2011年2月15日 第103回「今月の言葉」
マリアとサーシャという名前について (補足)

●(1)<第98回「今月の言葉」「マリアとシャーシャという名前について」2010年9月15日>を強化、補足できる素晴らしい写真が手に入りました。

 我が家は朝日新聞を取っていましたが、平成22年12月31日で終了し、翌日からは読売新聞に代わりました。その最後の日に、ビッグニュースが掲載されていました。何とそれは、私の「世界で唯一の理論」を強化してくれるものでした。
 下記の写真を見たとき、飛び上がるほど喜びました。私(藤森)の理論を裏付けるピッタリの写真が載っているではありませんか。これで私が推測したオバマ家の親子関係が完全に裏付けられました。

 <第98回>では、ミシェル夫人が8月の休暇で、次女のサーシャを連れて豪華旅行をしたことを中心に書きました。例えば、日本に置き換えてみて、熱海や軽井沢程度に旅行するのでも、二人の娘を連れて行かないのは不自然ですが、でも、その程度の旅行ならば、娘たちの都合でそういうこともあるでしょう。
 しかし、政府専用機を使って、スペインの超高級リゾート地へ旅行するのに、二人の娘を連れて行かず、次女のサーシャだけを連れて行くのは、どう考えても不自然です。

 私(藤森)の理論で考えれば、この不自然さは十分に理解できることですが、アメリカ人にまで通用するのかがハッキリしません。そこで私が尊敬する「名前の研究」では日本の第一人者・牧野恭仁雄先生(表紙の「主宰者のプロフィール」→「主にご指導いただいた先生方」ご参照)にお尋ね申し上げたところ、次女の「サーシャ」は完全な「男性の名前」であることが判明し、私の理論がピッタリであることが証明されましたというのが、「第98回」の主旨でした。
 
 何故ならば、娘が二人だけの場合、必ず、一人が男性性を引き受けて母親とマザコン関係を作るからで、これには例外がないと説明しました。私にとっては、次女のサーシャが母親と二人で豪華旅行をすれば、それだけで完全に私の理論を裏付けたことになりますが、しかし、他者に説明するには、やや説明不足です。長女と父親の関係が説明できていないからです。
 必ず、父親と長女のマリアがファザコン関係にあるという自信が私にはありますが、しかし、絶対的な理論だというからには、長女と父親の関係を証明する必要があります。

●(2)私(藤森)のこの「理論=父親とマリアの関係」を証明するのはほとんど不可能だと思っていましたが、それを完全に証明できる写真が手に入りました。購読している朝日新聞の最後の日、それも一年の最後の日に見つかるというのも、私にはかなり不思議な気持ちがしています。かなり劇的です。

 ハワイでの家族旅行を楽しんでいる写真ですが、家族4人が参加しているにも関わらず、よりによって、私の理論を裏付ける「長女のマリアとオバマの二人だけの写真」が載るとは、かなり意味深長です。
 もちろん、これも偶然だと言ってしまえば、偶然かもしれませんが、4人が一緒に旅行しているにも関わらず、ファザコン関係を証明する「長女のマリア」とだけ一緒で、しかも、どう考えても「恋人同士」のような、このオバマの嬉しそうな顔。とろけるような甘い顔をしている写真は、ファザコン関係を証明しているとしか言いようがありません。

 周囲にミシェル夫人や次女のサーシャがいないのか、近くにいても写真の枠に入らない距離にいるのか、いずれにしても、ファザコン関係を証明する二人だけのこの写真は、豪華旅行と併せて、私の理論を完全に証明する貴重な1枚だと思っています。

●(2)私(藤森)の不思議な体験はさらに続きます。

 過日、映画「エデンの東」を見ました。
 今、立川の「シネマシティ」では、毎週1本、名画を上映していて、最初の映画が「エデンの東」でした。この映画を見て、またまた、私はビックリしました。この映画も、私の理論を証明してくれています。天下の名画が私の理論を証明してくれるとは、「映画ってほんとうに素晴らしいです」ね!!

 簡単にストーリーをご紹介します。
 日本公開は1955年。監督はエリア・カザン、主演はご存知ジェームズ・ディーン、原作はジョン・スタインベックです。

 1917年。カリフォルニア州の小都市サリナスで農場を経営するアダム・トラスクには、双子の息子がいた。兄のアーロンは真面目な青年でアブラという美しい娘と恋仲にあったが、弟キャル(ジェームズ・ディーン)は不良で、自身も居心地の悪さを感じていた。
 父から母親は死んだと聞かされていた息子達だが、キャルは近くで酒場を経営しているケートが、実の母ではないかと疑念をいだいていた・・・・・。

 
 「映画祭」用のパンフレットに紹介されているのはこれだけです。
 双子の兄弟の兄・アーロンは、厳格な父親に可愛がられて、少なくても表面的には立派に成長しますが、弟のキャルは、不良で家族に疎まれています。そして、無性に母を求めていて、やがて噂などを頼りに、母が経営する酒場にたどり着くという映画です。

 姉妹二人だけのオバマの娘は、どちらかが異性である「男性性」を引き受けます。
 同様に、男の兄弟が二人だけの場合は、どちらかが異性である「女性性」を受け持つようになります。兄のアーロンがまさにそれです。聖書に厳格で、堅苦しい生活を強いる父親に気に入られるような生真面目な人生を生きますが、弟のキャルは、そういう生活から外れます。
 そして、家庭の中にポッカリ穴があいている「母親像」を無意識のうちにもとめて、キャル(ジェームズ・ディーン)の深層心理の穴を埋めようとする姿が私にはとても印象的でした。

 父親なり母親が、子供のどちらかを味方に引き入れ、もう一方が反対側を引き入れることは避けようがありません。そういうものが交流分析の「脚本」の中に取り入れられていますから、いろいろな問題を簡単に考えることは、あまりにも実体からかけ離れています。
 人間のどうしようもない部分、深層心理の部分に深く入り込んでいますので、これらを放置しておいて、私たちの人生はなりたちません。その部分にどれだけ立ち入ることができ(分析)、そしてその影(深層心理)を受容できるか、これが「華厳経」でいう「自業に住する念仏門」です。「自業を自得」することこそが「悟りの境地」です。

く文責:藤森弘司>

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