2008年12月15日 第77回「今月の言葉」
過干渉の一考察

●(1)平成7年10月30日、読売新聞、読売エコノミックニュース「異見卓見」轉法輪 奏(大阪商船三井船舶会長)

 <21世紀型産業への転換>

 <日本式教育では後れを取る>

 所得水準が世界有数となった日本は、これまで得意としてきた『物造り』産業から、情報通信、バイオケミカル、環境、省資源などの21世紀型ハイテク産業への転換の必要性が認識されている。これらの世界では、日本の得意だった集団的コンセンサスに基づく「漸進」「改善」方式でなく、むしろ個人の優れた個性と自由な発想、思考の許容度を大きくすることが成功の土壌になると言われている。
 これに対して日本の教育は画一的、記憶優位型で、対極的なアメリカの「パーミッシブ(自由裁量余地の多い、許容度の大きい)教育」が個人才能の自由な開花を追求するのに比べるとそん色が明らかである。

 さらに、社内での情報交換が、これまでの会議から電子メール、ファックスなどによるものに変わりつつある今日、経営方針や戦略思想の従業員への浸透をどうやって可能とさせるか?従業員が自己完結型行動でフライパン上のいりゴマのように動きまわる中では、今後、集団行動を前提とする「改善」「漸進」方式は難しくもなる。
 心配はもっとある。インターネットの時代になると、付加価値のついた有用な情報は世界中、英語によるコミュニケーションになるが、日本はスムーズに参画できるか?英語を日常的にこなす東南アジアにも後れを取る恐れするある。

 今年1月、ダボス(スイス)の「世界経済フォーラム」に出て、東南アジア、台湾、韓国の青年までもが欧米人と共に分科会のパネリストとしてかっ達に活動している姿を多く目にして、これからの日本企業がアジアの中でも後塵を拝するやも知れぬ可能性におびえた。
 これらの国では自国の有名大学の受験倍率が2~30倍であり、このほかには日本のように数多くの大学がないから、多くの子女は中学・高校の時から外に出て、欧米の大学に進む。中・高生で海外に出れば英語が格段に上達するばかりか、思考回路までが欧米通用型に育つ。
 ダボスから戻って会社の役員会で「来年から外国の大学を卒業したのを採用してくれ」と要求した。上からの画一的教育のもとでプロトタイプに育った一般的な日本の学卒者ばかりでは21世紀への企業の変革はおぼつかない。平均的日本人と思考回路の違う人間、孤独思考タイプの人間、そして英語を日本語ご同様にこなす人間を採ってまぜないと、明日の企業は伸びないと危惧したからである。
 
 <独創性・孤独思考・英語力・・・課題多い>
 最後に、あるコンサルタントからお聞きした話を無断転載させていただく。その人の中学在学のご子息が自分で発意してアメリカに渡り、向こうの学校に入られた。最初、英語の習得から始めたが、3ヶ月で3枚の論文を書きあげるまでになったことに驚かれ、その教育方法をきいてみたら、映画の誤りを全然正さない、文法などお構いなしにただ思考をどんどん展開させることを教え続ける教育の結果とわかった由である。
 さらに、ご子息は神経が太く、日本語で言うズボラの典型と親が自認していたが、その子へのアメリカ人教師の評価は「この子は何でもマジメに完全を期してやりすぎる。これでは疲れるばかりでなく大きな物事が見えなくなる」と言われた由。

 とすれば、偏差値記憶教育の外に出ることを許されずに育った一般の日本の学生はどういうことになるのか?今までのモノ造りに有用だった教育と21世紀型産業に必要な教育の違いがこれほど鮮明に描かれた話も少ないと思う。
 来世紀の産業国家にむけて日本が転換を遂げるためには、教育から企業活動まで、根本的に考え直すことが求められる時代が来ているように見える。
【著者:てんぽうりん・すすむ・・・1929年三重県生まれ。52年東大経済学部卒後、大阪商船入社。三井船舶と合併後、81年取締役。常務、専務、副社長を経て、89年社長。94年6月から会長。経済同友会副代表幹事。】

●(2)平成14年7月21日、読売新聞・WEEKLY コラム

 <名医と学位は無関係>医師・作家(在ボストン)李 啓充

 故岩田猛邦先生は私の研修生時代の恩師である。専門は呼吸器内科だったが、私の知る多くの医師の中でも、岩田先生ほど名医という名がふさわしい医師はいなかった。
 呼吸器内科の医師に要求される最も基本的な技量が胸部エックス線写真を「読む」技量である。岩田先生の「読む」腕は、文字どおり名人技だった。同じエックス線写真を、他の何十人もの医師が見ているのに、先生にしか見えない所見があることはしょっちゅうだった。その後私は研究者の道を進んだが、データを「見ている」ことと「読む」ことの決定的な違いを岩田先生から学んだことが、実験データを「読む」際に大いに役立った。
 
 腕が確かなだけでなく、患者にも優しく接する後ろ姿を見ながら、「岩田先生のようになりたい」と、私を始め多くの研修医があこがれた。岩田先生も若い医師の指導にはとりわけ熱心で、門下に多くの優秀な呼吸器内科医を育てられた。
 そこの病院の呼吸器内科部長のポストが空席になったとき、新部長には岩田先生が最適であることに異論を唱える人はいなかった。が、岩田先生が部長になるためには大きな障害があった。「医学博士の学位がないから」というのだった。先生は臨床の激務をこなすかたわら学位論文を書かなければならなかった。

 私は、医局講座制が日本の医療を歪めている元凶だと何度も書いてきたが、実は医局講座制を主宰する教授の権力を支えているのがこの学位制度なのである。
 日本の大病院のほとんどが学位を部長職の要件にするなど、学位がないと昇進できないという馬鹿げた制度になっている。このため医局員は学位をもらうために教授に逆らえない構造になっているのである。
 多くの教授たちが、研究することが臨床の腕を磨くことにもつながると学位制度の効用を主張する。だが、岩田先生の例でも明らかなように、研究をすることが名医となるための必須要件であるという主張は根拠がないし、逆に、研究者としての私に一番大きな影響を与えたのは、岩田先生の臨床だった。
 私は、医学の基礎研究に意味がないということを言っているのではないし、研究が好きな人は研究に進めばいい。臨床の場で指導的立場に立つことに「研究歴=学位」を要件とするのは意味がないし、そのことが日本の医療を歪めていると言っているのだ。

<文責:藤森弘司>

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