2012年9月15日 第122回「今月の言葉」
「外交」とは何か?

●(1)私(藤森)は、個人の「深層心理」を専門にしていますので、当然、「外交」はド素人です。が、もし、「外交」、特に2国間の「外交」は「夫婦」間の問題と同じ、少なくてもとても似ているはずであると言うとどんな受け止め方をされるのでしょうか?

 私は、両者は非常に似ていると思っています。勿論、スケールの大きさや、歴史的背景、言語の問題など、夫婦の問題とは桁外れに複雑かつ、解決が困難な問題でしょう。それでも私はド素人であるが故に、無責任(?)に述べれば、ほとんど同じであると思っています。

 ほとんど同じであるという意味は、たとえば、一辺が1メートルの正三角形と、一辺が1キロメートルの正三角形は大きさの違いはあっても、同じ角度を持っている同じ正三角形、つまり「相似形」であるのと同様、「外交」問題に取り組む困難さと、「夫婦」問題に取り組む困難さは基本的に同じであるという大胆な考えを私(藤森)は持っています。

 その両者に求められるものは「自我の成熟性」です。
 それをこれから、「学才」も「文才」も無い私(藤森)の得意技である「メディアの情報」を駆使しながら、無謀にも証明(?)してみたいと思っています。

●(2)一人の人間をつき動かしているもの、つまり、その人の行動は、その人の「深層心理」を表しています。これを私(藤森)は「内面の外在化」と呼んでいます。勿論、ユング心理学でいう「投影」と意味は全く同じです。そのため、新しい理論であるという意味ではありませんが、表現というか、言葉としては、多分、私独自の言葉ではないかと思っています。

 状況によっては、「投影」の方が分かりやすいし、優れている場合もありますが、「内面の外在化」の方がより適切だと思うこともあります。

 さて、「内面の外在化」とは、「内面」、つまり「無意識」は、すべて「言語」「行動」、特に「行動」や「感情」に強く現れます。その「言語」や「行動」などに表現されているもの、つまり、「外在化」されているものをどのように読み取るか、さらには、より重要な意味のあるものをどれだけ拾い上げられるか・・・・・これは困難を極めますが、それこそが心理の専門家の「力量(職人技)」を意味します。

 余談ですが、私(藤森)が子どもの頃は、戦争で焼け残った跡が沢山ありました。その中から鉄屑を拾い集めたものですが、その中に、稀に「銅」があると、「アカだ!」「アカだ!」と叫んで喜んだものです。鉄よりも高く売れるからです。

 「外在化」されたものをどれだけ鋭く読み取れるかということは、鉄屑の中から「銅(アカ)」を探し出すこと、今ならば「レアメタル」になるでしょうか。「外在化」されたものは全て、「無意識」を表わしていますが、しかし、その中には鉄もあれば銅もあり、さらにはレアメタルもあります。
 つまり、あまり意味を成さないものから、クライエントの方が長い間、全く気が付かなかった人生の「(最)重要課題」・・・・・そういうものをどれだけ多く発見し、そしていかに適切にお伝えし、ご理解をいただくかが「深層心理」を専門にする私(藤森)の側の「最重要課題」です。

 一般に分かりにくいテーマですので、別の例え話をします。
 アフリカの鉱山でダイヤモンドを採掘する現場をテレビで見たことがあります。作業員は泥だらけになりながら、土の中から米粒やピーナッツ、時にはアーモンドサイズのダイヤの原石を探していましたが、「心理カウンセリング」の仕事は、この方たちの作業とほとんど同じだなあ、と思いながら見ていたことを思い出します。

 いかにしてダイヤモンドの原石を探し出すか。

●(3)さて、一人の人間の「言動」は、その人の「深層心理」を表しています。
 そういう人間が集まって、一つの国を形成しています。その国と国との交渉が「外交」です。そう考えてみると、「外交」とは、最小単位である「夫婦」の「関係性」とかなり「類似性」があるのではないか・・・・・と考えてみますと、個人の「深層心理」を専門にしている私(藤森)にも、多少は発言権があるのではないか・・・・・というのが今回の趣旨です。  多分、「夫婦」の問題と「外交」を同列に考えることは違いすぎると思う方がほとんどではないでしょうか?でも、果たしてそうでしょうか?というのが今回の問題提起です。  私たち人間は、夫婦や親子の関係を良好に保つことは大変難しいものです。何故ならば、距離が近ければ近いほど良好な関係を維持するのが難しいからです。
 例えば、単身赴任などで距離が取れている場合、結構、夫婦関係はうまくいくものです。もちろん、経済的な問題や生活する不便さなどはあるでしょうが、夫婦の人間関係は結構うまくいくものです。少なくても、こじれることは少ないものです(特殊なケースを除いて)。

 どうしてでしょうか?
 実は、私たちは、良好な人間関係を作るうまい方法はあまり体験していないのです。人類の歴史は「飢餓」「戦争」「疫病」「天変地異」などによる死の怖れの連続でした。最近の日本こそ「飢餓」や「戦争」の恐れはかなり少なくなりましたが、それでも人類の歴史からみれば、ほんのわずかの例外的な期間です。
 
 このわずかの期間を除けば、人類は常に「死の恐怖」と隣り合わせに生きています。つまり、生きるということは、いかに「生き延びるか」ということでした。それは、いかにして「死なずに生き延びるか」ということで、いかに「人生を充実させて生きるか」ということは「軽視」せざるを得なかったはずです。

 勿論、宗教もあるし、哲学もあるし、道徳もあるし、教訓もあるでしょう。しかし、人類の絶対多数の人たちは、ただ、毎日をいかにして生き延びるかということが「絶対関心事」だったに違いありません。
 そういう人類の歴史を考えて見たならば、「人間性」を大事にするとか、豊かにするなどの余裕はほとんど無かったか、あまりにも考慮できない毎日だったことと思います。

 今、NHKの大河ドラマ「平清盛」が放映されていますが、「裕福」極まりなく、「教養」は溢れるほどの皇族や貴族の人間性がどれほど乱れ、場合によっては「殺戮」を繰り返していたかを考えれば、絶対多数の庶民がどのような暮らしぶりであったかは想像に難くありません。

 ですから、今、取り敢えず安直に「DNA」という言葉に代表させておきますが、「DNA」の中に、人間関係を大事にしたり、人間性を豊かにするという「条件付け」があまりにも少ないのが、私たち人間の「実像」です(この辺りの詳細は、9月27日の「三日月会」でお話します)

 そのために、人間関係の距離が近づけば近づくほど「良好な関係」が作れず・・・・・「良好な関係」の作り方を知らないために、知らず知らずの内に夫婦の双方が引っ掻き合ってしまいます。本当は「親密な関係」を作りたいし、大好きだからこそ結婚したはずなのに、気が付いたらお互いに傷つけあってしまっています。こんなはずではなかったのに!!!

 これが「交流分析」「ゲーム」(こじれた人間関係)です。私たちは、残念ながら、「親密」な関係を求めながら、そのほとんどはこじれた関係である「ゲーム」をする以外に知らないのです。「ゲーム」の仕方は教えられてきました(サンプルを見せられてきました)が、「親密な関係」のサンプルはほとんど教えられていない(見せられていない)のです。
 
 そうやって何十年間もの「結婚生活」を続けているうちに、如何ともしがたいほどのこじれが夫婦間に生じ、ほとんど修復が不可能なほどのネジレが起きてしまいます。私(藤森)にとっては、領土問題でこじれた「二国間」がこれとほとんど同じようにさえ思えてしまうのです。

●(4)だからこそ「夫婦間」の問題にしても、「二国間」の問題(外交)にしても、「自我の成熟性」が求められるのです。

 「夫婦間」のこじれが耐えがたくなれば「離婚」になります。「領土問題」であれば「国境紛争」です。「夫婦間」のこじれを解きほぐしたり、「領土問題」に取り組むのに「正論」を吐けば良いと思うのはあまりに「単純」過ぎます。
 
 日本ではなくアメリカに行き、「尖閣諸島を購入する」と石原知事が力説するのは「蛮勇」に近いでしょう。「夫婦」のこじれに喩えれば、「百万円の指輪をプレゼント」すれば、長年のこじれた関係が一挙に解決するのでしょうか。そうではないでしょう。

 ではどうしたら良いのでしょうか。
 私(藤森)の専門である「夫婦」のこじれた関係を修復するのと同じような発想(?)で「尖閣諸島問題」について、(私流に言えば)「成熟した大人の対応」が必要であると日高義樹氏が説いています。

●(5)平成24年6月14日、夕刊フジ「世界を斬る」(日高義樹)

 <米海軍も懸念する尖閣への日本の対応>

 尖閣諸島を東京都が買う計画に、すでに11億円を超える基金が集まったというこれは、国民の尖閣諸島問題に対する関心の強さと中国に弱腰の民主党政府に対する苛立ちをよく表しているが、アジア太平洋の安全に責任を持つアメリカ海軍の幹部も日本政府が、この問題をどうするつもりか懸念している。

 私の友人で、ワシントンの国防大学で特別教育を受けていたアメリカ海軍の幹部の1人が、尖閣諸島について書いた戦略論文を見せてくれた。彼は海軍総司令官のグリナート大将や、その副司令官のバード中将にも近く、太平洋での勤務も長い。彼は尖閣を買うという石原慎太郎都知事の計画を中国に対する新しい戦略的な動きとして、高く評価している。

 だが、石原知事は一介の知事に過ぎず、政府の代表として外交を展開することはできないと指摘し、「重要なのは、これから先、日本政府がどうするか、ということだ」と述べている。
 彼が懸念しているのは、日本の人々が尖閣は日本のものだと主張しながら、その主張に真っ向から挑戦している中国に対して何もしていないことである。

 「日本の人々はアメリカ第7艦隊が守ってくれるかどうかだけを懸念している。いま日本の人々がやらねばならないのは、子供がおもちゃを抱え込むように尖閣諸島は自分のものだと主張するのではなく、世界をオブザーバーとして中国と折衝し、尖閣が日本のものであることを世界に納得させることだ」

 この友人をはじめアメリカ海軍の首脳たちは、同盟国である日本を助けるのは当然であるとしながらも、日本が尖閣を自分のものであることを明確にする努力を十分にしていないと考えている。
 「日本政府は尖閣問題の担当者を決め、日本領であることを証明する歴史的な資料などを世界中に公開し、中国政府と交渉して、その過程の全てを世界中に示さなければならない」

 友人はこう述べているが、彼が最も心配しているのは、中国側と交渉せずに、日本が尖閣に軍事基地を一方的に作ったりすることである。
 彼は次のように警告している。
 「そのような行動をとれば、世界の世論は日本に背を向ける。日本がこのまま駄々っ子のような態度を続けていれば、中国は尖閣の権益を手に入れようとしているのと同じやり方で沖縄も中国のものにしようと動き出すに違いない」

 大陸棚や海洋法をこじつければ、中国はどのような主張をすることも可能である。尖閣問題を日本がうまく処理できなければ、沖縄まで危うくなるというのが、アメリカ海軍の常識論である。

 その背景には、アメリカ外交の基本であるニクソン・キッシンジャー・ドクトリンがある。中国を国際社会に引き入れ、中国相手の戦争は行なわないという戦略である。
 尖閣をめぐって中国と戦うことなど、アメリカは考えたくもないのだ。

 ひだか・よしき・・・・・1935年名古屋市生まれ。東京大学英文科卒。59年NHKに入局し、ワシントン支局長、アメリカ総局長などを歴任。退職後、ハーバード大学客員教授を経て、現在は同大諮問委員、米ハドソン研究所首席研究員。『ワシントンの日高義樹です』(テレビ東京)に出演。

●(6)いかがでしょうか?

 自民党時代も含めて、私たち日本人はこういう普段の努力や取り組みを適切にやってきたと言えるのでしょうか。ニッチもサッチもいかなくなると、エイッヤッとばかりに思い切ったことをやって、却って事態を紛糾させてしまうという「外交下手」な面があるように思えます。
 多分、昔ならば「戦争」でしょう。

 例えば、隣人に困った人がいた場合、警察が対応するほどのことではないが、放置するには非常に住みにくい、生活しにくいという問題があった場合、さて、どうするかです。
 もちろん、私(藤森)に良いアイデアがある訳ではありませんし、また、人生にマニュアルがある訳でもありません。どうすれば良いかは分かりませんが、私たちはこういう場合、「正しいか否か」で見過ぎる傾向が強くあります。

 困った隣人の問題をどうしたら良いか、どうしたら、まずは自分自身がより心地良くなれるか、それを工夫すること、つまり、日高義樹氏が提案するような工夫をするためにはどうしたら良いのか・・・・・ここに「自我の成熟性」が求められます。

 領土問題で困った時は「日米安保条約」があるから、アメリカに守ってもらえるという発想そのものも「自我の未成熟」、つまり「幼児性」で、これは、「自立性」「自発性」に乏しい日本人の特徴を如実に表しています(マザコン、ファザコン的)。
 可能な限りの手を尽くした上で、アメリカを頼るのではなく、初めからアメリカが助けてくれることを密かに願望しながら「外交」していないだろうか?

 中国や韓国、そしてロシアとの「領土問題」は、今や、日本人の特性を如実に映し出す「鏡」・・・・・「投影」「内面の外在化」・・・・・になっているような気がしてなりません。

 さて、「尖閣諸島」の領土問題がいかに「日米安保条約」をアテにできないか、それを紹介します。

●(7)平成24年9月7日、週刊ポスト「緊急発言」(孫崎亨・元外務省国際情報局長)

 <「いざとなったらアメリカが・・・・・」の思い込みを嘲笑う「不都合な真実」>

 <米国は尖閣諸島を守ってくれない>

 尖閣問題で中国に対し強硬な態度を示そうとする人々は、多くがこう思っているはずだ。「いざというときは米国が守ってくれる」と。だが、果たしてそれは本当なのか。元外務省国際情報局長の孫崎亨氏は、「それは従米派の人々の一方的な思い込みでしかない」と指摘する。

 ***

 米国は尖閣問題について、2つのポジションを巧妙に使い分けている。
 1つ目は、「尖閣諸島は安保条約の対象になっている」という考え方で、10年9月に起きた尖閣沖の漁船衝突事件の際も、ヒラリー・クリントン国務長官はこのように述べている。

 確かに、日米安保条約第5条には、「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」とあり、尖閣が攻撃された場合、米軍が出動するのは自明なことのように思える。
 
 だが、そうではない。
 この条文の「自国の憲法上の規定及び手続きに従って」という表現に注目してほしい。米国の憲法では、交戦権は議会で承認されなければ行使できない。つまり、日本領土が攻撃されたとしても、米議会の承認が得られない限り、米軍は出動しないのである。

 米国のもう一つのポジションは、「領土問題については、日中どちらの立場にも与しない」というものだ。
 05年に日米政府が署名して規定した『日米同盟 未来のための変革と再編』では、「島嶼防衛は日本の責任である」ことが明確化された。尖閣諸島も、もちろんこの対象である。米国は、中国が台湾向けに沿岸部へ配備した強大な軍事力と、在日米軍だけで相対することを嫌がっている。だからこそ責任を押しつけたのだ。

 そうはいっても、実際に尖閣が中国に奪われれば米国も黙っていないのではないか、という考えも甘い。 
 アーミテージ元国務副長官は、著書『日米同盟vs.中国・北朝鮮』(文春新書)のなかで、「日本が自ら尖閣を守らなければ、我々も尖閣を守ることができなくなるのですよ」といってのけた。

 どういうことか。尖閣諸島が中国に実効支配された場合、尖閣諸島は日本の施政下から外れる。すると、尖閣諸島は日米安保条約の対象外になり、米軍の出る幕はなくなるのである。
 つまり、米国は尖閣を「安保の対象」といいながら、実際に中国が攻めてきた場合にも、さらに実効支配されたときですら、米軍が出動する義務を負わないよう、巧妙にルール作りをしてきたのである。

 96年には、モンデール駐日大使(当時)がニューヨーク・タイムズ紙で、「米国は(尖閣)諸島の領有問題にいずれの側にもつかない。米軍は(日米安保)条約によって介入を強制されるものではない」と明言した。
 多くの日本人は「在日米軍は日本領土を守るために日本にいる」と信じている。モンデールの発言は、その日本人の思い込みと、実際の米国側の認識とのギャップ、つまり不都合な真実を明らかにしてしまった。

 いま、尖閣問題で勇ましい発言を繰り広げている親米保守の方々は、こうした米国側の認識を踏まえているのか、私にははなはだ疑問である。
 (談)

 まごさき・うける・・・・・1943年生まれ。外務省に入省後、駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を経て、09年まで防衛大学校教授。近著『戦後史の正体 1945ー.2012』(創元社)が大きな話題を呼んでいる。

●(8)さて、新聞に掲載された下記の写真をご覧ください。

 多分、同じ写真だと思われますが、二紙の写真を載せます。上が「日刊ゲンダイ」、下が「読売新聞」です(共に9月11日付)
 胡錦濤国家主席はかなり虚勢を張っている感じはありますが、それでも位負けしないように「グッ」と睨みつけて気力を漲らせています。それに比べて、我が総理大臣のオドオドして位負けした顔つきは、「劣等感コンプレックス」が現れていて、なんとも情けないの一語です。

 私(藤森)自身は、もし、この立場に置かれたら位負けして倒れてしまうでしょう。そういう強い不安がありますので、こういう役割を担おうとはしません。大変なことは十分に理解できますが、(好き好んで)役割を担った以上は、その役割を十分に果たしてほしい。ましてや、一国を代表しているのですから、優秀なスタッフを揃え、研究に研究を重ね、準備を万端にしてから対応してほしいものです。

 しかも、「領土問題は毅然として対応」などと、日頃から勇ましい言葉を連発している御仁です。「目線」を合わるくらいの「気力」を漲らせてほしいものです。私の専門の立場から申し上げれば、「勇ましい言葉」や「蛮勇」をふるう人間は、その多くは「劣等感コンプレックス」が強いものです。
 菅総理大臣の時は、資料を持参して会談だったか、立ち話だったかをして大いに顰蹙を買いましたが、日本の総理大臣が二代続けてみっともない態度を見せています。

 日刊ゲンダイの見出しには、「中国胡錦濤主席には相手の顔を直視せず下を向いてボソボソ。日本人記者には私から言いたいことを言ったと大ウソ」とあります。

 まさに「外交ベタ」は、「夫婦間」の「深層心理」を体現しているし、もっと具体的に言えば「劣等感コンプレックス」の大きさを如実に示しています。もう少し、己を知ってから対応して欲しいものです。天下の総理大臣ですから、もう少しまともなスタッフを揃えて欲しいものです。

  
●(8)最後に、「夫婦間」のこじれも「領土問題」に負けず劣らず、こじれれば解決することがいかに困難であるかを証明したいと思います。

 平成24年6月12日、日刊ゲンダイ「プレイバック芸能スキャンダル史」(1976年4月)

 <三船敏郎・男を下げた「離婚裁判」の暴言>

 日本を代表する俳優といえば、今でも三船敏郎の名前が真っ先に挙がる。黒沢明監督作品に欠かせない存在であり、ベネチア映画祭主演男優賞を受賞すること2回。「グラン・プリ」をはじめ海外作品にも数多く出演した。そんな栄光の人生に一点の曇りがあるとすれば、泥沼に陥った離婚裁判だろう。「世界のミフネ」が男を大いに下げた騒動だった。

 三船(当時56)は4月23日午後1時、弁護士とともに東京地裁に姿を現した。幸子夫人(同47)との離婚を求める裁判は第3回を迎え、初めて三船が登場。そこで信じられない光景が繰り広げられることになる。報道陣が詰めかける中、証言台に立ち、2時間近く夫人に対する暴言を吐き続けたのだ。

 「幸子さんはどんな女性か」と裁判官が尋ねると「淫乱でたくさんの男と関係を持ち、まるで貞操観念のない女だ」と暴露。世界的名声を得ている人物の言葉とは思えない物言いに傍聴席からはどよめきが起きた。「立証できるか」の問いに、三船はイニシャルを次々に挙げ、「あの女の密通相手だ。証拠も握っている」と自信満々に語った。さらに法廷内を凍りつかせたのは次の言葉だった。

 「○○という男には自分の恥部の写真を撮らせ、持ち歩かせている」
 本人が聞いたら悲鳴を上げ、卒倒したに違いない。幸いその日、夫人は出廷していなかった。なお、三船が陳述した大半はでっちあげだったことが後に判明した。

 最初に離婚騒ぎが持ち上がったのは71年春、ロケ先のスペインに高級クラブのホステスだった女性を同行。それに怒った夫人が東京・成城の家を飛び出してしまった。この時は周囲がとりなして収まったが、三船の浮気性は治まらずたびたびトラブルが勃発。72年1月に再び家を飛び出した夫人が東京家裁に離婚調停を申請した。

 つまり、最初は夫人側が別れたいと主張していたのだ。夫人から財産を仮差し押さえされたこともあって、戻ってきてほしいと懇願していた三船だったが、堪忍袋の緒が切れ、「オレの方から別れてやる」と宣言。ところが、今度は夫人が別れないと言いだした。三船に女優の喜多川美佳という新しい愛人ができ、妻のように振る舞いだしたのが我慢ならなかったのだ。来日したフォード米大統領の晩餐会に呼ばれた際に三船が同伴したのは喜多川だった。

 なんとしても幸子夫人と別れたい三船だが、裁判で離婚を勝ち取ることはできなかった。その後、話し合いによる離婚を目指し、6億円の慰謝料を提示したが、これにも夫人は応じず正妻の座を死守した。

 82年9月、喜多川との間に娘(三船美佳)をもうけた。三船は喜多川と添い遂げるかに思われたが、そうはならなかった。92年10月心筋梗塞で倒れ、まもなく喜多川が娘を連れて家を出ていってしまったからだ。体が不自由な三船の面倒を見たのは罵倒され続けた幸子夫人だった。

く文責:藤森弘司>

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