2015年1月15日 第162回「今月の言葉」
④ー③
<癌とは何か?対策編⑦>
●(1)「ゲーム」は、日常的に行われる極めて大事なものですので、再度、第160回の下記の部分を再録します。
<<< 「ゲーム」について、簡単に説明します。 「ゲーム」とは、主として「夫婦」や「親子」、あるいは、「職場の人間関係」など、人間関係が濃厚な場で繰り返し行われる「こじれた関係」を言います。人間関係が濃厚でない相手、例えば、通りがかりの人に、いきなり「アホ」と言われても、あまり腹が立たないものです。むしろ、「お前のほうがアホだ」とか、「変なヤツ」などと笑って済ませたりできるものです。 仮にある日、夫(妻)が妻(夫)に「アホか!」と言ったとします。この時、妻(夫)が「ごめんなさい」と言ったら、ゲーム(こじれた場)にはなりませんが、「あなたはいつも私を馬鹿にするけれど、あなたはどうなのよ!!!」と食ってかかったとします。 だいたいこういう流れになると、(多分、多くの方が推測できることと思いますが)口喧嘩がおきます。その場は険悪になり、修羅場になるかもしれません。 職場でも、家庭でも・・・・濃厚な人間関係がある「場」での「こじれた問題」には、多くの場合、お芝居の「台本」があるかのように、ある特定の「パターン」があります。これに気付き、同じことをくり返しているバカバカしさに気付くことが最も重要なことです。>>> |
●(2)下記の【1】【2】【3】は、<『交流分析上級者講座』講師:杉田峰康先生、主催&発行:自己回復総研>より引用。青い文字は、私(藤森)が今回、書き加えた解説です。
【1】人生ゲームについて(人間関係の悪循環)・・・・・「人間関係の悪循環」という言葉は、ゲームを表す言葉としてはピッタリです。私(藤森)自身、「ゲーム」をシッカリ理解するまでは、悪循環を繰り返していました。ゲーム理論を十分に理解し、ゲームの悪循環から脱する取り組みをシッカリやらないと、「人生」を一生懸命に生きているつもりで、実は、単に「ゲーム」を一生懸命にやっていただけということになりかねません。 典型的な例として、「長崎県佐世保の女子校生殺害事件」がそうです。ご両親は、弁護士事務所を経営したり(父親)、東大を卒業して教育委員(母親)をやったりしたのは、より良い家庭を持ち、より良い娘を育てたいという素晴らしい意識を持っていたはずです。しかし、結果は真逆になりました。何故でしょうか? それは、「人生ゲーム」の理論を知らなかったからです。つまり、「人生ゲーム理論」にピッタリの生き方をしてしまったからです。とにもかくにも、このことを知らないと大損をします。人間は誰でも皆、自分の人生を良くしたいと真剣に思っているはずです。それにもかかわらず、悪化してしまうのは、戦争や天変地異などの特殊な事情を別にすれば、実は、「人生ゲーム」をやっている可能性が高いのです。 私(藤森)自身、長い間、そういう人生を生きてきましたし、ゲーム的な人生を生きながら苦しんでいる多くの人たちを見てきていますので、一人でも多くの方が「ゲーム」から解放されて、より良い人生を生きていただきたいと切望しています。 「またか」というのが「ゲーム」の最大の特徴です。だから、そこにパターンがあり、結末に味わう「嫌な感情」も同じです。しかし、「ゲーム理論」を知らないと、当事者は、「ワンパターン」を繰り返していることが分からないものです。分からないために、そのパターンと、結末の嫌な感情を、多くの場合、一生味わい続けます。 こんなバカバカしいことはありませんでしょう!!!しかし、残念ながら、私たちの人生は・・・・・極限すれば、夫婦とは、そして人生とは、ゲームを繰り返し続けて生きるものと言っても過言ではありません。それを極大化したものが「外交」と言えるかもしれません。 b)安請け合い・・・不成功に終わって、きまって他人に迷惑をかけたり、信頼を失ったりする。・・・・・本当に不思議なことですが、「安請け合い」は、ついついと言いながら、長い人生で繰り返し味わっているとしたら、それは「安請け合い」のゲームをしているということになります。 「安請け合い」がゲームでない場合は、安請け合いをしたことを反省して、それ以降、安請け合いを止めます。しかし、ゲームの場合は、安請け合いを繰り返し、後悔をし続けます。このゲームの場合は、「後悔」という嫌な感情を味わうことが目的になっています。 そんなバカな話があるかと誰でも思うでしょう。しかし、残念ながら、そのバカバカしいことを、特別なことが無い限り、一生続けるものです。このバカバカしいことを、どれだけ深いレベルで気づけるか、深いレベルでの反省ができるか否かが改善のポイントです。以下、同じことです。 c)おせっかい・・・飼い犬に手を噛まれる、ひさしを貸して母屋をとられる。・・・・・私(藤森)は、若い時まで、父は「飼い犬に手を噛まれてきた」と本気で思っていました。しかし、「交流分析」を学び、残酷ではありますが自分の父親を俎上に上げて、ゲーム理論を当て嵌めて考えてみますと、父は、この「ゲーム」をしてきたと言わざるを得ません。辛いところですが、こういうシビアな見方ができるだけの「自我の成熟性」が必要です。こういうシビアな見方ができることこそが、自分自身の「ゲーム」から解放され、より良い人生を歩めるようになります。 d)これが最後・・親馬鹿、言い逃れ上手。・・・・・これが最後は、残念ながら、「まだいいわよ」というメッセージを含んでいるものです。我が子を、「これが最後」と切ることは、やはり「自我の成熟性」が求められます。総合的に「どうすべきか?」と考えることに私たちは慣れていないものです。 どんなに学力が優れていても、人生をどのように生きたら良いのか?ということは東大を卒業しても、多くは学んでいません。むしろ、高学歴で、高学力であるほど、現実生活の能力は低い傾向にあります。そういう何かを切り捨てるからこそ、高い何かの能力が得られるものです。 現実生活の最大の課題は「育児」です。「育児」がどうであったかは、いかにノーベル賞を受賞しようが、ほとんど全く影響されません。 (B)ゲームとは? 表面的にはしっかりした大義名分がありますが、しかし、その底辺に流れているメロディ(裏面的交流)は、ワンパターンの「明瞭で、予測可能な結果」に向かって進行しつつあるものを「ゲーム」と呼びます。そして、ゲームは、必ず、決まった結末を迎えます。その結末には、これも、必ず、決まった嫌な感情を味わいます。それを、交流分析では「ラケット感情」と言います<「今月の言葉」第147回「交流分析のラケット感情とは?⑥ー①」~第152回「⑥ー⑥」ご参照>。 次回に続きます。 【2】ゲームの本質と要因 (A)ゲームの公式 <隠れた動機> ⇒ <仕掛け、ワナ> ⇒ <反応> ⇒ <ひきがね> ⇒ <混乱> ⇒ <結末> (B)4つの要素 (C)ゲームの図式 <例:①>母が子に対して:(表面上)あなたは頭がいいのに、どうして勉強ができないの? 子供の反応:よし、よい成績なんかとってやらないぞ。 不快感:悲しみ、怒り、ゆううつ、イライラ(ラケット) (D)ゲームの本質(人はなぜゲームを演じるのか) (E)ゲームの要因(公式参照) 【3】ゲームの打ち切り方 (A)A(アダルト)の姿勢をとる |
く文責:藤森弘司>
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