2016年6月15日 第167回「今月の言葉」
③ー①
<癌とは何か?対策編⑫>
●(1)「得失一如」は「禅語(?)」です。東洋の言葉は、西洋の言葉と違って、こういう表現をよくします。
「得失一如」とは、簡単に言えば、「得る」ことと「失う」ことは、同時に存在し、得ていると思っているその瞬間に、別のものを失っているという意味に使われます。例えば、右に行けば、同時に左に行けません。上に行けば、その瞬間に下には行けません。 このように言えば、そんなことは当たり前だと、多分、誰でも思うでしょう。それならば「危機」とはどういう意味だと思われますか?「危機」とは、まさに「危機一如」なんです。それと同じように、「得失一如」という言葉があります。 とは言いましても、私(藤森)の説明ではかえって分かりにくくなってしまいますので、第44回の「今月の言葉」の一部を下記に再録し、その後、<●(2)平成28年6月3日、週刊ポスト「昼寝するお化け」(曽野綾子)>を紹介した後から本題に入ります。今回は、かなり本気かつ本格的な「今月の言葉」にしたいと思っています。 <2006年3月15日 第44回「今月の言葉」「危機とは何か?」>の下記の部分を、少々長いですが再録します。 <<<●東洋と西洋の違いに、「一」と「二」があります。 ◆例えば、「表・裏」がそうです。表と裏という相矛盾する二つのものがあると西洋では考えますが、東洋では「表裏一如(一緒の如く)」と考えて、別個のもの、二つのものとは考えません。 「月刊・織本 1月号」(医療法人財団・織本病院・清瀬市旭が丘1-261発行)の中の、「医療費削減許すまじ」理事長・名誉院長の織本正慶先生(胸部外科手術の世界的な権威)が書かれたものをご紹介します。 織本病院五十年史の中に書いたが、ある若い結核の女性が何処かの病院で手術を断られて私のところに来たことがある。(四十年前の話)その女性の左肺には結核病巣があり、右の肺には更に大きな空洞があった。 だが手術によって空洞を処理しなければ、この女性は三年以内に必ず死亡するだろう。そうなると従来のように肺機能に大きな影響を与える手術ではなくて、あまり肺機能に影響を与えないで結核空洞を潰すという新しい手術術式を考えねばならない。 結局この「一次的閉鎖の空洞切開術」は私のライフワークになった。 又、人との交わりの中でも自分の心の中のピンチを知り、チャンスに転ずることもある。これはピンチを矛盾としてとらえ、その矛盾を契機として一歩高い段階で解決するという意味であり、これはドイツの哲学者ヘーゲルの用語で「止揚」(アウフヘーベン)という言葉に当てはまる。<以上「医療費削減許すまじ」> ◆「危機」の「危」は「危険の危」で、まさに「ピンチ」です。 ◆「心身セルフ・コントロール法」池見酉次郎(心身医学の創始者で元九大医学部名誉教授・故人)著、主婦の友社刊 <心身一如の真意> 「心身医学では、心身一体ということが強調されるが、実は、米国の医師たちは、この考えには、抵抗を覚えるというのが本音である。デカルト流の心身二分論は、スピリット(魂)は、体から離れたものであるとする宗教的な伝統と関係しており、これは『不死でありたい』という、われわれのひそかな願望を支持するものである。従って、心身一体の考えに徹することは、不死への望みを断ち切ることになる。東洋の医師たちには、心身一如の考えが、このような意味での脅威にならないとすれば、われわれは東洋の友から多くを学ばねばならない」。 その直後に、私が、次期理事長として、これに呼応する形での講演をしましたので、その要点を、次に紹介しておきましょう。 ライサーは、西欧流の宗教(キリスト教)の立場から、霊魂不滅(体は死んでも魂は生き残る)の考えにしがみつこうとしています。これも、実はキリスト教の教義の真実をはき違えた考えであり、もともとキリスト教でも、人間の心と体を分けて、体は死んでも心は生き残るというようには教えられてはいないはずです。そのような心身二分の考えをキリスト教に持ち込んだのは、デカルト流のギリシャ哲学であり、かつてキリスト教の教義をギリシャ哲学によって解釈した段階で、このような勘違いが起こったといわれています。 日本人による日本人の哲学として有名な西田哲学では、心身一如という場合、人の心と体の関係は、仏教で説かれるように二にして不二、不二にして二とされています。心と体は、有機的に相通う相互媒介的な面を持つと同時に、心と体はそれぞれの働きについても、それぞれに対する研究法についても、はっきりと区別しなければならない相互否定的な側面をも持っているという事実を忘れてはなりません。 これは、人間の体を構成する諸器官(心臓と肺など)同士についてもいえることです。全人的な医療といっても、方法論としては、相互否定的な方法をも必要とすることをしかと心得たうえで、心と体の相互媒介的な面も考えて診療すべきものです。<以上「心身セルフ・コントロール法」> ◆「危と機」はこのような、「二にして不二、不二にして二」の関係です。 私たちは「危険」を「いけないもの」、「危ないだけのもの」、「避けるべきもの」だと思いがちです。しかし、私たちの成長していくプロセスは、「危険」だらけです。1~2才で歩くことを覚えれば、「転ぶ危険」が常に付きまといます。道端で転ぶと、ケガをしたり、車に轢かれる危険があります。 より良い学校を受験しようと思えば、不合格になる危険が増します。ナイフや包丁を使えるようになれば、ケガをするかもしれないし、喧嘩に使えば、恐ろしいことになりかねません。車の運転免許は交通事故の危険が増大します。 私の長男が幼稚園のとき、「親子で製作」の時間がありました。段ボール箱とガムテープを使って、思い思いのものを作ったのですが、そのとき、他のすべての幼児が、ガムテープを手で切れないのには驚きました。ナイフも使えません。少子化で、いかに親が、子供の領域に侵入しているかがよくわかりました。 つまり、常に「危険を冒す」ことと「成長」するということは、コインの「表と裏」の関係にあります。これが「危機」の本来の意味です。 |
●(2)平成28年6月3日、週刊ポスト「昼寝するお化け」(曽野綾子) <鯉の甘酢かけ> 少し前に、森健氏の書かれた『小倉昌男 祈りと経営』(小学館)という本を贈られた。 一般人の間で、有名な『クロネコヤマトの宅急便』として定着した宅配便の流通システムは有名だが、それを創った方が小倉氏だということを知っている人はあまり多くはないかもしれない。しかしこの流通のシステムは、まさに現代の日本人の、画期的な生活上の進歩を現実に見せつけたものだった。日本以外で、こんなに便利で信頼のおける物流の方法をもっている国民は、そうそうないだろう。小倉氏のような 偉大な経営者と、小説家などには、本来この世で接点がないはずだが、私は意外なことに遠くから小倉夫妻に触れていたのである。私が1995年に日本財団の会長に赴任した頃、財団が小倉氏に評議員になって頂こうとしていたことに対して、当時の運輸省が横やりを入れて反対を唱え、それを不服として日本財団が運輸省を相手取って訴訟を起こしていたのを、着任直後だった古賀運輸大臣と直接お会いして、その場で了解を取り、訴訟を取り下げた経緯はすでに他誌に書いたが、私の財団での仕事が、小倉氏に関する全く無駄な訴訟を納めることから始まっていたことも不思議な縁であった。 財団の評議員になったからといって小倉氏には何のメリットもない。 無給の奉仕的な仕事である。しかしそれはキリスト教の信仰に裏打ちされた小倉氏と夫人の玲子さんにとっては、それも神から与えられた一つの任務と思って下されたのだろう。実は小倉氏の夫人の望月(旧姓)玲子さんは、私の大学(聖心女子大学)の同級生であった。ただしあまり親しくはなかったが、当時女子大学はスタートしたばかりで、一学年の学生数が百人を切っていた時代だから、玲子さんのことは静かないいお嬢さんだという印象で覚えている。 様々なことで、コントロールの悪い性格というものは若い娘たちの多くにあるもので、私なども勉強はせず、小説ばかり書いていたアンバランス組の一人であった。私はどちらかと言うと人付き合いの悪いタイプで、玲子さんが結婚されたお相手のことも長いこと知らなかった。初めて有名な小倉昌夫氏の夫人だということを知ったのは、どこであったか(その詳細も忘れてしまった)音楽会が始まる前に通された部屋で、そこにはアサヒビールの社長として「スーパードライ」を大ヒットさせた功労者である樋口廣太郎社長夫妻もおられた。樋口夫人の公子さんも、幼稚園に入って以来17年間の同級生だった。 この時ほんの一瞬、「いいなあ」という羨ましさが私の胸に走ったことを忘れられない。この二組のご夫婦は、揃って社会的に陽の当たる広い道を歩いておられ、しかもお二人共クラシック音楽の深い理解者であり、パトロン的な援助もできる立場だった。それなのに、わが夫は「(乳児の時の中耳炎の後遺症で)僕は片耳が聞こえないから音楽はダメだ」と私と一緒に音楽会に来ることは終生なかった。 玲子さんは均整の取れたスタイルで、外見はいかにも健康そうに見えたが、森氏の著書によると、五十代で狭心症を患い、ニトロを持ち歩いていらしたという。夫が財界の伝説的名経営者ともなれば、どんなに一見穏やかそうな家庭に見えても、それなりの大きな配慮で心の休まる時もなかったのだろう。家族のこと、食事の配慮、親戚づきあいなど、気を配らねばならないこともさぞかし多かったろう、と思う。 そしてやがて心配されていた玲子さんの病状は、深刻な事態になった。五十九歳で急逝されたのである。その理由のいくつかを森氏は温かい心と、冷静な作家の眼でつづっているが、私は昔から深く「他者の心のうちはわからない」と思い続けているので、その点について触れるのは避ける。 ただし玲子さんは、身近な人に六十歳を過ぎたらボランティアをやりたいと言っていらしたというし、夫妻は深い信仰生活をしておられたようである。その恩恵を私は夫妻の死後受けたのだが、その一つは小倉氏が以前から手がけておられた「障害者も働くベーカリー『スワン』」を、日本財団が2001年に新しく移転した赤坂の新社屋ビルの1階に設置したことである。この話は、社屋を買い、中を改装する時から決まっていて、私もほんとうに大賛成だった。障害があっても、健康な人には真似できないほどまじめに働ける美点を残している人は、実は多いのである。 オープニングの日には、すぐ近くのアメリカ大使館夫人が来てくださることになっていたが、ご主人のベーカー大使も気さくに奥様について来られ、それを聞いた当時の小泉純一郎総理もほとんど予告なしに来られ、温かい出発ができた。今でも、総理官邸の方から坂を降りて来ると、八階建ての国旗のはためくビルにまず「スワン」のサインボードが目立ち、日本財団がスワンビルの借家人のようにさえ見える。障害者にまともな仕事を与えたいと願った小倉氏のアイディアの置き土産である。夫人が亡くなられて、二、三年後のこと、私は日本財団の理事会・評議員会の忘年会の席で、小倉氏をお迎えした。もともと静かで感情をあらわにしない方だったが、私は玲子さんが亡くなられてから初めてゆっくりとお話をする機会を得た。 「今、お食事を作ってくださる方が毎日いらっしゃいますか?」 「ほんとうに失礼かもしれませんが、明後日は日曜日で、家政婦さんがいらっしゃらない日でしたら、これを電子レンジでチンなされば召し上がれますけど、お持ちになりますか?」 私がそんなことができたのは、その場に玲子さんがいらっしゃるように感じ、ほんの一瞬その代わりをした気になったからだった。 |
●(3)<<<私は昔から深く「他者の心のうちはわからない」と思い続けている>>>とあります。
他者のわからない心については、私たちは「謙虚」であるべきです。「軽薄」や「無責任」で他者の心をいい加減に詮索すべきではなく、「他者の心」については慎重の上にも慎重であるべきです。 その上で・・・・・ところがです。 ところが、多種多様な理論や技法を活用すると驚くほど「分かる」・・・・・一般の方が驚くほど「分かる」ということがあるのも、これまた事実です。 しかし、多くの人は、一般に言われる「権威」がある「立派」な方の意見や学説を(当然ながら)信頼する上に、「権威」がある専門家は政府の各種の委員になったりするので、さらに「権威化」され、「一般化」されます。特に、心理・精神世界は見えない分野だけに、その傾向はさらに強くなります。 さて、「よく分からない他者の心」については謙虚に対応すべきであるという大前提の上で、ありとあらゆる理論や技法(東洋医学の諸理論・諸技法、心身医学の諸理論、心理学の諸理論・諸技法)、宗教(特に、禅宗)などを謙虚な姿勢で利用・活用してみると、驚くほど分かることもあるという「謙虚」さも、これまた必要です。 一つ一つの「症状」や「現状・状況」について、どの理論を活用するかという心理・精神世界の「職人」(大工さんが、いろいろな道具を使いこなすのと同様)は、私(藤森)の知る限り、ほとんどゼロに近い状況であるということを、まず認識していただきたいものです。 卓越した権威ある専門家ほど、ご自分の狭い領域を守ることに必死・・・・・ご自分の領域を深く掘り下げることに生涯をかけているために、ご自分の領域を外れると多くの場合「無案内(?)」であるために、他者や他領域の素晴らしい理論・技法を「融合」させて、ご自分の「学説」を少しでも良くしようとするのではなく、「無視」したり、「排除」したりするように見受けられます。 そのために、いろいろ有用な考え・理論を「融合」させて、ご自分の「学説」を少しでもグレードアップさせようとしない不思議さ・・・・・何もかも、自分の領域の理論だけで説明しようとしたり、自分の領域で説明できないときは、「難病」扱いにしたりするような滑稽なことが多く、例えば、「東洋医学」ならば簡単に理解できるのになあなどといつも不思議な感覚を味わっています。 そういう点で、私(藤森)は「知性・教養」が低いために、守るべきものが無い、失うものが無いという「幸運」に恵まれました。そのために、「自己成長」に必要なもの、役に立つと思われるものを活用することにプライドという障壁が無いために、活用できる「理論・技法」は可能な限り活用して、私自身の「人間性」や「技量」が少しでも上がるように努めています。 プライドが無く、活用できるものはなんでも利用しようとする珍しい人間(自称・心理学の職人)である私が、今回の「昼寝するお化け」の故・小倉玲子氏の病名を見てみますと、「心身医学」の理論を活用することが一番妥当だと思いました。少なくともベテランの心身医学者・心療内科医が小倉玲子氏の病名を知れば、「タイプA(Aタイプ)」だと診断するはずです。 では、「タイプA(Aタイプ)」とは、一体全体、何を意味するのでしょうか・・・・・実は、驚愕の結果が出てくるのです。そして、その結果こそが、今回のテーマ「得失一如」に取り上げたかったことです。このタイプAについての衝撃の診断については、下記の(9)でご紹介します。 ただし、私は、申し上げるまでもなく、小倉氏ご夫妻や曽野綾子先生に対する悪意は一切ありません。むしろ、曽野先生は尊敬(私淑)していますし、小倉氏ご夫妻の業績は、私のように業績の無い人間と比べて千倍万倍素晴らしいもので、心から称賛させていただきたいと思っています。 しかし、事実は事実です。まさに事実は小説よりも奇なりです。 最近、バーチャルリアリティーという言葉がよく使われますが、まさに私たちは(私流に言えば)バーチャルリアリティー(仮想現実)な世界に生きていると言っても過言ではありません。 簡単に言えば、私たちが見ている物事(ここでは主として対人関係)・・・・・表面に現われ、見たり感覚できるものは主として「バーチャル」なもので、バーチャル的とは「投影」という言葉に置き換えられるかもしれません。表面に現われているものは「投影(バーチャル)」である可能性が高く、投影されたものをもとに、「深層心理」に隠されている「本音」を探索することが「リアリティー」だと言えるのではないでしょうか(「バーチャルリアリティー」という言葉を使っての仮説とお考えください)。 先ほどの「発達障害」に例えますと、表面に現れている「障害」は「バーチャル」な問題で、本質的な問題を「投影(バーチャル)」していますので、投影された「発達障害」というものを直(治)そうとすることは、本来は間違っています。投影された発達障害をもとに、いかにして深層心理に潜んでいる本質的な問題(リアリティー)を探るかが重要です。<「今月の言葉」第62回「瞑眩(めんげん)、治癒反応、自己成長反応」 ・ 第63回「病気と自己成長反応」をご参照ください」> 下手な説明は、ご覧になっていらっしゃる方々の想像力で補足していただければ幸いです。ここで言いたいことは、それなりの情報(バーチャル)があれば、かなりのことが「分かる」(リアリティー)ということです。 私たちはそれ相当の訓練をしないと、自分の中に潜む「抑圧した人間性(本音)」はなかなか分かりません。その最たるものが「病気」です。その病気(慢性病)は、私たちの「深層心理」が「発症」させているのにもかかわらず、「抑圧した人間性(本音)」が分からないが故に、多くの場合、医者に診てもらっています。 ですから、心理の専門家は、クライエントの方が分かっていないその方の「深層心理」を読み解いて、それをクライエントの方にフィードバックしながら、それをいかにして、より良く、より深く理解していただくか、これがすべてと言っても差し支えありません。もちろん、そのプロセスは膨大であり、いろいろ複雑な経過をたどりますが、一言で言えば、そういうことになります。 そのためには、深く「他者の心のうち」がわからなければなりません。分からなければ、何をご指導申し上げるのか、です。ご本人が全く想像もしていなかった驚くべき事実・・・・・その方の無意識に潜んでいる驚くべき「深層心理」をしっかり認識していただき、「意識」されているご自分と「深層心理」を如何にして「融合」し、「統合」していくか、これが心理を専門にする人間の最大の「課題」です。 今更、分かり切った道徳的なことや、病気を避けるための方法論を説いても意味がありません。そんなことは、多分、ほとんどの人が分かりすぎるほど分かっていることであるはずだからです・・・・・麻薬はいけない、ギャンブルをやりすぎるといけない、アルコールを飲み過ぎるといけない、食べ過ぎはいけない、栄養のバランスが大事だ、運動不足はいけない、家族には優しく接するべきだ、安全運転を心がけること、勉強しなさい、イジメはいけない、睡眠は大事だ、働き過ぎはいけない、ウソはいけないetc.・・・・・こういうことを知らない人は、多分、一人もいないでしょう。 人生をうまく生きるための「あれやこれや」が分かりすぎるほど分かっているにもかかわらず、何故、私たちは、人生をうまく生きられないのでしょうか? 抑圧した無意識界には、表面に現れている人間性とほぼ真逆の人間性が潜んでいて、それを私たちは、必死で防衛(国境を軍隊が防衛するように)しているために、やがて防衛に疲弊して発症するのが「病気」です。それが「病気(慢性病)」という形に現われるのか、イジメや乱暴な運転、非行などの「行動面」に現われるのか、ウツや情緒不安などの「精神面」に現われるのか・・・・・の違いがあるだけで、全ては、無意識界を防衛するためのエネルギーが枯渇し、「疲弊」することで「症状化」します(私・藤森の資料「癌とは何か?」のp15 「ストレスが溢れて惹起する3症状」ご参照)。 そういうバカバカしいことを避けるにはどうしたら良いのでしょうか?それはあらゆる方法を駆使(他人の指導を含む)して、自分自身を「よく識る(深く分かる)」ことです(「識る」ことについては、後日、私の尊敬する先生の卓越したものをご紹介します)。 いわゆる「頭が良い」と言われる人とは、一体、どういう人のことでしょうか?それは、物事をたくさん知っている人のことで、下記の①です。「よく識る(深く分かる)」こととは全然違います。たくさん暗記をした、クイズに強いなどのレベル、それは単なる「情報」であって、情報ならばコンピューターのほうがはるかに優れています。舛添知事のように頭が抜群に良いひとは、多分、①の段階が多いのでしょう。 ①の段階の情報を「よく識る(深く分かる)」ことが②です。「よく識る(深く分かる)」ことができた方が、舛添知事のようなことをするでしょうか. ①Learning → ②Understanding → ③Doing → ④Being 私(藤森)の実体験を述べます。 しかし、しかし、です。長年の悪いクセというものは、残念ながら、簡単には修正されません。特に私のように重症な愚か者は、さらに長い期間が必要です。 |
●(4)さて、天は二物、いや三物、四物を与えるのだろうか?
<<<玲子さんは均整の取れたスタイルで、外見はいかにも健康そうに見えたが、森氏の著書によると、五十代で狭心症を患い、ニトロを持ち歩いていらしたという。夫が財界の伝説的名経営者ともなれば、どんなに一見穏やかそうな家庭に見えても、それなりの大きな配慮で心の休まる時もなかったのだろう。家族のこと、食事の配慮、親戚づきあいなど、気を配らねばならないこともさぞかし多かったろう、と思う。そしてやがて心配されていた玲子さんの病状は、深刻な事態になった。五十九歳で急逝されたのである。>>> この中の<<<夫が財界の伝説的名経営者ともなれば、どんなに一見穏やかそうな家庭に見えても、それなりの大きな配慮で心の休まる時もなかったのだろう。家族のこと、食事の配慮、親戚づきあいなど、気を配らねばならないこともさぞかし多かったろう、と思う。>>>の部分。 恐らく、ほとんどの人が(多分)こういう考え方に納得されることと思われます。しかし、本当にそうだろうか?というのが本題で、これを徹底解剖することは極めて貴重なケースになると思われます。「他人の心は分からないのか?」、それとも適切な情報さえあれば「十分に分かるのか?」・・・・・今回は、本気で、徹底的に解剖させていただきます。 私たちは、現状に影響されて行動しているように思われていますが、実は、深層心理に操られているのです。何故、伝説的名経営者という素晴らしい方が、ニトロを持ち歩くほど大変な状況にいらっしゃる奥様が、死ぬまで追い詰められるような状況を放置するのでしょうか? 私たちは、このような状況だからこうなったと思いがちですが、実は違うのです。 (1)「ウワー!怖い!すごい事故だな!大変だ!」と感情が溢れる方・・・これを「C」(child)的と言います。 同じ事故を見たにもかかわらず、何故、反応が違うのか。それは無意識にあるその人の人間性が違うからです。 ということは、 <<<夫が財界の伝説的名経営者ともなれば、どんなに一見穏やかそうな家庭に見えても、それなりの大きな配慮で心の休まる時もなかったのだろう。家族のこと、食事の配慮、親戚づきあいなど、気を配らねばならないこともさぞかし多かったろう、と思う。>>>と、このように対応する人もいるでしょうが、そうでない対応をする人もいるのです。 もし玲子氏と同じような対応をしたとしても、ニトロを服用するほど体調が悪くなったならば、奥様ご自身が、あるいはご主人が十分に静養させる・・・・・経済的に豊かな方ですので、長い間のご苦労を十分に労い、2、3人の家政婦さんを雇い、家を任せて、保養所で長期間、ゆっくり静養させることもできるはずです。 我が家のように、経済的に許せないし、私が愚かでしたので、妻に無理をさせるということはありますが、経済力は十分にあり、伝説的名経営者で包容力は十分にある徳の高い方で、ボランティア活動にも十分な理解がある小倉氏ご夫妻が、何故、このようなバカバカしいことを起こしてしまうのでしょうか。 ですから、訓練された専門家であれば、「症状」は「深層心理」を、まるで裸を見るがごとくに分かるのです。それなりの専門家であれば、分からなければいけないのです。そして、それは、本人も全く気付いていない驚愕の事実・・・・・受け入れ難い事実ではありますが、ご本人に理解し、納得していただく必要があるのです。受け入れ難い事実を受け入れていただくことは困難を極めることではありますが、それを受け入れていただくようにご指導申し上げることこそが心理を専門にする人間の最大の仕事です(もちろん、そのプロセスは膨大であり、いろいろ複雑な経過をたどりますが、一言で言えば、そういうことになります)。 そして今回のテーマ「得失一如」の典型的な例が小倉氏ご夫妻なのです。 <<<夫が財界の伝説的名経営者ともなれば、どんなに一見穏やかそうな家庭に見えても、それなりの大きな配慮で心の休まる時もなかったのだろう。家族のこと、食事の配慮、親戚づきあいなど、気を配らねばならないこともさぞかし多かったろう、と思う。>>> とは限らない典型的なケースをこれからご紹介します。 |
●(5)平成28年5月13日、日刊ゲンダイ「元秘書が語る 素顔の田中角栄」(朝賀昭・あさかあきら・・・1943年、東京都港区生まれ。中央大学法学部卒業し、田中角栄の秘書となる。現在は政務調査会の代表を務める)
<★前半のこの部分は、後で紹介します> 自宅の奥さまは政治家が訪問しても挨拶に出てこないし、正月にも少し顔を出す程度。お酌なんてとてもとても・・・・・。オヤジさんは「女房は表に出すもんじゃない。だから家内と言うんだ」と冗談を言ってましたが、女房は家を守っているんだという気持ちが強かったようです。 だから選挙運動に家族を駆り出したことは一度もない。当時としては珍しいですよ。特に選挙に弱い代議士なら奥さんにも戸別訪問させるのが当たり前で、選挙区を奥さんと分ければ2倍回れるというのが常識の時代でしたから。オヤジさんは娘の真紀子さんも外遊には連れて行ったけど、選挙は手伝わせなかった。僕の記憶する限り、事務所に連れてきたことも一度もなかったと思う。 オヤジさんの演説にはこんなものもあった。 だから列島改造が必要なんだと続くのだが、演説の主人公はまさに角栄少年そのものでした。オヤジさんは上から目線ではなく、常に政治家として下から目線でした。 ●(6)平成28年1月27日、日刊ゲンダイ「連載②父 角栄をおもえば」(田中京・51年、東京生まれ。父は田中角栄、母は辻和子。日大在学中から音楽評論を始め、卒業後、CBSソニーに入社。現在、音楽評論家、料理研究家として活躍中。著書に「絆 父・田中角栄の熱い手」扶桑社がある) このところ、中国でのPM2・5による大気汚染の日本への影響が何度も報道されています。しかし、日本がそうだったように中国もいずれ克服するに違いありません。 自動車の排ガスや工場の煤煙で、光化学スモッグが発生、校庭で運動していた生徒たちがバタバタと倒れるという健康被害も頻繁に起きました。東京湾に造られた人工のゴミ捨て場「夢の島」には大量のハエが発生。近隣住民を襲い、生徒たちはハエ叩きを持って登校するありさまとなり、消防と自衛隊が出動して、火炎放射器で夢の島のハエを退治するという騒動まで起きました。 こうした経緯を踏まえて、中国の深刻な環境汚染に日本が役に立てることはいくらでもあるのに、日中の政府間対立には隔靴掻痒の感を否めません。 姉と私は、同じ「田中」の姓を名乗ってはいますが、現在は交流がありません。父が亡くなった翌日の1993年12月17日の午後、私は冬の冷たい雨が降る中を、前日から泣き崩れて床に伏せてたままの母を家に残し、妻と17歳と14歳の2人の娘を連れ、目白の家の門前に立ちました。 <死去の際は門前払い 騒いだら父の顔に泥を塗る> いくら頼んでも、姉から厳しく申し付けられていたのでしょうか、「絶対に駄目です」と、かたくなでした。子供たちは、花屋が葬儀用の花を持って門の中に入って行くのを見て、「あの花屋に変装してでも、最後におじいちゃんに会いたい」と泣きじゃくりました。 私は田中角栄の実子として正式に籍を与えられている立場です。亡き父の遺体を見届ける権利があります。姉はそんな私たちを門前払いして、父と孫娘が会する最後の機会を永遠に葬ったのです。周囲には300人を超える大勢の報道陣が詰めかけていました。「ここで騒いだら父の顔に泥を塗ることになる」とその場を去り、心の中で父と姉に永遠に別れを告げたのです。 昨年の春、BS朝日から、「父・田中角栄を振り返る」という番組企画への出演依頼がありました。ロッキード事件、金脈、派閥といった腐敗の面からしか伝えられてこなかった「政治家・田中角栄」に、新しい視点からスポットライトを当てたいとの担当プロデューサーの熱意にほだされ、出演を承諾しました。 ところが、収録予定の前日に担当プロデューサーからなぜか断りの連絡が入りました。父「角栄像」の世間の誤解を息子の私がただす機会が失われたことを心底、腹立たしく感じました。 私はこれまで「別腹の子」として沈黙を守り続けてきました。人といさかいを起こし、泉下の父を悲しませたくないとの気持ちがありました。しかし、かくなる上はこれ以上、周囲のことは忖度する必要はないと腹をくくったのです。そして、ここに声を上げる覚悟をしたのです。<藤森注・連載は⑮回まで続きます> ●(7)「元秘書が語る 素顔の田中角栄」(朝賀昭) <★先ほど省略したこの部分を下記に紹介します> 「遠慮なく大臣室に来てください。できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う!」 オヤジさんは演説の達人でした。秘書たちが「この会はこれこれこういう趣旨で・・・」と伝えると、「よし、わかった」と言ってぶっつけ本番で演説を始める。しかも、実体験に基づく演説ですからいつも面白かったし、心に響くんです。 今でも思い出すのが、ある結婚式のこんなスピーチでした。 そして≪幾億の 星の中なる 夫婦星≫と朗々とうたいだしたものです。 |
●(8)人生とは実に不思議です。
ありとあらゆる理論や技法を活用して、人間の深層心理を掘り下げることを職業としている私(藤森)としては、お一人お一人、どの方の場合も全てのケースが不思議としか言いようがありません。たくさんの方々をお世話させていただいていても、毎回、不思議としか言いようがない気持ちになっていますので、初めて深層心理に触れる個人、個人の方々は、さらに理解し難い気持ちになるのは、当然過ぎるほど当然のことです。 ☆<<<小倉氏は寛容、謙虚、自然、そして物事の関係を端正に正す方だった。どれも、現世で芳香を放つ強力な力を持つ徳なのである。>>> <<<財団の評議員になったからといって小倉氏には何のメリットもない。無給の奉仕的な仕事である。しかしそれはキリスト教の信仰に裏打ちされた小倉氏と夫人の玲子さんにとっては、それも神から与えられた一つの任務と思って下されたのだろう。>>> <<<・・・ただし玲子さんは、身近な人に六十歳を過ぎたらボランティアをやりたいと言っていらしたというし、夫妻は深い信仰生活をしておられたようである。 こういう人徳がある方の奥様が・・・・・ <藤森注・・・ニトログリセリン(nitroglycerine)・・・分子式C3H5(NO3)3 三硝酸グリセリンの慣用名。グリセリンと硝酸および硫酸の混合物との反応により生じる三硝酸エステル。無色油状の液体で強力な爆発物。ダイナマイトの原料。血管拡張作用があるので狭心症の特効薬に用いる(電子辞書・広辞苑)> ☆そして、<<<<女房は表に出すもんじゃない> だから選挙運動に家族を駆り出したことは一度もない。当時としては珍しいですよ。・・・オヤジさんは娘の真紀子さんも外遊には連れて行ったけど、選挙は手伝わせなかった。僕の記憶する限り、事務所に連れてきたことも一度もなかったと思う。>>> このように家族を大切にされた方が・・・・・ 私は田中角栄の実子として正式に籍を与えられている立場です。亡き父の遺体を見届ける権利があります。姉はそんな私たちを門前払いして、父と孫娘が会する最後の機会を永遠に葬ったのです。周囲には300人を超える大勢の報道陣が詰めかけていました。「ここで騒いだら父の顔に泥を塗ることになる」とその場を去り、心の中で父と姉に永遠に別れを告げたのです。 私はこれまで「別腹の子」として沈黙を守り続けてきました。人といさかいを起こし、泉下の父を悲しませたくないとの気持ちがありました。しかし、かくなる上はこれ以上、周囲のことは忖度する必要はないと腹をくくったのです。>>> こういう典型的な2つのケースをどのように説明したら良いのでしょうか? 田中角栄元首相と小倉昌夫氏・・・・・両者共に巨大な業績をあげていらっしゃるけれども、上記の内容を読む限りは、かなり対照的な人格、奥様に対する対応は真逆と言えるのではないでしょうか?・・・・・しかし、巨大な業績を除けば、ありふれたごく普通の「こじれた夫婦」の姿です。私(藤森)から見れば、巨大な業績に美化されているだけで、世間によくある普通の夫婦関係のようにしか思えません。もちろん、巨大な業績は、高く評価されるものであることは当然のことです。 <<<小倉氏は寛容、謙虚、自然、そして物事の関係を端正に正す方だった。どれも、現世で芳香を放つ強力な力を持つ徳なのである。>>>という方の奥様がニトロを服用し、若死にしていらっしゃる。 一方、<<<自宅の奥さまは政治家が訪問しても挨拶に出てこないし、正月にも少し顔を出す程度。お酌なんてとてもとても・・・・・。オヤジさんは「女房は表に出すもんじゃない。だから家内と言うんだ」と冗談を言ってましたが、女房は家を守っているんだという気持ちが強かったようです。だから選挙運動に家族を駆り出したことは一度もない。当時としては珍しいですよ。>>>という方が「別腹の子」を設けて大きな問題を起こす。 いかに「黄金の業績」というものと、「本質的な人間性」が「かい離」している、あるいは、「真逆」であるかということがこれほど分かりやすい例は他にはなかなか無いでしょう。こういう事例が「標本」にできれば、心理関係の専門家はいい加減な解説や誤魔化しはできないはずです。 しかし、いかなる高級な賞を受賞しようが、いかなる巨大な業績を上げようとも、その人の本来の人間性は全く変わりません・・・・・というよりも、そういう巨大な業績を上げる人ほど、残念ながら、本質的な人間性を歪めている可能性が高いものです(大相撲の横綱は、還暦の60歳を迎えると、赤いフンドシを締めて土俵入りすることになっていますが、還暦まで生存する横綱のほうが少ないそうです)。 本質的な人間性を高めるためには、本質的な人間性に取り組む(つまり、己の愚かさと真剣に取り組む)という極めて珍しいというか、貴重なごく少数の類稀な方以外にはあり得ません。そういう意味で、曽野綾子先生は、私が尊敬(私淑)したくなる貴重な方で、もの凄いトンネルをくぐり抜けてご自分を鍛えて来られた方であろうと思っています。 さて、最後に・・・・・ こういう徳のある方だった小倉氏の奥様の「狭心症」とは一体全体、何だったのか、大変残酷な気持になりますが、しかし、事実は事実として、日本の心身医学会が総力をあげてまとめた「定義」をご紹介します・・・・・くれぐれも、悪意も敵意も恨みも何もありません。単に、人間の本質を追及したくなる私の職業病から、記述しています。 |
●(9)「心身医学用語事典」(編集・社団法人 日本心身医学会 用語委員会、医学書院)
<虚血性心疾患>p52 <タイプA型行動パターン>p149 <<<小倉氏は寛容、謙虚、自然、そして物事の関係を端正に正す方だった。どれも、現世で芳香を放つ強力な力を持つ徳なのである。>>> <<<<女房は表に出すもんじゃない> |
●(10)<「今月の映画」第165回「スポットライト・世紀のスクープ②ー①」>の最後の下記の部分を転載します。
<<<(7)さて、結論です。 神父は「パーソナリティー(人格)」に相当し、神父の児童への性的虐待の行為が「サブパーソナリティー(副人格)」に相当すると考えます。そして、司教とか大司教、もちろん、教皇などが「ハイヤー・セルフ」に相当すると考えます。 敢えて汚い言葉を使えば、ろくでもない存在を「ハイヤー・セルフ」に持ってくると、幾つもの教会が破産するほどの大問題になってしまいます。 さて、私たち個人に当て嵌めて考えてみますと、私たち個人が避けたい問題・・・人生の大きな課題や性格上の大きな課題、家庭内の気になる問題などに対して、目をつぶったり避けたりせず、いかに本気で立ち向かうか、これに尽きます。 大きな問題が背後に潜んでいるらしいことをうすうす分かっていながら(「パーソナリティー(人格)」)、私たちは、ついつい放置してしまう弱さ(「サブパーソナリティー(副人格)」)がありますが、放置して、気が付いたら「手遅れ」・・・となることが世の中に溢れています。 心理学では「倒れた後に止む」、つまり、手遅れを意味する言葉があります。 「自己成長」に関してはDoing(「サブパーソナリティー(副人格)」)に取り組まない限り、達成できません。 この段階で何度も何度も血の滲むような練習を繰り返し、そしてBeing(「ハイヤー・セルフ」)、自分が目指す人間性に少しでも近づけるように、自己の未熟性(「サブパーソナリティー(副人格)」)を自覚・反省ができる真摯な態度を維持・継続することがいかに重要であるか。 ぶっちゃけた言い方をすると、天下第一級のローマ教皇でさえ、少々の訓練はしたかもしれませんが、しかし、「知的理解」を深めた人間性が中心だったことが証明されてしまいました。これだけの犠牲者がいるにもかかわらず、教皇自身の立場・・・地位や名誉、そしてカトリック教会という組織を守ることを優先させていたのですから、ローマ教皇という地位も大したことがないのですね。 こういう大問題に的確に対処できる、あるいは、大問題に真っ正面から立ち向かえる人間こそが「ローマ教皇」の名に相応しいはずです。 世の中の多くの物事・事件などが、「倒れて後に止む」ことの危険性を教えてくれています。 つまり、一番辛い、苦しいことに取り組む勇気を持たないと、神とも思われているカトリック教会の神父や大司教、教皇でさえもがとんでもないことにしてしまう。ましてや、我々個人においては、命さえも失いかねないし、家族が悲惨な目に遭う可能性もあるという素晴らしい教訓に、この映画はなるのではないでしょうか。 今、あなたが抱えている人生の大きな課題に取り組む勇気を持ちませんか・・・悲惨な結末になるかもしれない事柄を「未然に防ぐ」ために!!!「わかっちゃいるけど」ではなく、「止められない」ことに真剣に取り組む勇気を持ちませんか。 その最大の問題は、自分の「劣等感コンプレックス」を認める勇気です。 ローマ教皇や大司教、三菱自動車、東芝、シャープ等々の経営者たちが、気が付いたときに率直に認める勇気・・・の問題だったのです。その真摯さ、謙虚さが自律神経の働きを正常にし、「癌」を防いでくれます。つまり、免疫力を高めてくれるのです。>>> |
●(11)情報が少しあれば驚くほどよく分かる・・・・・本気で情報を集めれば、さらにいろいろな物事が驚くほど分かるものです。
情報が「少し」あれば(〝感”を働かせて探せば)、かなりのことが分かるという例を2つ、少々テーマから外れますが、簡単にご紹介します。 ☆<乙武洋匡氏> とりあえずは円満解決と思いきや、乙武氏への怒りが収まらない人物がいた。 彼は乙武氏の不倫旅行にもダミーとして同行している人物です。 詳しくは知りませんが、昨夏ごろから乙武氏から彼にアプローチがあったと聞いております。その際、私には乙武氏からは一度の連絡もございません」 また、学生時代、かなり女性にもてたそうですが、その時の彼はかなり「俺様」的だったそうです。 ☆<少女監禁事件の「寺内樺風(かぶ)」の名前について> 藤森注・・・・・見事に、彼の犯罪を連想させてくれます。「樺」も、「周囲の評価」も見事に美しいです。その上、お父さんが防犯グッズをネット通販していたのには驚きです。ワイドショーで、外から掛けて、中から開けられないカギを実演していたので、余計に驚きました。 |
●(12)「今月の言葉」第163回「交流分析のゲームとは何か?④ー④」
一部を下記に再録します。 <<<実に、実に、そしてさらに実に不思議なことでありますが、私たちは、この嫌な感情である「ラケット感情」を味わうために「ゲーム」を行っています。そのバカバカしさを嫌と言うほど体験したら、止める決心をして、止めるための「取り組み」をすることです。そうでないと私たちは、一生懸命に生きているつもりでいて、実は、嫌な感情を味わうための「ゲームをやるため」に頑張っている・・・・と断言せざるを得ないのです。 「意味の無いこと」に頑張っているというよりも、「悲しい(虚しい、寂しい、情けない、イライラする)」などの「ラケット感情(ニセの感情)」を味わうために「人生」を頑張っていることになってしまうのです。こんなことは誰も信じられないでしょうが、しかし、結果は完全にそうなっている・・・ということに気づけるくらいの知性や教養を身に着けたいものです。 気づかない部分を仏教では三毒である「貪・瞋・痴」のうちの「痴」と言い、これに気づくことを三善根の「施・慈・慧」のうちの「慧」と言い、これが本来の「知性・教養」であるべきです。>>> この部分を詳細に理解したい方は「今月の言葉」第163回「交流分析のゲームとは何か?④ー④」をご参照ください。「こじれた人間関係」のことを「交流分析」では「ゲーム」と言い、我々の人生を完璧に言い当てています。信じられない方は、第163回をご覧ください。単なる理論ではありません。私たちの人生は、まさに、ゲームで成り立っています。 そして、小倉昌夫氏<<<「ほんとうに失礼かもしれませんが、明後日は日曜日で、家政婦さんがいらっしゃらない日でしたら、これを電子レンジでチンなされば召し上がれますけど、お持ちになりますか?」・・・・・小倉氏は「はい、頂いていきます」と謙虚に言われ、小さなお土産の紙袋を下げてお帰りになった。 ☆先日、こんなことがありました。 2、3日すると、待望の収穫です。半分に切り、さらに4等分にされた棒状のキュウリが食卓に出されました。醤油も味噌も無しで食べたキュウリがとても甘くて美味しかった。 |
●(12)最後に・・・かなり分かると言いたいのですが、「当たるも八卦当たらぬも八卦」として、私の大胆な推測をご紹介します。まず、下記の報道をご覧ください。
☆平成28年6月3日、週刊ポスト「政治家と政治記者だけが知っている『政局報道スクープ』の〝お約束”暴露します」 <略> <NHK女性記者の独壇場> ライバルの政治部記者たちから「一番おいしいところをさらっていく」と羨ましがられるのがNHKだ。 それだけに、首相との阿吽の呼吸で次々にスクープをものにしてきた。 NHKは5月10日の午後8時51分、首都圏ニュース中に<オバマ大統領 今月27日に広島訪問へ 現職アメリカ大統領で初>とテロップを流し、続いて短いストレートニュースで報道。さらに直後のニュースウオッチ9で特集を組み、ワシントン特派員の解説の後、スタジオに岩田記者が登場すると、それに合わせたように安倍首相の緊急記者会見が始まった。他局を完全に出し抜いたのだ。 「NHKの独壇場。事前に情報を得て、官邸と調整しながら準備していなければあんな芸当はできない」 <後略> ●(13)私(藤森)はこの番組をちょうど見ていて、手際の良さを感じました。 岩田明子記者は、日ごろ、NHKのニュースにわずかな時間だけ登場し、しかも、お堅い政治的な話を短時間するだけですから、なかなか、お人柄を推測しにくいのですが、上記の週刊ポスト誌が語るものからかなり面白いことが推測できます。 一方は「携帯電話やメールでいつでも総理に直接話が聞ける関係」・・・・・・一方は大嫌いな関係。 情報が少な過ぎるので、ここからは私の独断と大胆な偏見(当たるも八卦当たらぬも八卦)であることをお許しいただきます。その独断と偏見を語る前に、独断と偏見の根拠になる資料を紹介します。 ●(14)平成27年5月22日、週刊ポスト「安倍晋三『沈黙の仮面』ー〝独裁者”の生い立ちと苦悩ー」 (野上忠興・政治ジャーナリスト) <第1回 二つの血脈の狭間に落ちた幼少時代>) <略> 両親に代わって、安倍兄弟が成人するまで世話をしたのが、晋三の乳母兼養育係だった久保ウメ。岸、安倍両家に40年仕えた生涯独身を通したウメは、筆者の取材のなかで、こんな「安倍家の日常」を明かした。<略> ウメによると。安倍は幼稚園に通っていた頃、おんぶをよくねだる子だったという。 ●(15)ここで私(藤森)が偏見を述べたいことは、恐らく、ウメさんと岩田明子記者とは、安倍晋三首相の深層心理に響く、何か共通点(フィーリングなど)があるからだと思われます。 私は、野上忠興氏の書かれたものを読むことで、ウメさんのお人柄はかなり推測することができますが、岩田記者は、お堅い政治の話をテレビでチョコっとされるだけですので、人間性までは分かりません。 また、岩尾志桜里議員は、もしかしたら、母親の洋子さんに雰囲気が似ている方かもしれません。 ☆結論を言えば、岩田記者は「情と母性性」が、岩尾議員は「理と父性性」が優っていらっしゃる可能性が高いように思われます(当たるも八卦当たらぬも八卦)。 安倍首相を攻撃し、ダメージを与えたり、余計な一言を引き出したかったら、岩尾流を活用して、徹底的に「理」を活用して、厳しく「父性性」で追及することです。 |
く文責:藤森弘司>
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