2014年12月15日 第149回「今月の言葉」
「交流分析」の「ラケット感情」とは?⑥-③

●(1)今回は、交流分析の用語を詳しく解説します。今回の⑥ー③で前半を、後半を最終回に説明します。少々辛いですが、是非、熟読してください。

 下記の<<< >>>内は、前回の⑥ー②を再掲載、下記の(2)は、前回ご紹介した専門用語の解説です。青い色が解説です。

<<<さて、上記のように、前回、「ラケット感情」とは「ニセの感情」であると説明しました。特にマイナスの感情の場合、私たちは、通常、本来の感情を味わわず、ニセの感情を味わっているものです。上記の例で説明しますと、<<<例えば女性が男性に侮辱されたとします(男性が女性に侮辱された場合でも結構です)。最近の女性のことは分かりませんが、昔ならば、多分、多くの女性が泣いたことと思います。「悔しい」泣きながらハンカチを握り締める場面を想像してみてください。>>>こういう場合、本来は悔しいのですから「怒り」を出すべきですが、特に、日本という国は女性の怒りは非常に出しにくいものです。「怒り」を出せば嫌われたり、女のクセになどとヒンシュクを買いかねません。
 しかし、「怒り」を「泣く」という形に置き換えると、それは大きな武器になります。女性に泣かれると、相手の立場が弱くなったり、同情が寄せられたりします。そういうメリットがありますので、怒りの時に泣くというクセがつきます。このようにクセとして身についたものを「ラケット感情」と呼びます。

 例えば、梅雨のシトシト雨が降る家の中でボンヤリしていると「虚しさ」や「寂しさ」を・・・昔、私(藤森)は、よく味わいました。
 私としては、シトシト降る雨の日、誰も居ない部屋の中で一人ションボリ居れば「虚しさ」を味わうのは当然だと思っていました。が、蛙はゲコゲコ喜んでいるし、お百姓さんは田畑が潤って喜んでいるはずです。
 雨がシトシト降る寒々とした陽気と考えるのは、私の虚しさ、つまりラケット感情がそうさせていたのです。雨がシトシト降る気候をどのように感じても良いわけです。スキーが大好きな人は、雪が降り始めれば喜ぶでしょうが、そうでない人は嫌だなと思うかも知れません。

 一つ一つの状況に対してどのように感じるか、どのように受け止めるかはその人の自由であるにもかかわらず、私たちは、乳幼児時代の家庭環境の影響によって、固有の受け止め方をするクセがついているものです。

 よくあることですが、カウンセリング中に「分からないこと」があった場合、「分かりません」とか、「教えてください」とか言えば済む単純なことであるにもかかわらず、「分かりません」と言うことに困難を極め、苦しんだり辛くなったりする方がとても多いです。
 それは幼少期に「分からない」という子供の率直な言い分を許さなかった体験によるものです。そうすると、「分からない」ことは「苦しむこと」という「ラケット感情」が身についています。そのために、分からないことがあるたびに、辛くなったり、劣等感コンプレックスを味わったりしかねません。

 以上のことを前提にして、下記の専門的な解説をご覧下さい。
 交流分析をご存知ない方も、専門用語の部分は飛ばして、分かりやすい部分をじっくりご覧ください。私たちの日常に極めて重要な「ラケット感情」を理解し、少しでも「ラケット感情」から自由になることが、人生を少しでも生きやすくすることです。

 禅語にある次の言葉は、まさに「ラケット感情」から自由になることを意味していると、私(藤森)は解釈しています。

「随処作主 立処皆真」・・・随処(ずいしょ)に主となれば 立処(りっしょ)皆真(みな・しん)なり>(臨済録)

 自分の置かれた場所で、隙のないように精いっぱいやるなら、どこにあっても真実のいのちにめぐりあえる・・・というほどの意味です。よく主体性を持て!といわれますが、主体性を持つとは、随処に(どこにでも)自分を投入して惜しまぬ愛情だと思います。すると、随処に意味を発見できます。真実のいのちにめぐりあえるのです。そこに生きがいを感じます(「禅語百選」松原泰道著、祥伝社)。

 

 ここでいう「随処(ずいしょ)に主」となるためには・・・逆に言えば、「随処(ずいしょ)に主」となれないのは、交流分析でいう「ラケット感情」のためであるというのが私(藤森)の考えです。 「ラケット感情」が邪魔をするために、私たちは「随処(ずいしょ)に主」となれないのです。
「ラケット感情」は本当に重要な概念です。じっくりとご覧ください。
>>>

●(2)ラケット感情の定義を紹介します。以下の(3)~(7)は<「交流分析上級者講座」杉田峰康先生著、発行:自己回復総研>によります(下記の青色が私・藤森の解説です)。

<Ⅰ:ラケット>

1)ラケットとは
A)人がゲームを演じるとき、その結末として、決まって味わう感情、また、それらの不快な感情にひたる傾向(バーン)

ゲームとは、「こじれた人間関係」のことで、「夫婦」や「親子」の間で行なわれることが多い。また、苦手な相手とも行なわれるもので、こじれたパターンをくり返すものを「ゲーム」と呼びます。終わった時に、「ああ、またやっちゃった」と後悔するような交流を「ゲーム」と言い、ゲームの最後に味わう決まった嫌な感情を「ラケット」と言います。
「虚しい」「イライラする」「絶望感」「混乱」「憂うつ」など、その人固有の嫌な感情です。下記のにあるリストが典型的です。

B)幼時に、親の愛情を得る手段として形成された一種の条件反射で、その後の人生においても持続するもの

その後の人生においても持続するもの
ラケット感情が出来上がると、どんな時でも、その人固有の感情を味わってしまう強い傾向があります。私たちは、その時、その時に、その状況に応じて、その状況に相応しい感情を味わっていると錯覚していますが、多くは、状況に関係なく、その人固有の決まった種類の感情を味わっているものです。

例えば、財布を落としたとします。ある人は「怒り」、また、ある人は「虚しい気持ち」を味わうかもしれません。本人は、財布を失くしたのだから当然の感情を味わっていると思っていますが、実は、多くの場合、幼時に形成された一種の条件反射で味わっているものです。
しかし、本人は、長年、味わっていますので、条件反射で味わっているとは、全く思っていません。そのために、今、あなたが味わっている感情はラケット感情であることを理解することが、自己成長に極めて重要です。気づくこと・・・これは、交流分析では最も重視します・・・が、ラケット感情の縛りから解放されるための入り口です。

C)慢性化した、定型的な不快感情(グールディング)

 慢性化した、定型的な不快感情とは、まさに、繰り返し、繰り返し味わう、ほぼ決まった種類の感情をします。仮に、虚しさが強い人は、どういうことがあっても、虚しさを味わってしまう強い傾向があります。
私(藤森)自身、若いときは、劣等感の塊でしたから、相手が私を馬鹿にしているわけではなくても、私の劣等感コンプレックスに触れると、涙が溢れて来ました。私は、その時の感情を味わっているつもりでしたが、実は、劣等感コンプレックスが出来上がった過去の感情を味わっていたのです。

D)真実の自然な感情をカムフラージュした人工的な感情(イングリッシュ)

 カムフラージュした人工的な感情とは、上述したように、過去・・・例えば、私が5歳の時に完成したある種の劣等感コンプレックスだとすると、今、ここで味わうべき感情ではありません。
例えば、今、誰かとレストランで食事をしているとします。
そこに少しデラックスな料理が出てきたとします。私は、食べ方のマナーを知らないために、こうやって食べるんだよと教えられたとします。本来は、ただこれだけのことなのですが、貧乏育ちで、貧しいということに対する強い劣等感コンプレックスがある私は(本当にあります)、そこで
「惨めさ」を味わってしまいます。
今ならば、「ああそうなんですか、ありがとうございます」と言って感謝できますが、若い頃の私は、「惨めさ」や「屈辱感」を味わっていました。そういう劣等感コンプレックスがあれば、人間関係がうまくいくわけがありませんし、人生が心地良くなるわけがありません。

 そういう私の惨めな人生・・・と錯覚していた私の人生を克服してきたために、少しでも多くの方々に、これを理解していただき、より良い人生を生きていただきたいと念願しています。
 僭越なことを申し上げると、「カムフラージュした人工的な感情」、つまり「ラケット感情」を克服してみると(もちろん、まだ、十分ではありませんが)、生きるのがとても楽になりました。

 何故ならば、その場、その場で、どのように受け止めるかは自分の自由ですから、「惨めさ」や「虚しさ」などを味わう必要が無くなりました。多くの場合、「ありがとう」で済ませられるようになりましたから、本当にになりました。「随処作主 立処皆真」
指導者の側は、クライエントの方が、ラケット感情を味わっているのか、その場にふさわしい感情を味わっているのか、瞬時に判別する能力が問われます。多くの場合、「ラケット感情で味わっている気持ち」を楽にしてあげようともがいているようにように見受けられます。

 典型的な例は「ダイエット」です。ダイエットしたいという気持ちは、ラケット感情が投影している欲望であって、多くの場合、ダイエット願望の奥底にあるものは、本質的な「惨めさ」や「虚しさ」です。
 それを味わうことは極めて辛いことですので、太っているから「辛い」「惨めだ」・・・自由に外出できないから、あるいは素敵な洋服が着られないから「虚しい」などの投影した、あるいは「カムフラージュした人工的な感情」を味わうことで、本質的かつ強烈な感情を防衛しています。
だから、ダイエットが成功しないのです。成功してしまったら、本質的な辛さを浮いてきてしまうからです。本来、本気になりさえすればダイエットほど簡単なものはありません。必要量を食べて、必要量の運動をすれば成功するはず・・・にもかかわらず、何故!!!食べ過ぎますか?何故!!!必要量の運動をしないのですか?

 その答えは簡単なことです。ダイエットをして、スマートな体になることが無意識の目的ではないからです。むしろ、無意識の目的に反するから成功しないのです。失敗しないと大変なことになるからです。つまり、ダイエットをするというバカバカしいことに、専門家までが必死に応援しています。
ですから、私・藤森の格言・・・真理を求めないのは心理だけ!!!

2)ラケットの性質
A)ラケットは、あなたが繰り返し味わう感情で、あなたの精神生活の自由を奪っている。
B)ラケットは、自然な感情をカムフラージュしたニセの感情である。
C)ラケットは、幼時に身につけた魔術的な信念に基づいている。
D)ラケットは、無法な力を発揮し、本来の生き方を妨げ、親密な交流を阻む。
E)ラケットは、今なお、あなたを過去の中に閉じ込めようとする。

 「精神生活の自由を奪っている」・・・自由に感じる「自由」を奪われています。
「ニセの感情・・・魔術的な信念」・・・その場やその状況に応じた感情ではなく、3~4個の特定なラケット感情に縛られていて、そのラケット感情を味わっていると、ある目的が叶えられると魔術的に信じています。
例えば、「悲しい」気持ちを味わっていると、お母さんが「どうしたの?」と優しく対応してくれる。だから、辛い気持ち、寂しい気持ちになると「悲しい」顔をしてしまう。何故か?

 それは、この例で言えば、お母さんが無意識の世界に悲しいというラケット感情を抱えていて、それを子供に投影しています。子供に投影していますので、子供が自分の代わりに悲しさを味わってくれ、子供の悲しさを慰めることで、自分の悲しさを癒せる・・・本質的な癒しではないが、癒せる効果があります。そういう関係が出来上がると、子供はすぐに悲しそうな顔をするようになります。そうすると、お母さんはすぐにストローク(簡単に言えば、愛情)をくれます。「どうしたの?」と優しく触れ合ってくれます。

 こういう関係が出来上がると、「悲しそうな顔」以外は、温かい触れ合いをしてもらえませんから、常に、悲しそうな顔をする子供の人間性が出来上がります。それでも、親子関係の時は良いのです。ひとまず、目的が叶えられますから。困るのは、魔術的に信じられていますから、親子以外の関係でも、やたらと悲しそうな顔をする人になってしまうことです。
 そうすると、周囲は「変な人」と思い、本人はストロークが来ないにもかかわらず、魔術的な信念に基づいて、悲しい顔をし続けるという奇妙なことになります。このように言いますと、だれでも、そんな馬鹿な話は無いと思われるでしょうが、世の中のほとんどのマイナス感情はこれで行なわれていると言っても過言ではありません。
 だから禅語でわざわざ「随処作主 立処皆真」と言うのです。私たちがいかに、その場、その場で「自分自身」になれていないかということです。

 分かりやすい例で言えば、あの課長は、あの社長はすぐに怒るなどというのはそうでしょう。「すぐに怒る」という「すぐに」は、ほぼ百パーセント、ラケット感情だと言って間違いありません。

 韓国の航空会社の女性の副社長がピーナッツ事件を起こしましたが、あれもラケット感情です。つまり、あの場に相応しくない感情です。肩が触れた、足を踏まれた、何かを間違えたというだけで激怒するのも、間違いなくラケット感情です。
 そうやってみると、世の中、ラケット感情のオンパレードです。ということは、ラケット感情から脱出することこそが「自己成長」です。ラケット感情から自由を奪い返した証拠は、優しくなったか否かで判別できます。以前よりも穏やかになったか否かで判別できます。
よくよく考えてみますと、日常の多くは、怒ったり、悲しくなったり、虚しくなったりするようなことはほとんどありません。だから人間性が
「穏やか」になったり、「優しく」なれるのです。

3)ラケットとストローク
A)子供(大人)は、ラケットをストロークを得るために間接的または操作的に用いる(一種の思い込み)
B)この不快な感情をじっと長く味わっていれば:
①母(または父)がきっと私を認め、ストロークをくれるだろう。
②母(または父)が変わってくれるだろう。
③状況が変化するに違いない。

4)ラケットはどのようにして身につくのか
A)その感情に報酬(ストローク)が与えられとき
B)親の感情生活と同一化するとき
C)自然な感情の抑圧が歓迎されるとき
D)その感情が、子供の「思考の万能」を満たすとき

5)TA(交流分析)におけるラケットの扱い方
A)問題を明確にした後、その背後にあるラケット感情に焦点を合わせる。
B)ラケットをあるがまま見つめる。いわば、間をおいて「観察する自我」を働かせる。
C)ラケットの成り立ち、目的をさらに探る。
①場面設定
②今体験している悩みと同じものを味わった幼時の場面を見つけて下さい。
③そのラケット感情(例:悲しみ)が、どんなふうに相手を変えるか、言ってみて下さい。
D)ラケットが不毛な思い込みであることに気づいたとき、それを捨てる。
E)新たな問題解決法を探り、行動計画を立て、実践に移す。

■ラケットとは・・・何かをした後でその人が常に感じる一定の不快な感情のことです。

◎仕事で失敗したときに、あなたがよく感じる感情はどういうものか、下(■)から選んで○でかこんで下さい。これ以外にもあれば、下に書いて下さい。

■リスト・・・・・怒り、混乱、恐怖、自己卑下、劣等感、傷心、憂うつ、ライバル意識、罪悪感、闘争心、イライラ、頑固(かたいじ)、優越感、恨み、不安、疑い、心配、孤独感、無力感、かんしゃく、むなしさ、あせり、憤り、落胆、緊張感、悲しみ、嫌悪感、あわれみ、疲労感、同情、絶望感、恋慕、見捨てられた気持ち、義務感

◎人間関係でまずいことがあったとき、あなたが感じる感情はどういうものか、下(■)から選んで○で囲んで下さい。これ以外にあれば、下に書いて下さい。

■リスト・・・・・怒り、混乱、恐怖、自己卑下、劣等感、傷心、憂うつ、ライバル意識、罪悪感、闘争心、イライラ、頑固(かたいじ)、優越感、恨み、不安、疑い、心配、孤独感、無力感、かんしゃく、むなしさ、あせり、憤り、落胆、緊張感、悲しみ、嫌悪感、あわれみ、疲労感、同情、絶望感、恋慕、見捨てられた気持ち、義務感

*あなたには、あなた特有の感情があります。この不快な結末感情(ラケット)がまずい人間関係を何度もくり返させているのです。

<後半は、次回の⑤ー④に続きます。辛くなるでしょうが、非常に大事なことですので、辛さに耐えて、熟読玩味され、より自由な精神生活を回復されることを祈ります>

く文責:藤森弘司>

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