2015年7月15日 第156回「今月の言葉」
集団的自衛権についての一考察

●(1)前回、下記のように書きました。

<<<「集団的自衛権」に限らず、いろいろな意見を多数聞くことで、判断に迷うということが多いです。特に今回の問題はあまりにも多角的な意見があり、「賛成派」の話を聞くと、確かにそうだと思い、「反対派」の意見を聞くと、確かにそうだと思ってしまいます。

 この部分は賛成派に投票し、この部分は反対派に投票できれば一番良いのですが、どちらかに1票となると、判断に困ります。

 インターネットも含めて、多種多様な考え方がある問題は、恐らく、全てが正しいのだろうと推測しますが、その中で、一体、どの意見を重視したら良いのか。特に、戦後の大改革、大変更である「集団的自衛権」は、判断に困ります。

 しかも、国会では瑣末な議論、ごまかしの議論、逃げの議論、数で押し切る議論。さらには、小選挙区制の弊害の部分が出て、安倍首相の圧倒的な政治力で、多様な意見が封殺されているらしき問題(唯一?声を上げているのが村上誠一郎議員だけのようです)。

 さらには、安倍首相と異常なほどの会食を繰り返すマスコミ界の大御所や記者クラブ制と共に・・・批判精神は消え、まともな真実が伝えられない状況の中で、重大なテーマを判断するのは困難を極めます。
 週刊誌によれば、NHKもかなり偏向報道がなされているようです。その日の大事なこと、例えば、「早く質問しろよ」と野次った安倍首相のことを報道しないとか・・・。

 そういう中で、多角的な報道の中から幾つかを代表して、数回に分けてお知らせしたいと思います。>>>

 さて・・・・・
 集団的自衛権とは、一体、何だろうか?
 集団的自衛権は、一体全体、必要なんだろうか?
 集団的自衛権は、一体、何が問題なのだろうか?

 このように考えて、右側の人の意見を聞くと、なるほどそうなのかと思うし、左側(思想的な左右ではありません)の人の意見を聞くと、確かにそうだなと思ってしまいます。
 それでは一体、何故、本来はもっと単純(?)なはずの集団的自衛権の問題が、これほど訳のわからない問題になっているのでしょうか?

 実は、その原因も単純なことのようです。

 長谷川幸洋氏の下記の「反主流派宣言」を読むと分かります。それは<南シナ海は米中「一触即発」なのに、与党も野党もそれを隠す「国会カブキ」の不毛>、つまり、国会で「カブキ」をやっていて、私たちは「カブキ」を見ているから理解が難しい・・・らしいのです。

 安倍首相は、私(藤森)が以前から感じていた禅語「勢い使い尽くすべからず」がピッタリの状況になっているように思えます。

 評論家の野上忠興氏が、日刊ゲンダイと週刊ポストで、安倍首相の詳細な生い立ちを書き、それを読むと、安倍首相は、生い立ち(「脚本」)からくる「虚勢」が目立つために、この禅語がとても気になっていました。
 現在までの状況では、もしかしたら「勢いを使い尽くし」つつある可能性があります(本日・15日の正午、衆院特別委員会で法案を可決させたようです)。

 まずは、3回分の「反主流派宣言」をご覧ください。私(藤森)は、長谷川幸洋氏がこの3回で述べている辺りが妥当なところなのかも知れないと感じています。
 その上で、「勢いを使い尽くし」つつある状況を検証してみたいとl思います。

●(2)平成27年6月19日、週刊ポスト「長谷川幸洋の反主流派宣言」

 <南シナ海は米中「一触即発」なのに、与党も野党もそれを隠す「国会カブキ」の不毛>

 南シナ海の現実が国会論議を追い越していく。安全保障法制の見直しをめぐる政府と与野党の論戦をみていると、そんな思いにとらわれる。これで日本は大丈夫なのか。
 国会の議論は多くが仮定に基づいている。野党の質問は、どういう場合に「自衛隊は他国の領域でも戦うのか」「集団的自衛権を行使するのか」といった具合だ。

 これに対して、政府の説明も「日本海で邦人輸送中の米艦が攻撃されたら」とか「ホルムズ海峡に機雷が敷設されたら」といった話になっている。
 これらは、どちらも「もしも○○になったら」という「たられば論」だ。いま日本が直面しているのは、そんな仮定の話なのか。そうではない。中国が尖閣諸島や南シナ海で日本や周辺諸国を脅かしている現実の脅威である。

 本音を言えば、政府も野党もそれは分かっている。なのに、なぜ真正面から現実の脅威に向き合おうとしないのか。それには理由がある。
 政府としては中国を脅威と名指しすれば、相手を一層刺激して事態を悪化させかねない。だから、できるだけ中国と言わずに「力による現状変更は認めない」と言う。

 一方、野党もはっきり中国の脅威論を持ち出すと「では中国にどう対処するのか」と逆襲されてしまう。それはなんとか避けたいから、あえて中国脅威論を言い出さない。それで、双方が机上の空論を延々と続けるはめになっているのだ。

 そうしている間に、事態はどんどん進んでしまった。ゴールデンウィークに安倍晋三首相と米国のオバマ大統領が日米同盟の強化を高らかにうたいあげたと思ったら、中国は南シナ海で岩礁埋め立て・軍事基地化を急ぎ、米国は黙っていられなくなった。

 それだけではない。ロシアと中国は地中海で合同軍事演習を始めた。8月には日本海でも演習する予定だ。中国どころかロシアまでもが“参戦”してきたのだ。
 ロシアにしてみれば、クリミア問題で自国を制裁している日米欧をけん制するうえで、中国の援軍は願ってもない。中国にしても、尖閣諸島をめぐって日本へ圧力を加えるのにロシアが味方してくれれば絶好の展開である。

 日本は中国に遠慮しているのかといえば、そうとも言えない。中谷元防衛相はシンガポールで開かれた日米豪3カ国防衛相会談で中国の岩礁埋め立てに強い懸念を表明する共同声明を出した。
 安倍政権が中国を脅威とみて強い警戒感を抱いているのはあきらかなのだが、国会論議となると、野党が正面から追及してこないせいもあって、おずおずとしたモノ言いになっている。

 国民の間で安保法制見直しについて理解が深まらないのは、そんな本音と建前の使い分けが大きな理由ではないか。国民が置いてけぼりにされているのだ。
 政府も与野党もプロたちは本音では「安保法制を見直す本当の理由」が分かっているのに、国民には建前の「国会カブキ論議」を見せている。だから話が抽象的かつ複雑すぎて何が何だか分からない。そんな状況に陥っている。

 だが、事態は建前の論議でやりすごせるほど甘くない。米国と中国は一部で「このままだと戦争になる」という声も飛び出すほど、一触即発の緊張状態に突入した。
 自民党は遅まきながら、中国を脅威と認めるビラを配り始めた。建前論議が現実に追い越されないように、国会終盤は政府も与野党も本音で問題の核心に迫るべきだ。

 <はせがわ・ゆきひろ・・・東京新聞・中日新聞論説主幹。1953年生まれ。ジョンズ・ホプキンス大学大学院卒。規制改革会議委員。近著に『2020年 新聞は生き残れるか』(講談社)>

●(3)平成27年6月26日、週刊ポスト「長谷川幸洋の反主流派宣言」

 <安保法制の迷走は与党の緊張感のなさ、「中国の脅威」と向き合う議論こそ政治の役割だ>

安全保障法制の見直しをめぐる国会論議が、にわかに迷走し始めた。国会の参考人に呼ばれた憲法学者3人がそろって「安保法案は憲法違反」と述べたからだ。
うち1人は自民党推薦だったから、泣くに泣けない。安倍晋三政権は背中を鉄砲で撃たれたも同然だ。自民党は心の中で「多数があるから法案成立は確実」と楽観ムードに浸っていたのだろう。緊張感のなさがしっぺ返しを招いた。それでなくても小難しい話なのだ。国民は分かりやすい展開にこそ注目する。「ナメた態度の与党議員に重要案件を任せたくない」と感じるかもしれない。

 そう指摘したうえで違憲説をどう考えるか。これは突然、出てきた話ではない。最高裁はとっくに結論を出している。 見直し反対の朝日新聞によれば、学者たちは「集団的自衛権の行使は違憲」(長谷部恭男・早大教授)「仲間の国を助けるため、海外に戦争に行くのは憲法9条違反」(小林節・慶大名誉教授)などと主張した。
 だが、日米安保条約はもともと集団的自衛権を前提にしている。なぜ日本に米軍基地があるかといえば、日本の安全とともに極東の平和と安全を守るためだ(第6条)。

 北朝鮮が韓国を攻撃したとき、米軍はどこから救援に出撃するのか。日本と事前協議する建前はあるが、沖縄や横田の基地からだ。日本が「他国を救援する米軍に基地を使わせない」というなら沖縄は日本に戻ってこなかった。
 つまり、日本は自分が攻撃されていなくても、韓国救援の米軍に領土を基地として提供する。これは集団的自衛権そのものである。

 小林名誉教授は「後方支援も武力行使と同じ」と主張する。一方、政府は「戦闘現場以外なら後方支援もOK」という立場だ。私はこの点に限って小林説に同意する。
 なぜかといえば、有事の際に米軍が沖縄や横田を出撃基地に使うのを日本が認めれば、日本が後方支援の形で米軍の武力行使と一体になるのは明らかであるからだ。

 といって後方支援も武力行使だから違憲と主張するなら、そもそも米軍基地を認めた安保条約が後方支援を容認しているから違憲という現実離れした話になってしまう。
 この点、憲法の番人である最高裁は1959年の砂川判決で安保条約が違憲かどうかの判断は「司法審査権の範囲外」という判決を下している。

 当時の田中耕太郎最高裁長官は「今日はもはや厳格な意味で自衛の観念は存在せず、自衛は『他衛』、他衛はすなわち自衛という関係があるのみ」「自国の防衛を全然考慮しない態度はもちろん、これだけを考えて他の国々の防衛に熱意と関心をもたない態度も、憲法前文にいわゆる『自国のことのみに専念』する国家的利己主義であって、真の平和主義に忠実なものとはいえない」という補足意見も付けた。

 裁判は駐留米軍が違憲かどうかが問われたものだが、集団的自衛権を視野に入れた最高裁の論及を重く受け止めるべきだ。時計の針を巻き戻すような議論よりも、現実世界に対処するのが政治の役割である。
 もう一点。先週のコラムで政府・与野党はなぜ中国の脅威に向き合わないのかと書いた。維新の党の松野頼久代表は6月6日のテレビ番組で「憲法改正している時間がないほど危機があるなら伝えてくれ。それなら早期成立に協力する」と述べた。

 安倍首相は国会で松野代表の質問に「地域との関係があるから」という理由で国の名指しを避けた。とはいえ具体的な脅威の認識が鍵を握っているのは、この松野発言からも明らかである。

●(4)平成27年7月3日、週刊ポスト「長谷川幸洋の反主流派宣言」

 <日米安保破棄を唱える共産党以外は、集団的自衛権にNOとは言えないはずだ>

安全保障法制の見直しをめぐる議論はなぜ迷走しているのか。憲法学者が違憲と断じたと言っても、それは安倍晋三政権が昨年7月に安保法制見直しの閣議決定をしたときから出ていた話だ。国民から見たら、同じ話の蒸し返しでまったくつまらない。そこで、今回はもっと根本的な話を書く。日本は集団的自衛権を認めてこなかったのか。そんなことはない。実はとっくの昔から認めていた。

 どういうことかといえば、そもそも日米安保条約は集団的自衛権を前提にしているのだ。最初に結ばれた1951年の条約前文にこうある。
 「日本は主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有し、国連憲章はすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。これらの権利の行使として、日本は日本国内に米国が軍隊を維持することを希望する(要約)」 60年に改定された現在の条約も同様に前文で、日米両国が「個別的および集団的自衛の固有の権利」を確認したうえで、日本が米国の基地使用を認めている。
 つまり、日本は米国に基地を使わせることで国を守ってもらっている。これは集団的自衛の構造そのものだ。条約を改定した岸信介元首相は国会で「他国に基地を貸して自国のそれと協同して自国を守るようなことは従来、集団的自衛権として解釈されており、日本として持っている」と述べている。

 それどころか、米国は日本だけでなく極東(韓国、台湾、フィリピン)も守っている。朝鮮半島危機が起きれば、米軍は韓国防衛のために沖縄や横田基地から出撃する。けっして遠いハワイやグアムからではない。
 そのとき日本は米国と事前協議するが、あくまで建前にすぎない。2010年に暴露された外務省の密約文書によれば、米国は日本と事前協議しなくても韓国に出撃できる約束になっていた。当時は民主党政権だったから、民主党は事情を知っているはずだ。

 もしも「米国が日本防衛に集団的自衛権を発動するのは勝手だが、日本の集団的自衛権行使は違憲だから、極東防衛に日本の基地は使わせない」と日本が言ったら、どうなるか。
 それだと安保条約は成立しなかった。沖縄だって日本に戻ってこなかった。いま、それを言い出したらどうなるか。極東防衛を書き込んだ条約第6条が違憲であり間違い、という話になる。

 同盟破棄を唱える日本共産党はともかく、民主党は「安保条約は間違いだから改定すべきだ」と言うつもりなのか。それは言えないだろう。
 民主党だって、実は米軍への基地提供によって日本と極東を守る集団的自衛体制に同意しているからだ。自らそういう事情は説明しないだろうが。そんな論点を詰めていったら、党が分裂してしまう。

 以上が集団的自衛権の核心である。野党は米軍基地と集団的自衛権の本質をめぐる議論から逃げ、政府与党も説明を避けてきた。深入りすると、野党は集団的自衛権を容認せざるをえず対案を提示できない。一方、政府与党も国会紛糾を避けたいからだ。
 結局、いまの混乱は政治家が集団的自衛権を前提にした日米同盟の本質を語らず、その場しのぎに終始してきたツケが回ってきたようなものだ。それでもまだ憲法がどうのこうの、と憲法学者に責任を押し付けている。

 まったくばかばかしい。中国、北朝鮮の脅威が現実になる中、平和ボケをいつまで続けるつもりなのか。

●(5)平成27年6月20日、毎日新聞安保法制 私はこう考える」(東郷和彦さん・70歳、元外務省条約局長。京都産業大教授)

 <「内向き」改める機会>日本は集団的自衛権を持っているが憲法9条の解釈で行使できない、とされてきた。1960年の日米安保条約改定で、日本が攻撃された時に米国は日本を防衛する義務を負った。日本人のために米国人は死ぬ。しかし米国が攻撃された時、日本が米国を助けに行くことは憲法上禁止されている。これではあまりに不公平で、同盟国とは言えない。
 「憲法の解釈変更で今できることは、やった方が良い」というのが私の考えだ。そういう意味で、集団的自衛権の行使を容認する昨年7月の閣議決定は時代の流れだ。しかし本来なら冷戦が終わった直後の90年代前半に議論を尽くし、容認しておくべきだった。

 そのつけが今来ている。一つは中国の実力行使だ。中国の公船が尖閣諸島周辺で領海侵入を繰り返している。「中国が攻めてくる、と危機感をあおっている」という批判があるが、現実に攻められていることを認識すべきだ。集団的自衛権を行使できるようにして米国と対等な同盟関係を作り、同時に対中対話を進めることが、中国の脅威への本質的な対処だと思う。

 戦後70年、多くの日本人が「憲法9条があるから日本は大丈夫」と思考停止に陥っていたように思う。しかし今後は、日本と密接な関係のある他国への攻撃が日本にとってどんな危険となるのかを、自分の問題として考えざるを得ない。「内向き志向」を改める良い機会だ。

 東郷和彦さんの立ち位置(図解を言葉に直します)
 「安倍政権」・・・かなり評価する。
 「日米同盟」・・・かなり評価するが、「安倍政権」よりやや低い。
 「村山談話」・・・最高に評価する。

●(6)私(藤森)は正直に言って、集団的自衛権も安保条約もよく分かりません。また、思想的にはノンポリというのかもしれません。ただ、その時々の問題は、評論家や専門家の意見を参考に判断しています。
今回の「集団的自衛権」の問題は、長谷川幸洋氏の意見が一番分かりやすく、かつ、妥当な意見ではないかと思っています。次回は、真逆の意見を取り上げてみたいと思います。さて、それよりも私が一番関心をもっていることは心理的な分野です。安倍首相の「脚本」についてはかなり資料があり、とても興味があります。

 そういう観点から見ますと、禅語「勢い使い尽くすべからず」(勢不可使尽)がとてもピッタリくるのには驚いています。 仏果禅師(1135年没)は「碧巌録(へきがんろく)」を大成した中国宋代の高僧。師の五祖・法演(ほうえん・1104年没)が、彼に与えた「法演の四戒」の最初の一つがこれです。
 人間は決して不幸のときに不幸がはじまるのではなく、いわゆるツイているときに破局の兆しが起きている。禅者は、「薄氷を踏むが如く言動をつつしめ」と教える。力で勝つ者は力で亡びるもの。
 この第一戒を「ほどほどに」とうけとる以上に、「看脚下(かん・きゃっか)」と感得すべきです。(「禅語百選」松原泰道著、祥伝社)
●(7)禅語「勢い使い尽くすべからず」

 この観点から安倍首相を眺めて見ますと、これほど分かりやすい人は珍しいのではないかと思われます。何故、分かりやすいかと言いますと、安倍首相の「脚本」がそうであるからです。

 誰でも、「勢い」があるときは、「勢い」に任せて突っ走りたいものです。若いときならば、さらにです。
 私(藤森)自身は、そういう調子に乗りまくる人間です。しかし、幸か不幸か、調子に乗れるような「ツイている」ことが丸っきりなかったので、「使い」ようが無かっただけのことで、万一、「勢い」を得られたならば、間違いなく「使い尽くした」はずです。

 安倍首相は、まさに「勢い使い尽くしつつ」あるように思えてなりません。
 エリート中のエリートとして育ち、エリートだらけの環境の中で、非エリート的な育ちをすると、僻みが強くなり、そういう中で「勢い」が得られると、「勢い(虚勢)」をどんどん使いまくり、驕り高ぶりたくなるのは、凡人過ぎる私でも理解できます。そういう傲慢さが、より多くの国民から反発を招いているように思えます。
 仮にそうだとすると、使い切った後は、チョットしたキッカケで、坂を転げるような状態になるように思えてなりません。

 そのキッカケは、「3人の憲法学者」が「安保法案を違憲」だと判断をくだした衆院憲法審査会だったように思えるのですが。
 それからは誠に不思議ですが、続々と不利な問題が出てきています。

①自民党の一部若手議員が党本部で勉強会を開き、講師の百田尚樹氏も含めた「暴言(?)」が大問題に。

②横畠法制局長官の「個別的自衛権の発動によって機雷を処理することはありうる」発言。これは安倍首相の主張する集団的自衛権行使のキモ(7月1日、日刊ゲンダイ)

③拉致問題の未解決

④ギリシャ問題や中国の株価の暴落・・・同じ日に、偶然か何なのか、米ニューヨーク証券取引所が長時間の停電で、取引停止問題。

⑤新国立競技場の高すぎる建設費問題。北京五輪やロンドン五輪の何倍もの建設費にプラスして、今後50年間にかかる大変な維持費や「キールアーチ工法」の困難さなど。消費税を増税し、さらなる増税が必要だと言われる上に、巨額の借金を抱える日本が、まるでバブル絶頂期のような・・・そして場違いなデザインと、巨額の建設費は、まさに「勢い使い尽くすべからず」そのものです。政府の無神経さにはただ驚きます。この問題は分かり易い上に、工期の問題が重なるだけに、これから大問題になることと推測します。

 世界的な建築家・槙文彦氏が2013年11月に「計画見直し案」を、建築のノーベル賞と呼ばれるプリツカー賞を受賞している建築家の伊東豊雄さんは昨年の5月、旧競技場を改修した案を発表。スタンドの一部を削り、観客席を増設する内容で、工費は新国立計画の「半分程度」。つまり700億円程度と試算。これらを無視しながら、今になって「白紙撤回」(7月20日、日刊ゲンダイ)。しかし、競技場は解体してしまいました。

⑥沖縄県辺野古の移設問題。橋本元首相は、多数回、沖縄に行き、誠意を示したそうです。しかし、翁長知事が上京してきたときの現政府の冷淡さ。意地を張らせています。理由は分からないわけではありませんが、いかがなものか?

⑦日照不足が招く「この夏の景気悪化?(7月10日、日刊ゲンダイ)

⑧財務省の言うことを無視した政治家は、これまでたった一人しかいない。グリーンカード(少額貯蓄等利用者カード)をつぶした金丸信氏だ。金丸氏はその後、所得税法違反で政治家生命を絶たれた。・・・財務省が最も嫌う増税を延期させた安倍政権の力を認めざるをえず、「これが安倍首相の人事力なのだ」と、異例の人事を受け入れている形である。(7月11日、夕刊フジ「高橋洋一“日本の解き方”」)(藤森注・・・勢いを使い尽くした場合、どういう反撃をうけるか???)

⑨支持率が逆転

石破地方創生担当相が14日の会見で、「(世論調査の)数字を見て、国民の理解は進んできたと言い切る自信は、わたしには、ございません」と言った。安倍のお友達の塩崎厚労相でさえ、「説明が十分だという理解は進んでいない。より深い理解の下で安全保障は考えられるべきだ」と会見で明言。閣僚も自民党議員も、本音の部分では無理筋の法案だと分かっている。
 その証拠に、牽強付会な理屈をこねくりまわす高村副総裁は顔面蒼白。4日の「NHKスペシャル」に出演した際も、顔を引きつらせ、討論中ずっと机をバンバン叩いて異様だった。(7月16日、日刊ゲンダイ)

⑪「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録での不手際

⑫本日(16日)、国立競技場のデザインを決めた安藤忠雄氏は記者会見を開き、費用は関係しなかった旨の発言。しかし、18年に完成予定のJR熊本駅駅舎の立て替えで、事業主体の熊本県は07年、5億6000万円の想定費用で安藤氏に駅舎のデザインを依頼した。が、県が費用を算出し直した結果、約6倍の30億円になった。大問題になり、調整をし、最終的に24億円に圧縮したが、それでも当初の試算より5倍近く。(7月16日、日刊ゲンダイ)

安倍首相の健康問題。逆境になった場合、かなり悪化する恐れ・・・等々。(藤森注・・・「安倍首相・官邸で嘔吐・情報」、日刊ゲンダイ、8月11日)

⑭アベノミクスでの「第三の矢」がどうなっているのでしょうか?「TPP」や「カジノ構想」を「第三の矢」に充当するつもりなのでしょうか?カジノは大変な問題が潜んでいます。いつか機会がありましたら取り上げてみたいと思っています。

 以下は、前回(第155回)の後半部分の再録です。

●(2)平成27年6月15日、日刊ゲンダイ「改憲派亀井静香が吠えた」

 <今の日本人に憲法を作り変える資格はない>

 運輸大臣や建設大臣を歴任し、自民党の政調会長も務めた亀井静香衆院議院(78)は、バリバリの改憲派だ。ところが、今の日本人には、その資格がないと説く。自民党の中枢にいながら、自説を貫いて離党した保守政治家の主張はクリアだ。

 今の憲法が米国の占領政策で作られたものであることは明々白々です。
 もちろん、いい面もありますよ。基本的人権の尊重とか平和主義とか、明治憲法にない思想を明確に規定していますからね。日本にも、そんな精神がなかったわけじゃない。ただ、薩長が権力を行使しやすくするために作った旧憲法には盛り込まれなかったんです。

 それでも、現在の憲法は改正すべきなんです。
 英文を日本語に訳しただけだから、日本人の精神性が織り込まれていない。民族の魂がこもっていない基本法なんて、あってはならないんです。日本人はみんなで相談し、みんなで助け合って生きてきた。そうした日本人の本来の暮らし方、考え方を作る必要があるんです。

 ただし、今の我々には憲法を作り変える資格はありません。人間としての最低の気持ちを忘れかけていますよ。カネよカネよ、で自分のことばかり、性根が腐っている。そんな我々が、子々孫々に対して「これが国家の基本法だ」「国家のありようはこうだ」と提示するなんてとんでもないこと。健全な日本人の心を取り戻した上でやるべきなんです。

 憲法改正のための集会で、中曽根元総理や平沼赳夫さんの目の前でも、同じことを言いました。不思議なことに、ヤジひとつ出なかった。みんな分かっているんです。
 ところが、今また急に憲法改正が出てきた。それも、「普通の国にならないと国際社会で生きていけない」という理屈からです。自衛隊を外国に出して、米国やほかの国と一緒に戦争をやるのが普通の国だと。安倍総理もそういう立場に立っちゃっている。

 日本は、普通の国じゃないんですよ。外国に自衛隊を出して戦争はしないんです。それを国是としている。世界と平和的に協調するのが、本来の日本人の姿。普通の国になるのを後押ししている新聞の世論調査を見ても、海外での戦争は「ノー」ですよ。そんな声も無視して、「普通の国になりたい」と言うような人に、憲法改正を提示する資格はないんです。

 まして憲法改正の手続きを抜きにして、解釈改憲でやっていこうとするなんてのは、憲政の常道を外れています。人間はワニやサメを制御できません。浅瀬ばかりを通ってルビコンを渡ろうとしても、襲われるときは襲われる。自衛隊を外国に送り出せば、戦死者や傷病者が出るんです。内閣が危ない道を選択するというのなら、当然、国民の意思を問わなければならない。内閣の見解だけで法律もどんどん作ってしまえというのは、子供が考えてもおかしな話でしょう。

 今のようなやり方には自民党の議員も賛成できないはずですよ。でも、機嫌を損ねると大臣や副大臣になれないから黙っている。声を上げているのは、村上誠一郎さんぐらいですよ。みんな選挙で公認をもらえなくなるのを恐れている。度胸がないんです。

 国民も鈍感ですね。五寸釘をばんばん打たれているのに、マスコミが「ハリ治療」と報じるもんだから、いつ効いてくるのかとのんきに構えている。心臓にズドンと突っ込まれない限り、気がつかないんでしょう。徴兵制で連れて行かれ、戦死する直前にならないと、目が覚めないのかもしれないですね。

 ひどい未来は決して歓迎できません。でも、そんな状況になれば、ようやく日本人も立ち直るはず。まともに戻る時代がやってくるでしょう。それまでは憲法を改正すべきじゃないんですよ。

く文責:藤森弘司>

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