間は皆、どうしようもなくダメに育てられています。ですから「ダメ」人生を生きることは、良し悪しを別にすれば、最も人間らしいのです。
しかし上流階級は、その方の「
名誉(敬虔なクリスチャン・人徳・ボランティア活動)」なり「地位(ヤマト運輸の名経営者・名経営者を支える敬虔な妻)」なり「財産(宅急便の大成功)」なり、守るべき「貴重なもの」が大きいために、より「仮面夫婦」を演じる傾向が強いのではないかと推測します。

 こういう人生ではうまくない、なんとかしたいということで「宗教」があるはずです。でも、その宗教も、どうやらバチカンがどうしようもないようです<次回、7月31日の「今月の映画」「スポットライト③ー③」をご参照ください>江戸時代の下町のハッつぁん、クマさんの生活のほうが健全な気がしますがいかがでしょうか?

●(8)図形が使えない(使い方が分からない)ために、分かり易い形で表せない残念さがあります。少々、分かりずらいのですが、簡単に説明します。

<交流分析・東洋医学・安保理論・飛鳥井理論>を統合した「藤森理論」・・・「免疫」と「エネルギー」

①ストローク ⇒ ②脚本 ⇒ ③呼吸 ⇒ ④横隔膜 ⇒ ⑤自律神経(自律神経は2つ、「A」「B」に分かれる)

(A)⑥交感神経  ⇒    ⑧解糖系    ⇒  ⑩瀉法 ⇒ ⑫「肝系」「脾系」「心系」

(B)⑦副交感神経 ⇒ ⑨ミトコンドリア系 ⇒  ⑪補法 ⇒ ⑬「腎系」「肺系」

①の「ストローク」は<「今月の言葉」第158回「交流分析のストロークとは何か?」ご参照>
②の「脚本」の詳細は<「今月の言葉」第1回「脚本」ご参照>。ここでは、「ストローク」の「出し方」、「受け止め方」や、ストロークを「出さない」、「受け取らない」等々、ストロークの扱い方の
設計図
③の「呼吸」は、「脚本」により影響を受け、呼吸の「深さ」「浅さ」や、呼吸を止めたりするなど、呼吸の仕方の
「設計図」で、呼吸の仕方で「横隔膜」に影響を与える
④の「横隔膜」は、呼吸の仕方によってコントロールされる。その横隔膜の
「在り方(設計図)」は、自律神経をコントロールしている
⑤の「自律神経」は、「⑥交感神経」と「⑦副交感神経」に分かれる
⑥の「交感神経」は
「解糖系」をコントロールしている
⑦の「副交感神経」は、
「ミトコンドリア系」をコントロールしている
⑧の「解糖系」は、矢印以下に影響を与えている
⑨の「ミトコンドリア系」は、矢印以下に影響を与えている
⑩の「
瀉法(しゃほう)」は、エネルギー放出のための技法で、⑫の臓器に影響を与える
⑪の「
補法(ほほう)」は、エネルギー補給のための技法で、⑬の臓器に影響を与える

「安保理論」とは、新潟大学名誉教授で国際的に名高い免疫学者・安保徹先生の理論(「解糖系」「ミトコンドリア系」)をお許しを得て活用させていただいています。
名著
『病気にならない生き方』(三和書房)を活用。

 「飛鳥井理論」とは、東洋身心医学総合研究所・主幹・飛鳥井雅之先生の理論(「呼吸」と「横隔膜」の関係、というよりも、全体的に飛鳥井先生のお考えが下敷きになっています)をお許しを得て活用させていただいています。
両先生の「理論」に「交流分析」「東洋医学」を総合し、私の考えを統合したものを
「藤森理論」と仮称しています。

「補法」「瀉法」・・・補法的タイプか、瀉法的タイプかの見極めが重要。しかし、固定されたものは無いために、補法的タイプが、次の瞬間、瀉法が必要になったり、その反対もあり、瞬時の変化を読み取る必要性があります。

次に、活用する「補法」「瀉法」に属する諸技法の多様性が重要。
「生体エネルギー法」「絶叫療法」「ヨーガ」「坐禅」「吉本式内観法」「カウンセリング(拝聴力)」「フォーカシング(焦点付け)」「芸術療法」「サイコドラマ」「ユング心理学」「サイコシンセシス(精神統合)」「交流分析」「精神分析」「東洋医学」等々、可能な限りの技法や理論を、可能な限り、適時・適切に応用する技量が要求されます。

多くの場合、「補法」が必要な方に「瀉法」を適用したり、「瀉法」が必要な方に「補法」を適用したりするケースが目立ちます。また、「吉本式内観法」を活用して、その方の「罪悪感」を刺激して「自罰的」になっていることがよくあります。本来の「吉本式内観法」は、「罪悪感」を刺激して「自罰的」になることではありません。「吉本式内観法」と「自罰的」になることとは根本的に違います。

 プロセスとしては、最初、確かに「罪悪感」を刺激しますが、それを「吉本式の内観」に高める・・・宗教的な高さ(大袈裟に言えば「悟り」の境地)の方向性が求められます。この「吉本式内観の境地」と、「自罰的心境」とは表面的にかなり似ているために、訓練された経験(深さ)が無いと、「自罰的境地」を「吉本式内観の境地」と錯覚され、称賛されてしまいます。

「ヨーガ」も同様です。ヨーガの多くの部分は「補法」ですが、一部に瀉法的ポーズがあります。これを使い分けないと、かなりの影響を受ける場合があります。「ホットヨーガ」というのが流行っているようですが、体験者に様子を聞いたところによると、「ホットヨーガ」は全体が「瀉法」のように見受けられます。ヨーガ(全ての技法)も利用の仕方によっては要注意です(「包丁」は、料理には欠かせない大事な道具ですが、一方、「凶器」にもなります)。

 その場の心地良さと、本質的な良さは違います。例えば、ギャンブルや麻薬・飲酒、浮気や評判(名経営者の称号や敬虔な○○)、怒鳴ったり、喚いたり、オートバイを暴走させたり・・・等々は、その場は心地良いはずです。しかし、刹那の良さと、本質的に必要なものとは違うということを理解することが重要です。刹那の心地良さを求めたくなる、我々人間の弱さとどう向き合うか、これが困難を極めます。

私(藤森)の独断と偏見で言いますと、世の中の多く(ほとんど)の「敬虔な○○」と言われるような素晴らしい人格の方は、上記で述べた「自罰的境地」や「怒りの感情」の「抑圧」などであると認識しています。その証拠は、「自罰的境地」や「怒りの感情」の「抑圧」が強いと、強さの度合いにより、必ず、「免疫力」を下げて「内臓」を痛めたり、日常生活に無理を生じさせます。

 本質的な敬虔な○○」という人間性を獲得されれば、自律神経(交感神経と副交感神経)のバランスが整い、心身が健全になります。そういう意味で、早死にするということは、残念ながら、バランスが整っていなかったということになります。

 精神(心理)に過度な負担を掛ければ「内臓」を痛めるか、「育児」などに悪影響を与えます。あるいは、犯罪や非行などの「行動面」、さらにはウツなどの「精神面」に、必ず、表出されます。<私・藤森の資料「癌とは何か?」のp15 「ストレスが溢れて惹起する3症状(脚本に由来)」ご参照>

 前回<第167回「得失一如とは何か?」>の(11)<少女監禁事件の「寺内樺風(かぶ)」の名前について>などが典型的な例です。「内臓」を痛めるほど「敬虔な○○」「いい人」「優しい人」「親切な人」「頭がいい人」「○○な人」・・・等々の頑張っている人たちを、私たちは、知らぬが故に「称賛」してしまいます。つまり、「内臓」などを悪化させることに手を貸してしまっています。

 「無理が通れば」「道理が引っ込む」・・・何が引っ込むのか、「脚本」を調べることで分かってきます。
私たち一般庶民にとって重要なことは、
立派な業績は上げられないし、立派な人間にもなれない中で、いかに「より良く、より楽に生きるか」ということに「智慧」を出したり、工夫したりすることです。

 それには、「未熟」な自分に気づくことだと、私の経験的には思っています。「未熟」な自分に気づくと、生きるのがとても「楽」になります。私たちは無意識の中で、なにがしかの「立派な人間になりたい」、「立派な人間でありたい」と願望することが「苦」になっているように(少なくとも私には)思えてなりません。
 「不可及其愚(其のには及ぶ可からず)」(禅語)

 「立派な人間像(理想像)」と「立派になれない自分像」の葛藤が人生を辛く苦しいものにしている・・・ということを、少なくとも、私の人生ではそのように「悟り」ました。つまり、私(藤森)は本当に愚か・・・思い出すのも恥ずかしい程愚かな人生を生きてきました。そして、かなり多くの部分は、今も、その愚かさを引きずっている「情けない人間」です。
ただ一つ、私が救われることは、
妻」がまだ生きていることです。

 どんなに立派な人間になろうとも、どんなに大きな財産を作ろうとも、すべては「この世」に置いていかなければならないことにも気づきました。そうであるならば、何が一番大事なのかと私は考えました。

 「即今!」

く文責:藤森弘司>

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