2012年1月15日 第114回「今月の言葉」
●(1)下記の小学生の作文、ただ、ただ、ありがたいような、何か妙なことですが、申し訳ないような、いや、「もったいない」ような不思議な感動を体験しました。今の政治が・・・・・などというのも穢れる、とても、とても、ありがたい作文を読ませていただきました。
子どもってどうしてこんなにすばらしいのだろう! ありがたくて・・・・・もったいなくて・・・・・ |
●(2)平成23年12月24日、週刊ポスト「ニュースを見に行く!現場の磁力」(山藤章一郎と本誌取材班)
<広島市 読んだら思わず涙する「お父さんのおべんとうばこ」> 「いつもありがとう」作文コンクールに寄せられた子どもたちの声と、野村元監督のみつけた言葉。 6歳の男児が殴られたりけられたりして、鎖骨骨折などの重傷を負った。加害者は、母親の交際相手、27歳、無職の男。暴行場面に、母親も同席していた。 「夕飯の食べ方が早いので腹が立った。お仕置き部屋と呼んでいる6畳間で、約1時間、背負い投げや、頭から落とす暴行を加えた。 子どもたちの悲惨があとを絶たない。全国の児童相談所が対応した<児童虐待相談>は平成21年度、4万4210件におよんだと、厚労省は発表した。8年前の12年度は、1万7725件だった。 そのなかで久しぶりに、「家族の絆」「父や母と子の強い愛情」を示す心温かい記事があった。 応募総数3万3421点。 広島県広島市立中島小学校1年 『ぼくとお父さんのおべんとうばこ』 おとうさんがびょうきでなくなってから三年、ぼくは小学一年生になりました。 なぜきのうのおべんとうがとくべつかというと、それはおとうさんのおべんとうばこをはじめてつかったからです。おとうさんがいなくなって、ぼくはとてもさみしくて、かなしかったです。 「大きいおべんとうにしてほしい。」とぼくがいうと、おかあさんがとだなのおくから、おとうさんがいつもしごとのときにもっていっていたおべんとうばこを出してきてくれました。 たべたらなんだかおとうさんみたいに、つよくてやさしい人になれたきがして、おとうさんにあいたくなりました。 仏壇の遺影の前で 殺伐とした世情に多くのメディアが心を揺すられたということか。 ほかにも受賞した作品があった。主催者の掲載許可のもと、ことに<父と子の愛情、絆>を書いた子どもたちの心情をよく表している作品を以下に転載する。 福岡県宗像市立日の里西小学校六年 『ぼくのお父さん』 ぼくのお父さんは、まだ二十五歳です。なんでこんなに若いかというと、実はぼくとは血がつながっていません。今から五年前にぼくのお母さんと結こんして、二十歳の若さでぼく達兄弟三人のお父さんになってくれました。そして、二人の妹ができ、今では五人の子を持つお父さんです。 今の世の中、ぼく達家族のようなステップファミリーのぎゃくたいなどの事けんが多いことと、五人兄弟ということで好奇の目でみられがちですが、ぼくのお父さんは若いのに本当によくがんばってくれています。 お母さんが、五人目の妹を出産して入院している約一週間、仕事を休んでぼく達の面どうを見てくれました。お父さんの作ってくれた料理はとてもおいしかったです。お父さんが、がんばって家事やぼく達の面どうを見てくれたので、一週間何不自由なく過ごす事ができました。 ぼくにとってお父さんは、血はつながっていないけど、ぼくの大切な大好きなお父さんです。 「お前たちがお父さんの宝物だ」 愛媛県伊予市立郡中学校 六年 『父のおみやげ』 「ただいま。」げんかんで声がすると、ドアのかぎを開けるのが私の役目。真っ黒な父の顔が少し笑顔になる。「はい、おみやげ。」夏になるといつもこのおみやげがある。スーパーのふくろをポンッとわたされる。わかってはいるが、少し期待してのぞいてみる。「うえー。」鼻をつくような目にしみるにおい。そんな私の顔を見て、少しほこらしげな顔をする父。やっぱりかと思いながら、そのおみやげを洗たく機の中に放りこむ。実は、そのおみやげというのは、汗かきな父が仕事中、何度も着がえたシャツや汗をふいたタオルたちなのだ。父の仕事は建設業。真夏の炎天下では、体感温度は三十五度以上にもなるだろう。そんな中で一日働いたあかしのおみやげだ。しかし、私はそれをわたされるといつもふきげんになってしまう。おつかれ様っと言う前に鼻をつまんでしまう。それでも父はやっぱり笑顔のまま、暑い暑いと子供のようにせんぷう機を占領してしまう。「かすみちゃん、ビール。」と、ふきげんな顔をしている私にニコニコ顔で注文してくる。その笑顔に負けて、ビールをとりに行くはめになる。父は一気に飲みほすと、大きな手で私の頭をなでてくれる。とても大きな手、毛ガニみたいな手。ふと、父の手をみると、節が太くて、小さな傷がたくさんある。その中で私が一番おどろいたのは、つめが割れたり、そりくり返っていたことだ。きっと、この大きな手で重い物を持ったり、小さなきずを直したりして一日中働いているのだろう。「そのつめ、痛くない?」と、私が聞くと、「痛くはないけど、不格好だね」と、もう一本ビールをのんでいる。 私は本当は知っているんだ。つめだけではなく、腰も、うでも、ひざも、いろんな所が痛いと母にしっぷをはってもらっている父の姿を。 話は逸れる。 どの章にも通ずるキーワードは「感謝」である。 その『野村ノート』の冒頭はある社会活動家の言葉を伝えている。 「おかげさまで」 夏がくると冬がいいという、冬になると夏がいいという 自分に都合のいい人は善い人だと誉め、自分に都合が悪くなると悪い人だと貶す 衣食住は昔に比べりゃ天国だが、上を見て不平不満に明け暮れ、隣を見ては愚痴ばかり 親のおかげ、先生のおかげ、世間様のおかげの塊が自分ではないのか さらにひとつ逸れる <禍福はあざなえる縄のごとし――よいことと悪いことが織りなされていくのが人生というものです><よいにつけ悪いにつけ、照る日も曇る日も変わらず感謝の念を持って生きること> 小学生の作文に学ぶことはたくさんある。 |
く文責:藤森弘司>
最近のコメント