2014年7月15日 第144回「今月の言葉」
「はからいを捨てる」とは何か?

●(1)今から約30年くらい前、私は、東京セルフ研究会という市民団体に所属し、一時期、役員をしている時、会報を担当しました。その時、同じく会員で、親鸞研究の第一人者の井上信一先生にお尋ねし、その回答を会報に掲載したことがあります。それを(2)に転載させていただきます。

 もの凄く難しいことですが、極めて重要なことです。なかなか「はからいを捨てる」ことは出来ませんが、でも、何かの拍子に、ヒョッと実感できるときがあります。例えば、子どもが病気で苦しんでいるとき、あるいは、厳しい受験勉強をしているときなどに、自分の小さなはからう気持ちを捨てる・・・・・のではなく、はからう気持ちが消えうせてしまい、祈りたいような気持ちになるときがあります。

 そんな一瞬に、「はからい」が消えているのかも知れないと思われます。「はからい」が消えている一瞬は、私(藤森)ごとき人間でも、純粋な人間になっているのかもしれません。

●(2)<藤森弘司の質問>浄土真宗について質問します。浄土真宗が他宗と違うところを簡単に教えてください。それと「はからいを捨てる」ことの本当の意味についても教えてください。

 <井上信一先生のお答え>親鸞の浄土真宗もお釈迦様のお教えの一つですから他宗と共通であり、特にお釈迦様の根本的な願いである「すべての人がしあわせになってほしい」という点を親鸞は最も強く受けついでいたと思いますが、敢えて違いだけ述べます。

①妙好人という人間像を沢山生んでいる。社会の底辺にいる人々の中に人生の原点をつかんだ素晴らしい人間を輩出させたのは浄土真宗の一大特徴と私は確信します。それは次のことから来るのでしょう。

②人間は太陽・空気・水それに他の生物の命の犠牲なしには生きられません。つまりこれらによって生かされているというのは宗教ということを離れた事実です。この事を気付かせようとお釈迦様は苦労されたと思うのですが、他宗は生かされていることと、生かされているに値する努力を強く説きます。

 浄土教(浄土真宗はそれをトコトンつきつめるので浄土真宗と呼ばれるのであって、親鸞は先生であり浄土宗の開祖法然と別の派を作るつもりはありませんでした)は生かされていることに気付かない自分というものにスポットをあてます。

 自分は大したものだと考え、自分は独力で生きていると力(リキ)む自分というものを徹底して見つめます。生かされているのに気付くのを第一の気付き、そのことに気付かない自分に気付くのを第二の気付きと私は名付けていますが、この第二の気付きが浄土真宗の特徴といえましょう。

 むずかしく言うと第一の気付きを法の深信(ジンシン)、第二の気付きを機の深信、あわせて二種深信と言います。

③私がわざわざ二つの気付きと名付けるところが、人間が自分を大したものと思い他人にも思って貰いたい何よりの証拠です。

④この二つの気付きなら学問がなく社会的地位がなくても誰にでもできますから、妙好人が生まれたわけです。妙好人はこの二つの気付きを・・・・・
1)アリガタイ
2)ハズカシイまたはスミマセンという言葉で現わし、この感情の上にナムアミダブツと唱えて小さな自分の殻を脱けていきました。

 次に「はからいを捨てる」本当のといえる資格はありませんが、私の考えを申し上げます。自分は大したものだ、自分の力で生きてみせるぞというのがはからいです。人生の原点(二つの気付き)は生かされるままに生きる(さらに死なされるままに死ぬ)ことです。
 「捨てよう」と思うのもやはりはからいだからただナムアミダブツと言うだけだと教えられております。しかし日常の生活では家庭でも社会でも自分の頭で考えて家計を切りもりしたり、セールスのやり方をきめたりしなければなりません。

 つまりはからいを捨てることはできないばかりか、はからいの連続です。私どもに出来ることは、それが生かされているという大きな土台の上で行なわれているのを忘れないこと、自分がうまくやったぞと自惚れたりしないことです。

 簡単に言えば謙虚な姿勢ということでしょうか。はからいを捨てられない自分だとはっきり知ることが、妙好人のハズカシイとかスマナイとかいう言葉に現れているのだと思います。努力といって普通は立派なこととされているものも、つきつめればはからいなのですね。じゃあ浄土真宗は努力を否定するのか?というのがご質問の本旨だろうと思います。

 そうでないことは親鸞聖人自身を見ればわかります。明治時代浄土真宗の近代化に大きな役割をした清沢満之は「天命に安んじて人事を尽くす」と言いました。世の中でいう「人事を尽くして天命を待つ」とよく似ており、人事をつくすがはからい=努力ですが、順序が逆になっている点がとても大切です。

 自分は何か(いや何でも)出来るぞという所から出発するのと「生かされています。生かされている根本事実も気付かぬほどものを見る眼のない自分です」という所から出発するのとでは雲泥の違いです。これは教育についても言えることです。親鸞的な生き方は何か消極的と見られて来たようですが、今や一見消極的に思えた「原点に立つ」生き方又は教育が見直されようとしているのです。

 <(ウイキペディアより)井上 信一先生(いのうえ しんいち、大正7年(1918年) – 平成12年(2000年)2月24日)は日本の銀行家、仏教思想家。熊本県出身。元宮崎銀行頭取。高千穂商科大学理事。「仏教経済学」を研究。父は内務官僚(元兵庫県警察部長)の井上政信。母は元鉄道大臣小川平吉の長女。叔父井上春成は元工業技術庁長官。

 略歴[編集]小学校の五年と六年の時に、両親が続けざまに亡くなる。1941年東京帝国大学経済学部卒業、日本銀行に入る。1971年同行貯蓄推進部長より宮崎銀行に転じ副頭取、頭取、相談役を歴任。1983年同行を辞す。仏教経営フォーラム会長、仏教振興財団理事長、地球主義学会会長、高千穂商科大学理事を務める。1998年 – 仏教伝道協会賞。

 著書[編集]
 『現代に生きる親鸞 青年の歎異抄』(実業之世界社、1957年)、『サラリーマンとその師』(普通社、1961年)、『貯蓄の話』(日本経済新聞社、1969年、後日経文庫)、『ストレスの科学と健康』(朝倉書房、1982年)、『若きパイオニアの生と死』(民衆社、1984年)、『歎異抄に生かされて』(鉱脈社、1986年)、『仏教的経営 心と物を活かすリーダーたち』(鈴木出版、1987年)、『歎異抄共に学ぶ人生』( 大蔵出版、1989年→新装版1997年)、『歎異抄・二つの気付き 生かされていることに気付く そのことに気付かぬ自分に気付く』(樹心社、1990年)、『仏教経営学入門 ビジネスを変える すぐれた経営者は、仏の教えを経営にどう生かしたか』(ごま書房、1993年)、『地球を救う経済学 仏教からの提言』(鈴木出版、1994年)、”Putting Buddhism to work : a new approach to management and bussiness”(Duncan.Ryuken Williams訳、講談社インターナショナル、1997)、『間に合ってよかった 「二つの気付き」とお念仏』(樹心社、1997年)、
翻訳[編集]『自由と平和への道 アメリカを訪れて』(ジャワハルラール・ネルー著、社会思想研究会出版部、1952年)、『90年代の管理会計』(ジョン・ワイ・リー著、門田安弘共訳、中央経済社、1989年)、

 参考文献[編集]
 『地球を救う経済学 仏教からの提言』(鈴木出版、1994)、辻井清吾「井上信一氏における仏教経済学の構築について」(『印度学仏教学研究』58-1、2009年)、辻井清吾「井上信一様との思い出」(『仏教経済研究』30号、2001年)、安原和雄「仏教経済学の今日的意義 – 井上信一著『地球を救う経済学』を読んで」(『仏教経済研究』30号、2001年)、武井昭「日本のシューマッハー・井上信一先生を偲んで」(『仏教経済研究』30号、2001年)>

く文責:藤森弘司>

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