2012年8月15日 第121回「今月の言葉」
「動かぬもの」とは何か?

●(1)学才と文才が無い私(藤森)は、他の方の作品に仮託(便乗)して自分の意見を述べることが得意技になっていますが、今回のテーマ「動かぬもの」「巨大」過ぎて便乗のしようがありません。

 人間にとっての最重要概念の一つである「動かぬもの」・・・・・終戦記念日に相応しい格別の作品・・・・・天下の巨人お二人の作品を「今月の言葉」とさせていただきます。

 次の(2)は、「心が澄みわたる名僧の言葉」(リベラル社)から、空海の言葉を紹介します。

●(2)<南斗は随(したが)い運(めぐ)れども、北極は移らず(空海)>

世の中は常に変化しています。それは満点の星が天を巡るのと同じです。私たちの心や姿も、その時の状況によって変わりますし、変わらなくてはならない時もあります。
 しかし、星々は好き勝手に動いているわけではありません。一点、北極星を中心にして動き、その北極星は決して動きません。  私たちも臨機応変さは必要ですが、決して動かない部分を持つ必要があります。それは自分の信念ともいえる部分であり、また、他者との関わりの中で必要な優しさや慈愛でもあるのです。
●(3)下記は、私(藤森)が尊敬する飛鳥井雅之先生(東洋身心医学総合研究所・主幹)の名著「動かぬもの」です。文字通りの「熟読玩味」、ジックリとご堪能ください。

 <動かぬもの(飛鳥井雅之先生)>

 G・C・ユングの言ったという「共時性」とは不思議なものだ。丁度、書店に註文していた書籍を取りに行って、パラパラと散見すると、何と、「動かぬもの」(寂然不動)と書いてある。この書籍は、25年前から欲しかったものである。1943年(昭和18年)の発刊で勿論絶版であった。古書を探していたが、入手出来ぬままになっていた。ところが、この1990年1月30日に新版となって再刊されたのだ。その内容は初版以来50年近く経た今でも新しい。この著者の書籍は、約100冊程だが、ほとんどが時代を超えて通用する。この著者は、私の尊敬する方の1人でもあり、常々、本を書くのなら、この方の様に100年を経ても通用するものを書きたいと考えている。

 編集子から用紙を送って来たこと。今、「動かぬもの」という書きたいテーマがあること。そして尊敬している方の書籍が、47年振りに、それもたった20日程前に再刊され、その中に自分が書きたいテーマと同じテーマがあること等を、考え併せると、これは書き始めてみようという気に久方振りになって来た。

 今回は「とじる」を書いた時のように1ページ分という制限枠もはずれて、連載でも良いという好条件迄、付いている。これは是非、書く様にという「天啓」であるということに、私の中で、しておく。

 世の中を見渡してみると、誰もが「動かぬもの」を求めている様に私には見える。人間の歴史上、伝統的なものは「宗教」をもつことだろう。こうすることによって、確かに、とり敢えずは「動かぬもの」は得られるだろう。

 しかし、「宗教」を持った人が、必ずしも安心立命(あんじんりつめい)の境涯にあるとは、思えぬフシがある。むしろ、安易に外に求めた「動かぬもの」を自らの内に定着させるのに、生涯苦労する場合が多いのではないだろうか。その点を浄土真宗では「異安心」とか「腰掛安心」という言葉を使って、似て非なるものを厳密に戒めている。余談だが、近年、心理療法の世界で、サイコシンセシス(精神統合)なるものが流行しつつある。ごたぶんにもれず、今夏から一流のカルチャー・センターでは、講座が日本で初めて開始される様である。ところが、このサイコシンセシスのメインの売り物が「ゆるしのワーク」なのだ。今迄の「うらみ」の対象を「ゆるす」ことによって「安心」に到るというのが最大の看板になっている。そのスキル(技術)の下敷は、キリスト教の一派であるエッセネ派に伝わる技法だということだそうだから、宗教的な影響を受けている結果「安心」が、その結果得られても不思議ではない。しかし、この程度のものは、日本では、「異安心」「腰掛安心」として、戒めを受けているものである。ついでに一寸だけ述べておくと、「ゆるす」「ゆるし」という思想は、本流としての日本の思想には無かったものだと言うことだ。「ゆるされていた」という認識のところに立脚してこそ「大安心」「安心立命」へのスタート台に立ったことになるのだ。このことに就いては、いつか稿をまとめる積りでいる。

 閑話休題、外に求めた「動かぬもの」とは、仏教であれば、主に釈尊を信じることであり、その他、浄土教では阿弥陀様。密教では大日如来。他は観音様からお地蔵様に到る迄、各種各様で、その数は膨大で際限がない。キリスト教でも、キリスト様、マリア様に始まり、ヨハネ、パウロと、いろいろとあるらしい。神道については八百万(やおよろず)の神という位で、これも沢山ある。

 比較宗教学の立場から、世界の宗教を見わたしてみても、いづれも、「絶対的なもの」を設定して、勿論、それを「動かぬもの」と見立てて、それを、どの位「信じられる」かにかかっている様だ。しかし、そのいづれもが、未だ会ったことも無い教祖の方々を無条件に絶対視する傾向を持っている。むしろ逢ったことが無いということや、既に亡くなられた方であることや、生前、極めて立派な方であったということで、「絶対視」し易いのかも知れない。又、逢ったことが有っても「絶対視」する例として「新宗教」(俗に新興宗教といっている)の教祖様の例がある。現に生きている他人を、「生き仏様」「生き神様」として、崇められるというのは、大したものだと、私は感心してしまう。

 しかし、数多くの宗教遍歴を経た私としては、この様な現象は、ナンセンスに思えて仕方がない。
 取り敢えず、外に「動かぬもの」を求めるのは人情であり、人間の存在の弱さ等を考えると、止むを得ぬ事だと思う。従って、信仰を持つことは、無信仰よりは良いかも知れない。世の荒波にのみ込まれて大破したり、暴風雨にさらされるよりは、雨露のしのげる仮屋でも、有った方が良いに決まっている。

 しかし、私の中には「本当にそれでよいのですか?」と、問い糺したい思いがある。即ち「動かぬもの」が有りますかと、問い糺したい思いにかられる。

 世の中には、お金信仰や学歴信仰なども多く、取り敢えずは、安心を約束してくれるかもしれない。兎に角、世の荒波を思う時、取り敢えずは、それも良いだろう。私が言いたい「動かぬもの」とは「自らが死に行く時、安心して死んで行ける柱となるもの」だ。即ち、私が、講座でよく言う「正しい死に方」の柱になるものだ。そういった意味では、外国のある宗教の「天国思想」や日本仏教の「浄土思想」などは、現実を考慮した、行き届いたシステムだと思われる。私は、それ等を否定するつもりは毛頭ない。それで、心底よい人は、それでよい。極言すれば、「イワシの頭も信心から」であって、「安心立命」出来るのならば、それでもよい。しかし、残されるのは、本当に「イワシの頭」で「安心立命」出来るかということだ。少なくとも、私には無理であった。

 その筋では比較的有名な逸話を一つ紹介してみよう。
 亀井勝一郎氏が壮年のころ、真宗の学匠暁鳥敏師を訪うたことがある。談論風発して、いよいよ帰るというとき、それまで黙ってフンフンと話を聞いていた暁鳥師が突然、「亀井さん、あんたの師匠はだれかね」と鋭く問われたそうである。亀井氏は、そのとき一言も答えられず、「これがわたしの生涯の課題となった」と言われている。

 この話を引用して紀野一義氏は、「師のない仏法というものはない。仏法は必ず師から弟子へと伝えられてきたのであり、師を持たぬ仏法というものはありえない」と、ある本の中で述べている。勿論、表面上つまり文字面あるいは内容的には紀野一義氏の述べている一面もあるであろう。しかし、天下の学匠暁鳥敏ほどの人が、この程度の意味だけで問うたとは、私には考えられない。即ち、「言い分は、よくわかった。ところで、あんたにとって動かぬものは有るのかい」という問いに私には聞こえる。まさに肝をえぐる様な毒気を含んだ問いといわなくてはならない。だからこそ、亀井勝一郎氏程の人物をして「これがわたしの生涯の課題となった」と言わしめたのだ。紀野一義氏の説も首肯できるが、単にそれだけでは生涯の課題にならぬ。

 他にこういった逸話もある。
 浄土真宗の開祖として知られる親鸞上人の師匠は浄土宗の開祖法然だが、ある時親鸞上人が語ったといわれる有名な話がある。「師匠がミミズを大蛇といえば、それはまぎれもなく大蛇である」と、これは親鸞にとって法然は「動かぬもの」即ち絶対的存在であることを言い表しており、浄土教の方では「信」の範囲のこととして、よくたとえに引用される。
 しかし、私に言わせれば、これら二つの話の「動かぬもの」も少々あやしいと言いたい。
(次号へ続く)

 <動かぬもの(その2)>

 古くは、太陽を排し、数百年を経た古木を御神木として拝した。又、山や大きな岩を磐座(いわくら)、磐境(いわさか)として拝した。勿論、これ等は弱小な人間に比すれば、ほとんど間違いなく絶対に近いものだろう。しかし、それも、あくまでも外に求めており、「絶対」と言う点でも新宗教の教祖信仰と、幾許の違いがあろうか。私は、信仰を持っている方々、又、信仰を持っていると言っている方々に声を大にして、「あなたの生命に直接関わった、あなたの父母が、あなたにとって絶対でなくて、何の信仰なのか、あなたの父母があなたにとって、髪の毛程も絶対でないならば、信仰そのものがナンセンスである」

 と言いたい。あるいは、

 「自らの父母が自らの中で絶対にならぬ人々が止むを得ず、あるいは取り敢えず持つものが信仰である」

 とも言いたい。信仰は、どこまでいっても、外に対象を求めている様に私には見える。私の言いたい信仰とは、

 「外の絶対を取り敢えずの足がかりとして、内に『動かぬもの』を持つこと」なのだ。

 その出発点は「わが父」であり「わが母」でなければならぬ。

 夢日記などで一般にも知られる様になった名僧明恵上人(みょうえしょうにん)の有名な古歌に「ほろほろと啼く山鳥の声きけば、わが父かぞと思う母かぞと思う」というものがある。これは、私の言っている出発点を示している様だ。しかし、単に父母を恋こがれている思いとも考えられる。肝腎なことは、恋こがれることではない。

 「自らの父母をよく識ることが肝腎なのだ」

 かの有名なソクラテスが、よく口にした言葉として「汝自身を知れ」ということが、よく聞かれる。この言葉も元を糺せばデェルファイの神殿の柱に刻み込まれていたと言う事らしいから、今から何千年も前から言われていた可能性がある。又、有名なアーノルド・トインビーの言ったという「現代人は何でも知っている。只、自分のことを知らないだけだ」と言う言葉も何やら共通したところを言っている様だ。そして更に、現代に於いても、著名な先生方は、ことごとく、あたかも談合をでもした如く、「自分を知ることが大切である」と口を揃えて言っている。書店には精神分析関係の本が溢れている。精神分析は、第三者の手を借りて「自身を知る方法」だが、他に自己分析と銘打った本も多く、他者の手を借りずに自分のことがよく解る様になっている。そして、これら歴史的に偉大な方々の言ったこと、更には書店に山と積まれた書名を見ても、私共一般大衆は、まったく疑う術を知らない。誰もが「その通りだ!!」と思う以外ない様だ。

 しかし、本当にそうだろうか?

 「汝自身を知ること」がそれ程重要だろうか?

 ソクラテス、トインビー等の歴史上偉大な人々に対して、私は敢えて声を大にして

 「それだけでは、間違っている」

 と言い切る!!

 車の両輪に譬えてみよう。
 片方の輪は確かに「自身を知ること」と言い得る。そして、もう一方の輪は「自らの父母を識ること」と言いたい。こじつけではなく、このどちらが欠けても、将に「片輪」(正しくは片端)である。この両輪が揃ったところでセルフコントロールの出発点に立ったことになる。

 トインビーが現存していれば、「現代人は何でも知っている、只、自らの父母の事を知らぬだけだ」とメッセージしたい思いにかられる。又、デェルファイの神殿に刻み込まれていたと言う「汝自身を知れ」という文字のとなりに「汝の父母を知れ」と書き加えたい。

 私のように身心的アプローチで治療をしていると、口先で言っていることは、あまり興味がなく、むしろ「身」が語りかけて来るものを優先的に貞くクセがついている。面接場面で、言葉では、ことごとく「でも」とか「だって」とかいう言葉を発っして反抗的であるにも拘らず、コツコツと面接に通ってこられる方がよくいる。そして第三者には「あの先生は素晴しい」等と言っている。これ等は対象関係論に於ける一種の理想化転移とも言える範囲のものである。本来ならば、自身の親に対して向ける可きものを、代用として他の対象を求め、それを理想化し絶対的なものとしている例は、親鸞の例などでも書いた通りだ。そして、それでも人生、生きて行く為の一応のしのぎは出来るであろう。只、私がどうしても言いたいことは、「自らが死に往く時、その様な付焼刃で死んで往けるのか」と言うことだ。話は古くさくなるが、かの太平洋戦争の折、死に往く若者の多くは「お母さ~ん」と叫んで死んで往ったと聞いている。稀れには「お父さ~ん」と言うのもあったと聞く。「神さま」「仏さま」と言って死に赴く人がいたとは、私は寡聞にして知らぬ。自らが死に往く時、その往き先がはっきりしていないでは仲々に死ぬに死に切れぬのではないだろうか。皆、死ぬに死ねずに死ぬ人が多いのではないだろうか。その為の救済策として天国があり極楽西方浄土が用意されている。心底からそれを信じ、死後そこへ往くと信じ切って死に往く人は幸いである。しかし、現代の様に科学が発達し、「なぜ」「どうして」と疑うことのみを教育されている人々に、はたして、それが可能だろうか?

 私は、多くの場合「否」であろうと思う、しからば、何があればよいのか。

 「動かぬもの」が必要だ。別の言葉で言うと、「絶対」と言うことだ。しかし、お金や信仰や学歴信仰の様なものは論外として、自らの外に求めた付焼刃ではならぬ。

 「死する事、帰するが如し」とは、よく耳にする言葉だが、では一体どこへ帰ろうと言うのか。ある高名な先生方は、「大いなるいのちのもとへ」と言われる。確かにその通りだ。しかし、「大いなるいのち」は一体どこにあるのか私共一般大衆には、とても実感出来ない。「私」という「小さないのち」に直接関わったのは「わが父」「わが母」であることを忘れ、飛び超え過ぎてはいないだろうか?「私」と言う「小さないのち」が消えゆく時、その直接の担い手となった「父」「母」を通過せず帰れるだろうか。「わが父」「わが母」へ先ずは帰する事はそのまま「大いなるいのち」に直結しているというのが私の考えである。最も「身近」であり「自らの誕生」は「身」に覚えのあることであり「身」につまされた事でなければ、実感はない。実感の無い処に帰る訳には、到底いかない。

 さて、帰する可き「わが父」「わが母」が自らにとって「絶対」でない時、当然の事、将に臨死に至っても、帰する処は無い。二年間程の短期間ではあったが、癌で死に往く人々の臨死カウンセリングを経験した頃のことを思い出す。将に死に往く人々は、その往き先がはっきりせずに「もだえていた」ことを………

 「ちいさないのち」である「わたくし」が「わが父」「わが母」を通じて「大いなるいのち」のもとに帰する事によって、「いのち」は生き続けることになる。そうでないと言うことは、消えてしまうことであり、これ程に不安で恐ろしいことはないはずだ。

 では、「わが父」「わが母」を自らの内に絶対的に「動かぬもの」とする方法論だが、これは実に簡単である。

 「よく識ること」である。

 唯これだけでよいのか?と言う質問が聞こえて来そうな気がする。
 間違いなく、これだけでよいのだ。しかし、その道程は仲々に厳しいものがあることは断言出来る。簡単に見える物程、実行して見ると大変な物が多いものである。

 「わが父」「わが母」が自らの内で絶対的に「動かぬもの」とならぬ時は、未だ「よく識らない」からだと断言しておこう。
 「わが父」「わが母」を「よく識る」「道程」で自然に「自ら」は「生かされていた」即「ゆるされていた」ことに気づかざるを得ないだろう。そこがセルフコントロールの出発点である。

以上

く文責:藤森弘司>

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