2015年12月15日 第161回「今月の言葉」
「交流分析」の「ゲーム」とは何か?
④ー②
<癌とは何か?対策編⑦>

●(1)前回の第160回を再録します。

 「交流分析」という心理学は本当に不思議な心理学です。

<<<ところが、交流分析は、臨床場面での観察可能な、つまり臨床体験を説明するための、臨床理論である。実に、実利的な、東洋医学の臨床理論にも似た共通性が認められる。その点は始めたのがエリック・バーンというユダヤの血統の人であったからであろう。ユダヤのタルムードなどの内容は、流石に5000年の歴史を持っているだけに、どこか、東洋の思想と基調を同じくするものがある。>>>(第158回「交流分析のストロークとは?」ご参照)

 とありますように、「理論」というよりも、「実践」にピッタリです。今回の「ゲーム理論」も全く同様です。

 「ゲーム」について、簡単に説明します。

 「ゲーム」とは、主として「夫婦」や「親子」、あるいは、「職場の人間関係」など、人間関係が濃厚な場で繰り返し行われる「こじれた関係」を言います。人間関係が濃厚でない相手、例えば、通りがかりの人に、いきなり「アホ」と言われても、あまり腹が立たないものです。むしろ、「お前のほうがアホだ」とか、「変なヤツ」などと笑って済ませたりできるものです。
 しかし、人間関係が濃厚な、例えば、夫や妻に言われると、かなり腹が立ちます。

 仮にある日、夫(妻)が妻(夫)に「アホか!」と言ったとします。この時、妻(夫)が「ごめんなさい」と言ったら、ゲーム(こじれた場)にはなりませんが、「あなたはいつも私を馬鹿にするけれど、あなたはどうなのよ!!!」と食ってかかったとします。

 だいたいこういう流れになると、(多分、多くの方が推測できることと思いますが)口喧嘩がおきます。その場は険悪になり、修羅場になるかもしれません。
 そして、面白い(?)ことに、そこで行われる修羅の「場」は、まるでお芝居の「台本」があるかのごとく、ほとんど決まったパターンが展開されます。この決まったパターン、こじれたパターンの展開を「交流分析」では「ゲーム」と呼びます。

 職場でも、家庭でも・・・・濃厚な人間関係がある「場」での「こじれた問題」には、多くの場合、お芝居の「台本」があるかのように、ある特定の「パターン」があります。これに気付き、同じことをくり返しているバカバカしさに気付くことが最も重要なことです。

 気付かなければ如何ともし難いことは当然で、「交流分析」では「気付き」を重視します。
 では、何を気付くのか?
 それは、同じパターンをくり返していることに気付くことです。

 多分、これをお読みになっていらっしゃる方は誰でも、思い当たることがおありのことと思います。
では、何故、こういうバカバカしいことが繰り返し行われるのか。そして、そのバカバカしいことが何故、一生続くのか?

 次回、詳しく解説し、そこから脱却して、心地よい人間関係を構築するをご紹介します。

●(2)今回の第161回は、ここからスタートします。

 実に不思議なことですが、人間関係において、こじれた関係のほとんどすべては、前回、今回、さらには次回でもご説明する「ゲーム」であると言って過言ではありません。
 「家庭」はもちろん、「職場」においても、「政治の世界」にしても、「国家間」の問題にしても、多くは「ゲーム」であると断言して、ほぼ間違いありません。

 私(藤森)は、学者や研究者ではありません。心理学の「職人」と称していますので、一つひとつの問題を詳しく調査・研究して「立証」することは、①能力的にも、②時間的にも、③人的資源的(学生を使って調査するなど)にもできません。しかし、メディアを通して得る情報や、興味を持ったわずかなケースの情報を集めるだけでも、私の説が正しいことが、私個人的には立証されていると自負しています。

 そして「ゲーム」であると仮定すれば、それは「交流分析」の「脚本」から発生していることになります。
つまり、私たちの人生は、私たちの「脚本」に絶対的に影響されています。そして、その「脚本」とは何かということを一言で言うならば、
「ストローク」がどのように使われているか、どのように使われていないかが書かれている「設計図」が「脚本」であると言えます<「ストローク」については、「今月の言葉」第158回「交流分析のストロークとは何か?」ご参照>。

 例えば、アメリカのオバマ大統領と、ブッシュ前大統領では大きな違いがあります。ブッシュ氏はイラクやアフガニスタンの戦争を積極的にやりましたが、オバマ大統領は、南シナ海の問題にしてもそうですが、あまりにも消極的(世界の警察をやめる)で、国内で大変評判が悪い(一説にアメリカ国内で、史上最悪の大統領だと言われています)ようです。

 オバマ大統領と安倍晋三首相の「脚本」はかなり似ています。両者ともに私はかなり興味を持ち、また、偶然にもいろいろな資料が集まり、オバマ大統領については、それなりの分析をしました<「今月の言葉」第91回「オバマ大統領は大丈夫か?①」第92回「・・・大丈夫か②」第95回「・・・大丈夫か?(補足)」第96回「・・・大丈夫か?(補足②)」第97回「・・・大丈夫か?(補足③)」第98回「マリアとサーシャという名前について」第103回「・・・名前について(補足)」第112回「脚本分析・オバマ大統領は大丈夫か&TPP」ご参照>

 オバマ大統領と安倍晋三首相の「脚本」はかなり似ているにもかかわらず、何故、表面的には真逆に見える対応になっているのか?
 真逆とは、オバマ大統領は消極的で、安部首相は、どちらかと言えば、イケイケどんどん的、見方によっては「強気」的な対応になっている・・・という違いです。
 その違いは、脚本分析的には、オバマ大統領は、完全な敗者の生い立ちにもかかわらず、頭が良かった・・・私が、頭が良いと言うときの「頭が良い」とは、「偏差値的」あるいは「暗記力的」に優れているという意味です・・・頭が良かったために、ハーバード大学に入り、弁護士にもなれたために、成功への道を歩むことができました。

 もちろん、頭が良いということは、本人の努力が大きかったことは言うまでもありませんが、それ以外に、オバマ大統領のお父さんは、ケニアから留学してきた学生であり、その後、乳幼児のオバマを捨てて逃げる(?)ために、奨学金を得てハーバード大学に移るほど学力は優秀でした。ハワイ大学とハーバード大学では、アメリカの東西真逆に位置する大学ですので、逃げるには格好の口実になります。
お母さんは、同じくハワイ大学で学んだが、オバマが3歳の時に離婚。5歳の時に、お母さんはインドネシア人と結婚して移住しました<「今月の言葉」第91回「オバマ大統領は大丈夫か?①」>。

 そういう両親の愛に全くと言ってよいほど恵まれていない上に、黒人としての差別まで受けています。深層心理は猛烈な愛情不足、つまり、ストローク不足だと断言して間違いないでしょう。彼自身が「親に見捨てられた」と言っていますし、ドラッグをやったりしていますので、完全に「寂しさ」が深層心理を占有しているはずです。
詳細は、上記の第91回などをご参照いただくとして、オバマ大統領がこのまま任期を全うして、その後の人生を無事に終えるわけがないというのが私の分析です。

●(3)さて、安倍晋三首相はどうなのか?安部首相も「寂しさ」という点ではかなり似ているように思えます。
 しかし、オバマ大統領と根本的に違う点があります。脚本の根本は「強烈な寂しさ」という点で共通していますが、それを強化するいろいろなものが、面白いことに真逆です。
オバマ大統領は、どこから見ても寂しさの塊、誰が生い立ちを知っても、両親からの愛情が極端に少ない方であることが理解できます。

 それに反して、安倍首相はどうか・・・・・。
 お父さんの故・安部晋太郎氏は両親に恵まれず、オバマ大統領と同様、全くの愛情知らずで育っています。そのために息子の晋三氏を抱っこしたことが無いと言われるほどの育児無関心タイプ、スキンシップができないタイプだったようです。

 その上、安倍晋三首相のお兄さんは長男として、安部家の跡取り、三男の弟は、尊敬する岸家に養子に出されて跡取り。つまり、上と下が跡取りとなり、しかも、幼い晋三氏にとって、弟がある日突然居なくなるという強烈な寂しさを体験しているはずです。
 しかも、安部家や岸家は、大学の偏差値的には優秀な家系にあって、自分だけが(単なる偏差値的にですが)かなり劣る大学卒業です。

 つまり、オバマ大統領と安倍晋三首相の共通点は、通常の、我々の生い立ちから考えてもかなり強烈な寂しさを体験しているという「共通点」と、「学力的」には、オバマ大統領が圧倒的に優れている点、そして、「経済的」な面では、安部首相が圧倒的に恵まれているという真逆の条件が、現在の政治姿勢に現れているように思えます。

 つまり、オバマ大統領は政治姿勢は、多分、優れているのですが、「実行力」が弱いのに比べて、安倍首相も、政権第一期は軟弱な面が出ましたが、復活してからは「虚勢」が目立ちます。
 しかし、「実行力」が弱いタイプと、「虚勢」を張るタイプは、私の経験では同じ「寂しさ」が強い脚本を有している人に多いものです。

●(4)さて、上記の「心理関係の職人」とか、「脚本はストロークがどのように使われるかの設計図」であるという考え方は、私(藤森)の造語です。

 さて、ひとまず<<「家庭」はもちろん、「職場」においても、「政治の世界」にしても、「国家間」の問題にしても、多くは「ゲーム」であると断言して、ほぼ間違いありません>>であるとすると、私たちは、日常茶飯事的に繰り返している「ゲーム」をシッカリ把握して、少しでも改善させることは、人生をより良く生きる上で「不可欠」の課題です。そして、この問題(ゲーム)を放置して、人生をより良くすることは不可能です。

 価値観は人それぞれですので、他人のことをとやかく言えませんが、私が見るところ、多くの有能な方々は、素晴らしいものを手に入れる代わりに、より重要なものを失っているように思えてなりません。

 例えば、ノーベル賞を取るほど素晴らしい研究に打ち込んだけれども、常時、写真を携帯するほどの大切な妻が無理をして早死にしてしまった・・・と仮定するならば、人はそれぞれ、どちらの道を選ぶだろうかという選択の問題です。

 こういう重要な一つひとつの問題を深く考えさせてくれるのが「交流分析」の「脚本」であり、「ストローク」「ゲーム」の理論です。たとえ、いかなる無理をしても、いかなる困難(離婚や心身の病気や家庭不和etc.)に直面しても、金メダルやノーベル賞などを受賞できれば、ひとまずはOKと言える(?)かも分かりませんが、99.99%の我々はノーベル賞や金メダルの可能性が無い訳です。
そうであるならば、日々の「ゲーム」を減らして、より平和な、より落ち着いた人生を生きたいものだと、私(藤森)は思いますが、皆さんはいかがでしょうか?

 私は若いとき、「人生とは択一だ」と閃いたことがあります。つまり、どれを選択するか、一つひとつの遭遇した課題から何を選択するか、その集合が人生なんだと閃きました。なんだかんだと言いますが、結局、人生とはそういうことなんですね。

 今回は、少々脱線しました、年末の忙しさもあり、下記の「ゲーム理論」の解説は次回に回します。日常生活の中で、驚くほどピッタリと当て嵌まりますのでご期待ください。

 

●(5)下記の【1】【2】【3】は、<『交流分析上級者講座』講師:杉田峰康先生、主催&発行:自己回復総研>より引用。青い文字の解説は、私(藤森)が今回、書き加えたものです。

【1】人生ゲームについて(人間関係の悪循環)

(A)日常よく行われるゲーム
a)夫婦喧嘩・・・・・夫婦喧嘩は犬も食わぬ、夫婦喧嘩は寝てなおる。
b)安請け合い・・・不成功に終わって、きまって他人に迷惑をかけたり、信頼を失ったりする。
c)おせっかい・・・飼い犬に手を噛まれる、ひさしを貸して母屋をとられる。
d)これが最後・・親馬鹿、言い逃れ上手。
e)泣きおとし戦術・・・“こんな女に誰がした?”
f)病院めぐり、など。

(B)ゲームとは?
 明瞭で、予測可能な結果に向かって進行しつつある一連の裏面的交流

【2】ゲームの本質と要因

(A)ゲームの公式

<隠れた動機> ⇒ <仕掛け、ワナ> ⇒ <反応> ⇒ <ひきがね> ⇒ <混乱> ⇒ <結末>

(B)4つの要素
a)表面上のメッセージ
b)隠れたメッセージ
c)隠れたメッセージに対する反応
d)不愉快な気分、不快感
 自・他に対して、何らかの形で「OKでない」という
e)Aが働いていない(気づいていない)

(C)ゲームの図式

<例:①>母が子に対して:(表面上)あなたは頭がいいのに、どうして勉強ができないの?
(背後のメッセージ)いい成績をとってはダメよ。
 自分の能力を発揮しないでちょうだい。

 子供の反応:よし、よい成績なんかとってやらないぞ。
 自分の能力を発揮するつもりはありません。

 不快感:悲しみ、怒り、ゆううつ、イライラ(ラケット)

(D)ゲームの本質(人はなぜゲームを演じるのか)
a)ストロークを得る手段
b)基本的な構えの実証
c)時間の構造化の一方法

(E)ゲームの要因(公式参照)
a)社会的レベル(交叉的)の交流と、心理的レベル(相補的)の交流との二面をもつ
・裏面的交流
b)反復的
・さまざまな周期
c)隠れた動機・目的
・ストローク、基本的な構え
(例)どうせ男にはロクな奴はいない(=男性はOKでない)
d)結末、クライマックスがある
(例)解雇、刑務所、精神病院、自殺など
e)不快感、混乱
・特に怒りの挑発

【3】ゲームの打ち切り方

(A)A(アダルト)の姿勢をとる
(B)フィードバック的交流を用いる
(C)“値引き”・・・ゲームの引き金となる過小評価、軽蔑など、値引きを止める。

く文責:藤森弘司>

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