2015年10月15日 第159回「今月の言葉」
「冷たい愛」と盲導犬
<癌とは何か?対策編⑥>

●(1)2003年7月、「今月の言葉」第11回「温かい愛」と「冷たい愛」を再録します。なお、「愛の四面性」は、私(藤森)の造語で、残りの二面は、「発信愛」と「受信愛」です<「今月の言葉」第10回ご参照>。

 一般に言われている「愛」は、この「四面性」から見ると、「愛」の本質がとてもよく理解できます。私たちが「愛」という言葉を使う時、ほとんどの場合、これらが混同して言われたり、考えられたりしています。
 「愛」とは何かを真剣に考える場合、この「四面性」から判断しないと、なかなか、本質がわからないものです。「四面性」の観点から愛というものを考える、或いは、判断するキッカケにしていただければ幸いです。

 以下の(2)と(3)は、2003年7月、<「今月の言葉」第11回>の再録です。

●(2)「温かい愛」と「冷たい愛」<「愛の四面性について」②-②>

 前月に続いて、「愛」の四面性の内の残りの二面・・・「温かい愛」と「冷たい愛」について考察してみます(他は、①「発信愛」と②「受信愛」です)。

「温かい愛」とは・・・多分、私たちが通常、「愛」と言っている面で、直接、愛を感じる部分で、文字通りの温かさであり、ハートフルな面の「愛」を意味します。「母性的な愛」であり、「包み込む愛」です。

「冷たい愛」とは・・・「冷たい愛」は、直接的には「愛」とは感じられない性質を持っています。むしろ冷たく突き放したり、厳しく叱責したりしますので、当座は相手から「敵意」を抱かれたり、「恨み」を買う場合さえあります。
しかし、自己成長してセンサーが鋭くなったときに、深い愛情・とてつもなく逞しくて豊かな「愛情」が感じられる性質のものです。かなり厳しいものですが、本当の成長・本当の逞しさを身につけたときに感じられる、最も男性性豊かな「ゆるぎない愛」です。
何日後か、何ヵ月後か、何年後かに分かるだろうと、その方を信頼して発信する愛です。

 心地よい対応をすること(温かい愛)は、誰でも、心の余裕さえあればやりたくなる性質のものです。何故ならば、今、相手の方に喜んでもらえるからです。
 これに反して、冷たい愛は、いくらその人の将来のためであるとはいえ、今は突き放すのですから、恨まれる可能性が高くなり、かなりの「勇気」「自信」が必要です。

 そのため、
1)将来、絶対に有益であるという確たる信念、確たる価値観を持っていることが求められます。
2)さらに、今、相手に恨まれても、揺るぎなく自己を保てるだけの「鍛えられた自己」「自己の確立」「自我の成熟性」が求められます。これはかなり厳しい人間性・・・・いい意味での「厳父」のような厳しさが要求されます。

●(3)「温かい愛」と「冷たい愛」は、アメとムチの関係に似ています。子育ての例で考えて見ますと、幼児はいつまでも母親に甘えて、すがりつきたいものです。母親としては、甘える幼児をできるだけ受け入れてあげる(温かい愛)が、甘え過ぎると思ったならば、父親が必要に応じて厳しく叱ること(冷たい愛)が大切です。この場合、厳し過ぎるのか、あるいは厳しさが不足しているのかの判断が難しいので、しっかりした価値観(父性性)が求められます。
子育てには、この両者のバランスが重要ですが、現代日本では、「冷たい愛」の部分が家庭や学校教育の現場から無くなってしまったことが、様々な問題として噴出しています。

 「発信的・温かい愛」は、母親的でしょうか。また「発信的・冷たい愛」は、父親的でしょうか。もちろん、両者にそれぞれ必要なことですが、あえて役割分担させればこのようになると思います。
 また、「受信的・温かい愛」と「受信的・冷たい愛」は、共に、自己成長に取り組むこと・・・・恰好よく言えば、修行することにより習得できるものです。

 自己成長とは、簡単に言いますと、今までの自分を変えることを意味します。しかし、多くの方は、今までの自分を維持しようとします。ぬるま湯につかっているように、なかなかそこから立ち上がろうとしない傾向にあります。
 その気持ちを十分に尊重しながら、自ら立ち上がろうとするのを待つ(温かい愛)わけですが、長期にわたりいつまでも、今までの自分を維持しようとする場合は、そこから追い出すような対応(冷たい愛)が必要になります。

 しかし、長年、そこに閉じこもっていた方にとっては、わずか1メートルくらいの段差が、断崖絶壁のような不安を感じて、なかなか動こうとしませんから、十分な期間が経過した後には、そこから追い出すような対応が必要になります。

 カウンセリングなどの心理的な対応は、母親のように優しく、温かく、心地よい対応(温かい愛)を十分に行ない、エネルギーを十分に補充した後には、「冷たい愛」が必要になります。これはかなりシンドイ対応ですが、この両者のバランスこそが、「子育て」にも「カウンセリング」にも非常に重要です(ミニコミ誌「地球通信」2001年5月31日号に掲載したものに、若干の手を加えたものです)。

 

●(4)平成27年10月9日、週刊ポスト「昼寝するお化け」(曽野綾子著)

<盲導犬>

 2014年10月30日付の英字新聞が、新しいニュースとして、アジア路線の飛行機に盲導犬が飼い主と共に乗ることができるようになったという記事を掲載した。
 もちろん喜ばしいことだが、こういう配慮は最近になってできたことではない。私は30年前に、初めて視覚障害者とイスラエルやイタリアなどの、キリスト教の聖地を巡る旅に出たのだが、その頃からすでに盲導犬の同乗をイタリアの航空会社ではごく普通に認めていた。

 盲導犬について知る機会に恵まれたのは、私の一生で実に幸せなことだった。私は五十歳を目前にして、全盲ではないが、読み書きが全くできないほどに視力が落ちる体験をしたのだが、その時に盲人の行動の難しさの片鱗を体験した。

 幸運にも私の視力は手術によって戻ったのだが、その頃、ラジオ番組で私は一人の全盲の女性と対談する機会があった。一人で局まで来られるという。スタジオには既にその女性が先に来て端然と座っておられた。私は真っ先に「犬はどうなさいました?」と尋ねたのだが、それは、乗っていらした自転車はどこにお置きになりましたか、というのと同じ気分だったことを今でもはっきり覚えている。犬は玄関につないで来ました、というような答えを私は期待していた。
 しかしその方は「ここにおります」とテーブルクロースの下を指した。かなり大きなラブラドールだったが、その犬はあまりにも静かで、存在の気配さえ示さなかったので、私はまさか既に犬がスタジオにいると思わなかったのである。

 「犬は音をたてませんから、ご安心ください」とその方は言われた。そして事実、その言葉の通り、約一時間近くもかかった長い録音の間に、犬は吼え声はもちろん鼻声一つ、姿勢を変える気配一つ聞かせなかった。

 その女性から、私は盲導犬の不思議な勘と自制心について聞くことができた。この自立心のある女性は一人で暮らしていたので、時々駅を降りると、「ああ、今日はマーケットでパンを買わねばならないな」などと思う時があった。まっすぐ家に帰る日には、改札口のある側の歩道をそのまま行けばよかった。しかしマーケットに行くなら、改札口の前の横断歩道を渡って、反対側の歩道を歩かねばならない。

 今日は買い物があるかどうか、彼女は口に出しては言わない。しかし全くの無言でも犬は正確にその意図を察した。買い物があると思う日には、犬はさっさと信号機の前の横断歩道を向こう側に渡る。

 私たち人間が、盲導犬に対して守らねばならない規則と礼儀も、その時私は教えられた。
 私たち飼い主でない人間は、盲導犬には次の三つのルールを守ればいいのである。

 「声をかけない。
撫でない。
食べ物を与えない。」

 これらの三つの行為を許されているのは、飼い主ただ一人である。命令系統を乱さないためだ。だからこの三つの「犬を無視する」というルールは、小学校の教科書のどこかで取り上げて、国民全員に教えればいいことだ、と私は思っている。

 数年後に、私は視覚障害者の方たちと聖地巡礼の旅に出た。或る年、参加者の中に盲導犬を同行したいという女性がいた。私たちが使っていたイタリアの航空会社は、当時でも、盲導犬を乗せることに少しも文句はなかった。

 出発の日に私は初めて成田空港で、その参加者と盲導犬に会った。私は犬に対する礼儀を既に教えられていたから、参加者には挨拶したが、犬は見もしなかった。飛行機の席に落ち着くのは一騒ぎだったが、それでも席が決まると、私は犬の飼い主がどこにいるかをそれとなく確認していた。
 しかし犬は私たちグループ以外の人が見たら、全くその存在もわからないだろうと思うほど静かだったので、私は十二時間ほどはかかるローマまでの長い旅の間も、犬のことは気にかけなかった。盲導犬は頭を前席の下へ入れ、お尻と尻尾を後ろの席の下に入れていたので、通りがかりの人には背中の部分しか見えない。それは少し汚れた男もののレインコートが床に落ちているように見えるだけであった。犬はやはり動きもせず鼻息も立てなかった。

 イタリアの航空会社の女性乗務員は、非常に障碍者に馴れていて親切だった。義務以上に明るく接してくれた。初めての海外旅行で緊張していた参加者もいたが、トイレに行く方途もわかると、明るい旅行の空気もみなぎった。

 スチュワーデスの一人は、私がグループの添乗員のような役目をしていることがわかると、数時間後には私のところにやって来て、
 「今日は、こういうグループのお世話をできて、ほんとうに嬉しいです。来て頂いてありがとう」

 と眼を輝かせて礼を言った。きっと今度のフライトが終わると、お祖母ちゃんのところにでも行き、「こんなにたくさんの障碍者が、日本からローマまで教皇さまに会いに来たよ」と話すだろう、などと私は察していた。

 飛行機がローマに着いて立ち上がると、初めて同乗の他の乗客の間で声がした。
 「あら、犬が乗ってたのよ」
 ローマ空港の外に出てから、私は初めて飼い主の女性と話をした。

 「飛行機の中では、餌とか水とかをおやりになったんですか?」
 「いいえ、何も。飲まず食べずです」
 「トイレは?」
 「成田で出国する前に、建物の周辺を少し歩いて、オシッコはさせました」

 十二時間、犬は飲まず食わず、トイレもせず立ち上がりもしなかったのだ。私はその間、眠り、食べ、雑誌を読み、テレビを眺め、腰を伸ばすために歩き廻り、何度も時計を見て残り時間を確認した。しかし犬はじっと耐えて、身動き一つしなかった。残り時間がわかっているから、私は耐えられたのだ。しかし犬は何も知らされないままに、狭い空間に押し込まれて、不平一つもらさなかった。明らかに人間以上の忍耐心である。

 この時の旅では、私がグループの人たちに、盲導犬に対する三つの規則を守ってください、と要請したのだが、あまりうまくはいかなかった。ついかわいくて名前を呼ぶ人もいたし、飼い主によると犬は太ってきたという。こっそりお菓子などを与える人がいたからである。

 盲導犬はストレスの多い生活を強いられるので、長生きをしないという。しかし彼らは多分、人間のために役に立つ生活が好きだろう、と思う。盲導犬は明らかに私より偉い、といつも私は思っている。

●(5)私(藤森)は35年間、施設に入所している兄のお世話をしています。

 最初は、ごく簡単な作業ができる「授産施設」に入所していました。そこでは、不自由な体と、視力が落ちた目で、軽い作業をしていました。1ヶ月1万円未満の収入(6、7000円程度?)だったように記憶しています。その計算書を見て、涙が出てきたことを思い出します。

 やがて、軽作業が困難になり、別の施設に入所しました。そこでは施設の職員の方々にお世話をいただいておりましたが、身の回りのことの多くは自分でやる施設でした。しかし、ある日、ベッドから車椅子に移る際、転倒して、腰の骨を折り、10ヶ月、入院することになりました。

 10ヶ月の入院で、兄の様々な能力が衰え、退院間近になった頃、様子を見に来た施設の責任者から、この状態では引き受けられないと宣告されてしまいました。それから紆余曲折した後、現在の特別養護老人ホームに入所させていただくことになりましたが、微かに見えていた目は、やがて、全く見えなくなってしまいました。

 年を取った今になってみると、私は、反省することがたくさんあって、胸が痛くなるような日々を送っています。35年前は私が若かったために、兄に対する配慮は全くのお粗末でした。分からない(分かろうとしない)という事は、本当に残酷なものです。
 車椅子を押しながら外出するとき、ホンのちょっとの段差や、側溝の上に架かっている網状のフタなどに小さな車輪を引っ掛け、兄に怖い思いをさせてしまったこともありました。慣れてくると、段差などがあるところでは車椅子を回転させて、後ろの大きな車輪を使ってバックをすることで、少々の段差や側溝の網の目なども問題なくスムーズに通過できるようになりました。

 そういう、一見、小さなことのようでいて、しかし、(言葉)やが不自由な兄にとってはとても重要な物事に対して、一つひとつ、私はどれだけの配慮ができていたかと振り返ってみると、胸が痛くなることばかりです。

 現在の特別養護老人ホームに入所後、目が完全に見えなくなりました。その頃のことです。
 兄を見舞いに行ったとき、バタバタしながら、私自身の日常性を持ち込んで部屋に入っていました。私が入り口で、通常の「声量」で挨拶をすると、突然の闖入者に、兄はハッと驚き、気分を悪くしていましたが、ウカツだった私は、目が見えないために、いきなりワッと声が聞こえることに驚いてしまう兄への配慮が全く欠けていました。

 ある日、兄を病院に連れて行くことがありました。
 待合室で待っている間、兄は、車椅子に座りながらウトウトし始めました。その時、真上にあったスピーカーから放送があり、兄がビクッとする姿を見たとき、初めて、情けないことですが、その時、初めて、兄が音に敏感・・・というよりも、周囲の状況が全く分からないために、突然の音声に対して、かなり驚くことに気がつきました。

 それ以後、見舞いに行って兄の部屋に入るとき、まず、ほとんど無音に近いボリュームで声をかけるようにしました。そこから少しずつボリュームを上げていき、微かに声が届いた頃に・・・犬や猫が耳をピクッとさせるような、わずかな反応を示します。
 これで誰かが来たことに気付いたなと判断し、通常のボリュームで挨拶をするようにすることで、兄の機嫌を損ねることがかなり防げるようになりました。声や音に対するバリアフリーです。

 また、兄が部屋の中を手探りで車椅子を移動させているとき、以前は、手探りで移動させている兄に向かって、私は要件を話し始めていました。私にとっては何の不自由も無い部屋の中ですから、気楽に要件を話すことができますが、手探りをしながら、ソロソロと車椅子を移動させている兄にとっては「全神経」を使っている最中だったのです。
 そのことに気づいてからは、兄が時間を掛けて車椅子を移動させている間はジッと待ち、定位置にたどり着いて落ち着くのを待ってから要件を話すようにしました。
 こういう当たり前のことではありますが、気がついてみると、気がつかなかった私の人間として未熟さ・・・兄に対して、いろいろ残酷なことをしてしまったことを痛感せざるを得ません。

 こういう兄のいろいろなことを職員の方々にお願いするのですが、毎年々々、どんどん、人事異動があることや、退職者が多いために、人の入れ替わりが激しくて・・・人柄は皆さんとても素晴らしいのですが、特に元気がある若い男性職員の方々にはなかなか・・・兄に対するデリカシーを分かっていただくことの難しさを感じています。
 目が見えない人に対する多くの場合、愛情や親切さが、逆に、迷惑になることもある・・・つまり、一人ひとり違う相手に対する行き届いた十分な配慮というものが極めて重要だということを痛感せずにはいられません。

 そういう中で、兄の波長に添ってデリカシーを理解してくださる奇跡的に有り難い職員の方(特に女性)に巡り合えた時の喜びは巨大なものがありますが、その職員の方が移動したり退職されたときの絶望感も、また、巨大なものがあります。

●(6)ある駅でのことです。

 改札口を通った目の不自由な方が白い杖をついて、乗るべき電車のホームに向かってユックリ歩いていました。その様子を見た40歳前後のサラリーマン風の方が、その方を誘導して差し上げました。

 ちょうど私(藤森)は、近くで、その様子の一部始終を見ていました。

 サラリーマン風の方は、通勤時間帯であったために急いでいたのかもしれません。それとも多くの乗降客がいるところで恥ずかしい気持ちがあったからなのかもしれません。事実は分かりませんが、目の不自由な方の腕を抱えて、急ぎ足で、乗るべき電車に誘導していました。その足取りは、私からみても、少々、早足でした。

 目の不自由な方は、まるで脅迫されているかのごとく、両手を胸の辺りまで上げて、怖々と、オドオドと、いかにも不自然な歩き方をしていました。
 誘導しているサラリーマン風の方は、自分は見えているので、完全に安全であることがハッキリ分かっていますが、目の見えない方は、壁や柱に激突するのではないかと思われるほどオドオドした歩き方をしていました。

●(7)さて・・・・・

 「声をかけない。
撫でない。
食べ物を与えない。」

 この一見当たり前のことではありますが、これは大変重要な意味が含まれています。

<<<この時の旅では、私がグループの人たちに、盲導犬に対する三つの規則を守ってください、と要請したのだが、あまりうまくはいかなかった。ついかわいくて名前を呼ぶ人もいたし、飼い主によると犬は太ってきたという。こっそりお菓子などを与える人がいたからである。>>>

 私(藤森)の長年のカウンセリング体験や、深層心理の専門家としての経験から推測しますと、目の見えない飼い主の方は、周囲の人たちが、犬に餌を与えていること・・・餌を与えている瞬間を察知しているはずだと考えます。その程度の直感は十分に働いているはずで、目の見えない方々にとっては、当然過ぎるほど当然のレベルの感性だと思われます。

 しかし、目が見えず、周囲の人たちに迷惑をかけていると思う遠慮の気持ちや、餌を与えるのは悪意ではないことが分かることから、切ない気持ちを抑えながら、黙認していたと考えることが妥当であるように思われます。

<<<その女性から、私は盲導犬の不思議な勘と自制心について聞くことができた。この自立心のある女性は一人で暮らしていたので、時々駅を降りると、「ああ、今日はマーケットでパンを買わねばならないな」などと思う時があった。まっすぐ家に帰る日には、改札口のある側の歩道をそのまま行けばよかった。しかしマーケットに行くなら、改札口の前の横断歩道を渡って、反対側の歩道を歩かねばならない。

 今日は買い物があるかどうか、彼女は口に出しては言わない。しかし全くの無言でも犬は正確にその意図を察した。買い物があると思う日には、犬はさっさと信号機の前の横断歩道を向こう側に渡る。>>>

 これらも、必ず、目の見えない方の無意識のサインが出ているはずで、その無意識のサインを盲導犬は察知しているはずです。そしてこの程度のことは、人間でも察知しているものです。「いい子」と言われる人は、このようなレベルで親の気持ちを察知して対応しています。
 何故ならば、目の見えない方と同様、親は、子供が乳幼児の頃に、このレベルのサインを無意識のうちに教え込んでいるものです。親のその種のサインに必死に応えている人は、私(藤森)も含めて、普遍的にいます。そうでなければ、平和でない家庭の中で、いい子として存在できないものです。

 昔、ラジオでリスナーの方の話を聞いたことがあります。
 そのリスナーの方は、散歩に行こうとすると、何も言わないのに犬が喜び出すので不思議に思っていたそうです。しかし、やがて、外出する時、必ず、机の引き出しからガチャガチャと音を出しながら鍵を出していたために、犬がそれを察知していたことが分かったそうです。

 さて、盲導犬は、目が見えない方の命綱と言えるほど重要な存在で、杖と同じです。その杖を蹴っ飛ばされるくらいに切ない気持ちになっていたのではないかと推測します。
 犬が空腹や喉の渇きなどに耐えるのと同様、目の不自由な方も、いろいろな切なさに耐えているのではないでしょうか。

 実は、上記の関係性は、日本の育児とそっくりなのです。
 親は、子供のため、子供のためと言いながら、実は、親がやらせたいこと・・・親の欲望を満たすためにやらせていることが極めて多い・・・というよりも、ほとんどの場合、親自身の欲望を満たすためにやっていると言っても過言ではありません。

<<<平成27年10月10日、東京新聞「筆洗」
そのオーストラリアの少年は裕福とはいえぬ家庭に育った。12歳の時、胃がんで父親を亡くした。少年の生活は荒んでいった。けんかや学校でのトラブル。母親は悩んだ。このままではいけない▼幸い、少年にはゴルフの才能があった。母親は決断した。全寮制高校とゴルフアカデミーに入学させた。高価な学費は家族の住んだ家を売って用意した。少年も決意した。週に32時間、練習に打ち込んだ▼別の日本の少年も、やはり小学校6年生の時に父親を胃がんで失った。母親は中学校の非常勤講師として復職し、この少年を含む3人の子を育てた。亡くなった父親は少年がプロ野球選手になることを望んでいた。その望みのため少年にとにかく食べさせた。夢を追わせたかった▼一人目の少年はプロゴルファーのジェーソン・デー選手(27)である。全米プロ選手権など今年、米ツアー5勝を挙げ、最高のシーズンを終えた。全米プロの勝利に高校のコーチでもあったキャディーと抱き合い、号泣していた場面が忘れられぬ▼もう一人の日本の少年は埼玉西武ライオンズの秋山翔吾選手(27)。シーズン216安打の新記録を達成した。長いプロ野球の歴史の中で誰よりも1年間で安打を放った選手になった▼同じ世代、境遇の似た2人の「少年」が努力と母の支えで大きな花を咲かせた。励みとなる少年少女もきっといる。>>>

<<<2011年8月15日「今月の言葉」第109回「逆説の心理学“同一観”と“脱同一観”④」

 トリノ五輪オリンピック、アイススケートでの金メダリスト「荒川静香」さんは・・・・・

 平成21年8月14日、読売新聞「いま風」

 <氷上 一人ではない>

 その言葉が最初に心に染みたのは、2004年のフィギュアスケート世界選手権(ドイツ)で初優勝した後、競技を続けるか迷った時だ。

 ・・・・・貴女が決めることに、たとえ世界中が反対しても、私たちは味方だから。
 その後何度か聞いた、母の「貴女の味方」という言葉と、脇で黙ってうなずく父。「経済的な心配はしないで。どんな道を選んでもいい。全力で支援するのが、唯一両親である私たちにできること」。選択を迫らず、安心感を与えてくれる両親の姿勢は、「迷いの中で自分を見つめさせる心の支えになった」。

 5歳で始めたスケートは、リンク使用料、年に数回新調するスケート靴、コーチへの謝礼、遠征費用と、競技レベルが上がるにつれ、年1000万円以上かかるようになった。会社員の父の給料を生活費に回し、スケート関連は母が一手に工面した。幼い頃は「見慣れていたので何とも思わなかった」その母の仕事ぶりが、実は半端ではなかった。

 朝一番に家を出てゴルフのキャディーに。午後5時ごろ、一人娘を学校からスケートリンクに送り届け、練習が終わる夜9時か10時に自宅へ。夜は時に衣裳を縫い、午前3時からは、コンビニの惣菜を詰める工場に。眠るのは、リンク脇で待っている間、車中での4時間余りだ。運転中でも赤信号になると、「青になったら教えて」と言って、座席の背をがっちり倒して寝てしまう。そんな母の姿に思った。

 「学業もスケートも、一生懸命やらないのなら申し訳ない。やる価値がない」
 05年、トリノ五輪を目指すと心に決めた。06年2月、五輪本番の氷に立った時、心は驚くほど澄んでいた。「自分の気持ちだけだったら、(とうにやめて)今ここにいない。両親ら見守ってくれた人々の思いを背負って自分は立っている。一人ではないのだと」。無心の喜びに近い感覚だった。

 金メダル獲得。観客席に報道陣が殺到して両親が見つからなかったハプニングはあったけれど、2人の首にメダルをかけてあげたのは、1週間後だったけれど、表彰台の頂点に立った時の気持ちは忘れない。
 「自分のこととしては、あまり喜びはわかなかった。でも皆が、両親が、いつもそばにいてくれた。そう思ったら、うれしさが込み上げて」
 クールなようで、優しさを秘めた笑みがこぼれる。
 「ああどんな時も、味方だったんだなあって」>>>

 そういう中で、社会的に成功・・・ノーベル賞を受賞したり、オリンピックでメダルを取ったり、スポーツや芸術などで成功した人たちの言うことをメディアなどが絶賛しますが、圧倒的多数の成功者は、親の欲望を強く押し付けられた結果です。

 そういう例は掃いて捨てるほど沢山ありますが、それでも成功している人たちは恩恵を受けているので、それも良いでしょうし、人はすべて好き好きです。が、そういう成功例の真似をさせられて多くの人たちは、様々な問題を抱えながら一生を生きなければならない例は沢山あります。そういう育児の仕方の「陰の部分」に少しは光を当てることができる「知性」を育てることは、極めて重要です。

 先ほどの盲導犬に対する周囲の人たちの対応は、そういう歪んだ育児の典型例を見せ付けられているような印象を強く受けました。
 飼い主に許可無く餌を上げたり、飼い主が適切に出来ないであろうと考えて、頭を撫でたり、声を掛けたり・・・・・

 それは、一つには、飼い主の存在を無視しています。二つには、目の不自由な飼い主を上から目線で見ていることになります。三つには、飼い主と犬との関係性というプライバシーを土足で踏み込んでいることになります。これらは、正に、日本の育児という親子関係そのものの現象とほぼ全く同じです。日本の「育児」は「過干渉」が愛情だと錯覚されていますので、盲導犬に対する対応は、そっくりそのまま、日本の育児の仕方を象徴しています。
 下記(9)の「人間の分際」を知ることは重要ですね。

●(8)「白隠禅師 坐禅和讃法話」(大本山妙心寺派管長・春見文勝著、春秋社)

 <略>

 衆生本来仏なり、水と氷の如くにて、
水を離れて氷なく、衆生の外に仏なし。

 衆生近きを知らずして、遠く求むるはかなさよ。
 譬えば水の中に居て、渇を叫ぶが如くなり。

 <略>

 道は爾(ちか)きに在(あ)り。而(しか)るに諸(こ)れを遠きに求む(孟子)

 <略>

●(9)平成27年10月3日、東京新聞に掲載された書籍の広告をそっくり転載させていただきます(幻冬舎新書のベストセラー)

 「人間の分際」(曽野綾子著)<35万部突破>

 「やればできる」というのは、とんでもない思い上がり。
 努力でなしうることには限度があり、人間はその分際(身の程)を心得ない限り決して幸せには暮らせない。

 八十余年にわたって世の中と人間をみつめてきた著者の知恵を凝縮した一冊。

 第一章<人間には「分際」がある>
 ・人間には変えられない運命がある ・生涯の勝ち負けは死ぬまでわからない ・そもそも人間は弱くて残酷で利己的である ・卑怯でない者はいない ・人生には祈るしかない時もある・・・ほか

 第二章<人生のほんとうの意味は苦しみの中にある>
 ・不幸のない家庭はない ・うまくいかない時は「別の道を行く運命だ」と考える ・人間は死の前日でも生き直せる ・生涯における幸福と不幸の量はたいてい同じ・・・ほか

 第三章<人間関係の基本はぎくしゃくしたものである>
 ・誤解されても堂々と生きる ・誰からも嫌われていない人は一人もいない ・他人を傷つけずに生きることはできない ・人脈を利用する人に、ほんとうの人脈はできない
・子供は「親しい他人」と思った方がいい ・弱みをさらせば楽になる・・・ほか

 第四章<大事なのは「見捨てない」ということ>
 ・「許す」という行為は生きる目的になりうる ・愛ほど腐りやすいものはない ・愛は憎しみの変型である・・・ほか

 第五章<幸せは凡庸の中にある>
 ・「もっとほしい」という欲望が不幸を招く ・不幸を知らないと幸せの味もわからない ・諦めることも幸せの必要条件 ・感謝することが多い人ほど幸せになる・・・ほか

 第六章<一度きりの人生をおもしろく生きる>
 ・「人並み」を追い求めると不幸になる ・話のおもしろい人は、人より多くの苦労をしている ・報復すると人生が台無しになる ・「流される」ことも一つの美学・・・ほか

 第七章<老年ほど勇気を必要とする時はない>
 ・老いと死がなければ、人間は謙虚になれない ・誰でも人生の終盤は負け戦 ・昨日できたことが今日できなくても、静かに受け入れる ・人間の一生は苦しい孤独な戦いである・・・ほか

●(10)「東洋の心を生きる いのち分けあいしもの」(大須賀発蔵著、柏樹社)

 <略>

 あるお母さんはご主人を亡くされたあと、高校生の娘さんの心のゆれに苦しんだのですが、やがてこう述懐いたしました。

 「私は自分が一生懸命に生きて、その姿を真似させれば、子どもは立派に育つと思ってきました。しかしそれは、私の色で娘を塗りつぶすことをしていたのです。世間では母親のことをおふくろといいますが、私の心には子どもを包む袋がありませんでした。でも、ようやく薄い袋ができました。わが子といえども、異なったいのちの色があるんですね。異なったいのちを包んでこそ、おふくろだったんですね」

 悟った人の心ならともかく、煩悩に苦しんでいる未熟な私たちは、どうしてもこの過ちを犯してしまいます。そこで第二のの過程は、ことさら重要になるところです。

 その前にもう一度確認しておきたいことは、カウンセリング関係の中では、包む心が届いているときは、相手もまたこちらを包んでいるのです。共に包みあっているのです。その自利利他円満ともいうべき相互循環の関係を、私たちは敏感に感じとっていなければなりません。そうでないと、私たちは愛を一方的に与えているような錯覚に陥りやすいのです。したがって、「包む心」は、さらに「包みあう心」として、平等な関係に立っていくのです。

 <略>

●(11)平成27年8月12日、日刊ゲンダイ「もぎたて海外仰天ニュース」

 <シリア難民4000人に食事を提供>

 先日、シリアとの国境近くにあるトルコの街キリスで結婚式を挙げたトルコ人夫妻が、披露宴で内戦から逃れてきたシリア人難民約4000人に食事をふるまい、共感を集めている。

 新郎のフェトフッラー・ウズムジュオグルさんと新婦のエスラ・ポラットさんで、親族や友人から受け取った祝儀を食事代に充て、チャリティー団体KYMが提供したトラックから料理を難民たちに提供した。

 このアイデアを発案したエスラさんの父親アリスさんは「娘の夫がこのアイデアを受け入れてくれた。こうした無私の行いで2人が新しい旅路を歩き始めてくれて、私はとても幸せです」と語った。

く文責:藤森弘司>

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