2014年9月15日 第146回「今月の言葉」
●(1) 「優柔不断」で、なかなか、物事を決められないで悩んでいる方はいませんか?「私は優柔不断だ」と思う方は、意外に多いのではないでしょうか?
ところが面白いのですよ。 言葉遊びみたいですが、実はなかなか決められないという「優柔不断」ではなく、なかなか決められない「優柔不断」という「決断」をしているのです。「優柔不断」という「選択」をしているのであって、物事を決められない「優柔不断」ではないことに気がついてみると面白いですよ。 重ねて言います。「いつも優柔不断で、物事を決められない」のではなくて、なかなか決められないで「優柔不断」を選択しているのです。 大事なことは「優柔不断」という決断であろうとも、それが「自分の意志」で決断しているということに気づくことでです。 「優柔不断」でダメだと思っている限りは、「交流分析」でいう「脚本」<「今月の言葉」第1回「脚本」ご参照>であり、「ラケット感情」<「今月の言葉」第147回~152回「ラケット感情」ご参照>になりますが、「優柔不断」という選択をしていると考えると、自分の「意志」になります。「良いか」「悪いか」という前に、自らの「意志」であることを確認することが大事です。自らの意志であれば、良いも悪いもありません。 「優柔不断」は必ずしも悪くありません。「優柔不断」で良かったと思うこともあるのではありませんか。大事なことは、自分の行動は「自らの意志」であることを自覚することです。「脚本」に振り回されているのではなく、自らの意志であるという自覚が大事です。 |
く文責:藤森弘司>
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