2015年9月15日 第158回「今月の言葉」
<癌とは何か?対策編⑤>
●(1)「ストローク」は、「交流分析」の中で最も重要な用語です。と同時にすべての心理学、すべての医学、すべての宗教などにとっても最も重要な概念であるはずであると、私(藤森)は思っています。 というよりも、人間が存在する以上、そこには必ず「人間関係」があります。この「人間関係」で最も重要な概念が、この「ストローク」です。逆に言いますと、「交流分析」でいうところの「ストローク」の概念を抜きにした諸学は、学問のための学問、「仏作って魂入れず」になりかねません。現代西洋医学は、「交流分析」でいうところの「ストローク」・・・一般的に言うならば、人間の「心理」を抜きにした「疫学」になってしまっているために、「遺伝子」だとか、単純な因果関係・・・つまり、統計的な理論・・・○○を食べるとどうなるとか、◎◎をやるとどうであるとか、タバコは肺がんになるとかどうとか、ビタミン△△を摂取すればどうであるとか、の単純な統計的理論を用いて説明することに傾斜しすぎてしまっています。 私(藤森)が若い頃は、数人の友人と喫茶店で会えば、2~3時間のうちに灰皿を2~3回取り替えるほどの喫煙量は普通でした。私は、タバコが体質に合わなかったので吸いませんでしたが、吸っている友人たちが大人っぽく見えて羨ましかったものです。会合があったりすれば、タバコの煙で窓を開けて換気する光景は普通に見られたものですが、肺がんをうるさく言われることは、少なくとも私は聞きませんでした。 昨今は、私から見ると極端なまでの喫煙規制が行われているにもかかわらず、肺がんが増えていて、喫煙規制をさらに厳しくしようという運動が盛んです。しかし、そこには人間の「心理」の問題がゼロ状態で議論が行われています。 <疫学・・・疾病、事故、健康状態について、地域、職域などの多数集団を対象とし、その原因や発生条件を統計的に明らかにする学問。疫病の流行様態を研究する学問として発足。 ●(2)西洋医学は、強毒性鳥インフルエンザや、サーズやマーズ、デング熱などの伝染性(ウィルスなど)の病気や、怪我などによる手術、栄養失調などについては抜群の効果を上げ、人類の平和への貢献は非常に大きいものがありますが、伝染病や栄養失調などは、発展途上国(日本で言えば、昭和30年くらいまで)に圧倒的に多いものです。 いわゆる先進工業国における病気の多くは「生活習慣病」と言われるように、「慢性病」が圧倒的に多くなっています。 つまり、現代日本に生きる私たちが罹る多くの「病気」は「慢性病」で、「慢性病」とは、「心理」が最大のポイントです。そして「心理」とか「生活習慣病」と言われるものは、そのほとんどすべては「交流分析」の「脚本」に由来します(「今月の言葉」第1回「脚本」と「今月の映画」第2回「海辺の家」をご参照ください)。 一般に言われる「心理学」のほとんど全ては「理論」です。それも、それぞれの心理学の立脚点であるところの「視点」から見た部分的、一面的な理論を述べているに過ぎません。そういうすべての心理学(医学や宗教など)の根底に「ストローク」の理解がなければ、いろいろな理論や思想も「だから?それで?」程度のものになってしまいます。 どんなに素晴らしい宗教であっても、「交流分析」の「ストローク」・・・或いは、それに相当する概念が、その理論や宗教の根底になければ、一生懸命に仏を作っていても、「魂の無い仏」を作っていることになりかねません。 何のための「理論」であり、何のための「宗教」であり、何のための「医学」であり、何のための「哲学」であり・・・・・なのかという問いを、私(藤森)は発したくなります。 それでは、無視をされている最大のものは何か?・・・・・それこそが「交流分析」の「ストローク」です。 ●(3)深層心理を専門にしている私(藤森)にとって、上記のことは声を大にして発言したいことですが、では「ストローク」とは何かと問われると、経験的、部分的には説明できても、適切かつ十分な説明ができないために、声を大にして言うことが適いませんでした。 しかし、私が尊敬している飛鳥井雅之先生が30年以上前にお書きになった名著「ストロークということ」をご紹介することで、「ストローク」の重要性を十二分にお伝えできますので、全文を紹介させていただきます。 広さと深さ・・・十ニ分な解説は、ただひと言、驚嘆すべきことです。深い学識と、十ニ分な実践によって裏付けられた飛鳥井先生・渾身の「ストロークということ」をご堪能ください。 |
●(4)『ストロークということ』(飛鳥井雅之先生著、東洋身心医学総合研究所・主幹)
<交流分析は臨床理論> 交流分析を学ぶ場合、誰もが構造分析から入り、つまり「P」「A」「C」を学び、次に交流パターンの分析に進み、そしてゲーム分析、人生脚本の分析へと学んでいく傾向が多い。しかし、交流分析を学ぶ場合、筆者は、ストロークから学習されることを切に勧める。と言うのは、このストロークという概念を理解把握していなければ、結局のところ「学問のための学問」になってしまう。 つまり、何年も何年も人が驚く程に熱心に交流分析を学習したとしても、あるいは、又、何十時間の講座(たとえばマラソン等)を幾度も受講したとしても、知識は増えるであろうが、その人の行動は全然変わらないということがある。つまり、ストローク概念を理解体得していないと結局のところ「ほとけ造って魂入れず」という結果になる。 ①ひきこもり(自閉) このどれかの型をとって時間を構造化している。 <問>人は何を求め、何によって生きているのか? と、この様になる。 これは、本来は仮説のはずだから語尾が「・・・・・生きているばずだ」となる可きだが、「・・・・・生きている」となっているのは、推定を断定にしているのだから、他の分野、一例として「運命心理学」(たとえばソンディー心理学)のような立場から見たり、あるいは又、原因=結果的思考即ち行動科学的思考を極端に排除するユング心理学の立場からは一種の偏見に見えるかも知れない。 ところが、交流分析は、臨床場面での観察可能な、つまり臨床体験を説明するための、臨床理論である。実に、実利的な、東洋医学の臨床理論にも似た共通性が認められる。その点は始めたのがエリック・バーンというユダヤの血統の人であったからであろう。ユダヤのタルムードなどの内容は、流石に5000年の歴史を持っているだけに、どこか、東洋の思想と基調を同じくするものがある。 (この小冊子でも紙数があれば、別項で述べるつもりだが、最も難解とされる東洋医学で言う「気」は、実は交流分析でいうストロークと同質のものであり、この点で、東洋思想とユダヤ思想との接点を観る思いがする。) <アルコール中毒症は「考えない人」> 交流分析は、その中に大きく分けて4つの方法を含んでいる。つまり・・・・・ となるが、これは、いづれもが問題意識の質と量と状況によって使い分けられる。丁度、大工さんが、材木を削る時にはカンナ、切る時はノコギリ、穴をあけるにはノミとゲンノウという具合に道具を適切に使い分けるのとよく似ている。 たとえば、アルコール中毒症の人の場合、一般の内科的治療で治ったという話は、ついぞ聞いたことが無い程に難治である。この場合、心療内科的アプローチとして交流分析が力を発揮することになる。 まず、エゴグラムで構造分析をしてみると、ほとんど一定のパターンを示すことが判るが、(ノ型又はV字型を原型としてW型等も)これは治療には直接すぐには役立たない。そして交流パターンの分析では、相手に適切に反応することなく、幼児的(自己中心的)に勝手に反応する型がわかるが、これも、あまり治療に関しては直接的関係がない。更にゲーム分析に入ると、明らかに第三者を巻き込み、結果的に悪い人間関係を自ら求めている事が解る。そして、それは何回も何回もくりかえされていることが判然とする。 最後に人生脚本分析に入るが、アルコール中毒症の人の場合、この分析のレベルを用いないと正しい把握はできないし、又、治療も難しい。人生脚本分析で見てみると、その人は、こじれた不快な感情を伴う人間関係をくりかえしながら、結局のところ、自己破壊的な結末に向かって生きていることが判る。 しかし、その人のその生き方の源泉は何か、ということになると「幼時体験に基づいて決断した」ところの「考えない」ことにあると言うことが判明する訳で、そこで構造分析で既にわかっている「考える私」=「A」を建てなおすことが根本治療の中心となる。 だが、しかし、いづれの手法が行われようとも、アルコール中毒症の人は、アルコールで代償される安心と安楽、つまり本当は、心のやすらぎを求めているのであるから、その下敷として、常にストローク概念を把握していなければ、ガソリンの入っていないエンジンの様なもので、実際の役には、とうてい立てない。それ程に、このストロークの概念と言うのは、極めて重要だ。 <人はパンのみによって生きるにあらず> ストロークとは、英語で一般的には「一ふり」という様な意味である。たとえば、テニスのラケットの振りのことを「フォアーハンドストローク」「バックハンドストローク」といったりするのが元々の意味である。 ストロークとは・・・・・ 医学的にも、人間には集団本能というものがあり、「長時間の孤独には耐えられない」としているが、交流分析でも、「人は誰でも、存在を認めてほしいという基本的欲求を持っている」と主張する。そして、これが交流分析概念の基本的大前提となっている。 ここに一つの実験がある。その名称を「孤独実験」という。 <藤森注・・・図を掲載できませんので、説明させていただきます。プールに潜水服を着て、フワーッと無刺激状態で浮いているような感じです> 先ず、時間を経るに比例して、自律神経系統の失調が発生してくる。たとえば、異常な空腹感。のぼせた感じやめまい、吐き気、口渇、動悸、多汗など、丁度、一般に言う更年期障害や自律神経失調症状と呼ばれるのと同様の状態が発生してくる。 この実験から判ることは、人の脳や、生体を維持するための自律神経系統は、外界からの刺激によって、正常に作動するようになっているということだ。この無刺激の孤独実験を更に続けると、たとえ食物は十二分に与えられていても、結局のところ、人は死んでしまうということになる。 さて、そこで聖書の中に・・・・・ <ストロークが不足すると背骨がちぢむ> ここに、その事を如実に物語る有名な研究がある。1945年にR・スピッツが発表したものに次の様なものがある。 もう一方の捨児養育院は、不衛生な大きな囲いの中に大勢の乳児を入れ、赤ん坊たちは、お互いにふれあって、ボランティアの保母たちにもまつわりついていた。身体的接触のチャンスは、この不衛生な捨児養育院の方がはるかに多かった。 さて、そこで、清潔な捨児養育院での乳児死亡率は、一般の平均をはるかに上まわる高い死亡率が示されたにも拘らず、後の実に不衛生な捨児養育院での乳児死亡率は一般の平均よりも低かった。 又、前の極めて衛生的な捨児養育院では、多くの捨児たちが、マラスムスと呼ばれる脊髄萎縮の状態で死んでいった。この結果、R・スピッツは「大量の肉体的接触は乳幼児の生存にとって絶対不可欠である」との結果を導き出している。 両親に親しく「ふれあう」ことのない捨児達は、多くの場合ホスピタリズム(施設病)と呼ばれる原因不明の症状を呈することが多いが、たとえ症状はなくとも、発育そのものも一般的平均を下まわることが多い。 特に自らが移動し、ストロークを自ら求めることの出来ぬ乳幼児にとっては、ただその与えられた場所で待つしか方法が無い訳で、その与えられた場所が孤独な状況で「ふれあい」の少ない場合は、どうしようもないことになる。 <ストロークは無形の食べ物> そこで、交流分析では「ハダのふれあい」を「タッチストローク」と呼ぶ。 「人間はパンのみによって生きるにあらず」 <人は良く認められないと悪くても認めてもらわないと生存してゆけない> 否定的(-)ストロークには、 つまり、肯定的ストロークとは、 そこで、前述の「孤独実験」でも、あるいはR・スピッツの「二つの捨児養育院の比較研究」でも解るように、「人間は、長時間の無刺激の状態には絶対に耐えられない」、つまり人は、生存するために何等かの刺激を必要としているから、その刺激が、気持ちの良いものであれば、自律神経系統は順調に作動し、心身共に健やかに生存し得ることとなる訳だが、しかし、その気持ちの良い刺激が得られないとなると、生きて行くためにやむを得ず、不快な刺激(たとえば、こじれた人間関係、病気、特に手術等、事故)を求めるべく活動しはじめることになる。なぜならば、「人は長時間の無刺激には絶対に耐えられないから!!」 <人生脚本はストロークを得る為の条件づけ> そこで、乳幼児期に肯定的(心地よい)ストロークが得られずに育つ場合、どうしても、本人は、否定的(不快な)ストロークを受ける状況を作り出しながら、人や環境を操作して生きて行くこととなる。 <条件づけということ> 幼児期に、自分は肯定的(+)ストロークをもらうに値しないダメな私という様なイメージが出来ると、それを証明してくれるような否定的(-)ストロークを求め、かつ受け入れながら、生きて行くようになる。そして、その人の肯定的(+)な面を証明する肯定的(+)ストロークは、自らに関係なしとして、受け入れ難い傾向を示す様にもなる。 ガラスの水槽に、水と金魚とを入れる。 次に、金魚を十分に空腹状態にしておいてから、金魚のいない方の仕切りの中に、エサをパラパラと落とす。 そこで次に、中央のガラス板の仕切りを静かに取り除く。 この実験から解ることは、前述のように、否定的ストロークを求め受容するシステム(条件づけ)が出来ていると、人間も又、金魚と同様の行動をする訳だ。この実験でのエサは、人間にとってのストロークにも相当する訳だが、人間には、智慧(教えられずに自ら気づく能力)が備わっているため、その不条理性に気づき、再決断し、日々の中でその行動を更めることが可能となる。 肯定的ストロークが来ても一切受けつけず、人や環境を操作して否定的な不快感を伴うストロークを発生させて、それを生きる糧にしていた人でも、その不条理性に「気づき」条件付を解除する決断をし、日々の中で時間をかけて肯定的(+)な快いストロークを受けとる訓練をすることによって、より健やかに生きてゆくことが可能となる。 本来は、アルコールに象徴される安心と心の平安、安楽を求めているはずなのに、 右の五ヶ条が完備し、程度のひどいもの程、アルコールの量も比例して増える傾向があり、多くの場合、慢性の膵臓炎を持っていることが多い。そして、これ等の人々は最後は、事故死又は癌によって死亡する傾向が極めて多い。(癌あるいはリウマチに代表される自己免疫疾患とストロークとの関連については、紙数が許せば、この小冊子の別項で触れるつもりでいる) <無条件のストロークと条件付きのストローク> それでは、何がなんでも肯定的ストロークは良くて、否定的ストロークは悪いのかというと、時と場合によって大いに変わって来る。と同時に、これから述べようとする無条件ストロークと、条件付きストロークとに関連してその善悪が変わって来る。以下出来る限り、日常の会話の中に実例を求めて話を進めてみよう。 そこで、 子供が学校から帰って来て、テスト用紙を差し出す。(100点である) 以上は、無条件のプラスストロークの例であるが、一口多いと、すぐにマイナスにひっくり返る。 何点をとったかではなく、人間生きて行くためには絶対的にストロークが必要なのであるから、この材料を使って、如何にストロークを与えるかが目的なのであるから、ここで、呉々も目的と手段とをとりちがえることのない様にしなければ、生きていることの意味すらも失われかねなくなってくる。 あるいは会社等の場面では、 課長・・・(眼を通しながら)よく出来てるな。実によくまとまった資料だ。大いに助かったよ、ありがとう。 そこで否定的ストロークの場合は、 <ターゲットストローク> その他にもこのストロークに関していろいろな概念がある訳だが紙数の都合で、最後にターゲットストロークについて述べてみよう。 筆者は、母子家庭で育った為、生来ストローク不足勝ちで育って来たが、小学校入学以来、乱暴者のレッテルを貼られ、それを受け口としてマイナスストロークを得る様努力して小学校六年生迄来た。さらに四~五年生は登校拒否で小学校に行っていない訳だが、六年生の卒業の時期になってやはり、小学校は卒業しておかねばという母親の計らいで、卒業二ヶ月前に、ある小学校に転校入学したが、その時の担任の金谷善弘先生に頂いたストロークが、筆者にとっての記憶している最初のターゲットストロークになった。 卒業記念に各科担当の先生方にサインを求めて歩いた訳だが、そこで、金谷善弘先生は、 <交流分析の目指すところを支えているのはストロークである> 交流分析の目指しているものは、 しかし、条件付のプラスのストロークばかりもらって生きて来ると、外見は「イイ子ちゃん」であるが、「もうたくさん!!私を無条件に認めて!!」という身体言語であるところの吐き気(神経性嘔吐)が来るから、よくよく条件付のプラスストロークには注意を要する。最近の「イイ子ちゃん」の突然変身した登校拒否児やら、思春期ヤセ症に始まり、はては脊柱側彎症に至るまで(R・スピッツの研究参照)現代は、やたらに無条件のプラスのストロークが不足している時代でもある。当然、マイナスストロークを得る行為は増え続ける訳で、凶悪犯罪は勿論のこと離婚から終局は戦争に至る迄、マイナスストロークは驚く程にはびこっている。今ここで、最も身近にいる私自身に無条件のプラスストロークを与えることから始めよう。 <<参考図書>> |
く文責:藤森弘司>
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