2012年12月15日 第125回「今月の言葉」
カウンセリングとは何か(平等性・前編)

●(1)前回の第124回から、下記の内容を再録します。

<<<●(5)「地獄」「餓鬼」「畜生」の醜い自我に振り回される度合いが弱まれば弱まるほど、私のいうところの「修羅界・・・修羅、人間、天」に住む時間が長くなります。

 「修羅界」に住む時間が長くなればなるほど、自然に「菩薩界・・・声聞・縁覚・菩薩」の精神が芽生えてきます。世の中の道理というものに耳を傾ける、つまり、聞く耳ができてきます。聞く耳を持ち、わかってくれば、自ずと、それを実践し、体得したい欲望が湧いてきます。

 「菩薩(ぼさつ)の世界」は、縁のある人が苦しんでいたり困っていたりすると、自分のことは犠牲にしても助けてあげようとする世界です。

 とありますように、子供が熱を出して寝込んだりしたときに、今までとは違った、まるで「菩薩」のような心境で看護する自分の姿に驚くことも出てくるでしょう。

 そうかと思えば、カットなって「地獄」のような自分の一面が現れて驚いたりもします。

 まさに、空海の言われたように、「十界(じっかい)の有る所、これ我が心なり」です。

 カウンセリングは立派な自分になることではなく、「十界(じっかい)の有る所、これ我が心なり」の境地になることです。
 そして、「十界」の中の少しでもランクの高い位置に、少しでも長く居られるように、日々、己と向き合い、「セルフ・コントロール」が少しでも上手になることが「自己成長」であり、「自己回復」で、そのお手伝いをすることが「カウンセリング」であると私(藤森)は認識しています。>>>

 私たちは一生懸命育児をしています。一生懸命であるが故に、「地獄界」から育児をしていることがあるにも関わらず、「菩薩界」から対応しているという錯覚が一番怖い。一生懸命になっているときの自分の心境を少しチェックする余裕があると良いのですが。

●(2)「心の架け橋」(故・大須賀発蔵先生著、柏樹社)
 
 「差別相(しゃべつそう)即平等性(びょうどうしょう)」  <5つの智恵>これから私たち一人一人の人間の心、しかしそこにまぎれもなく働いている五つの知恵について考えてみたいと思うのです。私はそこにカウンセリングの基本構造を見出してびっくりしているのです。それをだんだんにお話したいと思います。
 別図(割愛)は先ほどご覧に入れました金剛界曼荼羅の基本構造としての図を描いたものです。

 <略>

 <平等性智・・・違いがそのまま平等>

 今度は左に回って2のほうへ上がるわけでありますが、「平等性智(びょうどうしょうち)」と書いてあります。これは、丸い鏡にたとえれば、そこへ写った諸々の現象はどれ一つとして同じものはありません。

 しかし、それは全部「法界体性智」としての仏さまの命を分かち持ったものであって、本来平等です。姿が違うことがそのまま平等であります。「差別即平等」と仏教ではいいます。二番目には、そのことを感じとる心の働きが私たちの心にも組み込まれているというふうにとらえていいのではないでしょうか。

 しかし、なかなかこれが働かないですね。どうしても姿で差別をつけることだけになってしまって、生命本来の平等性を感じられないのです。

 「差別(しゃべつ)」と「差別(さべつ)」は違います。上下になることを我々「差別(さべつ)」といっています。「差別(しゃべつ)」というのは現象の違いです。現象の違いがそのまま平等ですよ、違うがゆえに平等ですよ、ということを深く感じとる心の働きが「平等性智」といわれているのです。

 その智恵の象徴は「宝生(ほうしょう)如来」と書いてあります。違って存在している姿がみんな宝に生(な)ってしまうのです。宝に生まれかわるのです。「万像(まんぞう)平等」の世界です。

 「平等性」ということが洞察できたときにはすべての現象がみんな宝になる。これは後で、カウンセリングの具体的体験の中でいろいろお話したいと思います。

<次回の平成25年1月15日に続きます>

く文責:藤森弘司>

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