2008年3月15日 第68回「今月の言葉」
認知療法の「認知の歪み③」

●(1)「認知療法」における私たちの心の動きを表したのが、下記の図です。(a)(b)(c)(d)それぞれの解説は、前回の<第66回>及び、前々回の<第65回>をご参照ください。

               <認知の歪みのプロセス>


               *受けとめ方
               *思い込み
               *解釈(推測)
               *情報収集

●(2)さて、今回は・・・・・

<ネガティブ・リフレイミング(マイナス化思考)>
 □半分しかない
 □気がつくのが遅過ぎた

 私たちは、日頃、かなりこのフレーズを使っています。それがために、大脳の能力を活用できないのです。いや、むしろ大脳の能力を、自ら削減してしまっています。
 それはどういうことでしょうか?
 実は上記のフレーズは、「有ること」を使って表現しながら、「無いこと」を意味しています。七面倒臭い言い方をしますが、心理というものはこういうものなので、ご了解ください。
 多くの方が、よく、「そういう意味で言ったのではない」とか、「彼はこう言った」とか、表面的な意味を言いますが、表面的な意味に隠されている本音の部分を探すのが心理学であり、それが「深層心理」です。
 ですから表面的に表現されたものを材料にしますが、それはあくまでも「ツール」として利用するのであって、「目的」ではありません。自己成長するには、少しでもこういうことに気づいていくことです。そのときに大事なことは、表面的な意味にこだわらず、それが意味する「深層心理」を、少しは認める「謙虚さ」です。

●(3)それでは、今回の「認知の歪み」の謎解きをしてみましょう。

 「半分しかない」「気がつくのが遅過ぎた」

 これは「半分」あることを意味していますし、「気がついた」ことを表面的には意味しています。
 しかし、そこに隠されている意味は、無いほうの「半分」が意味されています。
 また、「気がついた」ことを表現していますが、遅過ぎたということは、「早く」気がつかなかったことが意味されています。
 せっかく「半分」あるのに、無くなった「半分」を嘆き、せっかく「気がついた」のに、「早く」気がつかなかったことを嘆いています。
 これを、「半分“も”ある!」「気がついて良かった!」と置き換えてみると、感じが全然違ってきます。ネガティブな「ダメ」な意味から、ポジティブな「オーケー」の意味に変わります。
 
●(4)私たちはこういう表現が意外に多いものです。もうひとつの例を挙げてみましょう。
 例えば「我慢するしかないでしょう!」というのがそうです。
 「我慢するしかない」ということは、「我慢する以外の方法が無い」ということを意味しています。「我慢する以外の方法が無い」という発想をすれば、「我慢」することはわかっていますし、「それ以外の方法は無い」のですから、それ以外のことを探すために「脳」を働かせる必要が無いことになりますので、「脳」を休憩させてしまいます。
 でも何か良い方法は無いかと「脳」を活用しようとします。これでは良い方法が見つからず、「悩み」を作ってしまいます。
 私たちは、こういう実に複雑なプログラムを「脳」に作り上げて、悩むことを続けています。つまり、ブレーキとアクセルを同時に踏んでいます。
 よく「ポジティブ・シンキング」などと簡単にいいますが、こういうことを一つひとつ、しらみつぶしにつぶすことこそが、ポジティブ・シンキングです。せっかく気がついたことでさえ、自分をいじめるのでは可哀想です。
 「よく気がついたね」と、少しでも自分を労われる人間に、お互いになりませんか。

<文責:藤森弘司>

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