2011年12月15日 第113回「今月の言葉」
知足観(6)

●(1)「知足観(ちそくかん)」のタイトルそのままの「武富士」元会長・武井保雄氏の一生。

 私(藤森)は、カネも無ければ、名誉も権威も社会的地位もないないづくしです。でも、最近は、日々、穏やかに過ごせることの幸せを強く感じています。

 ハワイに行ったとか、グルメでどこそこの料理がおいしいとか、どこの温泉がすばらしいとか、ブランド品や宝石や豪邸や車や・・・・・もっと小さくても、近くの温泉がどうの、おせち料理がどうの、やれアイフォンだスマートフォンだとか、世間はいろいろかまびすしいようですが、この年になってみると、私にとって何が一番有り難いかというと、家族が元気で、ささやかな夕食をとりながら、「一家団欒」できること、それ以上に望むことはありません。

 特に、東北の大震災があって以後、今、こうやって団欒している最中の、いつ、巨大地震や津波に襲われ、メチャクチャになるかわかりません。それを考えると、今日一日が無事に済んだこと、ただそれだけで「有り難い日」だったと思えるようになってきました。
 一応、このように言いましたが、本当は「今日一日が無事に済んだこと、ただそれだけ」で云々と言うのは間違いです。今日一日を無事に過ごせることは、実は「奇跡的」なことです。そういうことの「実感」が失われていることが、実は、現代の「危機」だと思います。

●(2)平成22年12月17日、週刊ポスト「ニュースを見に行く!現場の磁力」(山藤章一郎と本誌取材班)

 <埼玉県深谷・のしかかる過払い金返還

 <「武富士」再検証・トップの罪と罰・証言ドキュメント>

 現場データファイル・・・一代で、つくってつぶした男の会社とは、なんだったか。

 すべての顧客が請求してきたときの予期される過払い返還額、2兆5000億円
 2011年、年明けの1月21日、最高裁が弁論を開く、武井保雄元会長の長男・俊樹(トッちゃん)への贈与税の追徴課税額、1330億円。
 現在の負債総額、4336億円
 いずれも、途方もない額である。

 44年前、板橋区の団地主婦を相手に4坪の事務所でカネ貸しを始めた武井保雄がつくった会社とファミリーの末期、いまは、顧客の返済を受けるだけの業務である。
 憎悪、称賛、怒号を経て、失意のうちに没した武井は、出身地の埼玉県深谷市に眠る。
 享年76。全国納税者番付第1位になり、創業した武富士は融資残高1兆円を越すこともあった。
 だが、病みがたい猜疑心につきまとわれ、吝嗇(りんしょく)で、小心者であったという評は、棺桶に閉じられてなおつきまとう。
 経営とは何か。問われるべきトップ、リーダーの罪と罰は?
 以下、最側近にあった4名の証言でさぐる。

 支社副社長を務めたM氏――。
 「会長はいつも疑ってた。社員が着服裏金づくり、中抜きキックバックをしてるんじゃないかと。
 私など、探偵の盗聴、尾行がついた。行く先々で同じ車が駐まって、怪しげな男が見ていた。

 それまで銀座、赤坂と連れられ、とことん可愛がられたんです。しかし、最後は信用されなくなる。そういう者は私だけじゃなかった。
 元警視総監・福田、元北海道開発事務次官・秋吉、縁戚の木村らが役員をしましたが、彼らもまったく信頼されなかった。こまかい経費の決裁まで、会長はひとりでやった。業績が落ちるとひとまず着服を疑って、抜き打ちで調べる。
 いつか乗っ取られる、寝首を掻かれる。その前に切っちまえ、ひたすら、その感覚の経営でした。

 決裁の赤鉛筆のサイン<武井>をもらうのも大変だ。書類かかえた幹部が廊下にならぶけど、すべては会長の胸三寸、もらえないやつは1週間毎日ならぶ。
 だが、あとで不都合が生じると、『そんなサイン、俺はしてねえ』です。前時代の遺物です。罪は大きい。だから罰も受けた」

 消費者金融、クレジット産業専門誌Y記者――。
 「毎年毎年、故郷・深谷のネギを送ってきてくれました。逆鱗に触れた記事もあったけど変わらず送ってくる。酒や高価なものではなく、ネギというところがおかしい。
 危機管理は徹底した会社でした。会長の片言隻句が洩れてくることはついぞなかった。広報は私と会うにも、取締役員の許可を取る。戻るとなんの話だったか報告する。
 箝口令が敷かれていたのです。

 危機管理というより、恐怖経営です。そして会長は、猜疑心を抑制できず、盗聴器など仕掛けて、懲役3年(執行猶予4年)の判決を受け、病気療養から死へと失意孤独の坂を転げ落ちます。
 会長亡きあと、ネギは次男の健晃が送ってきてた。ネギまで親父のマネをしたんですね」

 <階級ごとに、社員バッジの色が違う>

 東京・西新宿の本社ロビーにはタテヨコ2メートル四方の武井の<御真影>が飾られていた。
 朝出社した社員は次々に写真に声をかける。「会長、今日も1日よろしくお願いします」
 帰宅時も頭を下げる。「会長、今日もありがとうございました。お先に帰らせていただきます」
 来年2月末日までに、過払いの不審がある顧客はコールセンターに連絡すると、<更生債権届用紙>が届く、これで過払い返還請求ができる。しかし首尾よく、認められても、ひとり5万円どまりの補償という不確定情報もある。

 長年の側近だったが、「ジャーナリスト宅に武井会長が盗聴器を社員に仕掛けさせた」と告発して、会長を<塀の中>に落とした中川一博・元法務課長――。
 氏は、右翼、暴力団、総会屋、同和団体とのトラブル処理を任されたキーマンだった。現在50歳。某社の執行役員。
 
 「過去の話になんの感慨もありませんがね。顧客への返金が大幅にカットされるのは、大問題です。
 なぜ破綻、倒産したか。
 結局は経営者の資質に帰すると思います。私は好きだったですけどね。猜疑心が強く、小心で、いつもなにかに怯えていた。
 11階の会長室に行くには暗証番号が要る。それもたびたび変える。車も窓だけが防弾かと怒った。『いつ上から撃たれるか、いつ下に爆弾仕掛けられるか』って。

 ゴルフ場を一緒につくった会社の人が、ウチの社員バッジ見ていいました。武富士は部長、副社長以上が金バッジ、一般社員は銀バッジ。階級でバッジが違う。やくざと同じかと。
 消費者金融っていうのは奥行きのない仕事でね。個人相手に無担保でカネを貸す。額も数十万程度。そんな貸し付けの接客やって回収して、それからティッシュ配りだ。
 しかも徹底的に管理されている。
 1時間に何件回収の電話したか。
 何日遅れか。100本の遅れがあると、200本電話しろと。
 達成できないと本部に呼ばれて罵倒され、泣くまで許してもらえない。外部の人間との接触は厳禁」

 中川氏は、酒、ギャンブルで1000万円の借金を武井に弁済してもらった。ところがまた1300万円の借金が発覚して、激昂を買った。
 「お前にやる退職金などない。前の1000万円も返せ」即、解雇。
 だが氏はのちに<中川資料>と呼ばれるファイルで勝負に出た。
 「武井は人を使い捨てにする。いつ逮捕されるか、ぎりぎりのわれわれだ。裏処理の証拠は残しとけ」
 渉外担当の先輩・F氏にかねて忠告されていた。そして公表した。これが、武井の逮捕につながった。

 F氏もウラ担だった。
 武富士に右翼の街宣がかかった。
 止めてもらおうと、武井はF氏に「ふたつの暴力団に合わせて100億円で解決してくれ。おまえには5億円やる。一生面倒見る」と約束した。
 だが、両股をかけたことが、双方の暴力団に発覚した。詫びを入れ、ひとまず街宣は収束した。
 ところが解決すると悪い癖を出した。皆へのカネを出し渋った。
 右翼に狙われ、F氏には裁判に持ち込まれ、武井は敗訴した。

 「小心者だったんです。面倒や危ないことは全部、下に任せ、外にはいい顔をして吹く。ところがいざとなると、カネは払わない。
 弘前支店が放火されて社員が5人も死んだ。だけど行かない。マスコミに囲まれるのが怖かった」

 <社員も外の者も信用するな>

そして、そこで働く社員はこんなようすだった。大フロアの債権管理室にとつぜん拍手が湧く。
 「△△班、ただいま165万円入金、確認しましたぁ」「万歳、万歳。ほかの班もがんばれぇ。今月、あと5日しかないぞ。目標達成!」
 フロアの向こうの隅では、受話器に紺のスーツが叫んでいる。
 「あん? もう何日、俺におんなじこと言わせてんの。借りたカネ返さないで、どんな話が世の中通んの。あん? だからてめえ、借りといてその口はなんだ。出てこい。来てからノーガキ垂れてみろ」

 これらの社員のトップ・武井は、1930年、埼玉県深谷市に出生。深谷高校中退。上京。
 建設現場、運送店などを転々とし、パチンコ屋に住み着いた。
 のち野菜の行商、ヤミ米販売に転じ、20万円の頭金でトラックを買い東北まで米の買い出しに出て、商売を軌道に乗せた。
 パチンコ屋で知り合って所帯を持った女と別れ、生涯の妻となった博子と再婚した。そののち36歳で、小口金融<富士商事有限会社>を設立した。「奥様に融資します」と団地にビラを配って歩いた。
 そこからほぼ40年の歳月が経って、没した。

 通夜と社葬は死後5日目、杉並区の自宅<真正館>1階大広間で執りおこなわれた。
 妻・博子と子ら、<四谷夫人><麹町夫人>と呼ばれていたふたりの愛人、そしてかぎられたOBと現役役員だけで逝く人を惜しんだ。
 <盗聴>で懲役3年の刑を受けたあと、<真正館>と東京女子医大を往復する生活になっていた。
 青山斎場の<お別れの会>には1800人ほどが参列した。

 武井と数少ない友人付き合いをした銀座のレストランシアターオーナー・児玉昇造氏、65歳――。
 「好きなものは、女の太腿と大きなケツ、赤い色、それに村田英雄の『花と竜』でした。『俺が死ぬのはここに決めた』みたいな歌です。『それが男さ』とつづくんですが、替え歌にして『それが武井さ、武富士さ』と。
 男気を見せるのが好きで、『任しとけ。俺が武富士だ』と胸をたたきます。しかし最後は人を疑い、弁護士のカネも出し渋る。

 あるとき私申しました。
 『会長いいですね。お金はあるし、女はいるし、好きなことなんでもできて』
 そしたら『俺だってさびしいこともあるよ』って。
 そんなしんみり話をする間柄だったんですが、突然、私を疑い始めて。スイスや海外の金融機関に莫大な資産を預けようとしていた話を私が、外に漏らしただろうと。いちど疑惑を抱いたらなにをいってもききません。とうとう別れたままになりました」

 前出の元社員・M氏――。
 「社員を信用するな。外の者も信用するな、が口癖でした。それに倹約家というか吝嗇家。経費節減で『電気消せ』はあたりまえ、コピー機は奇数階だけにする。
 いちいち階段上り下りしてフロアを移動しなければならないから、必然的にコピーが減る。

 とにかく、カネのことしか考えない。カネ貸しですからね。そのトップですからね。アタマにあるのはカネのこと、女のこと。貸付残高を増やして、確実な収益をめざす。女の部屋には入り浸り。そして、昼めしは糖尿病だからサンドイッチ。
 でも正月は、どんと太っ腹になった。会長の誕生会兼、新年会。<真正館>に、100人から150人ほどの幹部が集まります。
 そこで競馬ゲームをやる。競馬場になってるゲーム盤をおもちゃの馬がトコトコ走るんです。
 会長がドカンと100万円張って、100数十人の男女に『おまえらも張れ』って。そしてハンデ持たせてわざと勝たせてくれる。
 勝った奴に、『いまなら、もうソープ開いてるだろ。そのカネでおまえら行ってこい』って」

 元法務課長・中川一博氏。
 「結局、バクチが好き、やくざが好きなんです。ところがやくざとまともに付き合うとしゃぶりつかれるから、距離を置きつつ、天秤にかける。
 ケツ持ちは私らにまわして。『なに、うまく使えばいいんだよ』と。
 そしていつもの科白。
 『右翼はやくざに弱い、やくざは警察に弱い、警察は右翼に弱い』『歴史の基本は侵略征服だ、勝つか負けるかだ』とそんなことばかりいってました。

 一方、会社で長男を「俊樹(トッちゃん)」次男を「健晃(タケちゃん)」と、外の人にも呼んでバカ親丸出し。
 結局、経営者でも管理者でもリーダーでもない。やくざ好きの町の商店主です。それが『フォーブス』で世界の富豪だと紹介されて舞い上がったのでしょうか。
 トッちゃんは巨額株取引に失敗して失踪。専務を退任して消息不明。ただし大株主欄の住所は香港。
 親が『100年にひとりの天才だ』と持ち上げ、自分は渋谷のチーマーやってたのが自慢だったタケちゃんも退任。以後、表に出てきません」

 「圓光院殿富翁保聚大居士」
 俗名 武井保雄の巨大な墓石が眼前にそびえる。
 深谷市高野山真言宗<阿彌陀寺>。
 檀徒の共同墓地にこの碑があるのではない。
 本堂前の敷地を開いたタテヨコ14メートルほど、正殿と呼ぶべきたたずまいの方形の地に墓は建つ。

 雨まじりの冬風が吹きつける暗い空の下、墓所を囲う柱や石段などすべての石が白く輝いている。
 花崗岩のダイヤモンドと呼ばれて石の特級品として名高い、香川県の庵治石(あじいし)である。
 「山門一対 石塀一式 参道敷石一式 薬王門一式」
献納者として武井家族の者の名が山門脇に刻まれている。

 この寺から100メートルもない地に、武井保雄の生家はあった。
 いまは、雑貨屋より少し大きい、地方集落のスーパー<ファミリーショップたけい>に変じている。
 近くをバイパスが走る、赤土の舞う関東平野の宅地と農地の混在する風景である。
 店内は薄暗い。真ん中に客たちがおしゃべりできるテーブルとソファがある。保雄の弟、故・貞二から、奥さんが継いで切り盛りしている。彼女の感慨。
 「主人たち兄弟仲良かったですよ。<富士商事>のころは主人も手伝って。……しかし、人生なんてあっという間だ、夢みてたみたいだ。この辺りは昔もいまも変わりない。
 保雄さんも<武富士>も、ぐるっとひとまわりしてそこの墓に帰ってきたみたいなもんだねえ」
(一部敬称略)

く文責:藤森弘司>

言葉TOPへ