2016年3月15日 第164回「今月の言葉」
「電波停止発言」についての一考察
   <癌とは何か?対策編⑧>

●(1)表題について、私(藤森)は、当初、下記の花田紀凱氏とほとんど同じ考えでした。花田氏のポイントは・・・

<<<そもそも高市早苗総務大臣の答弁は放送法を虚心坦懐に読めば、そうなりますよと、法律の解釈を述べたもので、何も間違ってはいない。>>>

 確かに、虚心坦懐に読めば、「高市早苗総務大臣の答弁」は、法律の解釈を述べただけのもののように思えました。
 しかし、「癌とは何か?対策扁」とあるように、もの事は、解釈や受け止め方によって、大変な間違いを犯すことが、結構、多くあるものです。
 「癌」に対しても同様です。あれがいい、これがいいなどと、重大なポイントを無視ないしは気づかずに推奨するものが多いのには驚きます。そのために、私たち一人一人が自分を理解するために「賢く」なること、「自我を成熟」させることが大事です。

 ダイエット本が数多く発行されることも同様です。
 ダイエットというものは、「食べる量(栄養価)」と「運動量」の関係であって、そこにわずかな「より効果的方法」があるらしいということであって、大基本は<食べる量(栄養価)と運動量>に尽きます。
 この大基本を無視して、何か効果的な「上手い方法」があるかのごとき錯覚をすることそのものが、ダイエット本が永遠のベストセラーになる理由です。

 多少の効率を考えることは理解できますが、この基本を無視しても「素晴らしい効果を上げる方法がある」と考えることは「幼児性」を意味します。この幼児的な人間性が「癌」を発症させると言っても過言ではありません。
 ですから、安直な「解決方法」を求めるのではなく、いろいろな物事の理解を通して人間性を成長させる・・・自我の成熟性を求めることが大事です。

 医聖ヒポクラテスは「症状は療法である」と言ったそうです。癌に限らず、症状化されたものから、精神や身体に負荷をかけ過ぎて生きてきた人生を反省することが大事です。安直に、ダイエット本で痩せるうまい方法を求めるような人間性を反省することです。

 今回の「電波停止発言」の問題から、健康とは何かを考える上で、私としてはかなり面白いヒントになりましたので、直接は関係ないように思えるでしょうが、真面目に考えてみてください。
下記の(2)花田氏と(3)のケント・ギルバート氏は、高市総務相の発言に賛同する意見、(4)と(5)は真逆の意見です。じっくりとご参照ください。癌の問題も、結構、似ていますよ。バランスよく情報に触れることがいかに重要か、です。

●(2)平成28年3月10日、夕刊フジ「天下の暴論」(花田紀凱)

 <ホコ先ずれてる「高市批判」>

 釈然としない。
 どう考えても抗議の相手、批判のホコ先を向ける相手が違っているのではないか。
 2月29日、記者会見を開き「私たちは怒っている」と題する声明を発表した6人。
 田原総一朗御大をはじめとしてフリージャーナリストの青木理、大谷昭宏、鳥越俊太郎、「報道特集」キャスターの金平茂紀、「NEWS23」のアンカーの岸井成格(しげただ)各氏の「声明」のことだ。

 要約するとこうだ。
 <高市総務相の「電波停止」発言は憲法および放送法の精神に反している。私たちは一連の発言に驚き、そして怒っている。そもそも公共放送にあずかる放送局の電波は、国民のものであって、所管する省庁のものではない。所管大臣の「判断」で電波停止などという行政処分が可能であるなどという認識は放送法の精神に著しく反する・・・>

 そもそも高市早苗総務大臣の答弁は放送法を虚心坦懐に読めば、そうなりますよと、法律の解釈を述べたもので、何も間違ってはいない。
 それが証拠に民主党政権時代の2010年(平成22年)に時の平岡秀夫総務副大臣もほとんど同じ答弁をしているではないか。
 平岡副大臣がそう答弁したときに6人のうち誰かひとりでも抗議の声明を出したのか。あるいは批判の文章を書いたのか。

 寡聞にして知らないが、もしその時に何の発言もしていないとしたら、ご都合主義と言わざるを得ない。
 自分たちの支持する民主政権なら許されるが、気に入らない安倍晋三政権のやることには「怒っている」。
 釈然としないのはここだ。
 岸井氏は会見でこう言っていた。

 「高市発言にはあきれ果てた。憲法、放送法を知らないでの発言であれば大臣失格」
 昨年11月、すぎやまこういち氏(作曲家)ら「放送法遵守を求める会」が岸井氏らに送った公開質問状に自らは回答しなかった。それについて聞かれると、
 「低俗なあれにコメントするのは時間のムダ。品性どころか知性のかけらもない。恥ずかしくないのか」。

 まさに岸井氏が「NEWS23」で繰り返してきた「レッテル貼り」で、「品性どころか知性のかけらもない」のは夫子自身ではないか。
 関連の記事を読んでいて、もっと「釈然としない」のはテレビ関係者のコメントだ。

 「今までどおり、自由に企画を提案しても通らないことが多くなったり、作ったものに対しても直しを求められることが多くなり、気づけば自由な発想がなくなっている」
 「国民に対して必要な情報を届けられない。このままではテレビジャーナリズムは死んでいたとなりかねない」
 「問題なのは、それらの圧力が番組の企画、取材、編集の場に立ち会ったこともない部署や人物から突然、降りてくることがある」

 これ、すべて、局内の問題。局内で解決すべき問題ではないか。圧力なるものがもしあったとして、それにやすやすと組み敷かれるテレビ局幹部たちの問題ではないか。
 6人のジャーナリストやテレビマンが「怒る」べきはそういうテレビ局の幹部たちだろう。
 文句があるなら局幹部に言え。

 <月刊『WiLL』編集長>

●(3)平成28年3月12日、夕刊フジ「ニッポンの新常識」(ケント・ギルバート)

 <高市総務相「電波停止」発言>

 <キャスターら7人に公開討論会を呼びかけた>

 田原総一朗氏や鳥越俊太郎氏、岸井成格氏ら6人が先月29日、「私たちは怒っています!」という横断幕を掲げて、記者会見を行った。残りの3人は、大谷昭宏氏と金平茂紀氏、青木理氏で、呼びかけ人の田瀬康弘氏は欠席した。

 彼らは、高市早苗総務相が国会審議で「政治的に公平であること」と定めた放送法第4条の違反を繰り返した場合、電波停止を命じる可能性に言及したことに怒っているらしい。
 確認すると、高市氏は「行政が何度要請しても、まったく改善しない放送局に何の対応もしないとは約束できない。将来にわたり可能性が全くないとはいえない」と、従来通りの政府見解を答弁していた。

 民主党政権時代の2010年11月にも、当時の平岡秀夫総務副大臣が参院総務委員会で同様の発言を行っている。電波停止については、もっと強烈な発言がある。
 現代ビジネスのサイトに残る12年3月13にの記事によると、同年2月23日、民主党の輿石東幹事長(当時)が番記者とのオフレコ懇談で、「間違った情報ばかり流すなら、電波を止めてしまうぞ!政府は電波を止めることができるんだぞ。電波が止まったら、お前らリストラどころか、給料をもらえず全員クビになるんだ」と語ったという。

 キャスターの辛坊治郎氏は先月13日、ニッポン放送「辛坊治郎 ズームそこまで言うか!」で、「絶対に(鳩山由紀夫)総理大臣に対して、『宇宙人』という言葉を使うな」という強硬なクレームが、民主党から入ったと明かしている。

 報道機関やキャスターの「表現の自由」など気にもかけない政治家が日本にも確実にいる。彼らが政権を握る可能性が、将来的にゼロだとはいえない。
 高市氏が「将来にわたり可能性が全くないとはいえない」と述べたのは当然だろう。

 冒頭の記者会見を行ったキャスターらの主張は、私も呼びかけ人を務める「放送法遵守を求める視聴者の会」の主張と完全に対立している。
 従って、われわれは先の7人に対し、7日付で公開討論会への参加を提案した。同時に、この公開討論会を生中継するテレビ番組の企画書を、NHKに送付した。

 対立する主張をぶつけ合い、多くの角度から議論を尽くし、聴衆に判断を委ねるのが民主主義の基本であり、放送法第4条の存在理由でもある。
 「自分たちこそが日本の民主主義の守護者」と言わんばかりの立ち位置で、引き続き放送に携わるつもりなら、敵前逃亡は許されまい。

 <ケント・ギルバート・・・米カリフォルニア州弁護士。タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。自著・共著に『やっと自虐史観のアホらしさに気づいた日本人』(PHP研究所)、『危険な沖縄 親日米国人のホンネ警告』(産経新聞出版)など>

●(4)平成28年2月29日、日刊ゲンダイ「大新聞・テレビの危機」

 <電波停止の脅しにも沈黙>

 <略>

 むろん安倍首相は、とりわけ報道のされ方を気にする政治家だ。
 「風刺画になれば一人前」とうそぶいた中曽根元首相のような度量はない。国会でも、気に食わなければヤジを飛ばし、ムキになって反論する。幼児性は類を見ない。

 「安倍政権のメディア支配」などの著書があるジャーナリストの鈴木哲夫氏が言う。
 「安倍首相は幹事長の時からメディア対策に力を入れていました。何人かいる副幹事長に担当のテレビ局を割り当て、報道をチェックしていたほど。もともと自分に批判的なメディアに対して、『気に食わない』『許せない』という思いは強かったのでしょう。その後、党改革実行本部長になると、サラリーマン時代に企業広報で米国留学経験もある世耕さん(現官房副長官)と結びつき、執拗に仕掛けるようになったのです」

 <略>

 その処世術は、マスコミ相手でも発揮されています。夜の会食は役員クラスか、メディアに影響力のある編集委員、論説委員、OBなどが多い。
 <略>
 上層部が安倍首相と頻繁に杯を重ねていれば、現場は忖度して矛を収める。その結果、ゆる~い報道がまかり通っているのだ。

 「今のメディアは、ジャーナリズムとしての矜持を失っています」
 「世界報道自由度ランキング」で民主党政権時代の2010年に11位だった日本は、安倍政権の昨年3月に61位までダウンした。

 <安倍首相の会食>
1月 8日、報道各社の番記者と赤坂の中国料理店。
1月21日、渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長、等々、8人と読売新聞東京本社ビルで。
1月29日、時事通信社西沢豊社長、等々、4人とホテルグランドパレスのフランス料理店で。
2月12日、産経新聞社阿比留瑠偉論説委員他数名と、赤坂エクセルホテル東急の和食レストランで。
2月18日、田中隆之読売新聞政治部長らと、霞ヶ丘町の日本料理店で。

 <藤森注・・・私の知る限り、欧米では、メディアが権力者と上記のように頻繁に会食することは無いそうです.。何故ならば、メディは権力の側をチェックするのが本来の役目だからです。
 事実、私が信頼する郷原信郎氏(東京地検検事、長﨑地検次席検事などを経て、弁護士・桐蔭横浜大大学院特任教授)は、「甘利問題はあっせん利得処罰法が適用できるど真ん中のストライク」と言っていますが、特捜部は政権側の意向を忖度して(恐れて)か動こうとません。だからこそマスコミの存在が大きいのですが、安倍政権と頻繁に会食を繰り返していては、まともなチェック機能を果たせる訳がありません。

 悪い言葉を使えば「政権の犬」になってしまっている可能性があります。それが下記の大本営発表問題ではないでしょうか。そういう観点から表題の「電波停止問題」を考える必要があります。
 そして、そういうバランス(下記の砂川氏のご意見)を考慮できる人間性(自我の成熟性)こそが、癌に対する「免疫力」を高めてくれます。「医学」も「メディア」も「健康問題」も、あまりにもアンバランス・・・情報が偏っています。一人の人間がこのようなアンバランスな人生を生きれば、「癌」に限らず、広い意味での「病気」に対する「免疫力」が低下するのは当然のことです。

 また、「権力は腐敗する」「全体的権力は絶対に腐敗する」と言います。権力のチェック機能としてのマスコミの存在は、癌に対する免疫機能にソックリです。上記のように、権力に取り込まれたマスコミは、メディアとしての自己を否定していることに気づかないのでしょうか。まさに、権力に懐柔されています。
 面白いことに、それは、癌に対して免疫力が衰えて、癌の増殖を許しているのにソックリです。つまり癌は、まさに「自己免疫疾患」です。何故ならば、「癌は自己」だからです>

 <放送法は政権の圧力から放送局を守るためにある>(砂川浩慶氏・立教大准教授)

 放送法第1条は「不偏不党」をうたっている。しかし、多くの国民がこの不偏不党を誤解している。放送法が専門の立教大学社会学部の砂川浩慶准教授がこう指摘する。
 「放送法には主語がないため分かりにくいが、第1条の前文に『(放送の自由の)健全な発達を図ることを目的』に放送法があると明記されています。健全な発達を図れるのは政府と行政であり、つまり、この場合の主語は政府と行政になる。多くの国民は、『不偏不党』と聞くと、特定の政党を応援したり、偏った報道をしてはいけないと解釈していますが、まったく違います。政党などの圧力から放送局の報道を守るためにある。簡単に言うと、大本営発表のようなことを押し付けられないようにするということです。とはいえ、第4条には『政治的に公平であること』と書かれてあるというのが政府の主張です。ただし、これは倫理規範であるというのが学説の主流です」

 高市総務相が公平性に欠ける放送には「電波停止」の判断もあり得ると国会で答弁した。
 「放送法をまったく理解していないのが分かります。高市総務相は、放送法第174条の『総務大臣は、放送法事業者がこの法律に違反したときは、3月以内の業務停止を命ずることができる』を論拠に答弁しましたが、この対象にそもそも地上波は含まれません。あとで官僚が気付いたのでしょうが、最近、議事録を読み直してみたら、答弁が修正されていました」

 NHKのやらせ問題に絡み、BPO(放送倫理・番組向上機構)が視聴者の人権問題などで機能していないと政府は攻撃していますが。
 「安倍首相が、『BPOというのは、法廷の機関ではないわけでありますから、まさに法的に責任を持つ総務省が対応するのは当然』と答弁しています。しかし、この議論は96年年に済んだ問題です。当時、“椿発言”問題などで公的な第三者機関を置くべきかどうかが郵政省で議論され、その結果、誕生したのが今のBPOです」

 アメリカではFCC(連邦通信委員会)という機関が放送局を監督している。
 「政府機関ではありますが、日本の公正取引委員会のように独立性が保たれています。委員は5人で与党から3人、野党から2人の配分。スタッフは約1700人です。これだと政治的公平性が保たれないと思うかもしれませんが、国民が問題だと判断すれば、政権交代で公平性を保たれるという考え方です。イギリスも韓国も同様の機関を設置していますい。日本でも、民主党が09年に日本版FCCを政策インデックスに盛り込みましたが、いつの間にか沙汰やみに。放送免許付与の権限などを持っている官僚は新組織を嫌がると思います

 自民党は「時の政権が政治的な公平性を判断する」と言っているが。
 「甚だしい勘違いです。公平を大臣が判断するとは、『あなたは何を言っているの?』のレベル。なぜメディア規制がダメかというと、メディアが委縮して真実を報じないと、国民は判断材料失うことになる。それは結果的に国民の表現の自由を阻害してしまう。安倍首相はこの根本を理解していないのかもしれません」

 <すなかわ・ひろよし・・・1963年生まれ。立教大准教授。放送局の業界団体で20年間、放送制度、機関紙記者などを担当。2006年から立大の専任教員に。専門はメディア論>

●(5)平成28年3月14日「政権に萎縮するNHKと、『停波』恫喝に盾つけないTV界の惨状」(新 恭・あらた きょう)

 <「停波」の恫喝に盾つけないテレビ界の惨状>

 夏の参院選をひかえ、安倍首相はNHKの籾井会長に見切りをつける腹づもり…そんな噂が永田町界隈を飛び交っている。NHK子会社や、さいたま放送局などでの不祥事続き。このさい籾井1人に責任をかぶせて叩き出してしまえということか。沖縄県と見せかけの和解をするなど、選挙に勝つためならどんなトゲ抜きでもする安倍官邸のこと、ありえなくはない。むろん籾井にすれば、納得のいかない話だろう。総理の機嫌を損なわないよう、恣意的な人事を通じて制作現場に睨みをきかせているつもりである。

 一方、官邸側から見ると、舌禍のたえない籾井が居座るのは、火薬を抱えたまま選挙の季節に向かうようなもの。なにも危うい籾井でなくとも、意に沿う人間はいる。現に、今の放送総局長、板野裕爾(専務理事)などは、官邸、経団連の思し召しに沿うよう、NHKの報道内容をコントロールしている。籾井がいなくても政権に不都合なニュースを流さないような体制がすでに、できあがっているのだ。安保法制に反対する学生たちを中心とした大規模なデモ活動でさえほとんど報じなかったのはその証拠だ。NHKばかり観ている人は世の中の動きを知らないままになる。

 2月8日の衆院予算委員会で、高市総務大臣が「政治的に公平でなければ電波を停止する」という趣旨の重大発言をしたことについても、NHKは筆者の知る限り、1秒たりとも報じていない。NHKの報道が社会の実相をきちんと伝えていると固く信じている人は、高市発言をめぐる世の中の論議の輪に加わることさえできないのだ。だから当然、この発言に怒った著名なジャーナリストたちが抗議の声をあげた事実も、NHKの電波上では無かったことにされている。

 元凶はもちろん、安倍首相である。経営委員会が会長を任命するといっても形だけで、実際には安倍がNHKを意のままに操るため送り込んだのが籾井だ。その男が、安倍と同じくらいジコチューで怒りっぽく知性のかけらもないため、経営委員たちもあきれはてているという。

 ところで、高市の発言は、NHKというより、むしろ民放を意識したものである。12月3日の当メルマガでも取り上げたおどろおどろしい意見広告が発端だった。「放送法遵守を求める視聴者の会」を名乗る右派知識人がTBS「NEWS23」の岸井成格を個人攻撃するド派手な意見広告を産経(11月14日)と読売(11月15日)に掲載した。

 政治に関心がないのかと思っていた日本の学生たちが全国各地で「戦争法案反対」のデモに立ち上がった歴史的なニュースを最も熱心に伝えた民放キー局の番組は「NEWS23」だった。その番組中に岸井キャスターが「メディアとしても(安保法案の)廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」と発言したことを、意見広告の主たちは問題視した。「政治的に公平であること」を定めた放送法第4条に違反しているというのが、彼らの主張である。

 この団体の行動はそれだけでは終わらなかった。11月27日、高市総務大臣に次のような公開質問状を出したのだ。

 放送法第4条の政治的公平性については、平成19年の総務大臣答弁で「1つの番組ではなく放送事業者の番組全体を見て判断する」との見解が示されている。これに従うなら、2015年9月16日の「NEWS23」という単独の番組が不公平でも、直ちに「放送法に違反している」とは言えない。しかし、この総務大臣見解そのものが不適切ではないか。視聴者は、ある局の報道番組全体を見ることはできない。1つの番組内で公平性に配慮しようと努めるのは、放送事業者の責務だ。

 これに対して高市総務大臣は次のような回答を返した。

 1つの番組のみでも…国論を二分する政治課題について一方の政治的見解を取り上げず、他の見解のみを支持する内容を相当の時間にわたり繰り返す番組を放送するように…不偏不党から逸脱していると認められる極端な場合、「政治的に公平」を確保しているとは認められない。

高市は意見広告を出した団体の考えに同調し、1つの番組だけでも、放送法違反と判断できる場合がある旨の回答をしたと考えられる。これは明らかに「放送事業者の番組全体を見て」という従来の総務大臣見解を覆した文面だ。

 2月8日の衆院予算委員会でこの問題が取り上げられた。元総務省官僚で放送法に詳しい民主党の奥野総一郎はまず「従来の総務大臣答弁を変更するのか」と追及した。高市は、公開質問状への回答文と同じ内容を述べたうえで、従来の総務大臣答弁と変わることはなく補充的に「1つの番組のみでもありうる」という見解を付け加えただけだ、と釈明した。

 そこで、奥野は核心に切り込んだ。

 「大臣には電波法76条にもとづき放送を止める権限(停波)がある。個別の番組の内容について、それは起こりうるか」

 奥野が「停波」に言及したのには具体的な理由がある。自民党情報通信戦略調査会が昨年4月17日、報道番組の内容についてNHKとテレビ朝日の幹部を呼びつけて事情聴取したさい、同調査会の川崎二郎会長が「放送法ではテレビ局に対して停波の権限もある」と記者団に語ったことだ。呼びつけること自体、番組制作への不当な介入だが、そのうえに「停波」の恫喝までおこなったのである。

 まともな政治家なら、「停波」などと軽々しく口にできるものではない。もし「停波」で放送ができない間に、大災害など緊急事態が起きたら、どう責任をとるというのだろうか。まして、総務省が思慮分別のない自民党議員の発言に同調することなど、以前だと考えられなかった。奥野は「高市ならひょっとして」と思ったのだろう。

 岸井のケースが当てはまるかどうかは別として、奥野に対する高市の答弁は「停波」の可能性を否定するものではなかった。

 「民主党政権時代から放送法4条は倫理規定ではなく法規範だと答弁している。放送事業者が極端なことをして、改善を要請しても繰り返されるという場合に、何の対応もしないとは、お約束できない。違反した場合には罰則規定があり、将来に渡ってそれがあり得ないと言うことはできない」

 奥野は毎日新聞の取材にこうコメントしている。

 「役人なら、ああいう答弁は書きません。放送法違反で停波することはないか、という私の質問には『仮定の質問にはお答えできません』と答えるのが普通。しかし高市さんは紙を見ることなく自分の言葉で答弁していた」

 高市は公開質問状への回答と同じように、あえて持論を通したということだろう。放送法とか電波法とかいうと小難しいが、要するに政権側からテレビ局への脅しである。その立ち回りに一役買ったのが、意見広告を出した右派知識人たちであり、広告の資金は安倍晋三、高市早苗ともに関係の深い極右団体「日本会議」から出ているといわれている。

 以上のような仕掛けで、衆参ダブルの可能性もささやかれる国政選挙に向けて、テレビメディアに圧力をかけてくる安倍政権の姿勢に、まともなジャーナリストが反発しないわけがない。抗議の声明を出したのは田原総一朗、鳥越俊太郎、岸井成格、大谷昭宏、金平茂紀、青木理、田勢康弘。いずれもテレビで活躍するベテラン言論人だ。

 欠席の田勢を除く6人は記者会見に顔をそろえ、「私たちは怒っています」と書かれた横断幕を掲げた。安倍官邸や自民党の反応が怖いのか、社の上層部の気持ちを忖度してか、政権批判さえ思うに任せないマスメディアの現状に、それぞれが強い不満をぶちまけた。

 「日本の報道についての懸念はむしろ海外のメディアで強くなっている。日本のメディアは自粛が過ぎると海外メディアは思っている」(岸井)

 「高市総務大臣の発言は恥ずかしい。こういう発言をしたら、ただちに全テレビ局の全番組が抗議をすべきだ」(田原)

 政治権力は、国民に真実を知らさず、権力を維持するのに都合がいいように、世論を誘導するものである。メディアが政権の意向を恐れ、十分に批判することを回避したなら、国民は情報欠乏のまま言いなりになっていなければならない。メディアはたえず政権に厳しい目を向け、問題点があれば、確たる情報に基づいて批判するべきだ。それこそが放送法第4条の「政治的公平」ではないか。国境なき記者団が選定する「報道の自由度ランキング」(2015年)で韓国に次ぐ61位に甘んじているこの国の言論状況はそうとうに深刻である。

 この席上で鳥越は、高市総務大臣の経歴詐称を問題にした。彼女がかつてテレビ番組に評論家ぶって登場できたのは、今も用いている元米国議会立法調査員という肩書のゆえである。

 実は米国議会に立法調査員などという職種はない。高市が総務大臣に就任した2014年9月3日、同志社大大学院の教授だった浅野健一(メディア学)がNHKに次のような文書をFAX送信して、高市の経歴についての訂正を求めている。

 NHK総合テレビのニュースで、総務相になった高市早苗さんのプロフィールを映像付きで紹介する中で、「松下政経塾を出て、アメリカ連邦議会で勤務した後、…」と放送しました。高市さんが米連邦議会で勤務したという放送内容は、明らかに誤っていると私は思います。高市氏は米議会でリベラルな一議員のアルバイトスタッフでした。国政政治家、とりわけ閣僚の経歴は正確でなければなりません。放送法に則り、ただちに訂正ください。

 NHKが放送法に則って総務大臣の経歴を訂正することはなかった。おそらく、高市の事務所に問い合わせることもしていないだろう。

 口利き屋、ゴマすり屋、売名屋、パワハラ屋…にぎにぎしい動物農場に、ハッタリ屋の大臣も加わって、真面目に生きるふつうの国民はますます馬鹿を見るばかりだ。

 彼らを野放しにする自縄自縛の大メディア、何とかならないものか。

 『国家権力&メディア一刀両断』 より一部抜粋

 <著者・新 恭(あらた きょう)・・・記者クラブを通した官とメディアの共同体がこの国の情報空間を歪めている。その実態を抉り出し、新聞記事の細部に宿る官製情報のウソを暴くとともに、官とメディアの構造改革を提言したい。>

く文責:藤森弘司>

言葉TOPへ