2008年11月15日 第76回「今月の言葉」
「なせばなる」のか!?

●(1)私(藤森)が尊敬する「曽野綾子先生」のすばらしいエッセイを下記の(3)でご紹介します。
 私は、曽野綾子先生の慧眼、物事の本質を鋭い洞察力で読み抜きながら、温かく、行き届いた配慮と筆力に、私はいつも感動しています。
 また、宗教活動の一環なのでしょうか、しばしば外国、特に、最貧国のアフリカの最悪の状況の中に果敢に出かける勇気と体力と、そしてそういう体験に裏打ちされた論理展開の素晴らしさは、名僧・高僧のレベルに到達していらっしゃるように思えてなりません。
 週刊ポストで隔週に書かれているエッセイ以外に、曽野先生の作品や人となりは、ほとんど全く存じ上げていませんが、この週刊ポストのエッセイを何年にも亘って拝読しているだけで、先生の素晴らしさは響いてきます。能力の無い私のグータラな人生でなければ、曽野先生のご著書を全て読破したいほどの誘惑にかられるほどです。

●(2)<2007年11月5日 第64回「認知に歪み(8)」の中の(10)>で紹介していますが、曽野綾子先生は1970年代初めに、沖縄の現地で関係者を徹底取材し、「沖縄の集団自決」について、軍の命令はなかったと証明していらっしゃいます。
 では何故、軍の命令があったなどという問題が起きているのだろうか。それは「軍命令がなかったというと援護法が適用されないので、赤松大尉らに頼んで『命令した』というニセの書類を作らせてもらった」と、2006年に、島の役場の元職員も証言しているような事情からのようです。
 ノーベル賞作家、大江健三郎氏は「集団自決を命じた守備隊長を屠殺者」などと「沖縄ノート」で非難しているようですが、曽野綾子先生の明確な現地取材があるのに、大江氏の説がひっくり返らないのは、ノーベル賞作家の肩書きが影響しているのでしょうか。私(藤森)は、当事者でなく、内容も知らない者の生意気な発言ですが、曽野先生のお人柄や状況証拠を考えても、大江氏の説は間違いであるように思えてなりません。

 さて、そのような曽野先生のすばらしいエッセイをお読みいただいてから、私(藤森)の愚説を紹介させていただきます。

●(3)2008年9月12日、週刊ポスト<昼寝するお化け>曽野綾子著

 「ひねくれ者の夏」

 ひねくれ者の夏は暑い。私は興味の対象が世間の常識とずれていることが多いので、北京オリンピックのテレビ番組はほとんど見なかった。夏の間は、ほんの少しだがやむなく畑の草取りをするのである。すると眼の中に汗が流れ込むほどの暑い思いをする。
 テレビは見なくても、新聞は読むから、ニュースの片々では、中国はオリンピックでは一糸乱れず運営をしているということも知っている。それは喜ぶべきことか、そうでないか、これもなかなか判断が難しいところだ。元々オリンピックは、各都市を代表する個人のスポーツの祭典なのだから、国家の威勢などを全面に打ち出すこと自体がその精神に違反していると言わねばならない。中国は国威発揚にオリンピックを利用した。

 それに最近では、マスゲーム的一糸乱れない人の動きが可能な国は、国家が経済的に貧しいか、恐怖政治で思想を統制している証拠だということになっているのである。だから中国の開会式のアトラクションの整然とした群舞に酔えなかった人もいたらしい。私は見たかったのだが、その時間には昼間の畑仕事にくたびれて眠ってしまったのである。努力をしないものは、チャンスを失って当然だ、ということだ。
 スポーツに興味がないと言うと、無礼だとか、健全ではない、とか言う人もいるが、それは趣味の違いというものだ、と私は思っている。肉体の能力も大切だが、知識を磨くことも同じくらい大切なのだ。私がスポーツを見ないのと同じくらい、スポーツ選手のほとんどは、やはり本など一年に一冊も読んだことはないだろう。だから、その点についてなら、私の方がまだしもスポーツ界について読む機会の方が多い。

 私はスポーツを全面拒否しているのではない。スポーツは下手でもいいからするものであって、見るものではない、と思っているだけなのだ。
 見るスポーツは害の方が多そうに見える。暑くも寒くもない自宅で寝ころがってビールを飲みながら、試合を観戦していることをもってスポーツ愛好と言っていいのか。それでは体は鈍るばかりだ。
 だから素人はすべて体を動かすことに参加して、心身をともに鍛える必要なあるのだが、見るスポーツは全くその目的を満たさない。プロのスポーツは決して健康にいいとは言いえないほど、体を酷使する。短距離もマラソンも、選手が体を痛めつけた結果は、私でも新聞で読んで知っている。
つまりスポーツは、下手でなければ健全ではない、
と私は思う。そして円満な経済生活を果たしながら、片手間にやる時にすばらしいのである。今のオリンピック選手はすべてアマチュアではないと言ってもいいようなスポーツ・オンパレードの暮らしをしているのだから、オリンピックの定義だか規則だかは、この際、全く新しいものに改めて、プロ中のプロを集めるサーカスにした方がいいかもしれない。サーカスなどと言うと怒る人もいるかもしれないが、語源的に言うと、これはラテン語の「円」という意味で、古代ローマで、円形競技場で行なわれた闘技がその元だと卑しめているのではない。

 しかし私が好きではないのは、贔屓が勝てば「やった!」とわがことのように喜ぶ人たちの一部である。親戚の子供が試験に受かったと言って喜ぶのと同じ気持ちならいいのだが、中には、自分もそれによって偉くなったような気分になる人がいるのである。
 北島選手が金メダルを取ったからと言って、北島選手の出身校や自宅のある町までが「鼻が高い」と思うことはないのである。どんなに北島選手が優秀なスポーツマンであっても、それは所詮北島選手だけの才能であって、同窓生や同じ町内の住人とは何の関係もないことだ。しかしそのお祭り騒ぎの気分に乗る人たちが多くいるということの方が困りものである。
 観光バスまでわざわざ遠回りして、彼の自宅を見に押し寄せたり、お祝いを言いに来た客が、家族だか親戚の人だかに祝い酒を飲ませて救急車で入院させるような、およそスポーツ精神とは反対の行動に出ることもないのである。
 スポーツにフアンが多いことはよく理解しているが、それでも世の中はスポーツだけで動いているのではない。スポーツに関して言えば、すべてこの世のものは、好きな人もあれば、嫌いな人もいる、というだけのことだ。

 かつて1964年の東京オリンピックの時、マスコミが熱狂的にもちあげた「なせばなる」という精神がいかに不愉快なものだったかかを私は改めて思い出した。あの悲惨な大東亜戦争が終わって20年も経っていないのに、あの年全マスコミは、金メダルを取った女子バレー・ボールの大松監督の「なせばなる」という言葉をいっせいに褒めそやしたのだ。それに反対の姿勢を示した私のエッセイは、作家によって書かれたオリンピック文集の中に、多分一人だけ載せられなかったのである。もちろんそんなことは大したことではない。しかし人間社会で「なせばなる」が通るなら、それは戦争中に命を賭けて闘った日本人すべてを否定するものだ。そんな非礼はない。それなのにスポーツの世界になると、そんな熱狂が平気で通るのである。

 人間の世界には、どんなになそうとしてもなし得ないことがある。その悲しみを知るのが人間の分際であり、賢さだろう。しかし金メダルを取れば、思い上がりも平気で看過されるとしたら、それは美しくもなく真実でもない。
人間の生涯の勝ち負けは、そんなに単純なものではないのだ。
私たちが体験する人生は、何が勝ちで、何が負けなのか、その時はわからないことだらけだ。数年、数十年が経ってみて、やっとその答えが出るものが多い。その原則を無視するスポーツに、私は基本的にあまり魅力を感じないのである。

 柔道の谷選手にとって銅メダルは「残念なもの」だったらしいが、私から見たら大したものだ。何しろ世界で三番目なのである。私たちはどんなに頑張っても、世界で三番目にランクされる技術を持つことなどできないのである。
 しかし谷選手のこれまでの生活が、それほど偉いとは、私は思わない。母親としての暮らしと厳しい選手としての生活とを同時にやってのけたことは、確かに意志の弱い人にはできないが、その程度の辛い生活に耐えた人は世間にいくらでもいる。谷選手には、その厳しさに華々しく報いられる場があった。しかし年老いてぼけた自分の父母を、何十年も介護し続け、ほとんど自分の人生を犠牲にしながら、誰からも注目もされず、もちろんメダルももらわかなった人の方が、私はずっと偉人だと思うのである。

●(4)実に痛快な文章です。私(藤森)がいくらこのように書いても、ただそれだけのことですが、著名作家の文章となると痛快です。
 さて、スポーツで体を鍛えるという場合、「鍛える」とはどういう意味でしょうか?私はいつもこの言葉から不思議な響きを受けます。
 典型的な例では大相撲です。
 横綱は引退後、還暦を迎えると、赤いフンドシを締めて土俵入りをするそうですが、還暦を迎える横綱が少ないのです。最高に体を鍛えた相撲取りが、還暦を迎えられないほどの短命であるのは、何か不思議な感じがします。ということは、私流に表現すれば、体を鍛えたのではなく、体を「酷使」したのだと思われます。
 400勝投手の金田正一氏は、引退記者会見で、曲がった右腕を見せている写真を新聞で見た記憶があります。おそらく極限まで鍛えた、或いは投げたのでしょう。元西鉄の稲生和久投手も、今、正確な記録がわかりませんが、「その時歴は動いた」で紹介されていましたが、信じられないほどの年間の勝ち星数や日本シリーズでの4連投など、今のプロ野球を考えれば、メチャクチャな(すばらしい)数字が並んでいました。

●(5)長嶋茂雄氏や王貞治氏も大病を患いました。オリンピックで金メダルを取るということは、私(藤森)から見れば、これはもうメチャクチャな練習量です。今は自民党の参議員の橋本聖子氏は現役のころ、男性と一緒にウサギ飛びで階段を上る練習をしているとき、男性の足が痙攣するほどの猛烈な練習をこなしていました。
 水泳では、魚になれといわれるほど、或いは、水の中にいるほうが長いのでないかと言われるほど、猛烈な練習です。北京オリンピックでは、シンクロナイズド・スイミングの選手が失神してプールの底に足がついてしまったほどです。
 マラソンの日本選抜・女子レースで、足が動かなくなり、ゴールまで、何度も何度も倒れては起き上がり、倒れては起き上がり、ご両親、特にお母さんが顔を覆って、レースを見ることができないほどの状況がありました。
 以前のオリンピックで、男子三段跳びだったでしょうか、飛んでいる最中に「疲労骨折」をした外国の選手がいました。パラリンピックの車椅子バスケットも凄いですね。まるで「車椅子格闘技」の雰囲気です。東京オリンピック、銅メダルを獲得した円谷幸吉選手は、その後、自殺しています。
 北京オリンピックのマラソンで、優勝候補が、男女共に練習をしすぎて故障し、オリンピックを棄権しています。
 「健康」という側面から見れば、どうしても不自然で、鍛えるというよりも「酷使」という言葉がピッタリです。やはり曽野綾子先生がおっしゃるように、「下手でなければ健全ではない」と思います。

●(6)それほど超人的な「酷使」に耐えて得た金メダルを、おらが村の誇りだとか、自慢だとか、急にファンになったり、応援したり。そして、万一、メダルを逃すと、ボロクソに言いかねない軽薄さが私たちにないでしょうか?
 曽野綾子先生もおっしゃっていますが、金メダルって、60億人の頂点です。銅メダルでガッカリすることがありますが、世界の三番目です。眼も眩むばかりの凄さです。入賞だって凄いし、オリンピックに出場できることも、考えられないほどの凄さです。何故ならば、その国のナンバーワンが出場できるのでしょうから。
 ということは、日本ならば、1億2千万人のナンバーワンです。特に、柔道などはお家芸などといわれて出場するので、力を出し切ることも難しく感じられます。そうして惨敗した場合の酷評は耐え難いものがあります。

●(7)<<「なせばなる」が通るなら、それは戦争中に命を賭けて闘った日本人すべてを否定するものだ。そんな非礼はない。それなのにスポーツの世界になると、そんな熱狂が平気で通るのである>>

 「なせばなる」とか、「努力は裏切らない」など、うまくいった人の傲慢な言葉がありますが、「努力」のしようがないような立場(身体的、経済的、心理的、家族関係的に)の人もいますし、その人なりにどんなに「努力」しても、この世の中、ならないことのほうが多いはずです。
 なせばなった金メダリストがコーチになったらどうでしょうか?選手がうまく育たなければ、なんと答えるのでしょうか?「努力」が足りないと反省するのでしょうか?
 1つの競技に、金メダルは「1個」しかありません。そうすると、金メダリスト以外の参加した他の選手は「努力」が足りなかったのでしょうか?それとも「努力」が裏切ったのでしょうか?本当に「なせばなる」のでしょうか?これはやはり勝者の驕り以外の何物でもありません。

●(8)さらに、戦争で犠牲になった日本人すべては「努力」が足りなかったのでしょうか?「なそう」とする根性が足りなかったとでもいうのでしょうか?「なせばなる」のであれば、「なそうとする努力が足りなかった」から戦死したことになってしまいます。
 私(藤森)のように、能力が不足していて、若い頃から何をやっても、成果を上げたという記憶が無い人間にとって、「なせばなる」と言われてしまうと、ただ悲惨なだけです。

 例えば、東大に入学した人が「なせばなる」と言ったら、他の全学生はどういうことになるのでしょうか?同様に、ノーベル賞受賞者が「なせばなる」と言ったらどうなるのでしょうか?
 スポーツの世界で、「なせばなる」という熱狂が平気で通ることのおかしさは、何故なのでしょうか?オリンピックに出場する選手達は、一体、どれだけのお金を使うのでしょうか?外国に遠征すれば、飛行機代、宿泊代、監督、コーチ、関係者などを全て総合すると、どれほどの費用を要するのでしょうか?
 ニート選手で金メダルを取ったことで評判を呼んだフェンシングの太田選手の場合、詳しいことは覚えていませんが、ある会社の経営者が中心になって資金を集めて、初めて強化合宿をしたことが今回の成果になったようです。
 北京オリンピックの選手団が帰国しての記者会見で、総監督(?)は、費用のことを発言していたように記憶しています。メダルを多数獲得するためには、かなりの強化合宿などの費用が必要なようで、最近引退したマラソンの金メダリストの高橋尚子氏は「チームQ」を組んで、コマーシャルなどの費用から毎年、1億円をかけていたそうです。
 アテネオリンピックの時だったでしょうか、アフリカの黒人の選手が水泳で、溺れそうになりながらゴールして拍手喝さいを浴びていましたが、まさしく、あれこそが本来のオリンピックの姿ではないでしょうか。
 可能な限りの費用をかけ、限界ギリギリまで肉体を酷使し、極限までの練習をした結果、「なせばなる」だの「努力は裏切らない」などの発言に熱狂するのは、曽野綾子先生流に言えば、その費用を・・・・・・・

 <<年老いてぼけた自分の父母を、何十年も介護し続け、ほとんど自分の人生を犠牲にしながら、誰からも注目もされず、もちろんメダルももらわかなった人の方が、私はずっと偉人だと思うのである。>>

 こういう人たちに、その費用を回せとは言いませんが、こういう人たちが社会の隅でヒッソリと、しかし、健気に生きていることを考慮できるような人間性を身に付けさせることこそが教育だと思います。こういう恵まれない中、必死に生きている人たちを犠牲にしながら、自分たちの潤沢な練習費用(彼らにとっては少ないのでしょうが)や豪華な練習場が用意されていることが分からないおバカさんが、「なせばなる」とか「努力は裏切らない」などと「単細胞」的な発言をするのでしょう。
そういう中、下記の二つの爽やかなお話をご紹介しましょう。

●(9)平成20年9月7日、NHK3、パラリンピックの放送中でのこと

 <アトランタ、シドニーオリンピックで柔道の監督をした山下泰裕氏の発言>

 パラリンピックの選手と初めて合同練習をした。2004年のアテネオリンピックの前に、パラリンピックの選手が筑波大学に練習に来た。その時、井上康生選手が山下氏に、
 「先生、パラリンピックの選手の柔道着が粗末ですね。柔道着が支給されない。オリンピックとパラリンピックとは凄い差があるんですね。可哀そうになりました。私は、自分の費用で、パラリンピックの選手に柔道着をプレゼントしたい。先生、スタンドプレーになるでしょうか」
 その言葉がきっかけで、全日本柔道連盟が、それは連盟がやることだということで、それからは大会のたびに、必要品を支給するようになった。

●(10)平成16年8月24日、日刊ゲンダイ

 <野口小柄(1メートル50)な26歳の知られざる経歴と波乱のマラソン人生とは>

 <兄姉の助言でやっと高校進学>
 野口みずきのこれまでの競技生活は決して順風満帆ではなかった。
 中学時代、三重県大会で上位入賞し、強豪の宇治山田商への入学を周囲に勧められた。
 兄と姉は高校に行かず働いており、両親は「うちは経済力がなかったから」と野口も進学させるつもりはなかったという。熱心に陸上に取り組む野口を思いやった兄姉が「私たちの分まで、みずきを高校に行かせてあげて」と両親に願い出たことで高校進学が認められた。
 宇治山田商では2度のインターハイ出場を果たし、96年アトランタ五輪のマラソン代表に選ばれた真木和にあこがれ99年にワコールへ入社。ところが、その翌年に慕っていた藤田信之監督が会社側と指導方針をめぐって対立、解任された。監督が退社すると野口も後を追った。

 <失業保険で食いつなぎ“貧乏練習”>
 退社後は、同様にワコールを退社した先輩の真木らと5人の共同生活を送ったが、稼ぎはなく、失業保険で食いつなぎながらの“貧乏練習”を続けた。
 5ヶ月の失業生活の後、女子陸上競技を新設したグローバリーに入社。02年の名古屋国際マラソンで初マラソン初優勝を飾った。
 数々の逆境をものともせずに勝ち得た金メダル。野口を見守り続けた周囲の喜びも格別だったはずだ。

<文責:藤森弘司>

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