2008年8月15日 第73回「今月の言葉」

認知療法の認知の歪み⑧

●(1)「認知療法」における私たちの心の動きを表したのが、下記の図です。(a)(b)(c)(d)それぞれの解説は、<第66回>及び<第65回>をご参照ください。

               <認知の歪みのプロセス>


               *受けとめ方
               *思い込み
               *解釈(推測)
               *情報収集

●(2)さて、今回は・・・・・

<レッテル貼り(極度の汎一般化)>

 □私は人生の落伍者だ
 □役立たず
 □わからず屋の石頭
 □バカの一つ憶え

●(3)今回のシリーズが終わりましたら、「交流分析」をシリーズでお送りする予定ですが、交流分析の中に、「ドライバー」というのがあります。このチェックをしたときに、ほとんど全てが私(藤森)に該当するので、私を調べて作ったのではないかと思ったほど、私にピッタリでしたが、この「認知の歪み」も同様に、私にピッタリくるものばかりです。

 さて、今回の「レッテル貼り」ですが、結構、日常的によく見受けられます。決して、私だけではないようです。
 何かひとつの特徴が見えたとき、それに相応しいレッテルを貼り、以後は、そのレッテルで決め付けるという癖が、私たち一般にあるようです。一般でいう「渾名(あだな)」などもそれに相当するのではないでしょうか?
 
●(4)今回の例で言いますと、自分を卑下して「私は人生の落伍者だ」などというのもそうです。何をもって「人生の落伍者」と見るかです。仮に、ある部分、ある人に「人生の落伍者」的なものがあるとしましょう。
 しかし、それ以外はどうでしょうか?
 完全な人間は、当然、いないわけですから、「人生の落伍者」的な部分は誰にでもあるはずです。それを「落伍者」というのは、本来はおかしいのですが、敢えて、ある部分は「落伍者」であるとします。そうであるならば、「落伍者」である部分を除けば、「成功者」ということにならないでしょうか?
 しかし、どういうわけか、「人生の落伍者」だと決め付けてしまうと、その人の成功している部分は見えなくなり、あるいは取るに足らないことだと無視をしてしまって、「落伍者」というに相応しいところだけが「強調」されてしまいます。
 こういう決めつけ、レッテルが貼られると、何かある度に、「やはり私は人生の落伍者」だと確認することになり、やがては決定的な「事実」だと思うようになります。これは「事実誤認」もはなはだしいのですが、こういう認識を持って何十年も生きてくると、この認識を変える事は不可能ではないかと思われるほど、確定的なことになってしまいます。
 しかし、その人のうまくやっていることを拾い上げれば、キリがないほど拾えるはずです。少なくても、その年まで生きてきたことは大成功ではありませんか?さらには、結婚し、家庭を持っていて、子供もいるとしたら、それらも皆、成功していることになるはずです。
 怖いのは、一度、レッテルが貼られると、そのレンズを通してしか見えなくなることです。

●(5)このことを逆に見ますと、仮に「成功者」がいたとします。その「成功」は、人生の一部分のはずです。今ならば、オリンピックで「金メダル」を取ったとします。「金メダル」を取るという意味では確かに「成功者」です。少なくてもこの時点でメダルを取れなかった人たちよりも「成功者」でしょう。
 また、起業が成功して「経営者」になったとします。ベンツやロールス・ロイスを乗り回せば、確かに「成功者」です。俳優やタレントになり、売れっ子になれば、確かに「成功者」でしょう。文学や小説においても、あるいは学問や学者としても「成功者」といわれる人は沢山います。
 しかし、それは、人生という膨大な中の一部分でしかありません。ノーベル賞を取った人が、人生、特に家庭的に成功しているといえるでしょうか?学者や小説家が人生で成功しているといえる人が、一体何人いるでしょうか?
 最近亡くなった「赤塚不二夫氏」の病歴にしても、歌手の松山千春氏が今年の6月に狭心症で倒れたときも、新聞によれば、90年代前半に「自律神経失調症」、その後は「通風」、「糖尿病」などなどのようです。こういう例は枚挙に暇がありません。

●(6)平成20年8月8日、夕刊ゲンダイ、「レズ、SM、ドラッグ・・・ブラピも大変だ」

 <アンジェリーナ・ジョリー>

 ブラッド・ピッド(44)との間に双子も生まれて、幸せの絶頂にあるアンジェリーナ・ジョリー(33)。
 そんなアンジーがバイセクシュアルなのは有名だ。レズ相手でもある元モデルのジェニー・シミズは「今でもアンジーとの関係は途切れたことはないわ。それにブラピが彼女のようなタフなオンナを完全にコントロールできるとは思わない」とバクロしている。
 本人も英国大衆紙「ザ・サン」に、「自分がバイセクシュアルであることを隠したことはないわ」と公言。それどころかブラピに出会うまでは、SMもレズも何でもこいの“性豪”だったのだ。

 父親はジョン・ボイト。両親の不仲がきっかけで高校時代にグレたアンジーは、15歳で彼氏と同棲を始め、あらゆるドラッグに手を出し、SMプレーも覚えた。普通のセックスでは飽き足らなくなり、ナイフを首に当てながらセックスすることに異常な快感を覚え、カラダ中が傷だらけだったという。
 結婚も2回経験済み。2000年に、20歳も年上の男優で映画監督ビリー・ボブ・ソーントンと2度目の結婚をしたが、なんと駆け落ち婚だ。「アンジーはビリーに夢中で、結婚当時は『もうビリーじゃなきゃイカナイ』などと発言していました。でもアンジーの異様な性欲に応えられなかったようです。今のブラピはよくもってますよ」(LA在住ジャーナリスト)
 双子を抱いた幸せな写真を15億円で公開したアンジー。ウラの顔は、あまりにも違いすぎる・・・・・。

第63回「今月の映画」「パーフェクト・ストレンジャー」「オスカー女優、ハル・ベリー」も同様。「(4)男に虐待され続けた半生」
 <同じく「パーフェクト・ストレンジャー」の中の「(9)ミスター・長嶋夫妻・・・犠牲にされた家族愛」
 <第69回「今月の映画」「王妃の紋章」「(10)隠れたメッセージ・・・国がどんなに豊かになっても、政府がどんなに強力でも、人間にとって最も大切なものを失ってしまえば、すべては虚飾のぬけがらにすぎなくなる・・・」>をご参照下さい。
 
●(7)さて、話を元に戻します。
 「役立たず」もそうですね。今、生きていることは、何かの役に立っているはずです。「わからず屋の石頭」も同様です。もしそうならば、サラリーマンをやれないはずですし、勉強もまったくできないのではないでしょうか?
 「バカの一つ憶え」と言われる人は、多分、いや確実に沢山のことを知っているはずですが、一度、このレッテルを貼られると、何を言ってもここに持っていかれる傾向にあります。

●(8)こういうこともよくあります。
 勉強しない子供に向かって、「そんなに勉強しなければ、将来どうなると思っているの!」とカリカリ叱るお母さんに、「それではお母さんはどうなるかわかるのですか?」と訊ねると、「わかりません」と言います。何が将来にとって良いのか否か、誰にもわかりません。多くの人たちが、将来に良かれと思ってやったことが、結果は悪かったということは多いものです。
 私たちは、将来のことはわからないのに、わかったつもりで、かなり偏った思い込みで我が子を指導しているのではないでしょうか?わかっていると思った瞬間、私たちは、他者の意見を聞かなくなります。わからないと思えば、他者の意見に耳を傾けることができるようになります。

●(9)こういうこともよくあります。
 「心理学」をほとんどまったく知らない方が、一応の専門家である私の説明を、やたらめったら否定するのです。「あなたは心理学に詳しいのですか?」と訊ねると、「知らない」と言います。
 私(藤森)も若い頃はそうでしたので、決して偉そうに言うのではありませんが、心理学をほとんど知らない人が、心理学の専門家に食ってかかったり、発言を否定したりするというおかしなことは、案外、多いものです。

 しかも、おかしいのは、相手の説明を否定しながら、心理学を知らないと言うことの「矛盾」にまったく気づかずに、どこまでも自己主張することです。私は随分、若いときにこれをやったであろうと思うと、穴があったら入りたいです。
 人間というのは、自らのおかしさに気づくことは、本当に難しいものですね。逆に言えば、それができる人は「名人」です。だからこそ「謙虚さ」が大切なんですね。自分のそういうおかしさ、未熟さに気づいたら、いやでも「謙虚」にならざるを得ないです。何故ならば、自分の見えないところを教えてくれているのですから。「謙虚さ」が無い、少ないということは、自分の未熟さを知らない、認めないということになります。
 そしてその姿勢は、「自分は完全な人間である」ことを意味していることになります。当然、本人は否定するでしょう。しかし、他者の助言を受け入れない、或いは否定するということは、「自分は完全である」ということを意味していることにならざるを得ません。

 喩えて言えば、自分の背中に「バカ」という紙が貼られていて、そういう紙が貼られていますよと教えてくれる人に「失礼な!」とか、「バカにするな!」などと腹を立てるようなものです。そうして、いつまでも「バカ」という紙が貼られたまま・・・・・長年、私(藤森)は生きてきました。反省だけなら「サルでもできる」と言われないようにしようと思っています!? 

<文責:藤森弘司>

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