2011年5月15日 第106回「今月の言葉」
綸言糞の如し

●(1)「綸言汗の如し(りんげん・あせのごとし)」・・・・・「漢書(劉向伝)」からきている言葉で、「一度口に出した君主の言葉は、汗が再び体内に戻らないように、取り消すことができない」(電子辞書・広辞苑)

 今回のタイトルは、「綸言汗の如し」をひねくって、次の3つの意味を持たせています。

①「汗」は体内に引っ込むのではないでしょうか?真夏の暑い日に、汗ビッショリになった後、冷房が利いた部屋に入ると、汗は乾くのではなく、引っ込むように思われます。正式にはわかりませんが、どうも私(藤森)の体験では、引っ込むように思います。急に冷えて収縮した汗腺が毛管現象を起こすように思えるのです。間違えたらごめんなさい。

 ですから、皮肉って「綸言汗の如し」は、君主の言葉は取り消すことができることになりませんかという嫌味です。しかし、「糞」は、私の経験では引っ込みません。どなたか器用な方がいるかもしれませんが、少なくても、汗よりも引っ込まないように思われます。

②最近、菅総理大臣を筆頭に、言葉が軽すぎたり、「食言(しょくげん・一度口から出したことばを、また口に入れる意・・・前に言った事と違う事を言うこと。約束を違えること。うそをつくこと)」(電子辞書・広辞苑)したりすることが多いので、「食言」する汚らしい言葉を皮肉る意味も含めています。
 特に民主党は、菅総理大臣を筆頭に、大臣たちの無責任極まりない言葉を皮肉って、彼らの言葉を「糞」にも喩えています。主として、菅総理大臣の「綸言は糞の如し」と言いたいです。

 このホームページを汚すようですが、菅総理大臣たちの無責任な発言の数々は、「糞」に喩えるのが一番ふさわしいように思えます。「ヤンバダム」もそうでした。「消費税」も「福島の原発問題」も・・・・・隠蔽体質は凄いですね。今回の「浜岡原発」をストップすることも、自民党であったら、このようなパフォーマンス的な決め方をしたら大騒ぎになるとのことです。

 経団連の米倉会長も、あまりにも突然に言い出すので、記者会見で呆れ返っていました。
 他の原発もこのままでは済まないでしょうし、今後のエネルギー政策はどうするのか、電力が不足事態になれば産業界も大変でしょう。いくら政権の一部所で1ヶ月くらい検討したからといって、全国の原発や、今後のエネルギー政策、さらには産業界の協力など、やることは沢山あるのに、政権浮揚のパフォーマンスに利用する醜さは凄い。

 ひとまずパフォーマンスとしては効果的だったようですが、今後、全国の原子力発電所がある地域で大問題になってくるように思えます。浜岡原発の津波対策が2~3年かかるというけれど、国策として対応すれば半年で堤防を完成させることが可能だと思います。戦時体制で取り組めば、3ヶ月で完成させることも可能ではないかと、素人なりに考えます。

 つまり、菅総理大臣は、何がベストかと考えず、どうすれば政権の浮揚につながるか、どうすればパフォーマンスとして効果的かということばかりが中心になっているように思えてなりません。
 何もかも、パフォーマンスや政権の延命に利用する心の貧しさは、私(藤森)よりも酷い。私よりも酷いということは、いかに最低かということを証明しています。

 阪神淡路大震災のときの総理大臣は、村山富市氏でした。村山氏も同様に「初動が遅い」「お粗末だ」と酷評されたが、決定的に違ったのは、村山氏は自分が能力不足であることを自覚していたことと、私利私欲が無かったことです。当時の村山氏の行動は本当に美しい。何故ならば、能力不足であることはお互い様で仕方の無いことです。大事なことは「無能」であるならば「無能」であることを自覚することです。

 そういう意味で、結果的に村山氏は非常に美しい人であったと思います。とにかく、被災者を全力で助けてほしい、責任は全部自分が引き受けるからと、一人一人の閣僚に頭を下げたので、政府・与党を上げて、全力で取り組めたとのことです。

<<政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏が言う。
 「村山首相も無能を指摘されました。ただ、自分の能力不足を自覚していた村山さんは、閣僚一人一人に『自分が全責任を負う』『日本の危機だ。協力して欲しい』と頭を下げた。その姿を見たすべての閣僚に、村山首相の『被災者を救いたい』という“私心のない”真摯な気持ちが伝わり、政府与党全体が『よし協力しよう』と奮い立った。みんなが一丸となったのです。その結果、初動は遅れたが、その後は一気に復旧復興が進んでいった。それに比べて、菅首相は震災を延命に利用し、これを乗り切ることで自分の名を後世に残すことしか考えていない。だから周囲の手柄を平気で奪うし、責任を取らない。これでは誰も協力するわけがない。結局、自分ひとりでオタオタと迷走し、すべて後手後手になっている。原発対策も被災地対策も進まないのは当然です」
 菅こそが、震災復興の最大の障害なのである。(平成23年5月14日、日刊ゲンダイ)>>

 菅総理大臣は、いい話(アイデア)をもって行くと、「何故、もっと早く持ってこなかったか」と怒鳴り、悪い話は、「そんな暇は無い」と怒鳴るそうです。村山氏の爪の垢を煎じて飲ませたい。

●(2)第三の意味③は、「綸言汗の如し」などという言葉を好んで使うのは、多くの場合、いわゆる「インテリ」です。日本の「知の巨人」のような連中で、為政者を偉そうに諭そう(上から目線)とするときに使われているように思えます。

 ちょっと待ってくれ・・・・・です。
 お前さんたち、少々、勘違いされていませんかと言いたいのです。「綸言」というときの彼らが、私(藤森)には少々、胡散臭く思えるのです。何故、「綸言」だけが汗の如しなのでしょうか。
 誰でも、一旦、口に出した以上は「汗の如し」なのです。一人前の大人になった以上は、自分の発した言葉には「責任」を持つべきなのです。それを「綸言」、つまり、「君主」だけに限定するところに、偉そうに発言する人間が、自分の言葉に対する責任を放棄(無責任)している胡散臭さを感じます。確かに、「君主」と我々「庶民」は違うでしょうが、言葉に責任を持つという意味では同じです。「綸言」と言うときの彼らが、己の言葉にも責任があると果たして「自覚」しているでしょうか?極めて胡散臭いです。

 もちろん、「君主」だから、さらに重い責任があるという気持ちはわかりますが、一応、立派な大人・・・・・少なくても社会的に一人前の大人である以上は、誰もが「汗の如く」充分な責任を持つべきです。もちろん、訂正やお詫びをするような間違いはあるでしょう。それも自分の言葉に責任を自覚しているからこそ、訂正やお詫びをします。

 「綸言汗の如し」は、そういう訂正やお詫びも許されないほど、言葉に責任があるぞという意味なのでしょうが、マスコミを始め、自分の発する言葉に、大人としての充分な自覚があれば、「綸言」などと言わなくても良いように思えます。敢えて「綸言」という言葉を使うところに、自分たちを除外している嫌らしさを感じるために、それを揶揄して「糞の如し」と表現しました。

 このように表現してみると、「綸言糞の如し」は、なかなか味のある言葉(名言・造語)だと、我ながら感心しています(?)。以下は、私(藤森)のお得意の新聞記事を使って、「綸言の糞」を紹介します。

●(3)平成23年4月13日、日刊ゲンダイ「菅はパクリの常習犯」

 <谷垣の代名詞「絆」も盗用>

 確かに、著作権はないかもしれない。でも、普通の神経だったら、恥ずかしくて使わないだろう。
 菅首相が11日、世界の支援に感謝するメッセージを出した。各国の新聞にも一斉に掲載されているのだが、表題は「絆」。そう、自民党の谷垣総裁が10年ぐらい前から好んで使ってきたキーワードである。今や谷垣の代名詞と言ってもいいぐらいの言葉だ。

 今月6日に発売された自民党の機関紙「自由民主」でも、谷垣は「絆の力で日本再建」と訴えていた。亡くなる2ヶ月前の後藤田正晴(元副総理)に、「君の旗印は何だ」と聞かれたときも「絆です」と答えている。それぐらい大切にしてきたのだ。それを菅は素知らぬ顔でパクった。大震災のドサクサに紛れて盗んだのだ。とんでもない火事場ドロボーである。世界に向けて「私はコソ泥です」と発言したようなものだ。

 政治評論家の淺川博忠氏が言う。 
 「常軌を逸したやり方で、開いた口がふさがりません。絆は谷垣さんにとって“商標”です。普通だったら言葉を変えるでしょう。同じような意味のキーワードを探せばいいのです。仁義に反して断りもなく使うのは、谷垣さんを挑発する行為。こんなデタラメをやっていれば、菅さんが目指す与野党協力だって進みません。近くにいながら“盗作”を見過ごした連中もおかしい。いまの官邸は判断力が欠落しています。震災対応の混乱も当然でしょう」

 もともと菅には“盗癖”がある。
 「最小不幸社会」は米政治哲学者ジョン・ロールズの「正義論」から拝借しているし、「1に雇用、2に雇用」はブレア英元首相の「1に教育、2に教育」をもじったもの。昨年9月の臨時党大会で、先に演説した小沢元代表が「私には夢がある」と訴えると、菅も「私にも夢がある」とちゃっかりマネをした。筋金入りのパクリ屋だ。

 こんな盗っ人が首相では、国民は身ぐるみはがれる。復興の陣頭指揮なんてデキっこない。

●(4)平成23年4月13日、夕刊フジ「統一選惨敗 民主無責任3原則」

 <謝らない・責任取らない・開き直る>

 菅直人首相率いる民主党の無責任体質がまた露呈した。10日投開票の統一地方選で惨敗しながら、菅首相以下、党幹部が誰も責任を取らないのだ。菅民主党に指摘される3原則。昨年の夏の参院選で惨敗しても、菅首相らは蛙の面に~だったが、こうした体質が染み付いているのか。

 「残念な結果だが、全国幹事長・選挙担当者会議を5月下旬に東北地方で開き、総括したい」
 11日の民主党役員会。岡田幹事長はこう切り出し“不規則発言”を牽制した。その後の記者会見でも、責任問題を聞かれて、「地方の選挙だ。辞めろという意味で言っているなら、それは違う」と反論した。

 投開票の10日夜、本紙記者が、菅首相と距離を置くベテラン議員に「誰かが選挙惨敗の責任を取るだろうか?」と聞いたところ、「菅民主党は『謝らない』『責任を取らない』『開き直る』が3原則だから。誰も責任を取らないだろう」という答えが返ってきたが、予想通りとなった。

 確かに、菅民主党の無責任体質は理解困難だ。
 民主党が惨敗し、衆参ねじれの原因となった昨年7月の参院選で、枝野幸男氏は党幹事長、安住淳氏は選対委員長として指揮を執った。A級戦犯といえる両氏だが、力不足をわびる引責辞任はせず、9月の内閣改造では枝野氏は幹事長代理、安住氏は防衛副大臣に抜擢。その後、枝野氏は官房長官、安住氏は国対委員長に出世した。

 こんなことも。
 中国漁船衝突事件の対応をめぐって参院で問責決議を受け、今年1月の内閣改造で仙谷由人氏は官房長官を、馬淵澄夫氏は国交相を退任した。ところが、東日本大震災のどさくさの中、官房副長官と首相補佐官として復活している。
 自らも要職に就いている負い目があるためか、枝野氏は2人の復帰について、記者会見で「震災対応、原発対応にあたっては最も適任のメンバーに加わってもらう」と開き直った。

 菅首相といえば野党時代、自らの年金未払いが発覚(=後で行政側のミスと判明)して党代表を辞任した後、「自己を見つめ直したい」と、坊主頭になって四国88ヶ所巡りを始めたこともある。
 最高権力を握って政治姿勢が大きく変わったのか、もともと、パフォーマンスだったのか・・・・・。

 <藤森注・・・・・こういうことでは子供の教育上よろしくありません!?>

●(5)平成23年4月14日、夕刊フジ「菅の会見総スカン」

 <首相の存在自体が国民の不安材料だ>

 菅直人首相が支離滅裂になっている。東日本大震災から1ヶ月の記者会見で「やるべきことはしっかりやっている」と自画自賛し、福島第1原発事故を「レベル7」とした判断の遅れについては「専門家の判断だ」と責任転嫁した。統一地方選前半での民主党惨敗を受けた引責辞任は否定。首相の存在自体が与野党協力の妨げになっている・・・との指摘には「あなたとは見方が違う!」とブチ切れたのだ。
 これが、わが国のトップとは・・・。

 首相は12日夕の会見冒頭、①被災住民の声を尊重②全国民の英知結集③未来志向・・・という復興3原則を提示し、「ぜひ、野党にも青写真を作る段階から参加していただきたい」などと、一方的にまくし立てた。
 統一地方選惨敗を受けて、菅首相には、震災・原発対応に伴う退陣論が盛り上がっている。これを突き返すため「復旧・復興は自分がやる」という既成事実をつくりたい思惑がうかがえたが、会見では厳しい質問が連続した。

 選挙惨敗の見解を問われ、「厳しい結果で、真摯に受け止めたい」としたものの、「やらなければいけないことについては、しっかりとやってきた」と強調し、退陣を否定した。
 原発をめぐっては、原子力安全委員会が3月時点で「レベル7」相当の放射性物質の放出があったと認識していたため、国内的には「菅政権の情報隠蔽。10日の統一地方選に影響しないよう、その後に発表したのでは」(自民党中堅議員)と疑惑が浮上している。

 海外でも「最も驚いたのは、大量の放射性物質が出たと公的に認めるまでに1ヶ月かかったこと」(米紙ニューヨーク・タイムズ)などと、対応の遅れが指摘される。
 これについて、菅首相は「保安院、そして原子力安全委員会など専門家の判断だ」と責任転嫁した。

 クライマックスは、官邸の名物記者による、以下の痛烈極まる質問。
 「現実問題として与野党協議にしても、最大の障害になっているのは首相の存在であり、後手に回った震災対応でも首相の存在自体が、国民の不安材料になっている。一体、何のために、その地位にしがみついていらっしゃるのか?」

 菅首相は怒りをかみ殺すような表情で質問を聞いた後、「私とあなたとの見方はかなり違っているとしか申し上げようがありません」と言い返した。
 政治ジャーナリストの角谷浩一氏は「記者の質問が的を射ている。菅首相は、自分を客観的に見られなくなっている。在外公館では『首相は心身ともに健康なのか、適切な判断力がないのでは?』と心配する声が広がっています」と話す。
 国民としても、いつまで不安を抱え続けるのか、心配でならない。

 <藤森注・・・・・独裁者というのは、こういうものなのでしょうか?せめて、国民に武力を向けない、何千億円、何兆円もの隠匿・蓄財に走らないだけましだと言えるのでしょうか!?しかし、この内閣は、本当に子供の教育には良くないですね!!??>

●(6)平成23年4月22日、日刊ゲンダイ「桜井充財務副大臣がズバリ指摘」

 <組織を作ってソノ気になっている大バカ首相>

ついに身内からも“反旗”である。スッカラ菅首相に桜井充財務副大臣がブログでこう噛み付いた。
 <(18日の参院予算委員会の)総理の答弁を聞いていて、考えさせられることがあった><何か言われると、必ず自分の正当性を主張する><きょうのような答弁では反発を招くだけで、総理を交代させろという声が出てくるのは当然のことのように思われた>

 桜井が呆れるのもよく分かる。参院予算委の集中審議では、勝手にボコボコ、組織や会議を立ち上げて、結局、空回りしている菅のアホさ加減が指摘された。片山元総務相は菅が大臣枠を増やそうとしていることも取り上げ、「内閣法をもてあそんじゃいけない」とたしなめた。しかし、菅は「自分への評価は歴史を待ちたい」とか言って、てんで聞く耳を持たなかったのである。改めて、桜井充副大臣が言う。

 「原発にしても震災対応にしても、もともと危機管理の組織があるのに利用せず、権限、役割がハッキリしない新組織を作っている。だから、国会議員も大混乱しています。なぜ、そんな組織を作るのか。組織を作ることで、仕事をやった気になっているとしか思えません。野党の指摘はもっともだし、良かれと思って言ってくださったのだと思いますよ。だったら、改めるところは改めないと。だって、菅首相は野党とうまくやりたいわけでしょう。協力を取り付けたいわけですよね。だとしたら、相手の言うことも聞くべきです。それなのに、あんな答弁では誰も納得しない。相手だって『辞めろ』と言いたくなるでしょう。私は何も『菅さん、お辞めなさい』と言っているわけではありませんよ。まずは聞く耳を持てと。そういうことです」

 桜井の言うことは「もっとも」なのだが、枝野幸男官房長官は桜井ブログを問題視。「直接の上司である財務相が調査し、しかるべき対応をしていただけると思う」と言い、言論弾圧をにおわせた。身内が反省を促しても、聞く耳を持たず、「黙れ」というなら、今度は本当に反乱になる。
 それでなくても、小沢グループが倒閣で動き始めているし、1回生議員も「これじゃあたまらん」と立ち上がっている。他にも菅内閣の震災対応に不満を持つグループが次々とプロジェクトチームなどを立ち上げている。菅が直ちに辞めない限り、もう民主党内は収まりがつかない。

藤森注・・・・・これだけメチャクチャな政権運営をしているにもかかわらず、倒れないし、倒せない・・・・・一体これは何なんだ!!??>

く文責:藤森弘司>

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