2015年10月15日 第159回「今月の言葉」
<癌とは何か?対策編⑥>
●(1)2003年7月、「今月の言葉」第11回「温かい愛」と「冷たい愛」を再録します。なお、「愛の四面性」は、私(藤森)の造語で、残りの二面は、「発信愛」と「受信愛」です<「今月の言葉」第10回ご参照>。
一般に言われている「愛」は、この「四面性」から見ると、「愛」の本質がとてもよく理解できます。私たちが「愛」という言葉を使う時、ほとんどの場合、これらが混同して言われたり、考えられたりしています。 以下の(2)と(3)は、2003年7月、<「今月の言葉」第11回>の再録です。 ●(2)「温かい愛」と「冷たい愛」<「愛の四面性について」②-②> 前月に続いて、「愛」の四面性の内の残りの二面・・・「温かい愛」と「冷たい愛」について考察してみます(他は、①「発信愛」と②「受信愛」です)。 ③「温かい愛」とは・・・多分、私たちが通常、「愛」と言っている面で、直接、愛を感じる部分で、文字通りの温かさであり、ハートフルな面の「愛」を意味します。「母性的な愛」であり、「包み込む愛」です。 ④「冷たい愛」とは・・・「冷たい愛」は、直接的には「愛」とは感じられない性質を持っています。むしろ冷たく突き放したり、厳しく叱責したりしますので、当座は相手から「敵意」を抱かれたり、「恨み」を買う場合さえあります。 心地よい対応をすること(温かい愛)は、誰でも、心の余裕さえあればやりたくなる性質のものです。何故ならば、今、相手の方に喜んでもらえるからです。 そのため、 ●(3)「温かい愛」と「冷たい愛」は、アメとムチの関係に似ています。子育ての例で考えて見ますと、幼児はいつまでも母親に甘えて、すがりつきたいものです。母親としては、甘える幼児をできるだけ受け入れてあげる(温かい愛)が、甘え過ぎると思ったならば、父親が必要に応じて厳しく叱ること(冷たい愛)が大切です。この場合、厳し過ぎるのか、あるいは厳しさが不足しているのかの判断が難しいので、しっかりした価値観(父性性)が求められます。 「発信的・温かい愛」は、母親的でしょうか。また「発信的・冷たい愛」は、父親的でしょうか。もちろん、両者にそれぞれ必要なことですが、あえて役割分担させればこのようになると思います。 自己成長とは、簡単に言いますと、今までの自分を変えることを意味します。しかし、多くの方は、今までの自分を維持しようとします。ぬるま湯につかっているように、なかなかそこから立ち上がろうとしない傾向にあります。 しかし、長年、そこに閉じこもっていた方にとっては、わずか1メートルくらいの段差が、断崖絶壁のような不安を感じて、なかなか動こうとしませんから、十分な期間が経過した後には、そこから追い出すような対応が必要になります。 カウンセリングなどの心理的な対応は、母親のように優しく、温かく、心地よい対応(温かい愛)を十分に行ない、エネルギーを十分に補充した後には、「冷たい愛」が必要になります。これはかなりシンドイ対応ですが、この両者のバランスこそが、「子育て」にも「カウンセリング」にも非常に重要です(ミニコミ誌「地球通信」2001年5月31日号に掲載したものに、若干の手を加えたものです)。 |
●(4)平成27年10月9日、週刊ポスト「昼寝するお化け」(曽野綾子著)
<盲導犬> 2014年10月30日付の英字新聞が、新しいニュースとして、アジア路線の飛行機に盲導犬が飼い主と共に乗ることができるようになったという記事を掲載した。 盲導犬について知る機会に恵まれたのは、私の一生で実に幸せなことだった。私は五十歳を目前にして、全盲ではないが、読み書きが全くできないほどに視力が落ちる体験をしたのだが、その時に盲人の行動の難しさの片鱗を体験した。 幸運にも私の視力は手術によって戻ったのだが、その頃、ラジオ番組で私は一人の全盲の女性と対談する機会があった。一人で局まで来られるという。スタジオには既にその女性が先に来て端然と座っておられた。私は真っ先に「犬はどうなさいました?」と尋ねたのだが、それは、乗っていらした自転車はどこにお置きになりましたか、というのと同じ気分だったことを今でもはっきり覚えている。犬は玄関につないで来ました、というような答えを私は期待していた。 「犬は音をたてませんから、ご安心ください」とその方は言われた。そして事実、その言葉の通り、約一時間近くもかかった長い録音の間に、犬は吼え声はもちろん鼻声一つ、姿勢を変える気配一つ聞かせなかった。 その女性から、私は盲導犬の不思議な勘と自制心について聞くことができた。この自立心のある女性は一人で暮らしていたので、時々駅を降りると、「ああ、今日はマーケットでパンを買わねばならないな」などと思う時があった。まっすぐ家に帰る日には、改札口のある側の歩道をそのまま行けばよかった。しかしマーケットに行くなら、改札口の前の横断歩道を渡って、反対側の歩道を歩かねばならない。 今日は買い物があるかどうか、彼女は口に出しては言わない。しかし全くの無言でも犬は正確にその意図を察した。買い物があると思う日には、犬はさっさと信号機の前の横断歩道を向こう側に渡る。 私たち人間が、盲導犬に対して守らねばならない規則と礼儀も、その時私は教えられた。 「声をかけない。 数年後に、私は視覚障害者の方たちと聖地巡礼の旅に出た。或る年、参加者の中に盲導犬を同行したいという女性がいた。私たちが使っていたイタリアの航空会社は、当時でも、盲導犬を乗せることに少しも文句はなかった。 出発の日に私は初めて成田空港で、その参加者と盲導犬に会った。私は犬に対する礼儀を既に教えられていたから、参加者には挨拶したが、犬は見もしなかった。飛行機の席に落ち着くのは一騒ぎだったが、それでも席が決まると、私は犬の飼い主がどこにいるかをそれとなく確認していた。 イタリアの航空会社の女性乗務員は、非常に障碍者に馴れていて親切だった。義務以上に明るく接してくれた。初めての海外旅行で緊張していた参加者もいたが、トイレに行く方途もわかると、明るい旅行の空気もみなぎった。 スチュワーデスの一人は、私がグループの添乗員のような役目をしていることがわかると、数時間後には私のところにやって来て、 と眼を輝かせて礼を言った。きっと今度のフライトが終わると、お祖母ちゃんのところにでも行き、「こんなにたくさんの障碍者が、日本からローマまで教皇さまに会いに来たよ」と話すだろう、などと私は察していた。 飛行機がローマに着いて立ち上がると、初めて同乗の他の乗客の間で声がした。 「飛行機の中では、餌とか水とかをおやりになったんですか?」 十二時間、犬は飲まず食わず、トイレもせず立ち上がりもしなかったのだ。私はその間、眠り、食べ、雑誌を読み、テレビを眺め、腰を伸ばすために歩き廻り、何度も時計を見て残り時間を確認した。しかし犬はじっと耐えて、身動き一つしなかった。残り時間がわかっているから、私は耐えられたのだ。しかし犬は何も知らされないままに、狭い空間に押し込まれて、不平一つもらさなかった。明らかに人間以上の忍耐心である。 この時の旅では、私がグループの人たちに、盲導犬に対する三つの規則を守ってください、と要請したのだが、あまりうまくはいかなかった。ついかわいくて名前を呼ぶ人もいたし、飼い主によると犬は太ってきたという。こっそりお菓子などを与える人がいたからである。 盲導犬はストレスの多い生活を強いられるので、長生きをしないという。しかし彼らは多分、人間のために役に立つ生活が好きだろう、と思う。盲導犬は明らかに私より偉い、といつも私は思っている。 |
●(5)私(藤森)は35年間、施設に入所している兄のお世話をしています。
最初は、ごく簡単な作業ができる「授産施設」に入所していました。そこでは、不自由な体と、視力が落ちた目で、軽い作業をしていました。1ヶ月1万円未満の収入(6、7000円程度?)だったように記憶しています。その計算書を見て、涙が出てきたことを思い出します。 やがて、軽作業が困難になり、別の施設に入所しました。そこでは施設の職員の方々にお世話をいただいておりましたが、身の回りのことの多くは自分でやる施設でした。しかし、ある日、ベッドから車椅子に移る際、転倒して、腰の骨を折り、10ヶ月、入院することになりました。 10ヶ月の入院で、兄の様々な能力が衰え、退院間近になった頃、様子を見に来た施設の責任者から、この状態では引き受けられないと宣告されてしまいました。それから紆余曲折した後、現在の特別養護老人ホームに入所させていただくことになりましたが、微かに見えていた目は、やがて、全く見えなくなってしまいました。 年を取った今になってみると、私は、反省することがたくさんあって、胸が痛くなるような日々を送っています。35年前は私が若かったために、兄に対する配慮は全くのお粗末でした。分からない(分かろうとしない)という事は、本当に残酷なものです。 そういう、一見、小さなことのようでいて、しかし、目や口(言葉)や体が不自由な兄にとってはとても重要な物事に対して、一つひとつ、私はどれだけの配慮ができていたかと振り返ってみると、胸が痛くなることばかりです。 現在の特別養護老人ホームに入所後、目が完全に見えなくなりました。その頃のことです。 ある日、兄を病院に連れて行くことがありました。 それ以後、見舞いに行って兄の部屋に入るとき、まず、ほとんど無音に近いボリュームで声をかけるようにしました。そこから少しずつボリュームを上げていき、微かに声が届いた頃に・・・犬や猫が耳をピクッとさせるような、わずかな反応を示します。 また、兄が部屋の中を手探りで車椅子を移動させているとき、以前は、手探りで移動させている兄に向かって、私は要件を話し始めていました。私にとっては何の不自由も無い部屋の中ですから、気楽に要件を話すことができますが、手探りをしながら、ソロソロと車椅子を移動させている兄にとっては「全神経」を使っている最中だったのです。 こういう兄のいろいろなことを職員の方々にお願いするのですが、毎年々々、どんどん、人事異動があることや、退職者が多いために、人の入れ替わりが激しくて・・・人柄は皆さんとても素晴らしいのですが、特に元気がある若い男性職員の方々にはなかなか・・・兄に対するデリカシーを分かっていただくことの難しさを感じています。 そういう中で、兄の波長に添ってデリカシーを理解してくださる奇跡的に有り難い職員の方(特に女性)に巡り合えた時の喜びは巨大なものがありますが、その職員の方が移動したり退職されたときの絶望感も、また、巨大なものがあります。 |
●(6)ある駅でのことです。
改札口を通った目の不自由な方が白い杖をついて、乗るべき電車のホームに向かってユックリ歩いていました。その様子を見た40歳前後のサラリーマン風の方が、その方を誘導して差し上げました。 ちょうど私(藤森)は、近くで、その様子の一部始終を見ていました。 サラリーマン風の方は、通勤時間帯であったために急いでいたのかもしれません。それとも多くの乗降客がいるところで恥ずかしい気持ちがあったからなのかもしれません。事実は分かりませんが、目の不自由な方の腕を抱えて、急ぎ足で、乗るべき電車に誘導していました。その足取りは、私からみても、少々、早足でした。 目の不自由な方は、まるで脅迫されているかのごとく、両手を胸の辺りまで上げて、怖々と、オドオドと、いかにも不自然な歩き方をしていました。 |
●(7)さて・・・・・
「声をかけない。 この一見当たり前のことではありますが、これは大変重要な意味が含まれています。 <<<この時の旅では、私がグループの人たちに、盲導犬に対する三つの規則を守ってください、と要請したのだが、あまりうまくはいかなかった。ついかわいくて名前を呼ぶ人もいたし、飼い主によると犬は太ってきたという。こっそりお菓子などを与える人がいたからである。>>> 私(藤森)の長年のカウンセリング体験や、深層心理の専門家としての経験から推測しますと、目の見えない飼い主の方は、周囲の人たちが、犬に餌を与えていること・・・餌を与えている瞬間を察知しているはずだと考えます。その程度の直感は十分に働いているはずで、目の見えない方々にとっては、当然過ぎるほど当然のレベルの感性だと思われます。 しかし、目が見えず、周囲の人たちに迷惑をかけていると思う遠慮の気持ちや、餌を与えるのは悪意ではないことが分かることから、切ない気持ちを抑えながら、黙認していたと考えることが妥当であるように思われます。 <<<その女性から、私は盲導犬の不思議な勘と自制心について聞くことができた。この自立心のある女性は一人で暮らしていたので、時々駅を降りると、「ああ、今日はマーケットでパンを買わねばならないな」などと思う時があった。まっすぐ家に帰る日には、改札口のある側の歩道をそのまま行けばよかった。しかしマーケットに行くなら、改札口の前の横断歩道を渡って、反対側の歩道を歩かねばならない。 今日は買い物があるかどうか、彼女は口に出しては言わない。しかし全くの無言でも犬は正確にその意図を察した。買い物があると思う日には、犬はさっさと信号機の前の横断歩道を向こう側に渡る。>>> これらも、必ず、目の見えない方の無意識のサインが出ているはずで、その無意識のサインを盲導犬は察知しているはずです。そしてこの程度のことは、人間でも察知しているものです。「いい子」と言われる人は、このようなレベルで親の気持ちを察知して対応しています。 昔、ラジオでリスナーの方の話を聞いたことがあります。 さて、盲導犬は、目が見えない方の命綱と言えるほど重要な存在で、杖と同じです。その杖を蹴っ飛ばされるくらいに切ない気持ちになっていたのではないかと推測します。 実は、上記の関係性は、日本の育児とそっくりなのです。 <<<平成27年10月10日、東京新聞「筆洗」 <<<2011年8月15日「今月の言葉」第109回「逆説の心理学“同一観”と“脱同一観”④」 トリノ五輪オリンピック、アイススケートでの金メダリスト「荒川静香」さんは・・・・・ 平成21年8月14日、読売新聞「いま風」 <氷上 一人ではない> その言葉が最初に心に染みたのは、2004年のフィギュアスケート世界選手権(ドイツ)で初優勝した後、競技を続けるか迷った時だ。 ・・・・・貴女が決めることに、たとえ世界中が反対しても、私たちは味方だから。 5歳で始めたスケートは、リンク使用料、年に数回新調するスケート靴、コーチへの謝礼、遠征費用と、競技レベルが上がるにつれ、年1000万円以上かかるようになった。会社員の父の給料を生活費に回し、スケート関連は母が一手に工面した。幼い頃は「見慣れていたので何とも思わなかった」その母の仕事ぶりが、実は半端ではなかった。 朝一番に家を出てゴルフのキャディーに。午後5時ごろ、一人娘を学校からスケートリンクに送り届け、練習が終わる夜9時か10時に自宅へ。夜は時に衣裳を縫い、午前3時からは、コンビニの惣菜を詰める工場に。眠るのは、リンク脇で待っている間、車中での4時間余りだ。運転中でも赤信号になると、「青になったら教えて」と言って、座席の背をがっちり倒して寝てしまう。そんな母の姿に思った。 「学業もスケートも、一生懸命やらないのなら申し訳ない。やる価値がない」 金メダル獲得。観客席に報道陣が殺到して両親が見つからなかったハプニングはあったけれど、2人の首にメダルをかけてあげたのは、1週間後だったけれど、表彰台の頂点に立った時の気持ちは忘れない。 そういう中で、社会的に成功・・・ノーベル賞を受賞したり、オリンピックでメダルを取ったり、スポーツや芸術などで成功した人たちの言うことをメディアなどが絶賛しますが、圧倒的多数の成功者は、親の欲望を強く押し付けられた結果です。 そういう例は掃いて捨てるほど沢山ありますが、それでも成功している人たちは恩恵を受けているので、それも良いでしょうし、人はすべて好き好きです。が、そういう成功例の真似をさせられて多くの人たちは、様々な問題を抱えながら一生を生きなければならない例は沢山あります。そういう育児の仕方の「陰の部分」に少しは光を当てることができる「知性」を育てることは、極めて重要です。 先ほどの盲導犬に対する周囲の人たちの対応は、そういう歪んだ育児の典型例を見せ付けられているような印象を強く受けました。 それは、一つには、飼い主の存在を無視しています。二つには、目の不自由な飼い主を上から目線で見ていることになります。三つには、飼い主と犬との関係性というプライバシーを土足で踏み込んでいることになります。これらは、正に、日本の育児という親子関係そのものの現象とほぼ全く同じです。日本の「育児」は「過干渉」が愛情だと錯覚されていますので、盲導犬に対する対応は、そっくりそのまま、日本の育児の仕方を象徴しています。 ●(8)「白隠禅師 坐禅和讃法話」(大本山妙心寺派管長・春見文勝著、春秋社) 衆生本来仏なり、水と氷の如くにて、 衆生近きを知らずして、遠く求むるはかなさよ。 <略> 道は爾(ちか)きに在(あ)り。而(しか)るに諸(こ)れを遠きに求む(孟子) |
●(9)平成27年10月3日、東京新聞に掲載された書籍の広告をそっくり転載させていただきます(幻冬舎新書のベストセラー)
「人間の分際」(曽野綾子著)<35万部突破> 「やればできる」というのは、とんでもない思い上がり。 八十余年にわたって世の中と人間をみつめてきた著者の知恵を凝縮した一冊。 第一章<人間には「分際」がある> 第二章<人生のほんとうの意味は苦しみの中にある> 第三章<人間関係の基本はぎくしゃくしたものである> 第四章<大事なのは「見捨てない」ということ> 第五章<幸せは凡庸の中にある> 第六章<一度きりの人生をおもしろく生きる> 第七章<老年ほど勇気を必要とする時はない> |
●(10)「東洋の心を生きる いのち分けあいしもの」(大須賀発蔵著、柏樹社)
<略> あるお母さんはご主人を亡くされたあと、高校生の娘さんの心のゆれに苦しんだのですが、やがてこう述懐いたしました。 「私は自分が一生懸命に生きて、その姿を真似させれば、子どもは立派に育つと思ってきました。しかしそれは、私の色で娘を塗りつぶすことをしていたのです。世間では母親のことをおふくろといいますが、私の心には子どもを包む袋がありませんでした。でも、ようやく薄い袋ができました。わが子といえども、異なったいのちの色があるんですね。異なったいのちを包んでこそ、おふくろだったんですね」 悟った人の心ならともかく、煩悩に苦しんでいる未熟な私たちは、どうしてもこの過ちを犯してしまいます。そこで第二の悲の過程は、ことさら重要になるところです。 その前にもう一度確認しておきたいことは、カウンセリング関係の中では、包む心が届いているときは、相手もまたこちらを包んでいるのです。共に包みあっているのです。その自利利他円満ともいうべき相互循環の関係を、私たちは敏感に感じとっていなければなりません。そうでないと、私たちは愛を一方的に与えているような錯覚に陥りやすいのです。したがって、「包む心」は、さらに「包みあう心」として、平等な関係に立っていくのです。 <略> |
●(11)平成27年8月12日、日刊ゲンダイ「もぎたて海外仰天ニュース」
<シリア難民4000人に食事を提供> 先日、シリアとの国境近くにあるトルコの街キリスで結婚式を挙げたトルコ人夫妻が、披露宴で内戦から逃れてきたシリア人難民約4000人に食事をふるまい、共感を集めている。 新郎のフェトフッラー・ウズムジュオグルさんと新婦のエスラ・ポラットさんで、親族や友人から受け取った祝儀を食事代に充て、チャリティー団体KYMが提供したトラックから料理を難民たちに提供した。 このアイデアを発案したエスラさんの父親アリスさんは「娘の夫がこのアイデアを受け入れてくれた。こうした無私の行いで2人が新しい旅路を歩き始めてくれて、私はとても幸せです」と語った。 |
く文責:藤森弘司>
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