以下は「ありがとう」高木善之著、「地球村」出版より転載させていただきます。
●(1)「僕は走っています」
きのうは運動会でマラソンに出ました。
僕はふだんから練習していて自信があったので、「十番以内に入ったら、ごほうびにどこか連れて行って」とお父さんに頼んでいました。
思い切り走りました。途中まで3番でした。
十番以内は確実だと思いました。
途中の細い道のところに大きな石が転がっていました。
僕はいったん通り過ぎてから「危ないな、誰か転ぶな」と思いました。
それで止まって引き返して、その石をどかしました。
その間にだいぶん追い抜かされて、十一位になりました。
十番以内になれなかったけど、僕はすごくいい気持ちになりました。
僕は今も走っています。
私がこれを知ったのはだいぶん前のことですが、今でもその時と同じ新鮮な驚きがあります。みんながこの子のようであれば、争いも破壊もなくなるでしょう。
競争社会では大人になるにしたがって、自分の利害にとらわれ人のことが考えられなくなります。そして、自然との関わりすら失うようになります。
でも、多くのものとの関わりを失うことは、自分の存在感、安心感、充実感を失うことではないでしょうか。
幸せとは、すべてのものとの関わりがあると感じること
すべてのことに責任を持つこと
サン・テグジュぺリ「星の王子様」より
●(2)「古い筆箱」
うちではあまり新しいものを買い与えません。
娘が小学校に入る時、妻は自分の古い皮製の筆箱を出してきて、「これはお母さんが小学校の時から大切に使っていた宝物なの。これを買ってくれたお父さん、加乃のおじいさんは、お母さんが小学校の時に亡くなったの。お母さんはこれをお父さんの形見としてとても大切にしてたのよ。お前が大切に使うんだったら、あげようか」と話しました。娘は、
「うん、大切に使うからちょうだい!」と言って、それをもらいました。
ある日、担任の先生から電話がかかってきました。
「加乃ちゃん、古い筆箱を持っていますね。きょうそれがクラスで話題になりましてね」
先生の話によると、男の子が娘に「お前の筆箱、古いやないか、僕のはこんなんやで」と自分のピカピカの筆箱を自慢したのです。ほかの子も周りに集まってきて、娘の古い筆箱のことを囃(はや)し立てたそうです。
それに気づいた先生が、とっさになんて言おうかと迷っていると、娘は「ねっ、古いでしょ!いいでしょ!これはお母さんが子どものころから大切に使っていたんだって。おじいちゃんの形見なの。私も大事に使って、私の子どもにこれをあげるの」と言ったそうです。
周りの子どもたちは一瞬シーンとなり、そしてしばらくすると男の子たちが「ふーん、ええな」と言ったそうです。
先生は、それを見て大きなショックを受けたそうです。
この話はそのあと、PTAや近所で評判になり、何度か「お話をしてください」と頼まれました。またPTAでも「いじめ」についての話し合いなどの折に、例としてよく話されました。
いじめはなぜ起こるのでしょう。
いじめは親や先生などの大人の見方や考え方が子どもたちに大きく反映しているのかもしれません。
●(3)「きっかけ」
私の子育てのきっかけとなった事件についてお話したいと思います。
私の住んでいる近くに金剛山という山があり、家族や学校でもよく登ります。冬には雪が積もりますので耐寒訓練などもあります。だいぶん前のことですがそこで小学生が迷子になるという事故が二件ありました。
一人は翌日、雪の中に穴を掘ってじいっとうずくまっているところを、無事に助けられました。もう一人は凍死していたのです。
新聞に掲載された記事によると助かった子は、
「お父さんがいつも『何かあれば必ず助けに行くからじっとしているんだぞ』と言っていたから、雪の中でじっとしていた。怖かった。さみしかった。でも怖くなったら歌を歌った」とのことでした。
そして、実際にお父さんは、捜索隊に加わりその子を助けにいったのだそうです。助かった子どもは、実際にお父さんの教えを守って、命が助かったのです。
死んだ子は、「パニックを起こし、ジャンパーがなくなり、あちこち体中に傷があり、体力を消耗し、滑落して凍死」とのことでした。
この記事を読んだ私は「この子の死を無駄にしたくない。この二人の運命を分けたものは何だろう」と思いました。本当のことはわかりませんが、私はその時、自分なりに次のことを決意しました。
もっとも大切なことは生きることだ。
どんな状況でも幸せに生きていくことのできる力を身に付けることだ。そうだ、子どもにとって一番大切なのは、学歴や偏差値、出世ではない。どんなことがあってもパニックを起こさず、現実を受け止め、冷静に判断し、生き抜く力なのだ。
それには何も恐れないこと、いついかなる場合でも、誰とでも仲良くするだけの度量と勇気が必要なのだ。
私たち大人が、子どもに与えるのは、どんな状況でも、生き抜く力、誰とでも仲良くできる力なのだ。
これが私の子育ての根本になっています。
父のことを書きましたから、今度は母のことも・・・・・。
母は八十八歳。父より四歳年上です。
数年前、脳出血で片方失明、そのためかよく転んで怪我をしたり骨折をしたり・・・・・。
体も衰え、母もいつ何が起こってもおかしくない状況ですので、とても心配です。
私は海外など長期に出かける時、「もう会えないかもしれない・・・・・」という思いで、分かれる時「じゃあ、元気でね」とふざけたフリをして母を抱き、心の中で「さよなら」を言います。すると、母は、「そんなことをせんといて。もう会われへんみたいでいやや」と言って照れたりもがいたりします。
背中が曲がって小さくなった母は、背は今は私の胸にも届きません。五十数年前、私が小さかった頃、海で母にしがみついた時、私の顔の前に母のお腹があったのです。その時の母は大きく、背は私の二倍はあったのです。あれほど大きく、あれほど安心だった母が、今では小さくなってしまいました。
私は、今のように環境問題や生き方の講演を始める前に、その準備として様々な体験をしました。その一つとしての農業体験の中で、サトイモの収穫をした時、農業指導員から「親イモは?」と問いかけられました。一株に五個以上の小イモが丸く並んで育っているのですが、その真中だけ何もないことに気づかされました。しばらく親イモを捜していて、ふと気づきました。
「そうだ!この真中の何もない場所が親イモを植えた場所なんだ・・・・・親イモは子イモにすべてを与えつくして、土に還っていったんだ・・・・・!」
このことに気づいたときは、ショックでした。
サトイモであれ、動物であれ、親は子どもに、自分のすべてを与えつくして土に還っていくのです。それが自然なのです。それが当たり前なのです。
それを繰り返している限り、生命は永遠に続くのです。
すべての生物も、私たちも人間も、長い間それを繰り返してきただけなのです。
その時、「わかった!間違いがわかった!不自然なことをしているんだ!本当の生き方がわかった!自然に生きれば、戦争も環境破壊も起こらないんだ!」と。
そのことに気づき、私は畑の土の上にしゃがみこみ、涙が止まらなかったのを、今あらためて思い出しました。
<高木善之(たかぎよしゆき)氏・・・・・NPO法人ネットワーク『地球村』代表。1947年生まれ。1970年、大阪大学基礎工学部卒業。松下電器に入社(在職28年、退職)。合唱やオーケストラの指揮者としても活躍。
1981年、交通事故に遭い、一年間の入院中自分との対話の中で『非対立』の考え方を確立する。そして一生を「みんなの幸せ」の実現のために使うことを決意。「美しい地球を子どもたちに」「平和な世界を子どもたちに」と訴えて様々な提案をしている。
講演や著書の内容は、環境、平和問題から、いじめ、不登校、子育て、生き方など、現状の社会の様々な問題にわたっている。
主な著書は、『ありがとう』『だいじょうぶ』『いのち』『虹の天使』『選択可能な未来』『新版オーケストラ指揮法』『生きる意味』『非対立の生き方』『本当の自分』『絵本シリーズ』『新地球村宣言』など多数。>
<お問い合わせ先・・・『地球村』出版(ネットワーク『地球村』事務局内)
〒530-0027大阪市北区堂山町1-5大阪合同ビル301号 ℡06ー6311ー0326 FAX06-6311-0321
ホームページ・・・http://www.chikyumura.org email:office@chikyumura.org> |
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