2014年5月15日 第142回「今月の言葉」
「瞬間々々に完結している」とは何か?

●(1)20年くらい前のことです。ある日、「すべては、瞬間々々に完結している!」という言葉が飛び込んできました。

 私たち、全ての存在は、一瞬々々に完結していたのです。完結せずに、一瞬々々の出来事を、その後もズット引きずっているのは、単なる「脳作業」<2004年5月、「今月の言葉」第21回「自己成長と『脳作業』」ご参照>であって、一瞬々々は、その瞬間々々に、全て完結しているということが分かりました。

 本来は瞬間々々に完結しているにもかかわらず、「脳」が記憶という形で、いろいろな物事を引きずっています。そして、いろいろな出来事を引きずる最大のものは「恨み」です。

 私たちは、有り難いことや嬉しいこと、感謝するような出来事は、一瞬のうちに通り過ぎてしまいますが、「腹が立つこと」「恨むこと」「悔しいこと」は、場合によっては一生抱き続けます。
 何故ならば、良いことというのは「脳」にとってインパクトが小さいが、嫌なことは「脳」に大きな刺激となるために、場合によっては一生恨み続けることになります。一生とはいかないまでも、良いことに比べて、嫌なこと、特に恨むような出来事は10倍、100倍、1000倍のインパクトがあります。

 それがために、その瞬間々々に完結しているにもかかわらず、多くの出来事は心の傷という形で強く記憶されてしまって、完結していることに気付かないのです。
 その証拠に、野生動物が餌を取り逃がしたからといって、いつまでもクヨクヨしていません。いつまでもクヨクヨしているのは人間だけです。

 いろいろな情報・・・・・これを一般に「知識」だと思われていますが、私(藤森)の見るところ、「知識」だと思われているものの多くは、単なる「情報」の寄せ集め(百科事典的)に過ぎません。それがために、人生をより良く生きるために活用されることは少ないものです。

 私の考えでは、人生をより良く活用できるものを「知識」と呼びたいと思っています。

 例えば、「育児書」を何冊も読めば育児にはかなり詳しくなるはずですが、実際の育児が上手になるわけではありません。むしろ、育児書を片手にしながら育児する人の多くは育児が下手です。いや、育児が下手になります。

 何故ならば、育児書によって、育児についての「情報」は豊富になりますが、活用できる(本来の)「知識」は豊かにならないからです。活用できないレベルの「情報」だけが豊富になると、頭でっかちになって、返って、育児は下手になります。下手になるというよりも、頭でっかちになった「情報」通りにならないために、育児の現場ではイライラしてしまい、結果として、酷い育児になり勝ちです。

 その証拠に動物は、一切、育児書に頼らずに育児をしています。それでいて、(例外もありますが)立派に育児をしています。つまり、育児は「知性」「教養」で行なうものではなく、体験や練習などで養われる「感性」・・・・・つまり、仏教でいうところの行じることが重要です。
 私は、少し、剣道をやりましたが、教養として剣道の本を読む人はいても、剣道がうまくなりたいと思って本をたくさん読む人はいません。うまくなりたい人は、汗をかきながら、多くの練習をします。こんなことは、誰でも分かっていることで、今さら、こんなことを言えば、バカ扱いされかねません。

 しかし、多くの「育児」や「自己成長」に取り組む人は、剣道に喩えれば、作家が書いた剣道の達人の本をたくさん読むようなことをやっています。

 まずは「脳作業」をやらなければなりませんが、「脳作業」から、いかにして「身体作業」に移すか・・・・・そして、「身体作業」に移そうとすればするほど、全ての物事は、「一瞬々々に完結している」ということが分かってきます。

 「一瞬々々に完結している」ということが分かりながらも、「十分に充実」した生き方を私(藤森)はできていませんが、少なくとも、そのことが「理解(実感)」できた「量」に比例して、現状に満足できる「量」も増えてくるという体験はしています。

 説明が下手ですので、さらに工夫してみます。

●(2)哲学用語に「アウフヘーベン」という言葉があります。

<2006年3月15日「今月の言葉」第44回「危機とは何か?」>から、「アウフヘーベン」のところを再録します。

<<<さて、表題についてのすばらしい解説を発見しましたので、まず「危機」についての西洋哲学的な解説を紹介します。

 「月刊・織本 1月号」(医療法人財団・織本病院・清瀬市旭が丘1-261発行)の中の、「医療費削減許すまじ」理事長・名誉院長の織本正慶先生(胸部外科手術の世界的な権威)が書かれたものをご紹介します。

 ・・・略・・・
 ピンチとチャンス・・・ところでピンチ(危機)というものはチャンスを生み出す契機にもなる。それは私が五十年の病院経営の中でじかに体験したもので、何らかのピンチがきた時に、それをチャンスに転ずることがある。ピンチというのは何も経営上のものだけではなく、自分の心の中にもピンチあるいは悩みが生じた時に、それを契機として自己改革というチャンスが訪れる。

 織本病院五十年史の中に書いたが、ある若い結核の女性が何処かの病院で手術を断られて私のところに来たことがある。(四十年前の話)その女性の左肺には結核病巣があり、右の肺には更に大きな空洞があった。

 ともかく右肺の空洞に対して手術をしなければならないが、肺機能(肺の能力)を計ってみると胸郭形成術(肋骨を七本とって空洞を圧迫する手術)をするには呼吸能力が少なすぎる。要するに手術をしなければならないが、手術をするには肺の機能が悪すぎるのである。

 だが手術によって空洞を処理しなければ、この女性は三年以内に必ず死亡するだろう。そうなると従来のように肺機能に大きな影響を与える手術ではなくて、あまり肺機能に影響を与えないで結核空洞を潰すという新しい手術術式を考えねばならない。

 そこで考えたものが「一次的閉鎖の空洞切開術」という新しい手術術式であった。そうしてこの手術によってその人は後年結核から解放されることになる。この一次的閉鎖の空洞切開術という術式は日本胸部外科学会は無論のこと、メキシコで行なわれた国際胸部疾患学会で報告し、更にコペンハーゲンで行なわれた第十二回国際胸部疾患学会では十六ミリの手術映画を上映した。

 結局この「一次的閉鎖の空洞切開術」は私のライフワークになった。

 そんなこともあって私は自分の人生においてもピンチを契機としてチャンスが訪れるという考え方になった。ピンチは外面的にもあるが、内面的な自分の心の中にもあることは既に述べた。その心の悩みをピンチと意識することがチャンスを迎える契機になる。

 最近、透析センターで夕方お茶を飲みながら皆で話をするが、その中で私は自分の心に響く誤りを知ることもあり、それがヒントになって新しく考えることが多い。それは自分にとっては一つのチャンスと考えている。

 又、人との交わりの中でも自分の心の中のピンチを知り、チャンスに転ずることもある。これはピンチを矛盾としてとらえ、その矛盾を契機として一歩高い段階で解決するという意味であり、これはドイツの哲学者ヘーゲルの用語で「止揚」(アウフヘーベン)という言葉に当てはまる。>>>

●(3)非常に分かりやすい優れた解説だと思います。私(藤森)にもこういう優れた能力があれば、このホームページの作成も優れたものになるのになと残念に思っています。

 さて、一般にいうところの西洋・・・・・多分、キリスト教文化圏であろうと思われますが、西洋は、このように「二者」関係の中で説明しますが、東洋では「二者関係」ではなく、「一者」で説明します。

<2006年3月15日「今月の言葉」第44回「危機とは何か?」>から、「一如」のところを再録します。

<<<「危機」について、ヘーゲルの哲学用語を使っての大変わかりやすい説明で、多分、多くの人たちが、程度の差はあれ、概ねこのような理解・・・「ピンチの後にチャンスあり」と理解していることと思われますが、これは実は西洋的な発想なんです。西洋的な発想の上ではこれは正解ですが、日本語で「危機」と表現した場合、この解釈は違ってきます。
 西洋的な発想に対して、東洋では驚くべき展開をみせます。そもそも「危機」という言葉には驚くべき意味が含まれているのです。「表裏一如」と同じ発想で、「危機一如」と言ってもよいかもしれません。
 では「危機」とはなんでしょうか。

●「危機」の「危」は「危険の危」で、まさに「ピンチ」です。
 ところが驚くことに「危機」の「機」は「機会」を意味します。つまり「チャンス」です。
 これは何を意味するかといいますと、「危機」とは、「ピンチ・チャンス(危機一如)」であって、「ピンチの後にチャンス」があるのではありません。つまり「ピンチとチャンス」は同時に並存しています。
 たびたび述べていることですが、私(藤森)は浅学非才の身ですので、的確にピシャッと納得できるうまい表現ができない欲求不満が毎回あります。今回も、表現に四苦八苦していましたが、二十数年前に読んだ池見先生の著書の中から下記の文章を探し出すことができて、やっと溜飲が下がりました。

「心身セルフ・コントロール法」池見酉次郎(心身医学の創始者で元九大医学部名誉教授・故人)著、主婦の友社刊

 <心身一如の真意>

 この学会(筆者注:昭和五十二年の京都の第四回、国際心身医学会、池見先生は大会会長)の冒頭に、当時の理事長であったライサー教授が、「東西の医学の出会いの場としての心身医学」というテーマで講演をし、その結びとして、次のようなことを述べました。

 「心身医学では、心身一体ということが強調されるが、実は、米国の医師たちは、この考えには、抵抗を覚えるというのが本音である。デカルト流の心身二分論は、スピリット(魂)は、体から離れたものであるとする宗教的な伝統と関係しており、これは『不死でありたい』という、われわれのひそかな願望を支持するものである。従って、心身一体の考えに徹することは、不死への望みを断ち切ることになる。東洋の医師たちには、心身一如の考えが、このような意味での脅威にならないとすれば、われわれは東洋の友から多くを学ばねばならない」。

 その直後に、私が、次期理事長として、これに呼応する形での講演をしましたので、その要点を、次に紹介しておきましょう。
 デカルトの「我思う、故に我あり」として、人間の知性のみを重んじ、その情性や肉体をさげすんだ、物心二分・心身二分の哲学をもとに、物質偏重の現代文明が発展したところに、現代の世界的な危機の根っ子があるといえましょう。また、この考えが医学に持ち込まれたところに、今日の人間機械論的な医学の源流があることは、これまでにも述べてきた通りです。

 ライサーは、西欧流の宗教(キリスト教)の立場から、霊魂不滅(体は死んでも魂は生き残る)の考えにしがみつこうとしています。これも、実はキリスト教の教義の真実をはき違えた考えであり、もともとキリスト教でも、人間の心と体を分けて、体は死んでも心は生き残るというようには教えられてはいないはずです。そのような心身二分の考えをキリスト教に持ち込んだのは、デカルト流のギリシャ哲学であり、かつてキリスト教の教義をギリシャ哲学によって解釈した段階で、このような勘違いが起こったといわれています。
 日本人による日本人の哲学として有名な西田哲学では、心身一如という場合、人の心と体の関係は、仏教で説かれるように二にして不二、不二にして二とされています。心と体は、有機的に相通う相互媒介的な面を持つと同時に、心と体はそれぞれの働きについても、それぞれに対する研究法についても、はっきりと区別しなければならない相互否定的な側面をも持っているという事実を忘れてはなりません。

 これは、人間の体を構成する諸器官(心臓と肺など)同士についてもいえることです。全人的な医療といっても、方法論としては、相互否定的な方法をも必要とすることをしかと心得たうえで、心と体の相互媒介的な面も考えて診療すべきものです。>>>

●(4)私たちは、一般に、<宗教=RELIGION(リリジョン)>だと理解されています。事実、辞書にもそのように書いてあります。しかし、ここが翻訳の難しいところです。

 ブリタニカには・・・・・「日本語の『宗教』は古くから漢訳仏典にあったものを、明治にreligionの公式訳語として採用して以来広まったもの」とあります。

The original meaning of religion is “to bind again.” 宗教とは、再びつなぎ合わせるという意味。

 と何かに書いてありました。

 また、「フリー百科事典『ウィキペディア』」によりますと・・・・・「禁断の果実を口にした結果、アダムとイブの無垢は失われ、裸を恥ずかしいと感じるようになり局部をイチジクで隠すようになる。これを知った神は、アダムとイブを楽園から追放した。彼らは死すべき定めを負って、生きるには厳しすぎる環境の中で苦役をしなければならなくなる」

 とあります。
 ですから、<The original meaning of religion is “to bind again.” 宗教とは、再びつなぎ合わせるという意味>は、アダムとイブに代表される人間と神を「再びつなぎ合わせる」ことを意味するようです。

 詳しいことや正式な理解・解釈はともかく、私(藤森)がここで言いたいことは、「神」と「人間」という「二者関係」が西洋の根本的な精神構造であり、文化だということです。

●(5)これに対して、日本語でいう本来の「宗教」とは・・・・・以下は、「名僧・悟りの言葉」(由木義文著、PHP研究所)によります。

 日本の宗教史を見ていくと面白い事実に気づく。それは、新しい宗教が誕生してくる時期が3つの時点に集中している。

①一つは平安時代から鎌倉時代にかけて。
②二つは江戸時代から明治時代にかけて。
③三つは太平洋戦争から戦後にかけて。

①には、浄土宗、浄土真宗、時宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗
②には、天理教、金光教、黒住教などの神道系の宗教
③には、霊友会、立正佼成会、創価学会など。

 では、いかにして3つの時点にこれらの宗教が興ってきたか。

 この3つの時点は、社会が大きく変わった時期で、たとえば、①は、貴族社会から武士の社会に変わった時代。②は、武士の社会から天皇を中心とする社会へ。

 つまり、大きな変革の時代であり、混乱の時代であった。そんな中で、当然のこととして、多くの人々は、どう生きたらよいのかさまざまに考え、迷ったと思う。これに対し、人々に生き方や生きる意味を教えたの「宗教」だった。

●(6)これで分かるように、日本語の「宗教」とは、<人々に生き方や生きる意味を教え>、<religionは、 “to bind again.”(再びつなぎ合わせるという意味)>です。「再びつなぎ合わせる」とは、「神」と「人間」を意味するようです。

 何故、「神」と「人間」を「再びつなぎ合わせる」必要があるかといえば、先ほどの「禁断の果実を口にした結果、アダムとイブの無垢は失われ、裸を恥ずかしいと感じるようになり局部をイチジクで隠すようになる。これを知った神は、アダムとイブを楽園から追放した。彼らは死すべき定めを負って、生きるには厳しすぎる環境の中で苦役をしなければならなくなる」
 つまり、「神」と、人間を代表とする「アダムとイブ」であろうと思います。

 そして、<人々に生き方や生きる意味を教え>る「宗教」は、現代風に平たくいえば、心理学などでいうところの「自己成長に取り組む」ことであると言って差し支えないであろうと思います。

<心理学などでいうところの「自己成長に取り組む」ことである>とは言っても、神や仏、あるいは「地獄」や「天国」などを利用しているが、それはあくまでも「方便」としての「地獄」であり、「天国」であるはずであろうと推測します。

 空海は、「十界(じっかい)の有る所、これ我が心なり」と言っています。「十界」とは、「地獄」「餓鬼」「畜生」・・・・・です。<「今月の言葉」第124回「カウンセリングとは何か(十界)」ご参照>
 少なくても、「religion」でいうところの「絶対的な存在である“神(GOD)”」とは根本的に違うはずです。

 ただし、こういうことの専門家でも、研究者でもありませんので、アバウトに受けとめていただければ幸いです。
 ここで私(藤森)が言いたいことは、西洋では、物事を「二者関係」で見る傾向があり、日本の根本的な精神は「一」であることを申し上げたいのです。説明は下手過ぎて、理解不能かも知れませんが、なんとかがんばってご理解いただきたいと思っています。

 つまり、「一」だから「すべては、瞬間々々に完結している」と言いたいのです。

 とはいえ、説明が下手ですので、十分に説明できているとは全く思っていません。そのために、このことは私自身の心の中にも封印していましたが、下記の書物に出会って、フッと20年ぶりに思い出されました。

●(7)「禅語百選」(松原泰道著、祥伝社)

<71 日々是好日(日々是れ好日・にちにち これ こうにち)>(『碧巌録』第六則)

 『碧巌録』第六則に見える言葉で、世間でもよく知られています。しかし、白隠(はくいん)ですら「容易ならぬ」と嘆じたほど大切な言葉です。日々是好日・・・・・とは、常識的にいう「毎日が大安吉日」ではありません。

 まず、日がらがいい(好日・こうじつ)とか、日がらが悪い(悪日・あくび)とかのはからいや、こだわりを離れるのです。天候や季節に対してもまた同じです。自分を中心とする考え方を去って,環境の中に美なるもの、真なるものを開発するのです。吉川英治氏の「晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す。楽しみのあるところに楽しみ、楽しみなきところに楽しむ」の一言は「日々是好日」に近いといえましょう。

 「花発多風雨 人生別離足(花、発・ひらいて風雨多く、人生別離足る)」と、『唐詩選』に見えます。千武稜(せんぶりょう)という詩人の「勧酒(かんしゅ・酒をすすむ)」の中の句です。「花が咲くと、とかく風雨が多いし、人生もウンザリするほど別離の悲しみが多い」との嘆きです。
 しかし、この嘆きに徹すると“そうだ、それが真実だ”と、空しければ空しいほど、無常であればあるほど、花も美しいし、人生も尊く実感できる転換が大切です。それはまた禅のこころでもあります。

 千宗旦(せんのそうたん)は、茶聖利休の孫です。静寂な茶室を建てたので、庵名をつけてもらうために、かねてから師侍する紫野(むらさきの)の大徳寺の清巌(せいがん)和尚を招きます。
 ところが、急用ができたので宗旦は、「不在することをわび、明日お目にかかりたい」旨を記した手紙を弟子に託して外出します。

 やがて、宗旦が帰ってみると、留守中に訪ねた清巌の、これまた置き手紙があります。見ると僅か八文字で、
 「懈怠比丘 不期明日(げたいのびく 明日を期・ごせず)」
 とあるだけです。「懈怠の比丘・・・怠け者の坊さん・・・の私には、明日がわからない」と。

 これを読んで、宗旦はすぐに大徳寺に清巌を訪ね、謝罪の心をこめて、
 「今日今日といいてその日を暮らしぬる 明日の命はとにもかくにも」
 と詠じます。

 この縁に因んで、庵を『今日(こんにち)庵』と命名されたのです。現在、京都裏千家にある二畳の茶席です。宗旦は、また自らも『今日庵』と号しました。
 私たちに許されてあるのは、「即今(そくこん)」というただ今このときだけです。この一刻を、一日を精いっぱい大切に踏みしめて生きるとき、晴雨・悲喜もそのままに身心が健やかに安らぎます。

●(8)<25 無功徳 (功徳無し)>(『五灯会元』一 達磨章)

 禅の初祖は達磨(だるま)大師です。達磨は、海路インドから中国へ渡り、禅のこころを伝えに来ました。西紀520年から527年の間といわれます。
 ときに陵(りょう)の武帝(ぶてい)は仏法に深く帰依していたので大いによろこび、達磨を首都金陵(南京)の宮中に招きました。そして、
 「朕(ちん)、寺を建て僧を度(ど)す。何の功徳かある」と達磨に問います。

 武帝は、かつて袈裟をかけて、「放光般若(ほうこう・はんにゃきょう)」を講じたり、修行もしています。また、この質問のように寺を建て僧を育てているので、世間から“仏心天子”と崇(あが)められたほどの人です。それにしては、あまりにも平凡な問いです。どんな功徳があるか、と問われて達磨はにべもなく、「並びに無功徳(むくどく)」・・・・・どれもこれも功徳にならん、とつっぱねるのです。

 功徳ほしさにするなら、どんな善行でも役に立ちません。禅は、めだつこと・きわだつことを戒めます。人知れずこっそり善行を積むのです。誰がしたということが判明したら、もう帳消しだといわれるのです。

 ほめられよう、ニュースに出されようとの物欲しさの心が、せっかくの善行をマイナスにするのです。
 要するにエゴ的行為にすぎません。エゴ心を満足させる行為を、信心の名で美化しようとする醜悪さを、達磨はズバリと抹殺します。

 善行を積んで善い結果を得る・・・・・善因善果(ぜんいん・ぜんか)の法則は確かです。しかし、原因と結果との間に時間・空間の距(へだた)りを置かず、因と果を一点に凝結するのです。因がそのまま果、果がそのまま因とうけとめるのを「因果一如(いんが・いちにょ)」といいます。

 善行をして、やがて善果を得るという気のながい話ではありません。悪行をもしかねないのに、善行を積む縁を得たこと、それ自体がありがたいことではありませんか。悪事をして罰があたるのは確実です。
 しかし、善事ができる縁を持ちながら、悪事しかできないのが、すでに罰があたっている証拠です。

 こうした因果一如観とともに、達磨は、武帝がしがみついている自我心を根こそぎ奪いとっています。
 功徳を積んだという考えも、無功徳だという意識もともに奪いつくすのです。ただ無心に、黙々と善事を重ねる深いこころの開発が待たれます。

 <藤森注・・・・・上述の「白隠」は禅界における近代の巨匠。白隠がいなければ日本の臨済宗は消滅したであろうと言われています。私の説明では不十分ですので、「禅・白隠和尚(釈瓢斎著、平河出版、1983年・・・昭和10年、京都の人文書院が出版したものの復刻版)よりご紹介します。

 「・・・・・それが、愚堂・・・至道・・・正受と、ただこの一系にだけ伝えられて、他はほとんどもう絶えかけておった。『命、懸糸の如し』というから、ちょうどかいこの糸のような、細い糸たった一筋だけにつながっていた。この信州飯山の正受老人、道鏡惠端という人ひとりに伝えられておった。この人が亡くなると、応・燈・関の一系といわれた日本の臨在禅も、事実上絶えてしまう危ない瀬戸際であった。

 そういう時に、『三百年間出』の英雄と謳われた白隠禅師が出てこられた。その後の日本の臨済宗は、白隠によって中興されたので、白隠のことを『日本臨済宗の中興禅師」』という。

 現在も禅宗の僧侶の数は少なくないが、禅のほんとうの法というものを伝えている“師家”と呼ばれる禅匠は、僧侶に6、70名、居士に10名足らずしかいない。そして、そのすべてが白隠の法孫になるわけである。現在、その流れはだいたい十流ぐらい数えられるが、そのすべて、今日の日本臨済宗は全部、白隠下の禅であると言ってもいい。」>

く文責:藤森弘司>

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