2015年8月15日 第157回「今月の言葉」
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●(1)安倍首相の生い立ちは、脚本分析的にはかなり厳しい生い立ちです。
生後すぐに母と離別、若くして父も失って「孤児同然に育った」(本人談)という晋太郎は、「家族への愛情表現が苦手」(安倍の養育係の久保ウメ)(野上忠興著、平成27年6月12日、週刊ポスト) 安倍晋三首相は、幼い頃に両親と別れたお父さんからはスキンシップというものがほとんど全く無しで育ったようです。それが「寂しさ」という東洋医学でいう「肺系」の「大腸炎」の原因であるというのが、私(藤森)の見方です。 寂しさが根底にあるが故に、大河ドラマを見る限り、高杉晋作は、主人公・文(ふみ)の夫・久坂玄瑞と虚勢の張り合いばかりをやっていましたし、役者の高良健吾の細身の体が、私のイメージにピッタリです。この虚勢を張るところは、「晋」の一字をもらった安倍晋三首相ととても似ています。 「長男の寛ちゃんは安倍家の跡取りと見られていたし、岸家は弟の信夫君が継ぐことになった。子供心にもやっかみがあったのでは」 ここに書かれている内容で、安倍首相のほぼ全ての人間性がうかがえます。それが安保法案の種々の不備・・・・・内容だけでなく、対応においても、いろいろな問題点を表わしているように思われます。 ・・・小泉・竹中が「改革」の名の下に規制緩和を進めたが、「郵政民営化」「不良債権処理」「三角合併解禁」など、いずれも米国の対日圧力文書「年次改革要望書」に沿ったものだった。TPPはこうした“エセ”改革の延長線上にある。 しかし、礒崎首相補佐官の「法的安定性は関係ない」発言、嘉田由紀子前知事のところで脱ダム運動のペーパーを作ったりしていた武藤貴也自民党議員のSEALDsへの中傷ツイッター、岩手県知事選で出馬表明していた平野達男参院議員の立候補取り止め、新国立競技場建設問題や五輪エンブレムのコピペ疑惑問題、SEALDsだけでなく、MIDDLEs(ミドルズ)やOLDs(オールズ)などいろいろなグループが立ち上がっています。 7月16日、映画人446人が安倍政権が進める安全保障関連法案に反対するアピールを発表、女優の吉永小百合さんや倍賞千恵子さん、大竹しのぶさんのほか、映画監督の高畑勲さん、降旗康男さんらが参加した(8月15日、日刊ゲンダイ)。 ●(2)本日(8月17日)はGDPがマイナス1・6%で、個人消費のマイナスが大きいようです。 今の生活をいかに維持するかであって、景気をよくするという時代ではないのではないかと思います。日本では少子高齢化や大借金問題、そして地球規模での開発や人口増加は、もうすでに限界に達しつつあるように思えます。 昨年、消費税がアップし、それが「外税」であるために、スーパーのレジでの支払い時に負担の大きさを実感します。さらには、デフレ下で耐えていた値上げを、円安をきっかけに実施する商品が多いことも個人消費をマイナスにしているはずです。 むしろ、オリンピックが終了した後、日本が廃墟のような状況になりはしまいかと心配になります。2600億円もする競技場を建設するようなことはもはや時代遅れで、むしろ、日本のデフォルトを心配する経済の専門家は、内外にかなりいるようです。 これから日本は、色々な面で大変な状況になるのかもしれません。そこに、官邸で安倍首相が嘔吐の情報があったりして、かなり追い詰められているのではないかと推測します。 安保法案は、ここは一度廃案にして、再度、ジックリ、国民的な議論をまき起こした方が良いように思われます。 |
●(3)平成27年8月11日、日刊ゲンダイ「読むメジャーリーグ」
<民意を軽視する安倍首相は祖父の岸信介と瓜二つ> 1957年6月に渡米した岸信介首相は、アイゼンハワー大統領の歓待を受け、60年に期限を迎える日米安全保障条約の改定の要請を受けたことは広く知られるとおりだ。 プレーが終わったのち、アイゼンハワーが「大統領をしていると嫌な人間とも会わなければならないが、嫌な人間とはゴルフはしない」と述べ、「岸を気に入った」という意思表示を示したことは、日米外交史を華やかに彩る逸話の一つである。 <ヤンキースタジアムの始球式より アイゼンハワーとのゴルフ> 一方、太平洋戦争開戦時の商工大臣として東條英機内閣の一員であり、A級戦犯として極東軍事裁判の被告人となった経験もある岸に対する米国の世論の評価は概して低いものであった。それだけに米国民の娯楽である野球、しかも大リーグを代表するヤンキースの主催試合で始球式を務めたことは、岸が米国民から肯定的な評価を与えられたことを意味した。 しかしながら当の岸は始球式が持つ意義を理解しなかったのか、アイゼンハワーとのゴルフの話はしても、始球式について言及することはまれであった。その意味で岸はアイゼンハワー政権の意図を見逃したといえるだろう。 しかも、岸が米政府の意向を尊重して日米両国の民間が示した意思を見逃したことは、国民の理解が進んでいないことを認めながら安保関連法案の成立を進める安倍政権の姿と瓜二つだ。 <アメリカ野球愛好会副代表、法大講師>(藤森注・・・著者の名前が見当たらないので、新聞社のミスではないかと思われます) |
●(4)「集団的自衛権、安倍政権はなぜそこまで急ぐのか?」(メルマガ配信・著者/ヤス)
支持率が低下しても、何かにとり憑かれたように集団的自衛権にこだわる安倍政権。その理由はなんなのでしょうか。『未来を見る! 「ヤスの備忘録」連動メルマガ』が様々な角度から分析しています。 <アメリカの圧力> 実は安倍政権が「集団的自衛権」の成立を急ぐ背景には、アメリカの強い圧力があったからだとの見方が次第に広まりつつある。 「戦後の米占領時代はGHQが日本のグランドデザインを決めていたが、今でもそのようなことが続いているかもしれない。現在論議されている新安保法制も、現在の事態に至るまでには誰かがグランドデザインしてこんな感じになっていると思う。たとえば集団的自衛権で言うと、(早期の実現へ)「憲法を変えなくてもいい」と、かつてアーミテージ(元米国務副長官)が言っていたことだ。積極的平和主義などという言葉も、(英語の)翻訳のような気がする。駐日米国大使館やCIA(米中央情報局)の中に、誰かキレ者がいてやっているのかなと思う。今になって思うともっと早めに気が付いていればよかったと忸怩たる思いはある」 <「第3次ナイ・アーミテージレポート」> 一方、これは青木氏の憶測ではなく、ジョセフ・ナイとリチャード・アーミテージなどのアメリカの「ジャパン・ハンドラー」の実質的な関与があったことが示す文書がすでに公開されている。それは、2012年夏に発表された「米日同盟:アジアに安定を定着させる」というレポートで、通称「第3次ナイ・アーミテージレポート」と呼ばれているものだ。これは、軍産複合体のシンクタンクで、「ジャパン・ハンドラー」の拠点の「戦略国際問題研究所(CSIS)」が、日米同盟の提言としてまとめたものである。 「集団的自衛権」に関して、このレポートには明確に次のように書かれている。 <自衛隊の活動> では、「集団的自衛権」で海外派遣が可能になった自衛隊はどのような活動を展開することが要請されているのだろうか? これも明確に示されている。以下である。 ホルムズ海峡の掃海艇の派遣、そして南シナ海における中国の監視活動を米軍とともに実施せよという要求である。 ここでは、「海賊行為にたいする戦闘」とあり、自衛隊の任務がもはや後方支援には限定されない「戦闘行為」も含むことが示唆されている。 <政府答弁と基本的に同じ> このようにこのレポートでは、「集団的自衛権」の適用地域として、特に「ホルムズ海峡の掃海艇派遣」と「南シナ海における中国の監視活動」の2つをあげている。これは、「集団的自衛権」の必要性を説明する政府の国会答弁と基本的に同一である。 <それにしてもなぜここまで急ぐのか?> だが、このように「集団的自衛権」がアメリカの圧力の産物だとしても、なぜ安倍政権がこの成立をここまで急ぐのか説明にはならない。たっぷりと時間をかけ、憲法に違反しないように行う方法はいくらでもあったはずである。 もちろんこのときも議論はあったが、これが違憲であるとする議論はほとんどなく、国民的な反対運動は起こらなかった。「人道支援活動」の一環として戦闘が行われていない地域に自衛隊が派遣されたので、少なくとも建前は、憲法に禁止されている軍隊の海外派兵ではなかったからだ。これも「ジャパン・ハンドラー」などのアメリカからの要請であったことは間違いない。 もし「ホルムズ海峡の掃海艇派遣」と「南シナ海における中国の監視活動」の2つを要請されているのであれば、2003年の「イラク特措法」と同じく、期限が決まった時限立法とし、戦闘行為には一切かかわらないことを条件にした純粋な後方支援活動として、これらの地域に限定して実施する法律を成立すればよかったはずだ。そのような方法であれば、違憲となる「集団的自衛権」を持ち出す必要性はなかったはずだ。 ところが今回は、時限立法ではなく恒久法として「集団的自衛権」を成立し、世界のあらゆる地域に米軍と一緒になって自衛隊を派兵することを可能にしている。これは明白に憲法に違反している。このため多くの国民の怒りを買うことになったのである。 <「日本会議」の明確なアジェンダ> 時限立法としてではなく、恒久法として憲法にからめて「集団的自衛権」を持ち出した理由は、安倍首相が現行の憲法で「集団的自衛権」を規定の事実にしてしまい、これによって、自衛隊を将来いつでも海外派兵できる「国防軍」にするきっかけにしたいという野心からではないかと見られている。 「日本会議」がどのような存在なのかは、第338回の記事に詳しく配信したので詳述はしないが、「日本会議」とは戦前をモデルにした憲法に改正し、「天皇制国家」の復権を目指す右翼的な組織が結集した一大プラットフォームのことである。 安倍政権は、「日本会議」のこのアジェンダを念頭において動いていることは間違いない。とするなら、「集団的自衛権」の成立をことのほか急ぐ理由もこの辺にありそうだ。 そのため、憲法96条を先に改正して衆参3分の2の賛成が必要とする改革条件を緩和し、過半数の賛成があれば憲法改正を発議できるように変更することを狙っている。 <「集団的自衛権」の既成事実化と「国防軍」> そして、憲法改正をスムーズに進めるための方策として見られているのが「集団的自衛権」の早期の成立である。 もちろん「集団的自衛権」には、国民の予想以上の反対があり、自民党の支持率は大きく下がっている。このままの情勢では、たとえ安倍政権が来年まで続いたとしても、来年の参議院選挙で過半数の議席を獲得できる可能性はかなり低い。ということは、「日本会議」のアジェンダにある憲法改正は困難だということになる。 <米軍産複合体の支持と従属国家化の進展> おそらくこれが、安倍政権が「集団的自衛権」の成立を急いでいる理由であろう。 来年の参議院選挙までには憲法改正に乗り出す準備ができていなければならない。いま安倍政権が「集団的自衛権」の成立を急ぐのには、米軍産複合体の横槍が入らないように彼らの支持を固めておくという理由もあることだろう。 このように見ると、「日本会議」と安倍政権が目指す「日本の独立」とは、もはや実質的に独立国とさえ言えない状況にまで対米従属を徹底的に強化しながら、米軍産複合体の保護のもと、「天皇主権」による偉大な日本という幻想に酔いしれる自由を享受したいということではないのだろうか? 少なくとも筆者にはそのように見えてしかたがない。 <著者/ヤス・・・早稲田大学卒。企業の語学研修、IT関連研修、企業関連セミナー、コンサルティング等を担当。世界の未来を、政治経済のみならず予言やスピリチュアル系など利用可能なあらゆる枠組みを使い見通しを立てる。ブログ『ヤスの備忘録』で紹介しきれない重要な情報や分析をメルマガで配信。> |
●(5)防衛庁長官や自民党憲法調査会の特別顧問を務め、党内きっての改憲論者とされてきた山崎拓・元副総裁が「三角大福中(三木、田中、大平、福田、中曽根)」と呼ばれた総理たちと安倍思想の本質的な違いを改めて語る。 「安倍総理の憲法解釈変更は日本の安全保障上の必要性ではなく、自らの名誉心を満たすためのものだと考える。<略>・・・という保守政治家としての共通の信念があった。それを安倍総理は閣議決定という手法で解釈変更をやってみせた。法治国家のあり方をねじ曲げてでも、三角大福中でさえできなかったことをやってのけたという名誉心を満足させることを優先している。その結果、本当に必要な憲法改正が却って遠のいてしまったといえる」<略>(平成27年8月14日、週刊ポスト) ●(6)政治評論家の野上忠興氏は「コンプレックスの裏返しによる名誉欲だろう」とこう突き放した。 <藤森注・・・・野上忠興氏は日刊ゲンダイ、週刊ポストで、安倍首相の幼児体験を詳しく解説しています。それから導き出された安倍首相の論評は、私の立場からすると最も的を射ているように思っています。> ●(7)「アメリカ最優先の保守政治家」 <略> 安倍首相のやっていることは日本を裏切った岸信介と同じだ。安倍首相が敬愛する岸信介もアメリカに従属していた。ピュリツァー賞を受賞した記者が書いた「CIA秘録」によると、CIA工作員だった駐日大使と通じていたためか、岸信介はA級戦犯容疑者だったのに巣鴨刑務所から釈放され、CIAから資金の援助も受けていたという。要するにCIAのエージェントだったのだろう。 「戦後、保守と呼ばれる政治家の多くは、皇室よりアメリカに顔を向けてきたのが実態です。アメリカ政府も、将来、日本のリーダーになるような政界、財界、官界の人材をアメリカに留学させ、アメリカの役に立つように巧妙に教育してきた。 <藤森注・・・・・仮に、岸元総理がエージェントないし、それに近い存在であったとしたならば、その孫の安倍晋三首相が若いころに留学したとき、あのCIAが放置するだろうか? ●(8)「小林よしのり“わしを呼ぶなと圧力をかけた自民党の劣化はもう止まらない”」(平成27年7月17・24日号、週刊ポスト) <略> 「安倍首相は保守でも愛国者でもない」 憲法とは国民が権力を縛るための法規だ。これがないと権力は暴走する。現に安倍政権は暴走している。 なぜ嘘をつく必要があるのか。それは安全保障法制が本音ではアメリカのご機嫌取りだからだ。自衛隊を米軍の一部隊とすることで、アメリカにアジアへの関心を持たせ続けようとしている。何がなんでもアメリカに抱きつく属国主義だ。 そのために解釈改憲という姑息な手段を用いるとは国賊である。よくそんな人物を「保守」が支持するものだ。わしは1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約が締結されたときから日本で真の保守は失われ始めたと思っている。 同日、吉田茂首相は旧日米安保条約に署名した。米軍の日本駐留を認め、基地を無償で提供する属国条約だ。吉田は同行した池田勇人に対し、「政治家がこれに署名するのはためにならん。俺一人で署名する」という趣旨の発言をしたと伝えられている。吉田は日本国民が将来、これが属国条約だと気づく時が来ると怯えていた。吉田には当時そういう思いがあった。 ところがその後、岸信介内閣が日米安保改定でやったことは、自主独立ではなく、米軍に日本防衛義務を負わせただけだった。その程度のことを「双務的」にしたといっているのが、「岸神話」の実態だ。神話とセットで岸の座右の銘、「千万人といえども我行かん」が紹介されることが多いが、そんなに勇ましい話だろうか。 安保法制議論で推進派が集団的自衛権の合憲根拠としてあげる「砂川判決」は岸内閣時代に出た。それは集団的自衛権を認めた判決ではない。判決文に日米安全保障条約が「高度な政治性を有するものというべきであって、(中略)一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のもの」とある通り、最高裁が違法判断を避け、三権分立を支える違憲立法審査権を放棄した恥ずべき判決だ。米軍駐留は「憲法の外にある」と認めたも同然だ。安倍政権がそれを今持ち出して「最高裁も合憲と認めている」とのたまうとは悪い冗談である。 安保改定は日本の米国依存が確定した条約であり、それ以降、憲法改正の気運はしぼんだ。そして自称・保守は大量破壊兵器がなくともイラク戦争でアメリカを支持する。侵略でも構わない、アメリカに従うことが行動原理になった。 安倍首相に「戦後レジーム」からの脱却などできない。それどころか属国化を一層進めて戦後レジームを完成させようとしているだけだ。彼は真の保守ではないし、愛国者でもない。愛国をいうなら最低限、国家主義を取り戻し、真の独立国家を目指すのは当たり前のことだ。 暴走する安倍政権に国民はお灸を据えねばなるまい。そのためには民主党は党内で政策を一致させ、自民党に対抗する軸となるべきだ。 |
く文責:藤森弘司>
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