2008年5月15日 第70回「今月の言葉」
認知療法の「認知の歪みー(5)」

●(1)「認知療法」における私たちの心の動きを表したのが、下記の図です。(a)(b)(c)(d)それぞれの解説は、<第66回>及び<第65回>をご参照ください。

               <認知の歪みのプロセス>


               *受けとめ方
               *思い込み
               *解釈(推測)
               *情報収集

●(2)さて、今回は・・・・・

<拡大解釈・過少評価(双眼鏡トリック「破滅化」)>

 □またミスった、もうこれで終わりだ
 □病気になった、  〃    〃
 □何やっても、バレなきゃいいんだ

●(3)ひとつの現象、或いはふたつやみっつ程度の現象だけで物事を決め付ける傾向は、私たち一般にあるのではないでしょうか?少なくても、私は若いころ、かなりありました。
 絶望感は、まさにこれではないでしょうか?
 「絶望感」や「自殺」は狭い自分の推量で、物事を決め付けています。「絶望感」は、「もうダメだ!」という決めつけがあるからです。「自殺」も同様で、「死ぬ以外に方法は無い」という心境になっているからだと思われます。
 「絶望感」も「自殺」も、かなり弱い立場の人という印象ですが、妙なことに、かなり「信念」のしっかりしている人を意味します。「自信満々」の人です。何故でしょうか?
 実は「もうダメだ!」ということに自信があるからです。よくよく考えてみると、「もうダメだ」とわかるとは凄いことです。「もうダメだ!」ということに、何故、これほど自信を持てるのでしょうか?考えてみれば不思議なことです。
 何故、それほど自信を持てるのかをその人に尋ねたならば、多分、「自信が無い」と言うでしょう。自信が無いのに、「もうダメだ!」と決め付けることに、自信たっぷりというのはおかしな話です。
 これもある意味で、アクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態といえます。
 そんなに自信があるのならば、うまくやることのほうに自信を持てば良いと思うのですが、不思議なことに、私たちは、多くの場合、ダメなことに自信を持ちがちです。
 良いことにこれほどの自信を持ったならば、かなりすばらしい人間に成れるのではないでしょうか!「俺は、こうなれる!」と自信を持って取り組むことができたならば、かなりの成果を上げることができるように思われます。
 ところが不思議なことにネガティブなことに自信を持っているので、「ダメになることが“うまい”人」になってしまっています。だから、「やはりダメだった」と、ダメになることに自信を持ってしまうのです。
 つまり、自分でダメにしているのです。ここに気づくことです。

●(4)そうすると、面白いことに気づきます。
 この人は、人生に、いつも成功していることになります。つまり、ダメになることに「成功」しています。ダメになる、ダメになると自信たっぷりになっています。そして、当然、ダメになります。「ほ~らみろ!やっぱりダメだった!」と、さらに自信タップリになれます。
 何故こういうことが起こるのでしょうか?実は、深層心理では、ダメになりたがっているのです。そんなバカな、と思われるでしょうが、それならば、何故、ダメだ!ダメだと自信たっぷりにいうのでしょうか?
 無意識にある「ネガティブな条件付け」があるから、無意識のうちに、「もうダメだ」という発想が浮かぶのです。何気なくいうように思われるでしょうが、何気ないつもりではあっても、無意識に存在しない言葉は、ほとんどの場合、出てきません。何気なくであろうとも、いや、何気なくであるからこそ、「無意識に存在する“意識や感覚”」が顔を出すのです。
 ということは、逆に、無意識にある「ネガティブな感覚」を、「大丈夫だ!」「俺はやれる!」という「ポジティブな感覚」に変える、専門用語で言うならば「リプログラミング(マイナスの条件付けをプラスに書き換える)」すれば、ダメなことにこれだけ成功してきたのですから、大丈夫になることも、自信たっぷりにできるようになるでしょう!!!

●(5)私たちは、自分の知識や情報は不十分であることを、案外、多くの人は知っているものです。自分の知性や教養は不十分であることも、多くの人は理解していることと思われます。
 そうであるならば、自分が判断したこと、自分が決め付けたことは、いろいろ問題点が多いであろうことも、十分に認識することが大事です。自分の知識や情報、或いは知性や教養は不十分であることを「十分に認識」していながら、自分が判断したこと、自分が決め付けたことには「自信タップリ」というおかしさ、アンバランスであることも「十分に認識」すると、人生、本当に生きるのが楽になりますよ。

●(6)ところが世の中は、全く、これの逆が行なわれています。
 私たちは、自分の知識や情報は不十分であること、自分の知性や教養は不十分であることを、多くの方は理解していることと思います。
 ところが、自分が判断したこと、自分が決め付けたことは、「絶対に間違いない」と思いながら、人生を生きているものです。
 こうやって文章で明らかにしてみると、かなりおかしいことに気づきませんか?「そんなバカな話はないよ!」という気がしませんか?でも実際はこういうスタイルで、私たちは、多くの場合、生きているものです。
 だから「深層心理」の十分な理解と経験が必要なのです。こうやって冷静にご覧になれば、恐らく、誰でもおかしいと思うでしょう。しかし、現実はこういうことが多く行なわれています。 
 これをクライエントの方に理解していただくまでが、本当に大変です。「そんなこと無理なのは当然でしょう!!」と言われたら、当然でないことをどうやって証明したらよいでしょう。
 こういうおかしさを「論理的」にご理解いただくころは、クライエントの方は、かなり自己成長しています。逆に、自己成長するまでは、このおかしさのオンパレードで、何をどう説明しようが、クライエントの方は、決して認めようとはしません。長年、そういう発想で生きてきていますから、簡単に認めては、自己否定に繋がるとでも思うのでしょうね。
 間違いは間違いと、当たり前のことを、当たり前に認められるようになるには、かなりの自己成長が必要です。大いなる「認知の歪み」を、私たちは誰でも持っていますから、自己の「認知の正当性(本当は歪んでいます)」を主張しなければ、自分の存在意義がなくなるくらいに思い込んでいるものです。
 「認知の歪み」を歪みとして認めず、歪みを正当化するのですから、人生が重くなるのは当然です。人生を、より楽に生きたい方は、歪みを認めてしまうことです。自分のおかしさや間違いがあったら、それを素直に認めてしまうことです。そうすれば、実はどうってことはないのです。
 どうってことがないことなのに、歪みを正当化してしまうので、その後の生きかたが重たくなってしまうのです。そうやって何十年も生きてくれば、その重さたるやいかばかりでしょう!!!
 その重さに耐えられなくなったときに「症状化」するのが、一般に言われる「病気」です。 

<文責:藤森弘司>

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