2009年10月15日 第87回「今月の言葉」
人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな

●(1)「源氏物語」の作者、紫式部の曽祖父・藤原兼輔の作「『後撰集』1102」で、「源氏物語」には、繰り返し使われている歌です。

     人の親の心は闇にあらねども

     子を思ふ道にまどひぬるかな

●(2)さて、これから、全然別の角度からではありますが、本ホームページのテーマである「自己成長」とか「育児・生育歴」などの観点から、非常に面白い作品を発見しましたので、ご紹介したいと思います。
 全く別の角度からの、しかし、非常に説得力ある、実に、そしてさらに実に面白い歴史書ですので、その全文をご紹介します。あまり関係ないと思い込まず、まずは全文を、じっくりお読みください。
 とにかく、実に面白い角度からの解説をしたいと思います。その前に、じっくりとお読みください。

●(3)2009年9月11日号、週刊ポスト「逆説の日本史」(第81話、アイヌの歴史Ⅰ)井沢元彦著

 <「民族のルーツと展開」編・最終回>

<親アイヌ派の「同化」政策がアイヌ文化を破壊した皮肉>

 つい先日、七月下旬に政府の諮問機関である「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会(座長 佐藤幸治京大名誉教授)」が、報告書をまとめ河村官房長官に提出した。
その内容は次のようなものだ。

 報告書では、「国の政策として近代化を進めた結果、アイヌの文化に深刻な打撃を与えた」と国の責任を明記。(中略)
また、差別をなくし、アイヌの民族が誇りを持てる社会を実現するためには国民の理解が必要として、義務教育で、アイヌ民族に関する基礎知識を身に着けられるような環境整備や、「アイヌ民族の日(仮称)」の制定も盛り込む。このほか、アイヌ民族の歴史や文化の教育・研究機能などを備えた、民族共生の象徴となる場の整備や、国の施策を推進するための審議機関の設置なども求めている。(『読売新聞』より一部抜粋)

 そこで、この報告書の原文をひもといてみると、「アイヌの文化への深刻な打撃(近代)」という項目の中に次のような記述がある。

 文明開化の流れの中、明治政府は、日本全土の「陋習(ろうしゅう)」を廃止していく。そこでは、民族性の異なるアイヌの文化の独自性は留意されず、「陋習」などとみなされて制限あるいは禁止されていった。
アイヌの社会では当然のことであった、死者に持たせる意味で家を焼く風習はもとより、成人女性の証とされていた入墨や男子の耳環(みみわ)も禁止され、違反するものには厳重な処分をするよう通達が出された。
また、アイヌ語については禁止された訳ではなかったが、文字も含めて日本語を学ぶことが推奨された。(中略)授業では自らの親や祖父母が受け継いできた言葉ではない日本語の習得が優先された。アイヌの人々の家族の中でもアイヌ語が使われる機会が減り、今日の言語存続の危機を招く契機となった。
こうしたいわゆる
同化政策は基本的にはアイヌの人々の教化政策として行なわれたが、結果的に、民族独自の文化が決定的な打撃を受けることにつながったといわざるを得ない。

 この取り組みは、国会が昨年六月「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を全会一致で採択したことを受けてのものだが、画期的なことは明治以降(正確には江戸時代以降)、「和人の政府」がアイヌに対して行なった政策に根本的な誤りがあると認めたことだ。
では、その根本的な誤りの原因はどこにあるのか?それに言及しているのが、報告書のこの部分なのだ。
同化政策である。
この政策が「結果的に、民族独自の文化が決定的な打撃を受けることにつながった」のである。
では、同化政策とは具体的にどういうものなのか?これが多くの日本人の持つべき常識の中で、すっぽりと抜け落ちている部分なのだ。
まず、重大なことを指摘しよう。
それは、
同化政策と差別政策、つまり「同化」と「差別」はまったく別のものであることだ。
こう書くと耳を疑う人が多いかもしれない。

 昔、私(著者)がある雑誌に「日韓併合は同化政策が中心で差別政策ではない」と書いたところ、読者から猛烈な抗議が来た。その抗議の内容は一言で言えば「井沢元彦は日韓併合を擁護している。それが許せない」ということだ。
しかし、実はこの読者は完全に誤解しているのだ。「擁護」という言葉を使う以上、この人は「差別は『悪』だが、同化はむしろ『善』である。あるいは差別ほどの大きな『悪』ではない」という考え方があると思われる。だから大きな「悪」である差別を「善」あるいは小さな「悪」だと言いくるめた「井沢はケシカラン」ということになるわけだ。
しかし、
実は「同化」の方が「差別」よりも「巨悪」かもしれないのである。
ここのところが、多くの日本人が完全に思い違いをしているところだ。
 同化政策というものは、要するに「異民族」を「日本人」にするということだ。つまり、日本語とは違う名前を持つ人々に「日本名」を押しつけ、子供の頃から日本語教育をするわけだ。
すると何が起こるか?
 「差別が無くなる」のである。これは冗談ではなく本当の話だ。
差別をあくまで徹底しようと思えば、その差別の根拠となる「肌の色の違い」や「文化の違い」を絶対に残しておかねばならない。たとえば、かつて白人の黒人に対する人種差別を国の政策として行なっていた南アフリカ共和国では、白人と黒人の居住区を分離し、「背徳法」というとんでもない法律で白人と黒人の通婚を禁止した。なぜ、禁止したのか?もし、白人と黒人の結婚によって子が生まれれば、外見上は「白人のような黒人」が生まれるかもしれない。すると差別が完遂できなくなる。だから、禁止したのだ。
日本人と朝鮮民族は外見上は見分けがつかない。だから、もし差別を徹底しようと思うなら、朝鮮民族に日本語を教えず、日本名を名乗らせてはならない。そんなことをしたら見分けがつかなくなり、差別できなくなるからだ。
逆に差別を完全に無くそうと思うならば、その一つの方法が、この逆をやることだ。つまり、日本語と日本名を押しつければいい。同化政策である。そうすれば、完全に見分けがつかなくなるから差別の仕様がなくなる・・・。
ただし、この方法には大きな問題がある。前記の報告書がまさに指摘しているように
「民族独自の文化が決定的な打撃を受ける」ということだ。つまり同化政策というのは「相手の民族文化の破壊」という点では、実は単純な「差別政策」よりもはるかに罪が重いのである。

 <「差別」より罪が重い善意絶対主義の悪弊>

 近代の日本人の犯した最大の過ちというのが、実はこれであったと私は考えている。
 つまり、「皆が日本人になってしまえばいい。そうすれば差別も不平等も無くなる」ということだ。
 これと対照的な態度を取ったのが、イギリス人を代表とする白人勢力であった。19世紀から20世紀にかけての白人はアジア人を人間扱いはしていなかった。簡単に言えば「サル」だと考えていたのである。日本人は知らない人が多いのだが、有名な『猿の惑星』という映画に登場する「猿」は、原作者のフランス人ピエール・ブール(『戦場にかける橋』も彼の作品)の目から見た日本人なのである。同じように、インドを植民地化したイギリス人もインド人を「完全な人間」とは考えていなかった。
だからこそ彼等イギリス人は、インド人に「民族の言葉を捨てて英語を話せ」とか「インド名はやめて英国人の名前にしろ」とは言わなかった。おわかりだろうか?「そんなことをすればサルと区別がつかなくなってしまう」からである。もちろん、「出来のいいサル」が英語を自分から学んでそれが役に立ちそうだったら、そこで初めて教育をする。
しかし決して同等の権利は与えない。なぜならそんなことをすれば、
「サルが“人間”であるイギリス人の上司」になってしまう。つまり、まさに『猿の惑星』状態になってしまうからだ。

 日本人はこういう白人の態度をよく知っていた。そもそも「アヘン戦争」などもそういうアジア人蔑視の感覚がなければ起こり得ない戦争だ。
 そこで、日本人は明治維新を行い、アジアの中でいちはやく近代化すると、こうした道とは別の道を行こうと決意した。
 平たく言えば、次のように考えたのだ。
 「われわれは白人のようにアジア人を人間以下などとは決して考えない。われわれは同胞だ。だから、まず手始めに朝鮮民族と日本人の区別を無くしてしまおう」
 たとえば、帝国陸軍には朝鮮出身の士官がいた。中には大佐や中将にまで昇進した人もいた。イギリスではインド人が将官になるなど絶対に有り得ないことだった。
それゆえに、ここが肝心だが、
日本人は自分のやり方が絶対に正しいと考えた。
 その最大の根拠が「われわれは善意でやっている」ということだ。白人はアジア人を差別しているのだから、その心情は「悪」であることは間違いない。しかし、われわれ日本人は善意で物事を行なっているのだから、その政策もまったく正しい、と考えたのである。
この、考え方の「落とし穴」がわかって頂けるだろうか?
実は、前回最大の「逆説」と言ったのはここのところなのである。
心情が「善意」でありさえすれば、それによって行なわれたことも必ず「正しい」という、
「善意絶対主義」は実は大きな誤りなのである。ところが日本にはこの「善意絶対主義」を頭から信じ込んでいる人が余りにも多い。だから、異民族との交流では、常にこの種の間違いを繰り返す。

 ここでアイヌに話を戻そう。
 松平定信は、ちょうど白人がアジア人に対するように、「アイヌは動物」だと考えていた。とんでもない考え方だ。「善」か「悪」かにわければ明らかに「悪」であろう。
 ところが皮肉なことに、実に皮肉なことに、であるがゆえに、「定信流」のやり方は、民族独自の文化は破壊しない、のである。もちろん、定信は「アイヌ文化」を尊重しているわけではない。それどころか、その逆で「アイヌに文化など無い」と確信していた。しかし、だからこそ「アイヌを日本人にすることはできない」と考えた。ならば、そういう「生物」の住む場所は「荒れ地のままで放っておけ」ということになる。つまり結果的にはアイヌの文化あるいは生活には一切干渉しない、ということになる。

 一方、最上徳内に代表される「親アイヌ派」は、アイヌと交わり友ともなる。それゆえに「アイヌには文化がある。だから、日本人になれる素質もある」と考える。徳内たちの心情を「善」か「悪」かで分類すれば、間違いなく「善」であろう。少なくとも定信とはまったく正反対だ。しかし、それゆえに、「アイヌも日本人と同じになるべきだ」と考え、同化政策すなわちアイヌ文化の徹底的な破壊へ向かって行くのである。
 「地獄への道は善意の石畳で舗装されている」とは、まさにこのことだろう。この諺を最近では「善意があっても実行が伴わなければ意味がない」と解釈する人もいるようだが、カール・マルクスが『資本論』で使用しているように「良かれと思って(善意で)やったことが悪の結果を生む」という意味が本来のものだろう。

 では、どうすればよかったのか?
 たとえば「日韓併合」をあくまで「対等の合併」とするならば、日本語と朝鮮語(韓国語)を両方とも公用語にしなければならなかった。現代の国家でもベルギーやカナダで行なわれていることだ。ただし、和人とアイヌでは人口の差があり過ぎるので、この方法はとれなかっただろう。しかし、それでも、国語や歴史や音楽の授業に、アイヌ文化を取り入れることは可能だったはずだ。
では、なぜそういう立場が取れなかったのか。
もうお気付きかもしれないが、江戸時代から明治にかけての日本人は、たとえ最上徳内のような「異文化理解派」であっても限界があったということだ。それは
「日本文化が最高のもの」という心情があるということだ。だからこそ、「(文化の)共有」ではなく、「同化」が正しい、ということになってしまう。
ちなみに、アイヌ問題でもう一つ指摘しておかねばならないのは、やはりロシア帝国の影であろう。日本の「開国史」はアメリカのペリー来航(1853年)に始まると思っている人が多いが、実はロシアの公式使節アダム・ラクスマンが1792年(寛政4)に根室に来ているのである。
蝦夷地(アイヌの土地)である根室にラクスマンが来たことが事態を複雑にした。定信政権はとりあえずラクスマンを門前払いにしたが、
「ロシアに北辺の地を奪われてなるものか」と考えた日本人は、それを真剣に考えた人間ほどアイヌの「日本人同化政策」に手を貸すことになる。なぜなら「アイヌが『日本人』になれば、その住んでいる土地も自動的に日本国になる」からだ。こうして、和人はロシアというライバルに負けまいと、積極的に同化政策を進めることになっていくのである。
ところで、
この時代の日本人は、なぜ「日本文化こそ最高」という思いを抱くようになったのか?日本文化というのは、むしろ外国文化に寛容な、悪く言えば「自信の無い」文化ではなかったか?その変容はなぜ起こったのか?
<「民族のルーツと展開」編 完>

●(4)私(藤森)は、歴史に関して、井沢元彦氏は天才だと思っています。切り口の鋭さ、的確さ、斬新さ、そして、通史を書ける類い稀な方であると思っています。
 井沢元彦氏の「逆説の日本史」は、私のホームページで、度々、活用・転載させていただいています。  井沢元彦氏・・・・・作家。1954年2月愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の80年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓いた。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『言霊(ことだま)の国』『解体新書』『虚報の構造 オオカミ少年の系譜』など著書多数。
●(5)さて、上記の「アイヌの人たちに対する同化政策」と、このホームページで主題としている「自己成長」や「育児・生育歴」などと、一体、どんな関係があるのだろうかと、多分、ご覧になった方々、全員が思っていらっしゃるのではないかと推測します。

 しかし、しかし、です。
 私は、これを読んで、これほどピッタリ、「育児」や「生育歴」に関して、的確に説明できるものはないと閃きました。
 まずは、逆説の日本史の中の、私が重要だと思った部分を、抜粋してみます。

 「国の政策として近代化を進めた結果、アイヌの文化に深刻な打撃を与えた」

 民族性の異なるアイヌの文化の独自性は留意されず、

 民族独自の文化が決定的な打撃を受ける

 有名な『猿の惑星』という映画に登場する「猿」は、原作者のフランス人ピエール・ブール(『戦場にかける橋』も彼の作品)の目から見た日本人

 日本人は自分のやり方が絶対に正しいと考えた。その最大の根拠が「われわれは善意でやっている」ということだ。

 「地獄への道は善意の石畳で舗装されている」とは、「良かれと思って(善意で)やったことが悪の結果を生む」という意味。

 日本語と朝鮮語(韓国語)を両方とも公用語

 「日本文化が最高のもの」という心情

 「ロシアに北辺の地を奪われてなるものか」と考えた日本人

 この時代の日本人は、なぜ「日本文化こそ最高」という思い

 このように並べてみました。さあ、賢明なる読者の皆様、上記の諸点は、いかなる意味があるでしょうか???

●(6)「育児」する親の心境に、実に「酷似」していると思いませんか?
 驚くほど、「同化政策」の姿勢と、「育児」の姿勢が似ていると思いませんか?そして、今回のタイトルとも酷似していませんか?
 今回のタイトルである和歌は・・・・・      人の親の心は闇にあらねども

         子を思ふ道にまどひぬるかな

 文字通り、親の心は闇ではないが、育児となると、惑ってしまうというような意味でよろしいでしょうか?
 では、何故、そうなるのでしょうか?それが、これです。

 「地獄への道は善意の石畳で舗装されている」とは、「良かれと思って(善意で)やったことが悪の結果を生む」という意味。

 いかなる親も、子供の行く末を思う気持ち=善意は、誰よりも強く持っているはずです。しかし、おかしいですよね。「愛情」がいっぱいありながら、気が付いたら、子供がおかしくなっているなんて。
良かれと思ってやっているのに、何故、子供がおかしくなるのでしょうか?「不登校」や「ウツ」や「イジメ」や「非行」などなど・・・・・。
 何故、「良かれと思って(善意で)やったことが悪の結果を生む」のでしょうか?不思議ではありませんか?そこには、何か、おかしなものが含まれているからなのです。
 しかし、それを、どのように説明したら良いのでしょうか?それが次の政策です。

 「国の政策として近代化を進めた結果、アイヌの文化に深刻な打撃を与えた」
 これです。

●(7)何故、「同化政策」が深刻な打撃を与えたのでしょうか?
それは、
 「日本文化が最高のもの」という心情

 これがあるために、文化を押し付けたくなる「心境」になります。
例えば、「砂場」で、幼児が、泥んこ遊びをしていて、ドロのマンジュウを、本当に食べようとしたら、急いで止めるでしょう。それが正しいと思うから。
 万引きする小学生にも、注意したくなるのではないでしょうか。それが絶対に正しいと自信を持っているから(さすがに、中学生や高校生になると、注意は難しくなりますが)。

 絶対に正しいと思えば、それを押し付けたくなるはずです。もちろん、押し付けているなどとは思わないでしょうが、やっぱり、押し付けています。「ドロのマンジュウ」や「万引き」は、絶対に正しいと言えますが、その他の多くの事柄は、なかなか、絶対なる自信は持てないものです。でも、

 「絶対に正しいと確信」したならば、善意の押し付けをするのではないでしょうか!!??
何故ならば、「善意」であり、「絶対に正しい」のですから。むしろ、その場合には、押し付けないほうが良くないと言えるのではないでしょうか。
近くにいる人の持ち物が落ちたら、教えて上げるのではないでしょうか?電車内で、明らかにその人の荷物を忘れて、下車しようとしたならば、教えて上げるのではないでしょうか?
 しかし、極端な話し、本当にそれが相手のためになることか否かは、難しいものです。例えば、落し物のフリをして、ポケットのゴミを捨てたのかもしれません。万一、そうであるならば、「落ちましたよ」と教えられた人は、捨てたゴミを拾わなければなりません。その人にとっては、大変、迷惑なことになります。網棚に忘れたものは、「サリン」や「時限爆弾」を仕掛けたものかもしれません。

 わざと、極端な話をしましたが、「善意」というものは、結構、難しいものです。それをご理解いただくために、敢えて、極端な話をしました。ここまでの極端はともかくとして、こういうありがた迷惑というものは、結構、多いですよ。
 その最たるものが・・・・・

 日本人は自分のやり方が絶対に正しいと考えた。その最大の根拠が「われわれは善意でやっている」ということだ。
 そして、
 民族性の異なるアイヌの文化の独自性は留意されず、
 民族独自の文化が決定的な打撃を受ける
 その結果、
 「地獄への道は善意の石畳で舗装されている」とは、「良かれと思って(善意で)やったことが悪の結果を生む」という意味。

●(8)これは、親が、育児をする過程での「心境」と、全く同じだと思いました。
つまり、親は、良かれと思って、育児の過程で「同化政策」を取っているのです。育児の過程で、親は、絶対の自信を持って、子供に対して同化政策を取ります。それに反旗を翻すのが、いわゆる
「反抗期」ですが、権力や腕力に大差があるので、当然、その「反抗」は、江戸時代の「お代官様」みたいな両親に封じ込められます。
何故、封じ込められるのでしょうか?それは・・・・・
 自分のやり方が絶対に正しい。その最大の根拠が「われわれは善意でやっているから」

 その結果、子どもは、

 民族性の異なるアイヌの文化(つまり子ども)の独自性は留意されず、民族(子ども)独自の文化が決定的な打撃を受ける
ことになるのです。
 ですから、もし、親御さんが、本当に対等の「同化政策」を実行するならば、
 日本語(親御さん)と朝鮮語(韓国語)(子どもさん)を両方とも公用語・・・つまり、子どもの独自性を認めることが必要です。

 現代の国家でもベルギーやカナダで行なわれていることだそうですので、我々が、育児に活用しない手は無いのではないでしょうか。

 そうすれば、

 人の親の心は闇にあらねども

   子を思ふ道にまどひぬるかな

 こういうことも無くなるのではないでしょうか?
 こういう観点から眺めてみますと、テレビなどのメディアでも、発見できることが多くあるのではないでしょうか。芸能やスポーツなどの分野でも、多く、見られます。私たち自身も、こういう観点(子どもに対しての同化政策)から反省してみるのはいかがでしょうか。

 芸能関係やスポーツなどで、現在も過去も、活躍している人たち(野球でも、ゴルフでも、ボクシングでも、歌手でも)の中には、結構、ステージママ(パパ)などと同様に、親の「同化政策」で好成績を上げているようです。人間性を無視して・・・・・。

<文責:藤森弘司>

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