2010年5月15日 第94回「今月の言葉」
足知観(4)

 ●(1)平成22年3月12日、夕刊フジ「旬 People」

 <HDD新方式開発で日本国際賞受賞・東北工業大理事長・岩崎俊一さん(83)><社会の中にない科学技術はダメ>  言葉も国境もこえて動画など大量のデータがやりとりされる現代社会。それを支えるハードディスクの新たな記録方式を開発、容量の飛躍的増大の基礎をつくった。
 「自分の発明が多くの人に使われることに喜びを感じる」と語る通り、実用化まで時間はかかったが、今年には、生産されるハードディスクのほぼすべてがこの方式に切り替わるという。
 だが特許はごく初期に取ったきり。大金が舞い込んでくるわけではない。「古いタイプの人間かもしれないが、国の研究費を使ってきたので、そこに“私”が入っていいのかと思う。今の世の中はあまりにもお金だけだ」と語気を強める。
 旧制中学から海軍兵学校に。「社会のために、日本のために、という考え方が養われた」。東北大学を卒業し、東京通信工業(現ソニー)に入社、その後東北大学に戻った。

 <自分が見つけた新事実だけが支えだった>
 
 新たな磁気記録の研究を進め、1970年代半ば、データを記録する磁石を水平から垂直にする発想の転換で、記録密度の大幅アップに成功した。「始めたころは参考文献もなかった。まったく自分だけの道で、踏み出すにはすごく勇気がいる。自分が見つけた新事実だけが支えだった」と先駆者の胸中を明かす。
 技術の最先端を開きながらも「科学技術が絶対だという考えはよくない。そうなると、例えば原爆のようなものができてしまう」と警告。「科学技術は社会の中にないといけない。それを使うことで生活が良くなるような研究でないとだめだ」。福島県出身。

 ●(2)平成22年1月15日・22日号、週刊ポスト「池上彰のバーズアイ(鳥の目)、ワームアイ(虫の目)」

 <伝説の投資家ウォーレン・バフェットが「鉄道会社」の買収を決断した“勝算”とは>

 <投資の「常識」を覆す>

 ウォーレン・バフェットといえば、アメリカの伝説的な投資家です。自身が所有する投資会社バークシャー・ハザウェイは、浮き沈みの激しい市場にあって、常に株価が上昇し、時価総額が増え続けてきました。
 一般的な投資信託のファンドマネージャーは、さまざまな企業の経営状態や経営方針を調べ上げ、客から預かった資金を増やそうと株式投資に全力を注ぎます。
 そこまでの努力をしても、大抵は平均株価以上の成績を残すことができません。それが投資の世界の常識となっています。
 ところがバフェットだけは、この常識を裏切り続けてきました1960年にバフェットの事業に1万ドルを投資した人の財産は、5億ドルにまで増大しています。常に株式市場の平均を上回る投資成績を残した彼の手腕は、驚嘆すべきものです。

 これだけ華々しい成果を上げながら、本人はネブラスカ州オマハというアメリカの片田舎から出ようとはしません。巨額の財産を築き上げながら、そのほとんどを、マイクロソフトのビル・ゲイツが設立した慈善団体などに寄付してしまいました。ふだんの生活は質素極まりなく、人々は敬愛の念を込めて、「オマハの賢人」と呼んでいます。

 <後略>

 ●(3)平成22年3月12日、日刊ゲンダイ「人生を変えた運命の出会い“アグネス・チャン”」と「徳永瑞子さん(看護師、NGO“アフリカ友の会”代表)」

 日本ユニセフ協会大使として、また歌手・文化人としても平和活動を続け、いまや平和ボランティアの第一人者として活躍する原動力となった運命の出会いとは・・・・・。

 <「報道されない世界の現状を伝えるのが、あなたの役目」と言われて平和活動にのめりこむようになりました>

 「1985年に『24時間テレビ』の総合司会としてエチオピアの難民キャンプを訪れたんです。そこで看護師として医療活動をしていた徳永瑞子さんと出会わなかったら、今の私はなかったかもしれません」
 長引く内戦に干ばつが加わり、当時のエチオピアはまさに飢餓の極致。毎日のように子供たちが飢えて死んでいく悲惨な現場だった。現地スタッフからは、“病気になるから、人々と触れ合うな”と注意されていた。
 「難民キャンプで3500人の子供たちに給食活動をしたのですが、そこで私が『ロンドン橋落ちた』の替え歌を歌ったら、子供たちがみんな立ち上がって、力を振り絞るように踊りだしたのに感激しました。それがきっかけで病気への恐怖がなくなり、キスしたり触れ合ったりできるようになったんです」
 だがその子供たちが次々と死んでしまう。その現実を前に悲しくて悲しくて食事がのどを通らない日々が続いた。
 「そんな私に徳永さんはこう言ったんです。『あなたが食事をしないで病気になったら私たちに面倒が回ってくるんだよ』。その夜、私は徳永さんと語り合いました。飢えの原因になっている南北問題をどうにかしなくてはと言う私に、『そんな理屈ではなく、今できることや与えられた自分の仕事をしなさい』と」
 徳永さんはこう言って道を。示してくれた

 <武道館コンサートは「歌で平和を」活動の集大成>

 「あなたには看護も治療もできない。でも、芸能界にいるのだから、人に伝えることは私たちの誰よりもできる。報道されない世界の現状を伝えるのがあなたの役目でしょ」
 これで迷いは吹っ切れた。可能な限り子供たちと接し、それを撮影し、24時間テレビで必死に現状を訴えた。
 その後もベトナム、カンボジアに行き、日本ユニセフ協会大使になり、さらにいろんな国を訪れ、それを報告してきた。「つい最近も、世界で一番の危険地帯といわれるソマリアを視察しました。どこに行っても壁に突き当たり悩みますが、その時に思い出すのが徳永さんの言葉です」
 1971年からアフリカの地域医療に携わってきた徳永さんは現在、NGO「アフリカ友の会」代表として、中央アフリカでエイズ治療・予防活動と、エイズで親を亡くした子供たちのケアなどの活動に携わっている。徳永さんがたまに帰国すると、必ずといっていいほどお互いの“現状報告”をするそうだ。
 3月16日、アグネスさんは、これまで134ヶ所20万人以上を動員した「歌で平和を」の活動の集大成となる「世界へとどけ平和への歌声」公演を武道館で行う。
 「実は78年に武道館でコンサートをしたのですが、これが中国人として初めての武道館公演だったんです。集大成の今回は、布施明さん、ムーンライダーズ、久本雅美さんなど、バラエティーに富んだゲストの方々にも出演してもらうので、今から楽しみです。昔のヒットメドレーにも挑戦しようと思っています」
 今年、日本デビュー38周年。徳永さんの教えてくれた伝える仕事を続けてきた彼女に今、迷いはない。

<アグネス・チャンさん・・・・・1955年、香港生まれ。72年「ひなげしの花」で日本デビュー、一躍人気者に。トロント大学を卒業後、スタンフォード大学で教育学博士号を取得。98年に、日本ユニセフ協会大使に就任し、各国の難民キャンプの現状をアピールし続けている。08年にはレコード大賞特別賞を受賞した>

 ●(4)平成18年12月23日、日刊ゲンダイ

 <若手ピン芸人の中で男を上げて、頭一つ抜け出した竹山隆範>

 <病床の相方を見守り続け・・・・・>

 「頑張れよ」「また漫才やろうな」・・・・・カンニング竹山隆範(35)は、相方の中島忠幸が息を引き取る1時間前、意識がない中島にこう声をかけてから仕事に出かけたという。
 カンニングの芸風は“怒鳴り漫才”。マジギレの竹山を中島がなだめて突っ込みを入れる、独特のスタイルでブレークした。2人は小学校の同級生で福岡から上京した
21歳の時、偶然、東京で再会してコンビを結成。ブレークするまでに10年以上かかり、2年前“やっとこれから”という時に中島が急性リンパ球性白血病で倒れてしまった。
 この間、竹山はピンで活動したが、頑として“カンニング”の看板は外さなかった。また、ピンで稼いだギャラは中島と折半し続けてきたという。

 会見で,”ギャラ半分”の理由を聞かれた竹山は「小学校からの同級生で、芸能界に入ってツライ時もお互いに助け合ってきたから、中島は家族であり、戦友、夫婦みたいなもの。“折半してあげている”と思ったことはなかった」とサラリと答えた。

 作家の吉川潮氏が言う。
 「いくら小学校からの同級生とはいえ、病気療養中の相方に、ギャラの半分をポンと渡すなんてなかなかできることではありません。中島の病死で竹山の友だち思いの一面や男気が浮き彫りになりました。世間の彼に対するイメージは一気にアップしたはずです。竹山は正真正銘のピン芸人になってしまったけど、これからも十分やっていけると思います」
 竹山は今後も“カンニングの竹山”として活動していく。頑張れ!

 ●(5)「足るを知っていますか?」

 平成22年3月13日、日刊ゲンダイ「“産地偽装”で大揺れ」<麻布の「ミシュラン2つ星店」>  芸能人や文化人に大人気の高級割烹「麻布かどわき」(港区麻布十番)が大揺れだ。
 この店、ミシュランの2つ星店。女優川島なお美の結婚披露宴で「トリフュご飯」が話題になったものである。
 それが今週の週刊文春で、元女将に「マツタケは産地偽装、酒は中身を詰め替えた」なんてザンゲ告白されてしまった。「さすが、かどわきの創作和食は格別」なんてグルメぶっていた連中が赤っ恥なのだ。
 何しろ焼酎「魔王」は、別の安い焼酎を詰め替えたというから場末のスナック並だ。さらに自慢の高級トリフュは安い中国産、丹波の最高級マツタケも「箱だけが本物」でニセ物にエッセンスで香りを添加していたそうだ。これで料金は1人最低でも2万5千円。なのに予約で連日満員なんて聞くと、グルメと称する有名人たちの薄っぺらさには笑うしかない。
 
 <7年前からあった“いかがわしさ”>

 この店のいかがわしさに最初から気付いていたのが、本紙で「行っていい店わるい店」を連載中の覆面グルメライター友里征耶氏である。7年前にこう辛辣に書いている。
 「『儲けられる時にとことん儲けておこう』といった長期的視野のない店主の性格が、一見客を不快にしている」「派手な衣装で有名な歌手たち3人の為に、無理やり他の客をつめさせて、カウンターに椅子を1つ入れたのにも驚かされました」
 さらに今年1月5日付の記事ではズバリ、「ネット上で大評判の黒トリフュご飯。・・・・・ツンとくる人工的な匂いとご飯の不自然な照りを見た連れは、すぐに黒トリフュオイル使用と見破った」と書いている。さすがの慧眼である。

<文責:藤森弘司>

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