2009年6月15日 第83回「今月の言葉」
●(1)裁判員制度がとうとうスタートしました。私は、これは非常におかしな制度だと思っています。最近の冤罪事件・・・「足利事件」で冤罪が晴れた菅家さんのようなケースがありますので、確かに「裁判員制度」のように民意が反映される制度は必要だと思います。その点では賛成ですが、この制度・仕組みがおかしいと思っています。 その問題点を述べる前に、外国の民意を反映する制度をみてみます。 |
●(2)2009年6月19日号、週刊ポスト「池上彰の鳥の目、虫の目」
<日本の裁判員制度と米国の陪審制、独仏伊の参審制とは、ここが違う!> <各国制度を“つまみ食い”> <陪審裁判は被告の要求> <起訴するかどうかも決定> <裁判の選択は国民の権利> <「評決」と「判決」の違い> <プロの裁判官は“権力”> |
●(3)さて、日本の「裁判員制度」を解説した資料が見つからないので、制度についての詳しい説明は省略しますが、メディアを通じてかなり紹介されていますので、多くの方は、大体のところは理解されていることと思います。 要は、日当が1万円、3人(?)の裁判官と数人の裁判員が数日(3~4日)の審理で、有罪か無罪かを判断し、有罪であれば量刑を審理します。 ここで私(藤森)が問題にするのは、下記の諸点です。①裁判員は他言は一切違法だということです。「内緒話」、特に、「重大事件」の詳しい内容を自分一人の心の内に一生留めて置くことは非常に苦しいものです。よく言われることに「悲しい事は、分かち合うと半分になり、楽しいことを分かち合うと倍になる」と。 通常の、日常生活での秘密であっても、自分だけの心の内に秘めておくことは非常に難しいものです。それが「重大事件」の詳しい内容を、誰にも内緒で、心の奥深くに秘めておくことは、困難を極めます。 特に、重大な問題を心に秘めておく事が訓練されていない一般の人にとっては、これはかなり厳しい問題です。幸いにして、私(藤森)は仕事柄、この点は訓練されているために、あまり問題にならないものと思われます。②次に、いろいろな歴史的流れの中から、専門家が、その犯罪に相応しい量刑を考え出すはずなのに、3~4日の、それも法律に興味・関心がある人ならばいざ知らず、全くの素人が、数日の審理の中から、歴史的・・・・・つまり20年、30年というスパンで考えて、この程度の犯罪はこの程度の量刑が相応しいだろうというバランス感覚をもって量刑を判断することが、どれほど可能であろうか? ③最近、大問題になっている「足利事件」で冤罪にされた菅家さん。当然のことですが、菅家さんは猛烈に怒っていて、当時の検察官や裁判長を許せないと言っています。 <知らん振りを決め込むのでしょうか?> わずか数万円の日当を貰って、数日担当しただけの裁判員が、数年後、或いは十数年後に、自分が担当した裁判から「足利事件の菅家さん」のような冤罪者が現われたら、菅家さんだけでなく、担当した裁判員のその後の人生はどうなるのでしょうか? どのような制度を活用しようが、どのような工夫をしようが、人間が裁く以上、「冤罪事件」は必ず発生するはずです。 ④裁判員にとって、さらに厳しいことは、残酷、凶悪、猟奇的な殺人事件を担当した場合、その強烈な事件の写真やビデオを見なければならないことです。<切り裂かれた体>、<血まみれの現場>、<目を剥いた遺体>、<黒焦げに焼かれた遺体>・・・・・・等々。 <第81回「今月の映画」「アライブ・・・生還者」>でご紹介しましたが、アンデス山脈で飛行機事故に遭い、72日間、事故で犠牲になった人たちの「人肉」を食べながら、16人の遭難者たちは生きながらえ、生還しました。 決してお金の問題ではありませんが、それでもせめて百万円くらい貰えれば、思い出したときに酒を飲みに行ったり、温泉旅行に行って、精神を癒すことができますが、わずか数万円の日当では、それもできません。それでは抱えるものが余りにも巨大過ぎます。 それと同様に、裁判官はそういう残酷な事件に遭遇することが想定されていて、つまり理解して裁判官になっているはずです。それをそういうことが全く苦手、というよりも精神的に全く耐えられない私(藤森)のような小心者の人間が担当するということは、拷問や虐待を受けるのと同じ感覚です。 |
●(4)裁判員制度は何故必要なのでしょうか? 仄聞するに、裁判官は友人・知人との親密な交友を避けるのだそうです。そのために一般国民・・・いわゆる民意との隔たりが生じるようです。一般の国民が楽しんだり体験したりする日常的な遊びなどは避けているのではないでしょうか?居酒屋で飲んで騒いだり、カラオケを楽しんだり・・・・・。 そのこと以外に、これは確かなようですが、法務省、検察庁、裁判所の中で人事交流をするために、人間関係ができてしまって、どちらかというと弁護士よりも検察の側に少し傾いているように思えます。 人事の交流は大事ですが、中立の立場が要求される「裁判官」が検察よりの立場になる(?)のはいかがなものでしょうか?少なくても「心情的」にはそうなっているのではないでしょうか?検察庁で大変お世話になった裁判官が、その時の検事が担当する事件を、客観・冷静に審理できるものでしょうか?検察官が要求した量刑の八掛けという言葉も聞きます。 「足利事件」で、宇都宮地裁が「DNA鑑定」での再審請求を半年も放置していたことも、裁判官が検察寄りになっていることから来る問題だと思われます。 大マスコミも、政府の諮問委員などを引き受けたりすることで、時の権力に真っ向から対抗しにくい構図があるようですが、日本のように長期にわたって同じ体制が続くと、制度が変わりにくい社会になるのではないでしょうか?そういう意味では「裁判員制度」は、司法の世界が変化してくることが大いに期待できます。 事実、本日(6月11日)のワイドショーにコメンテーターとして登場した元検事の方は、今回の「足利事件」で冤罪を受けた菅家さんに、最高検がマスコミを通じて謝罪したことは、かつて無いことで、画期的なことだとおっしゃっていました。これも裁判員制度がスタートしたことの影響だと考えられています。 そのように「裁判員制度」は、従来の悪い慣習を打破するのに、大変有効な方法だと思われますが、その反面、上記に述べたようなデメリットもありますし、さらに下記の新聞記事にあるような問題もあります。 一体、どちらがより良い制度であるのか、個人個人が考えることではないでしょうか?とは言え、次の(5)ではとんでもない事が言われています。 |
●(5)2009年5月22日、読売新聞「裁判への国民参加・各国は」 <欧州では縮小傾向> フランスは、米英の陪審制とは異なり、市民が裁判官と共に合議する「参審制」を採っている。殺人、強盗、婦女暴行などの重罪審理には参審員が加わり、裁判官と共に有罪か無罪かを認定し、量刑の決定を行なう。 <略> 参審員が緊張にさらされることもある。先月末、誘拐・虐殺事件の裁判で、被告(25)が「(参審員らの)写真を撮るため、仲間がいる」などと脅迫したため、一部の参審員が退廷し、審理は中断に追い込まれた。1986年には、テロ組織のメンバーだった被告が参審員を脅迫する事件も起き、テロ絡みの裁判は裁判官だけの審理となった。 <量刑にブレ・多い辞退者> 西欧全体で見ると、陪審・参審制度は縮小傾向にある。陪審や参審の人数確保といった制度運営上の難しさに加え、司法専門家の裁きに比べて量刑判断のブレが目立つなど、マイナス要因が浮上してきたからだ。 ベルギーでは今月、妻の不倫相手に発砲し半身不随の重傷を負わせた男が陪審裁判で無罪となった。犯行に計画性はなく、「発砲の原因は妻の言動にある」という理由からで、弁護側も想定外の判決だった。「他人に重傷を負わせた被告に何の罰も与えないなんて、法の裁きとはいえない。判例に照らしても不自然」という反発が相次ぎ、陪審制をめぐる国内論争に発展した。 英国政府は、暴力犯罪以外で審理が長期にわたる裁判や、テロなど治安にかかわる事件は陪審制の適用を除外する方向で手続きを進めている。審理の迅速化、費用削減に加え、誤審のリスクを減らすためだ。 ドイツは1920年代、陪審制から参審制に移行したが、参審員は縮小されていき裁判官3人に対して現在わずか2人。ソ連解体後の93年に陪審制を導入したロシアでは昨年末、テロや国家反逆罪が除外された。 仕事や病気を理由に参加を辞退する有権者が多いのも、各国共通の問題だ。「まともな口実を探す器量のない者だけが、この上なく複雑な審理を任されている」(英紙ザ・タイムズ)といった辛辣な批判もあり、制度への信頼が揺らぐ一因となっている。(パリ・林路郎、ブリュッセル・尾関航也) |
●(6)私(藤森)の結論です。 日当1万円でアルバイトを雇って、凶悪犯罪者を対象に数日間議論させ、その結果、死刑判決!!! アルバイトに死刑判決を出させて、その収入が数万円!!! たったのそれだけで、一生、判決に責任を持たされ、他言ができず、残酷な写真のイメージを脳裏に焼き付けられる!!! そんなイメージが、私にはあります。他にもいろいろ問題点が指摘されていますが、私にとっては、上記の諸点が大きな問題点です。 確かに、上告すればその後は、高等裁判所や最高裁判所が判決に責任を持つことになるとはいえ、私は絶対に引き受けたくないものです。 反対するだけではなく、それでは一体どういう形が良いでしょうか? 私は、このように思います。 ①最低限、アメリカのように、「有罪」か「無罪」か、だけを裁判員が決めて、量刑は裁判官が決めるようにすべきだと思います。 ②私が理想とするのは、現在の裁判員制度と同じように進めるが、裁判員が出した意見や結論を参考にして、裁判官が判決する。会社でいえば「社外重役」のような立場とでもいいましょうか、一般国民はどのように感じているのか、どのように受け止めているのか、それらを参考にする程度が良いように思えます。 でも、残酷な写真を見るのは辛いので、私はやっぱりやりたくない!!! <「新型インフルエンザ」が南半球を経て、「変異」が行なわれ、毒性を強める危険性が心配されています。次回は、最新情報と、その対策を特集します。昨日の読売新聞の記事の中に、「無関心」が一番多いとありました。「今、そこにある危機」状態の中で、無関心が多数とは驚きです。 |
<文責:藤森弘司>
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