2010年8月15日 第97回「今月の言葉」
脚本分析・・・オバマ大統領は大丈夫か(補足③)

●(1)面白いもので、オバマ大統領のことに関心を持ってみると、オバマの脚本を理解する上で重要な情報が次々と集まってきます。不思議なものですね。どう考えてもオバマ大統領は、不思議な運命を背負っているように思えてなりません。

 アメリカそのものが、覇権国家から脱落しようとしています。その時代の大転換期に、オバマのような生い立ちの、しかも、黒人が登場するというのは、多分、これからいろいろ摩訶不思議なことが起きるような気がしてなりません。

 とにもかくにも、まずは、下記の(2)をジックリご覧ください。

●(2)平成22年8月11日、読売新聞「オバマ夫人 豪遊に批判」

 <次女とスペインへ 政府専用機で往復>

 【ワシントン=黒瀬悦成】ミシェル・オバマ米大統領夫人(46)と次女サーシャさん(9)が4~8日、スペインの超高級リゾートで休暇を過ごしたことに対し、米メディアから「失業などで国民が苦しんでいるのに不謹慎だ」との批判が噴出。その「豪遊」ぶりを「まるで(フランス革命当時の)マリー・アントワネット妃のようだ」と揶揄する報道まで飛び出し、支持率低下に悩む大統領にとって頭痛の種となっている。

 夫人らは、スペイン南部の海辺の町マルベリャに滞在したが、米メディアによると、1泊の宿泊費が6500ドル(約56万円)の超高級リゾートホテルもあった。ホワイトハウスは、「個人的な休暇なので、ホテル代や食事代はすべて自己負担」としているが、往復に使用した政府専用機は、運航費用が約18万ドル(1550万円)に上ったにもかかわらず、夫人らの負担額は民間機のファーストクラスの運賃相当額のみ。公費で賄われるシークレットサービスによる身辺警護の費用への「無頓着」ぶりもやり玉に挙げられた。
 ブッシュ前大統領のローラ夫人は私的休暇で海外旅行をしたことはなく、米国内の国立公園で休暇を過ごすことが多かった。

●(3)皆さんは、この新聞記事をどのように思いますか?

 ミシェル夫人の行動は、アメリカの現状を考えても、また、オバマの生い立ちを考えても、私(藤森)にとっては信じられない行動です。
 ミシェル夫人の生い立ちは、私はまったく知りませんが、少なくても、夫・オバマの生い立ちを彼女は知っているはずです。また、当然に、現在、夫・オバマが置かれている政治的立場やアメリカの現状を詳しく知っているはずです。しかも、理屈はともかく、まだまだ黒人に対する差別感が根強く残っているはずです。

 それでいながら、このような「豪遊」をするところが、政敵というか、快く思わない人たちの恨みを買う行動で、その「無神経さ」は凄いと思います。やはり「脚本」の通りになっていることを予感させます。ある種の「成金趣味」ではないのでしょうか?
 たかだかアメリカ大統領の収入程度でこれほどの「豪遊」ができるわけがありません。大統領選を戦った共和党候補のマケインに「金権候補」と批判されたり、マスコミから「5億ドルの男(当時の日本円で約530億円)」とニックネーム<共に、第93回「脚本分析③」の中の(5)>されたり、さらにはミシェルの豪遊を「マリー・アントワネット妃のようだ」とマスコミから揶揄される。

 私は、オバマが「愛」の何たるかを知るわけがないと強調しました<「脚本分析」part③の中の(3)>が、まさに「愛の本質」がわからない人間は、周囲や国民がどのように感じるかということに無神経になるのでしょう。まさに、「愛」とは「物」「お金」が豊富であることと錯覚している可能性を示唆しています。ブッシュ前大統領のローラ夫人とはえらい違いです。
 ミシェルの無神経さと比較すると、うなるほどの財産家・ブッシュ家のローラ夫人がマリア様のように美しく思えてきます。

 さて、オバマがノーベル賞を受賞したのは、「核なき世界」の演説です。どうやらそれも怪しくなってきたようです。下記の(3)をジックリご覧ください。
 日本の政治や外交の幼稚さは救いがたい気がします。特に、民主党の「奇麗事人間(特に「松下政経塾」出身)」のお坊ちゃま政治家には、「外交」という「修羅場」で活躍するには、余りにも幼稚すぎるのではないでしょうか?

 政治の世界は、「裏の裏」「かなりあくどい(?)駆け引き」、あるいは「非情さ、冷酷さ(消費税アップの決断や原爆病の認定の諾否など)」が重要で、あちらを立てればこちらが立たず、両方立てようとすると予算が無い。常に、半分から嫌われる可能性があります。そういうものを決断する連続だと思います。だからこそ、私が尊敬する曽野綾子先生は・・・・・

<<<その意味で私はこのごろ、政治家の世襲に次第に賛成と言いたい気持ちに傾いて来た。こんな恐ろしい仕事を自ら望んでやりたいと言ってくれるような人たちはなかなかいるものではないだろうから、そういう種族は大切に保存すべきだとういう思いである。>>><第93回「脚本分析③」の中の(9)>

 何度も何度も書きますが、専門家集団が1年をかけて捜査したが、少なくても、立件するに値する証拠がなかった「小沢事件」をいつまでも、いつまでも敵対視しているようでは、日本の政治は、そして国家は破綻せざるを得ません。たかだか10億円程度の問題よりも、天下国家を論じて欲しい!!この国を何とかしてほしい!!

 これだけ「円高」が進んで、企業が悲鳴をあげていて、何兆円の損失だとか、あるいはヤンバダムや日本航空の処理問題では千億円単位の税金がムダになるかどうかと言われています。
 曽野綾子先生は、日本航空の再建は無理ではないかとおっしゃっていますし、JALのOBで、桐蔭横浜大学で昨年の3月まで「国際航空関係論」を教えていた楠見光弘氏は、日刊ゲンダイの連載で、「JALの再生は無理、1年は生き延びても、3年はどうか」と書いています(平成22年8月14日)。

 そういうどうしようもない対応をしているのが、近い将来、首相になることが期待されている前原誠司大臣です。千億円単位の損害を国家に与えかねない未熟な政治力は(一部の専門家を除いて)ほとんど批判されず、たかだか10億円程度の問題でこれほど騒ぐ「愚」こそ反省されるべきことです。
 何千億円や何兆円単位の問題にもっと目を向けなければ、日本の将来はないのではないでしょうか?専門家集団が、1年かけて捜査しても犯罪を立証できない問題を、たまたま抽選で当たっただけの「素人集団」の「素人判断」によって、この国の命運を左右しかねない「愚」は、もういい加減にやめるべきです。「情緒」「好き嫌い」で判断すべき問題ではありません。
 そして、これほどの「巨大な問題」を「素人集団」に決定権を与えるべきではありません。
 
 現に、「完全無所属」を訴えて当選した、千葉県知事の森田健作氏の場合、千葉第2検審が地検の処分通り「不起訴相当」と判断しました。これを私(藤森)は、次のように判断しています。

 「森田知事は完全に間違っているが、現職の知事として活動しているし、地検が不起訴と判断しているので、それをひっくり返すのは、メンバーにとっては荷が重過ぎる」からだと推測します。

 森田知事の場合は、自民党の支部代表でありながら「完全無所属」と名乗って当選したのですから、明らかに間違いです。でも、私が検審のメンバーであっても、地検の判断をひっくり返す決断を下すのには、かなりの困難を伴います。
 小沢問題は、森田知事の問題よりも10倍、100倍重大であり、さらに証明が困難な問題であり、地検が100倍のエネルギーを割いた事件です。それを検審のメンバーが地検の判断をひっくり返すのは、私(藤森)からみると「異常」以外のなにものでもありません。要は、小沢一郎氏を好まない人間が多いということでしょう。日本は、本当に能力がある人、決断力がある人などが嫌われ、人は良いがウヤムヤにする無能力者が好まれる傾向にあります。
 小沢氏追及の問題は、「情緒的判断」以外の何物でもありません。これこそが「認知の歪みの根源」をなすものです。
 
 ほとんど何もできない、ほとんど具体的対策を考えられない首相や財務大臣や民主党政権のほうが、何倍、何十倍、何百倍の損害を国家に与えています。そういうことに無頓着で、いつまでも、いつまでも、たかだか10億円程度のお金で騒ぐのはいい加減、平和な時にして欲しいものです。
 

 誤解を恐れず、敢えて、率直にいいます。
 「火事だ!!」と騒いでいるので、水の入ったバケツを持って、その家の中に「土足」で上がって消火に協力したのに、後から、我が家に土足で上がってきたと騒いでいるようなものです。
 「土足」で家の中を汚されることと、「家が燃えてしまう」ことと、そのどちらを優先させるのかです。そんなことは言うまでもないことですが、国家、国民は、いつまでも、「あいつは、家の中に土足で入ってきた」と喚くつもりなのでしょうか。
 
 下記の(4)をジックリ、じっくり、ご覧ください。こんなことをいつまでも喚いているような状況でしょうか???国家間の経済戦争をやっているときに、こんなことをいつまでも騒ぐ問題でしょうか?グローバル化がこれだけ言われ、また、国家の非常事態に、「村社会」の対立みたいなことを、いつまでも騒ぎ立てる「愚」はそろそろ止めて、日本をどうするのか、もう議論は聞き飽きました。今は、とにかく実行してほしい。突破力のある政治をやってほしい。民主党の総力を挙げて、国家の再建に邁進してほしいと願っています。
 こんなことでいつまでも騒ぐのは、間接的に、日本国民は、自分の首を絞めているようなものです。

●(4)平成22年8月13日、日刊ゲンダイ「春名幹男 国際情報を読む」

 <日本は甘い。原発輸出の国際競争>

ベトナムに原子力発電所輸出を、と日本の官民が熱くなっている。インフラ輸出は新成長戦略の柱のひとつ。原発輸出の成否で、日本経済の将来を占えるかもしれない。「オールジャパンで巻き返せ」と題する社説を掲げた6日付読売新聞。<日本も閣僚レベルが「トップセールス」に力を入れ出した>と高く評価した。だが、政府が関与すれば何とかなると期待するのは幻想だ。

 米国やロシアが全く違うレベルで勝負をかけていることに日本は全然気付いていないようだ。

 ベトナム第1期原発建設計画を仕留めたロシアはあざとい策を弄した。
 ベトナムの原発建設で両国が覚書に調印したのは昨年末。プーチン首相とグエン・タン・ズン首相がモスクワで会談して、合意した。
 実はこれには裏合意があったのだ。ロシアはベトナムとディーゼル推進キロ級潜水艦6隻の引き渡しでも合意していたのである。ロシア誌報道では総額32億ドル(約2800億円)でロシア製海軍兵器輸出では過去最高額。
 
 ベトナムは中国と南沙、西沙諸島の領有権争いを控え、中国海軍の増強に対抗策が必要だった。
 ロシアに出遅れた米国も急きょ、新たな手を打った。クリントン国務長官は7月下旬の東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)で、南シナ海の領有権問題におけるベトナムの立場を事実上支持し、国際的な法的解決は「米国の国益だ」と述べたのである。先週には、米原子力空母ジョージ・ワシントンがベトナム中部ダナン沖合の南シナ海に到着し、中国海軍の動きを牽制した。

 米国もベトナムとの原発ビジネスが狙いだった。米紙によると、両国は年内に原子力協力協定に調印する見通しだ。その中で、米国はベトナムによるウラン濃縮を認めると伝えられている。
 ベトナムとの原発商戦から明白なように、米ロは輸出相手国の安保上の懸念に配慮し、場合によっては武器も輸出する。砲艦外交もいとわない。本来、原発輸出はそれほど戦略的な取引なのだ。
 しかし、原発輸出は「核のドミノ」も深刻化させる。ベトナムだけでなくインドネシア、ミャンマーなども原発輸入に関心を示している。オバマ大統領の「核なき世界」は看板倒れの様相だ。

 <春名幹男・・・・・名古屋大学特任教授。1946年、京都市生まれ。大阪外大卒。共同通信ワシントン支局長、特別編集委員を経て現職。95年ボーン・上田記念国際記者賞受賞。「秘密のファイル・・・CIAの対日工作」など著書多数>

●(5)下記(6)(7)の著者は、日ごろ、日刊ゲンダイで連載していて、それを私(藤森)は拝読し、その眼力を尊敬していますが、今回だけは、私の専門分野に関わってきますので、かなり違った批評をさせていただきたいと思っています。

 下記の「狙われた日華の金塊」は、もの凄い内容の本ですが、「オバマの脚本分析」のみに絞って、本の紹介の後で説明します。 
 もの凄い内容ですので、少々長いですが、じっくり、ご覧ください。

●(6)<「狙われた日華の金塊・・・ドル崩壊という罠原田武夫著、小学館><(株)原田国際戦略情報研究所代表。外務省アジア大洋州局北東アジア課課長補佐として北朝鮮班長を務める。2005年3月、外務省を自主退職。著書に「騙すアメリカ 騙される日本」「北朝鮮vs.アメリカ」(以上、ちくま新書)「北朝鮮外交の真実」(筑摩書房)「計画破産国家アメリカの罠」(講談社)ほか>

 (P185~192)

 <オバマに見る「日本的なもの」>

 話を元に戻す。・・・・・金融メルトダウンがいよいよ最終局面を迎える中、いわば「集団としての反省」をし始めた米欧勢が辿りついたもの。それは自分たちの文明にとって「本当にオリジナルなもの」としての、、「他者」への思いやり、そしてそれとの共存(多様性)なのであった。
 4世紀にキリスト教が「国教化」されて以来、排他的な一神教としての性格が研ぎ澄まされ、先鋭化する西洋精神史がもはや誰も手をつけなくなりかけたことへの大いなる巻き返しといってもいいだろう。

 そしてそこで脱出口へ向かうカギを握る存在としてみなされているのが日本勢であるというわけなのである。だが、とりわけアメリカ勢について見るならば、その意味での「多様性」を象徴する人物は、実のところ既に選ばれている。バラク・オバマ合衆国大統領、その人である。

 よくよく考えてみればオバマ大統領ほど、その存在そのものが「多様性」に満ちている人物はいない(以下の記述は主に渡辺将人『評伝バラク・オバマ「越境」する大統領』による)。
 1961年8月4日、バラク・オバマはハワイ・ホノルルで生まれる。母はスタンリー・アン・ダナム。ケニア人留学生であったバラク・フセイン・オバマが父であった。

 インドネシアを専門とする人類学者、アジア研究者にして、アジアの農村開発の専門家であった母スタンリー・アン・ダナムは、(バラク・フセイン・オバマと離婚した後)地理学者でありハワイ大学に留学していたインドネシア人ロロ・スートロと恋に落ちる。そしてまだ6歳だったオバマを連れて、インドネシアへと旅立つ。1967年のことだ(この本の「はじめに」で紹介した、オバマにとって最初の外国旅行となる日本立ち寄りはこの時のことである)。以後、14年にもわたって母アンはハワイとインドネシアとの間を行き来することとなる。

 この「父」と「母」は1980年に離婚するが、それまでの間、オバマを取り巻く家庭環境は正に多様性そのものだった。父が話す英語。母はインドネシア語を完璧に話す。そして自らの褐色の肌は、ケニアへと帰って行った父を思い出させる。しかも、1969年から1971年までの間にはインドネシアの公立学校であるメンテン第一べスキ小学校に通いすらした。

 この時、インドネシアは激動の時期を迎えていた。1966年3月には建国の父スカルノがスハルトに権力の座を追われ、大統領権限を委譲。その年の11月中旬、スカルノ元大統領に嫁いだ日本人デヴィ・スカルノが身重のまま、「ほんとうに、すぐに帰ってくるつもりで、なにもかも置いて」インドネシアを旅立つ(『デヴィ・スカルノ自伝』文芸春秋 第242頁)。
 そして1968年3月27日にはスハルトが第2代大統領に就任、いよいよ全権を掌握するに至った。オバマが目の当たりにしたのは、あらためて国づくりに励むインドネシア勢の姿だった。公立小学校に通い始めたオバマ(愛称バリー)は、インドネシア語を話し、インドネシア国歌を斉唱し、インドネシア国旗に敬意を表した。

 そして1971年。オバマはより質の高い教育を受けさせたいという母アンの意向から、ハワイへ「帰国子女」として戻る。その時のハワイは「紛れもなくアメリカのなかのアジアであり、ジャパニーズ文化圏だった」(渡辺将人・前掲書 第48頁)。そこでオバマは奇妙な体験をする。ここから始まるハワイ時代において、毎年新学期になると少年バリー(=オバマ)は嫌というほど、その名を聞いた旧友たちから「日系人かと思った」と言われる経験をしたのだ(第75頁)。ここでオバマは大勢の日系アメリカ人の友人たちと交流をしながら、さらに「多様性」を自らのものとしていった。ハワイ政界で有名な日系三世ビル・カネコの言葉が興味深い(第86頁)。

 <<ワシントンは党派性が露骨な街です。オバマが目指しているのは、党派対立に橋を架けることですが、これはハワイ育ちということと無関係ではない。ハワイはものすごく多文化的で、人種も混ざり合っています。アジア文化の土地でもある。アジア系は腰が低く、他人への敬意を重視します。戦闘的な姿勢を好まない。オバマはハイブリッドだと思いますね。ハワイ育ちと本土育ちには大きな差があります。ハワイで育って本土に行くと、未知の社会的、政治的なしきたりがあって、それに適応を迫られます。本土では、より断定調に声を荒げていかないといけない。それはハワイ文化やアイデンティティを捨てることではないものの、本土で通用するリーダーシップのスタイルに慣れないといけないのです>>

 この日系三世の支援者が語るほど、オバマ大統領の「今」を典型的に表しているものはないのではないだろうか。「帰国子女」であり、太っちょの、しかもしばしば日系と間違われる少年バリーがハワイで日々吸収してきたもの。それは「多様性」であり、これを前提とした他者への寛容さだったというわけなのである。
 その後、1979年にオバマはカリフォルニア州にあるオクシデンタル・カレッジに入学。1981年にはコロンビア大学に編入学。ニューヨークで黒人政治家の事務所で職を求めるものの、うまくいかず、結局辿りついたのが「約束の地」シカゴであった。1985年7月のことである。

 この時、オバマが選んだ職業は「コミュニティー・オーガナイザー」という、日本では全く聞きなれないものだった。これは「教育、公衆衛生、雇用や治安などの地域社会の問題改善のために、役所、学校、企業などをつき動かすための『運動』を盛り上げる仕事」であり、こうした「当局」の「背中を押す住民運動のオルグ」を行なうこと(前掲書 第155~156頁)。これが少年バリーから青年オバマとなった彼の初仕事だったというわけなのである。

 オバマ大統領の思想的なバック・ボーンについて日本で表立って語られることは少ない。しかし、「コミュニティー・オーガナイザー」という仕事を選んだオバマにとってバイブルともなる本を書き、その理論的支柱となった思想家がいたことは事実である。ソウル・D・アリンスキーだ。オバマも読み耽ったであろうその著作(例えば“Reveille for Radicals”)などを読むと、繰り返し出てくる言葉がある。まずは住民たちを信頼し、その声に耳を傾けよというメッセージである。そして、住民たちの怒りを吸収し、その要求を実現するための組織「人民団体(People’s Organization)」を組織せよと説く。アリンスキーは言う。・・・・・「全体の一部になるためには、まず無の一部にならなければならない(“In order to be part of all, you must be part of none.”)」。

 アメリカ合衆国大統領になった今、日本でもしばしば聞かれるのが「オバマは決断していない。ただ説明をしているだけだ」といった厳しいオバマ評だ。しかし、これまで振り返ってきた複雑な生い立ち、そしてその後の「多様性」そのものとも言える生活環境、さらには「コミュニティー・オーガナイザー」として住民の聞き役であったことを知れば、そうした批判を世界中で述べる者の方が、アメリカ勢が密かに示したパラダイム・シフトに気付いていないと言われるべきだということをお分かり頂けるのではないかと思う。

 オバマの政治スタイルには、例えばかつての小泉純一郎首相(当時)が見せた「竹を割ったような爽快さ」は全く感じられない。むしろ、かつてのライバルまで巻き込む形で(ヒラリー・クリントンを国務長官にしたことを思い出して頂きたい)じっくりとコンセンサスをつくりあげるスタイルだ。

 私はそうしたスタイルを育んだ最大の原因が、母アンに誘われる形で多民族国家アメリカにあっても人一倍、「出会い」を経験してきたことにあるのではないかと考えている。他者との「出会い」の繰り返しによってのみ「シンクロニシティ(synchronicity)」が可能となり、かつてそのことに気付くための「適応性無意識(adaptive unconsciousness)」を研ぎ澄まさせてくれるからだ。

 ここでは紙幅の都合上、詳しく書くことが出来ないが前者は簡単に言うと「二つ以上の出来ごとが重要な意味を持って同時に起こること。そこには単なる好機の到来以外の何かが関わっている」ことを意味している。(ジョセフ・ジャウォースキー 金井壽宏監修・野津智子訳『シンクロニシティ 未来をつくるリーダーシップ』英治出版 第2頁)。

 そして後者は心理学や脳科学といった分野では最新の研究対象となっているものであり、「強力なコンピューターのようなもので、人が生きていくうえで必要な大量のデータを瞬時に、なんとかして処理してくれる」能力のことを指し、「一気に結論に達する脳の働き」を意味している(マルコム・グラッドウェル 沢田博・安部尚美訳『第1巻「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』光文社 第17頁)。

 多くの論者たちが自らの体験として語ってきているように、これら両者は緊密な相関関係にある。本当に必要なタイミングで、本当に必要な人にはそれとして気付く形で出会うようになっているものなのだ。しかももっと興味深いのは両者について語る研究が例示する出来事はたいていの場合、積極的に何かを攻めて奪ってくる話というよりも、リスクを回避し、巧みに身を守ったという類の話なのだ。

 実はこのことが決定的な意味を持っている。・・・・・理性という名の「エゴ(自我)」をいびつなまでに発展させた西洋文明に対して抵抗し、その結果、人間ならば誰しもが持っている「集合的無意識(collective unconsciousness)」と東洋文明の研究へと至った心理学者カール・G・ユング。彼はいわゆる霊能者にまつわる超常現象について研究する中で、次のように述べている(湯浅泰雄『ユングとキリスト教』講談社学術文庫 第110頁)

 <<<彼ら(註:霊能者)は一般に、彼らの“術”を利己的な目的に使うことはできません。このことは、彼らの能力が自我の意志に従属するものではなくて、無意識の圧倒的な支配に負っていることを証明しています>>>

●(7)<日華のゴールドが世界の利己的な争いに終わりを告げる)(「狙われた日華の金塊」P192~196)

 このことは、今の日本との関係で一体何を意味しているのか。余りにも受け身であり、一見すると頼りなく見える国家。しかし、だからといって攻める側から見るとゾンビ のように必ず立ち直り、しかも再び繁栄すらしてしまう国家。強烈な指導者がいるのかと思えば、決してそうではなく、政治を見ても、経済を見ても、他者を圧倒する者はいない国家。しかし、結果として見れば富を享受し、退蔵し、ますます輝いていく国家。・・・・・そう、それが私たちの国・日本である。

 この章の前半で紹介した安田喜憲氏の議論をあらためて思い出して頂きたい。文明としての日本は、無私の創造的精神と活動によって支えられたアニミズムの「慈悲の心」、そして「利他の行」を行動原理とする社会を育んできた。ヒロシマ・ナガサキで何十万人という日本人が、「力と闘争の文明」を見せつけ、挑戦してきたアメリカ勢によって落とされた原子爆弾によって犠牲になったにもかかわらず、そのアメリカ勢を「憎む心を持つことなく」、日本勢はただひたすら「悲しみを抱きしめて」生きてきた。そしてそのアメリカ勢からは「平和憲法を」押し付けられ、それを改定すらせずに戦後を暮らしてきたのである。

 しかし、結果からすればそうした「アニミズム的応戦」(安田喜憲『一神教の闇・・・アニミズムの復権』第105頁)によって日本勢は平和と繁栄を享受してきたのである。しかも、米欧勢からどんなに蔑まれ、あるいは彼らによってそそのかされた一部の同胞たちからは「日本は遅れている、日本は劣っている」とマスメディアを通じて連呼されても、富を退蔵し、決してその全てを放出することはなかったのだ。

 そして今、金融メルトダウンはいよいよ「最終局面」を迎えた。米欧勢が角逐を繰り広げ、アメリカ勢がいよいよ最終的な簒奪を試み始めたのがこの退蔵された富である。言葉巧みに米国債を大量購入させ、次第に自らのデフォルト(国家債務不履行)が不可避な状況だと見せつけながら、同時に私たち=日本勢が持つ「言語(=“言葉”という意味ではなく、“文明”という意味での言語)」を理解する男を表向き、合衆国大統領に据えた。そして彼はこれまでのアメリカ大統領たちとは異なり、日本勢の「言語」に従った振る舞いをし、あたかも「力と闘争の文明」からやってきた使者では全くないかのように見せかける・・・・・。

 これでお分かり頂けるのではないかと思う。・・・・・「はじめに」で紹介した写真にあるとおり、2009年11月に来日したオバマ大統領が天皇皇后陛下に対して深々とお辞儀をしたことにれっきとした理由があったのだ。太平洋を股に懸けた流転の人生の中で見に付けた「多様性」への振る舞い方。人一倍多い「出会い」の中で体感した「シンクロニシティ」と、磨き上げた「適応性無意識」が自然と彼に頭を深々と下げさせた。だが同時にそこで、これまで繰り広げられてきた西洋と東洋の間における角逐が形を変えて表れたにすぎない。
 奪っても奪っても東洋で退蔵される富。西洋はいよいよ最後の手段として「肉を切らせて骨を断つ」ことにした。それが2007年に始まった金融メルトダウンの本質なのである。

 実は、オバマ大統領にとっても時間がない。「はじめに」の冒頭で紹介した非公開情報にあるような、「2期8年をオバマ大統領に務めあげさせる」といった約束が果たしていつまた反故にされるかは分からないのだ。事実、2010年に入るとアメリカ国内では共和党勢が火をつける形で新たな大衆運動が盛り上がりつつある。「ティー・パーティ運動(Tea Party Movement)」名付けられた運動は、オバマ大統領による一連の改革を国家による統制の強化だと声高に非難。この大衆運動こそが、かつてのアメリカ独立戦争と同様に「自由の国・アメリカ」を守る革命だと叫び、ますますその勢いを強めている。一方、民主党勢の中ではどうかと言えば、ヒラリー・クリントン国務長官が虎視眈々とキャリア・アップのタイミングを狙っている。

 ますます追い詰められるオバマ大統領にとって、こなさなければならない仕事。それは日本勢と華僑・華人ネットワークが東アジアを舞台に退蔵してきた簿外資産としての金塊を放出させること。アジア、そしてハワイの地で「多様性」を身に付けてきた人間・オバマとしては身を切られる思いがしていることであろう。しかし、大統領・オバマとしては、正にそのために選ばれたのだからやらなければならない。「番狂わせ」は絶対に許されない。既に述べたとおり2004年から米欧系“越境する投資主体”の雄たちは明らかに「その時」、すなわちマーケット外からの金塊が大量に出現し、大混乱に陥るタイミングがやって来ることを前提に行動してきたのであるから。正に「進むべき道はない。しかし進まなければならない」(アンドレイ・タルコフスキー)である。

 しかし、今こそあえて「逆転の発想」で考えるべきなのではないだろうか。・・・・・金融メルトダウンの中で米欧勢の「超越的秩序の宗教=力と闘争の文明」の限界を乗り越えるべく切られたカードであり、それがために苦しみ続けるオバマ大統領を救えるのは、私たちでしかないのである。より正確に言えば、日本勢と華僑・華人ネットワークの持つこの莫大な金塊という簿外資産が放出されることによって、はじめてこの意味で利己的な争いは終わりを告げるのである。大航海時代から始まり、植民地時代、二つの世界大戦を経て、現在までに至る米欧勢による東アジア勢に対する恐れと簒奪の歴史に、ようやく終止符を打つことができるのだ。

 もちろん、日本勢と華僑・華人ネットワークがこうした決断に踏み切ることには、大きな痛みが伴う。マーケット外から突如として現れる莫大な金塊は、金マーケットを「瓦落(がら)」へと陥れることであろう。そのことを前提に、マーケットの“猛者”たちからは早くも「金は2020年までに無価値となる」という声すら聞こえてくる。家計のレヴェルでも大量の金が保有されている今、このことが日本社会に与えるインパクトははかりし得ないものがある。

 もっとも、インパクトを受けるのは日本社会だけではない。金融メルトダウンの結果、景気回復のために大量の量的緩和を行なうべく、莫大な財政赤字を抱えてきた米欧勢は今や、デフォルトの危機に立たされている。その中であっても最終的に各国の通貨が持つ価値をかろうじて支えることになるのが、中央銀行たちの持つ金である。
 しかし、ここで大量放出される金はそうした支えすら崩壊させてしまうのだ。その結果、「国民国家単位で中央銀行が設立され、これが通貨を発行する」という、これまで米欧勢が世界中に流布させてきた近現代の資本主義そのものが根底より崩れ去ることとなる。・・・・・正に世界史がいよいよその真相を自ら明らかにするという意味での「アポカリプス(黙示録)」の始まりに他ならない。

 <後略>

●(8)「狙われた日華の金塊」は凄い本です。著者の原田氏は国際戦略情報研究の分野では、天才的な方だと思っています。是非、ご覧ください。
 さて、上記の中で、私(藤森)が一番取り上げたい箇所は、私が専門とする「深層心理」に関わる、次の3箇所です。 <<<アメリカ合衆国大統領になった今、日本でもしばしば聞かれるのが「オバマは決断していない。ただ説明をしているだけだ」といった厳しいオバマ評だ。しかし、これまで振り返ってきた複雑な生い立ち、そしてその後の「多様性」そのものとも言える生活環境、さらには「コミュニティー・オーガナイザー」として住民の聞き役であったことを知れば、そうした批判を世界中で述べる者の方が、アメリカ勢が密かに示したパラダイム・シフトに気付いていないと言われるべきだということをお分かり頂けるのではないかと思う。>>>

<<<それは「多様性」であり、これを前提とした他者への寛容さだったというわけなのである。>>>

<<<私はそうしたスタイルを育んだ最大の原因が、母アンに誘われる形で多民族国家アメリカにあっても人一倍、「出会い」を経験してきたことにあるのではないかと考えている。>>>

 恐らく、政治的には、原田氏のおっしゃることが正しいのだと思われます。
 ただし、私(藤森)が専門とする「深層心理」の立場からこれを読み解くと、上記の3つは、「自我の未成熟さ」からきていると判断せざるを得ません。「脚本分析①、②、③」でご紹介したように、オバマの生い立ちから考えると、知性、教養は世界最大級かも知れませんが、深層心理的に判断すると、脚本はかなり不十分です。つまり、「自我がかなり未成熟」です。

 「自我がかなり未成熟」な人間は、「決断力」が乏しく、「説明」にエネルギーを注ぐか、いかにも決断力があるような「超ワンマン」になりがちです。今の日本の政治家を見ればわかります。ちょっと反対すると、すぐに自説を曲げてしまうでしょう。
 「オバマ演説集」(朝日出版社)」で書かれていたオバマの生い立ち(脚本)を紹介しましたが、原田氏が紹介する<<渡辺将人『評伝バラク・オバマ「越境」する大統領』>>は、間違いではないのでしょうが、多分に表面的な解釈のように思われます。

 母、アンは、さすがに学者だけあって、説明というか育児に対する解釈は立派ですが、何より一番大事なことは、オバマ自身が「親に見捨てられた」と感じていることが重要です。私自身、親を体験して、私自身の「思い」とは大違いのことを息子が言ったとき、本当に驚きました。親子の間には、巨大な差があるものです。
 特に、オバマ自身が「親に見捨てられた」と感じていることを、母親のアンは「オバマはより質の高い教育を受けさせたいという母アンの意向」から、ハワイの学校に通わせたとうまい口実をつけています。

 しかし、「オバマ演説集」(朝日出版社)」によれば、
<<<オバマが5歳のとき、母親はインドネシア人男性と再婚し、1年後、一家はジャカルタに移りました。そしてそこで、生まれて初めて、バラク・オバマは人種というものを意識しました。肌の色のことで、からかわれたのです。
オバマは10歳でハワイに戻り、州の名門プレパラトリースクールのひとつであるプナホウスクールに通うことになりました。彼は祖父母と一緒に寝室2つの窮屈なアパートで暮らしていましたが、母親はインドネシアに残りました。

 「彼は親に見捨てられたと感じていたんですよ、父親はそばにいなかったのですから。それに母親まで、しばらくの間、離れてしまうことがあったのですからね」(デービッド・メンデル)>>>

 両者を比較すれば、どちらのほうが実態に近かったと思われますか?もし<<渡辺将人『評伝バラク・オバマ「越境」する大統領』>>の記述が正しければ、
<<<彼は祖父母と一緒に寝室2つの窮屈なアパートで暮らしていましたが、母親はインドネシアに残りました。>>>これはあまりにも不自然です。

<<<彼は親に見捨てられたと感じていたんですよ、>>>これも、母親の言い分とはあまりにもかけ離れすぎています。しかも、「受託演説」のとき、家族・身内への感謝の言葉を述べていますが、両親については、全く、触れていません。それは当然でしょう、「見捨てられた」と感じているのですから。
 「見捨てられた」と感じていたということは、オバマにとっては、実質的に「見捨てられた」のです。だから、「受託演説」で、両親に対して一切触れなかったのです。

 そして「オバマ演説集」(朝日出版社)」に書かれていることが正しいならば、オバマの「自我」は、非常に「未成熟」なはずです。大学などで勉強して、一般に言われる「知性」や「教養」を十分に身に付けたでしょうが、本質的な人格(脚本)には、全く手が付いていないことが、ほとんど確信的に理解できます。

●(9)もし、上記の解釈が正しいとするならば、「自我が未成熟」な人間が・・・・・

<<<それは「多様性」であり、これを前提とした他者への寛容さだったというわけなのである。>>>

<<<私はそうしたスタイルを育んだ最大の原因が、母アンに誘われる形で多民族国家アメリカにあっても人一倍、「出会い」を経験してきたことにあるのではないかと考えている。>>>

 私(藤森)が小学校のころ、今から55年くらい前のことですが、何度も何度も転校を経験する生徒がいました。例えば、警察官や学校の先生(?)、商社マンだったでしょうか、勤め先が変わって、小学校の6年間に何度も転校するような生徒が何人かいました。
 そういう生徒は、何度も「別離」を体験するのが辛いから、級友と親しくなろうとしない子どもがいたことを思い出します。ましてや、オバマのように「親に見捨てられた」と感じるような人間が「多様性」を身に付けることはできないはずです。

 「多様な経験」をしたことは事実でしょう。そして、確かに「多様」な体験により、「多様性」があるのも事実でしょう。しかし、その「多様性」は、「自我」がしっかりしていないと、「焼き鳥」の「串」に相当するものがありませんから、肉がバラバラにあるだけの状態になってしまいます。「多様性」は「多様」なるものを「活用」できてこその「多様性」ですが、活用できないときの「多様な経験」は「自我」を蝕みます。
 「自我」を育てるより、「自我」が傷つかないように、心を閉じてしまうので、「自我」が幼稚(影)なままに成長します。そして社会に適応するために、「知性」や「教養」を目いっぱい高めようとしますが、「無意識」とのアンバランスが大きな人間性ができあがります。

 つまり、「自我の未成熟さ」が顕著となり、その結果、説明はできるが「決断」はできない人間、現場で叩き上げの軍人、マクリスタル司令官の前ではオドオドし、大衆の前での演説はうまいが、個人的に付き合うと面白くない人間になってしまいます。

 ここで私が述べていることに沿った、大変、面白い実例があります。

●(10)平成22年8月12日、日刊ゲンダイ「“国民生活が第一”の原点に返れ!」

 <かつての同志が「信用できない人」と論評>

 ・・・・・<略>

 驚いたのは、菅直人が総理に就任した時、以前一緒に市民運動をしていた紀平悌子さんが、テレビで「信用できない人」と言っていたことだ。就任時に、かつての同志から人間性を疑われるなんてよほどのことだ。

 また、市民運動を通じて10年以上の付き合いがある市民バンク代表の片岡勝氏は「昔から話していてもおもしろくない男です」と評している。まさにボロクソだ。

 <後略>

●(11)平成22年6月26日号、週刊現代「小沢と菅、権力闘争の結末を読む」(対談・三宅久之X鈴木哲夫)

<略>

三宅久之氏の発言・・・・・市民運動からよくぞ総理にまで上り詰めたということなんだろうけど、菅さんには正体不明なところもある。まだ20代の若いころ、市川房枝さんを参議院選挙に担ぎ出して自分は選挙事務長をやり、これが政界へ入るきっかけとなった。「市民派」とか「雑草」とか言われるのはこういう経歴があるからですよね。
 実は私の友人のお姉さんが市川さんの秘書をしていたんですよ。菅さんが厚生大臣を務めていた頃かな、「菅直人のことはよく知っているんでしょう?」と聞いたら、彼女いわく、「市川先生からは『菅さんには心を許してはいけませんよ』と言われました」と・・・・・。

 <後略>

●(12)菅首相は、過日の国会で、自民党の元防衛庁長官、石破氏に「野党時代の菅さんは大好きでした。しかし、首相になって、全く覇気が感じられなくなってしまった」と批判されました。さらには、かつて、菅首相は有名な言葉「霞ヶ関なんて大バカですから」と豪語しましたが、今は、ほとんど官僚のいいなりです。

 決して、小沢シンパではない東大名誉教授の西尾勝氏が「強い信念を持って政治改革を断行する意思を持つ政治家は小沢氏ぐらいしか見当たらない」(日刊ゲンダイ、平成22年8月20日)

 民主党代表選で勝利をしたときに、「小沢さんには、個人のためにも、民主党のためにも、そして、国家のためにも、静かにしていてもらいたい」などと言っておきながら、参院選に負けると、臆面もなく「連絡を取っているが、小沢さんに会えない」と言う。私が知る限り、小沢氏に正式に面談の連絡が行ってなかったようです。小沢氏は、そういう筋にはキチンと対応するタイプの政治家のようです。

 徹底的に小沢氏を嫌う仙石官房長官が権力闘争の「具」にしているのかもしれません(仙石氏は政権の中で、菅首相を圧倒しているようです)。1年で3人も首相を代えることを好まない世論に助けられているだけで、民主党内は、菅政権に批判が渦巻いているようです。

 権力の維持にやっきになっている「浅ましい」姿・・・・・消費税問題は引っ込めるし、国会は論戦を避けるために、すぐに閉じてしまう。そして、かつての自民党と同様の権力闘争に明け暮れている姿。日本国が国難を迎えている時に、自身の権力維持のために、政策に一生懸命の姿を見せるわけでもなく、権力維持のために暗闘する姿。
 どうやら、菅首相の「影」の部分が表面化してきているようです。

 8月8日のサンデースクランブルの中の「黒金ヒロシの千思万考」で、戦国時代の「斎藤道三」が取り上げられていました。その中で、黒金ヒロシ氏は・・・・・
 「斎藤道三は、美濃一国を切り取ったが、その後のプラン(アイデア)がなく、織田信長の壮大さに参った。道三の弱点は民政を知らなかった。それで民衆をついてこさせるために、牛で割いてみたり、釜茹でなどの極刑を考え、恐怖政治を敷いた。成り上がりたいという欲望だけで、それからどうするというビジョンがなかった。美濃一国で十分、それがゴールになり、将来ビジョンがなかった。
 例えば、菅さんが『政権交代が夢だった』という。それでは、斎藤道三が美濃一国を切り取るのが夢だったというのと同じ。それと同じでは困る。同じやるならば、人の欲望は大きいほうが良い!!!」(藤森・・・戦国時代の大名は、今でいう「県知事レベル」です。天下国家を論じる国会議員、特に総理大臣をやりたいという人が「村社会」レベルの議論(?)。ましてやグローバリゼーションの時代に、余りにも瑣末な問題に固執し過ぎていないだろうか?)。 

●(13)<「脚本分析②」の中の(9)(11)(12)>で紹介した下記の部分を再録します。

<<<(9)「ドル亡き後の世界」副島隆彦著、祥伝社刊(平成21年11月5日初版第1刷、11月30日第3刷)

 「まえがき」

 <略>

 私がこれまで他の本たちで書いてきたとおり、アメリカのオバマ政権は長くは保たないだろう。金融危機の責任を取らされて、バラク・オバマは任期半ばで辞任してゆく。
次の大統領はヒラリー・クリントンが取って代わる。2010年末にはアメリカは恐慌に突入する。

 そして2012年に「ドン底」がやってくる。

 おそらく、この「副島シナリオ」どおりに世界は動くだろう。
 その後、3年をかけて世界覇権はアメリカ合衆国から中国へ移ってゆく。2015年には中国が新たな世界覇権国となる。

 私はこれまで直球で自分の予測(予言)を書いて勝負してきた。私はこれまでのところ自分の予測(予言)を外していない。このことを私の本の読者は知ってくれている。予測を大きく外した金融・経済評論家は、客(読者たち)からの信用と評判を落として退場してゆくのである。もうあと何人も残っていない。私はこの本でも直球で勝負する。>>>

<<<「バラク・オバマ大統領は、ホワイトハウスの執務室にいて、日常たった3人の人間としか口をきかないそうである。この3人とは、奥さんのミシェルさんと、大統領首席補佐官のラーム・エマニュエル(恐ろしいイスラエルとの二重国籍の男)と、経済学者のラリー・サマーズNEC(国家経済会議。大統領直属の諮問委員会)委員長である。」(ドル亡き後の世界)。

 これは「脚本」を連想させるものですし、出生街道を驀進してきたオバマの人脈の少なさを連想させるものではないでしょうか?

 「ドル亡き後の世界」は、こうも言います。

 <略>

 このように書くと、私は「一部の読者から、鼻白んで猜疑心の目で見られた。だが、「オバマが大統領になる」と、その3年も前から予言して当てたのも私だということをお忘れなく。ヒラリーでもマケインでもなく、オバマが勝つ。そのように初めから大きく仕組まれているのだ。それが世界政治というものだ、と書いて、そして当ててきた。私のこの実績にケチをつけることができる人はいない、と私は豪語する。>>>

●(14)そろそろ最後にしたいと思います。下記の3つは、とても興味深いものがあります。

<<<2009年11月に来日したオバマ大統領が天皇皇后陛下に対して深々とお辞儀をしたことにれっきとした理由があったのだ。太平洋を股に懸けた流転の人生の中で見に付けた「多様性」への振る舞い方。人一倍多い「出会い」の中で体感した「シンクロニシティ」と、磨き上げた「適応性無意識」が自然と彼に頭を深々と下げさせた。>>>

<<<「2期8年をオバマ大統領に務めあげさせる」といった約束が果たしていつまた反故にされるかは分からないのだ。>>>

<<<ヒラリー・クリントン国務長官が虎視眈々とキャリア・アップのタイミングを狙っている。>>>

 オバマの任期と、クリントン国務長官の暗闘の結果には興味津々ですね。
 さて、<<<オバマ大統領が天皇皇后陛下に対して深々とお辞儀をしたこと>>>

 オバマが天皇陛下に深々とお辞儀をしたことの解釈は、私(藤森)には自信がありません(内心は十分に自信がありますが、他者に説明する上での裏づけが十分ではないために)。
 自信があるが、自信がない私の解釈は・・・・・

 昔、フォード元大統領が、天皇陛下と並んで立って写真を撮ったことがあります。その時、フォード大統領は足が震えていたとのことです。オバマの「自我の未成熟さ」や「生い立ち」から推測すると、世界唯一の天皇陛下の「威厳」に、思わずひれ伏した(圧倒された)かのような姿勢になったのではないかと推測します。

 私(藤森)自身がそうですが、育ちが悪く、劣等感コンプレックスが強い人間は、「権威」に対して、強い反発心があると同時に、権威の前では自我の弱さが諸に出てしまいます。
 私の体験から、また、オバマの自我の未成熟さを指摘する私の立場から判断すると、権威に打たれて、思わずひれ伏したのではないだろうかと推測します。それほどの「威厳」が天皇陛下にあるからこそ、中国の習近平国家副主席が会いたいと強く要望したのだろうと思われます。
 
 これを裏付けるものとして、「いま生じている指導者の不在(フランシス・フクヤマ米政治学者)」<「脚本分析・補足②」の中の(2)>や、「オバマ大統領はオドオドしていた(更迭されたアフガニスタンのマクリスタル司令官の発言)」<「脚本分析・補足②」の中の(4)>などを総合すると、私の考えのほうが正しい(?)ように思えてきます。

 さて、オバマ大統領の今後を占う上で、上記(2)のミシェルの豪遊と、「脚本分析・補足②」の中で紹介した「マクリスタル指令官解任問題」が、非常に示唆的なように思われます。

 今後、特別に紹介したい情報が出たときは、再度、掲載することとして、オバマについては、ひとまずこれを最終回にしたいと思います。

く文責:藤森弘司>

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