2015年6月15日 第155回「今月の言葉」
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●(1)「集団的自衛権」に限らず、いろいろな意見を多数聞くことで、判断に迷うということが多いです。特に今回の問題はあまりにも多角的な意見があり、「賛成派」の話を聞くと、確かにそうだと思い、「反対派」の意見を聞くと、確かにそうだと思ってしまいます。
この部分は賛成派に投票し、この部分は反対派に投票できれば一番良いのですが、どちらかに1票となると、判断に困ります。 インターネットも含めて、多種多様な考え方がある問題は、恐らく、全てが正しいのだろうと推測しますが、その中で、一体、どの意見を重視したら良いのか。特に、戦後の大改革、大変更である「集団的自衛権」は、判断に困ります。 しかも、国会では瑣末な議論、ごまかしの議論、逃げの議論、数で押し切る議論。さらには、小選挙区制の弊害の部分が出て、安倍首相の圧倒的な政治力で、多様な意見が封殺されているらしき問題(唯一?声を上げているのが村上誠一郎議員だけのようです)。 さらには、安倍首相と異常なほどの会食を繰り返すマスコミ界の大御所や記者クラブ制と共に・・・批判精神は消え、まともな真実が伝えられない状況の中で、重大なテーマを判断するのは困難を極めます。 そういう中で、多角的な報道の中から幾つかを代表して、数回に分けてお知らせしたいと思います。第1回は、私の大好きなバンカラ議員、亀井静香氏です。 |
●(2)平成27年6月15日、日刊ゲンダイ「改憲派亀井静香が吠えた」
<今の日本人に憲法を作り変える資格はない> 運輸大臣や建設大臣を歴任し、自民党の政調会長も務めた亀井静香衆院議院(78)は、バリバリの改憲派だ。ところが、今の日本人には、その資格がないと説く。自民党の中枢にいながら、自説を貫いて離党した保守政治家の主張はクリアだ。 今の憲法が米国の占領政策で作られたものであることは明々白々です。 それでも、現在の憲法は改正すべきなんです。 ただし、今の我々には憲法を作り変える資格はありません。人間としての最低の気持ちを忘れかけていますよ。カネよカネよ、で自分のことばかり、性根が腐っている。そんな我々が、子々孫々に対して「これが国家の基本法だ」「国家のありようはこうだ」と提示するなんてとんでもないこと。健全な日本人の心を取り戻した上でやるべきなんです。 憲法改正のための集会で、中曽根元総理や平沼赳夫さんの目の前でも、同じことを言いました。不思議なことに、ヤジひとつ出なかった。みんな分かっているんです。 日本は、普通の国じゃないんですよ。外国に自衛隊を出して戦争はしないんです。それを国是としている。世界と平和的に協調するのが、本来の日本人の姿。普通の国になるのを後押ししている新聞の世論調査を見ても、海外での戦争は「ノー」ですよ。そんな声も無視して、「普通の国になりたい」と言うような人に、憲法改正を提示する資格はないんです。 まして憲法改正の手続きを抜きにして、解釈改憲でやっていこうとするなんてのは、憲政の常道を外れています。人間はワニやサメを制御できません。浅瀬ばかりを通ってルビコンを渡ろうとしても、襲われるときは襲われる。自衛隊を外国に送り出せば、戦死者や傷病者が出るんです。内閣が危ない道を選択するというのなら、当然、国民の意思を問わなければならない。内閣の見解だけで法律もどんどん作ってしまえというのは、子供が考えてもおかしな話でしょう。 今のようなやり方には自民党の議員も賛成できないはずですよ。でも、機嫌を損ねると大臣や副大臣になれないから黙っている。声を上げているのは、村上誠一郎さんぐらいですよ。みんな選挙で公認をもらえなくなるのを恐れている。度胸がないんです。 国民も鈍感ですね。五寸釘をばんばん打たれているのに、マスコミが「ハリ治療」と報じるもんだから、いつ効いてくるのかとのんきに構えている。心臓にズドンと突っ込まれない限り、気がつかないんでしょう。徴兵制で連れて行かれ、戦死する直前にならないと、目が覚めないのかもしれないですね。 ひどい未来は決して歓迎できません。でも、そんな状況になれば、ようやく日本人も立ち直るはず。まともに戻る時代がやってくるでしょう。それまでは憲法を改正すべきじゃないんですよ。 |
く文責:藤森弘司>
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