2007年4月15日第57回「今月の言葉」「教育再生会議」
投稿日 : 2018年3月7日
最終更新日時 : 2018年3月7日
投稿者 : k.fujimori
2007年4月15日 第57回「今月の言葉」
●(1)今年1月の第54回「イジメについて」で、教育再生会議について批判しました。
今回は、下記の(2)フィンランドと、(3)大前研一氏の「ビジネス・ブレークスルー大学院大学」でのすばらしい教育システムをご紹介します。
フィンランドについては、4月7日にテレビでも放映されました。フィンランドは高福祉・高負担国で、消費税は22%、年金や健康保険料などを入れると、合計の負担は66.6%になるそうです。その代わり、義務教育から大学卒業まで、教育費と食費・教科書はすべて無料です。
テレビのコメンテーターの方がたは、人口は日本の北海道程度の500万人、歴史や文化・伝統が違うし、税負担の割合も大分違うので、単純にフィンランドを見習うというわけにはいかないと述べていました。
単純にそのまま比較するのは難しいと言いますが、そういう問題ではなく、フィンランドの教育に関する「精神」は、もっと積極的に学ぶべきであると、私(藤森)は思います。そして、大前研一氏の教育に関しての考え方も、非常に素晴らしいのですが、逆に、日本人の最も苦手とすることのようです。
下記の(3)で、大前氏は・・・・・
<日本の大学の経済学教授は自分の学説を教えているのではなく、サミュエルソン教授の学説を解説しているだけなのだ。そういう講義は社会科学系に多いが、基本的には他の学問も似たり寄ったり。みんな外国から“輸入”した学説を翻訳してそのまま教えるか、複数の学説をモンタージュして解説しているにすぎない。明治以来、日本の大学でオリジナルの学説を展開している教授は、極めて稀なのである。>
と述べていますが、心理学の世界もまったく同じです。しかし「心理学」の世界は、人間の心理や病理・自己成長を扱うだけに、さらに問題が大きいと言わざるを得ません。 大前氏はさらに述べています・・・・・
<サイバー大学の先駆けである「ビジネス・ブレークスルー大学院大学」は、これまでに何度も他の大学から提携を持ちかけられたが、すべて“破談”に終わっている。教授会での議論になると、必ず90%以上のメンバーが頑強に反対するからだ。2~3人の教授が変わりたいと思っても、大多数の教授は変わりたくないのである。つまり、日本の大学は“変われない仕掛け”を持っているのだ。>
私(藤森)は日頃から思っているのですが、「より権威があるところほど、より時代に遅れている」と。 |
●(2)週刊ポスト、2007年3月23日号「池上彰の“Bird’s-eye Worm’s-eye(鳥の目、虫の目)”第42回」より
「学力低下が叫ばれる日本とは正反対!?教育先進国フィンランドを現地取材」
「フィンランド詣で続く」
いま北欧の国フィンランドが注目されています。フィンランドは世界の携帯電話機のシェア3割を誇るノキアの本社があるIT先進国。「ダボス会議」として知られる世界経済フォーラムによる評価で国際競争力世界一を維持しているのですが、いま注目されているのは、その学力水準です。
OECD(経済開発協力機構)が3年に1回実施する「学習到達度調査」(PISA)の2003年調査で、フィンランドが学力世界一の成績を収めたからです。調査は義務教育終了年令の生徒を対象に、「読解力」と「科学的リテラシー(読み解く力)」「数学的リテラシー」、「問題解決能力」の4つの分野について行なわれました。フィンランドは、「読解力」と「科学的リテラシー」で世界一、残り2つの分野でも1位グループに入り、学力世界一と評判になったのです。
ちなみに日本は、3つの分野ではなんとか1位グループに入れたのですが、「読解力」の分野は14位と振るいませんでした。
北欧の人口500万人あまりの小さな国が、経済の国際競争力で世界一を達成できたのは、高学力が理由ではないか。なぜ学力世界一になれたのか。というわけで、学力世界一の「秘密」を探るため、世界各国から教育調査団がフィンランド詣でをしています。とりわけ日本からの視察が多いため、音を上げた(?)フィンランド国家教育委員会は、特に日本人向けのセミナーを実施したほどです。2月に行なわれたこのセミナーに、私も参加しました。 「秘密の第一は信頼だった」
フィンランドの学力世界一の理由は、私の見るところ、「信頼」と「教師」、そして「落ちこぼれを出さないこと」がキーワードです。
まず「信頼」。これは、国家や行政が口を出さず、現場に徹底的に任せることです。日本の文部科学省にあたる教育省は教育予算の獲得の仕事はしますが、教育内容には口を出さず、カリキュラムづくりは、国家教育委員会という専門家集団に任せます。
日本の場合、文部科学省の役人は国家公務員試験の合格者であって、教育の専門家は多くありません。学習指導要領を作成するようなときは専門家を招集しますが、ふだん教育の専門家が関与することはあまりないのです。それどころか安倍内閣の教育再生会議のように、教育現場を知らない人が教育に口を出すことがしばしば起きています。
フィンランドの場合、教育省と国家教育委員会が分かれているため、政治家の口出しは教育省止まりになり、国家教育委員会は純粋に専門家の立場で教育を考えることができる環境が保障されています。
その国家教育委員会は、日本の学習指導要領にあたるカリキュラムを、「国民として修得すべきもの」として作成します。しかし、基準を示すだけで、その具体化は、各県や各市町村、各学校に任せます。
かつて教科書検定も実施していたのですが、廃止してしまいました。教科書は出版社(大手3社)が独自に作り、どの教科書を採用するかは、各学校や個々の先生に任されています。
これほどまで地方に任せていることについて国家教育委員会のキリシ・リンドルース委員長は「現場を信頼することが何より大切なのです」と言い切りました。
日本の教育再生会議は、地方の教育委員会への管理強化を提言しましたが、フィンランドは、地方にすべて任せているのです。
現場への信頼は、とりわけ教師に対して顕著です。学校の校長は、現場の教師の勤務評定をしません。すべて教師を信頼して任せています。なんと、教師は自分の判断で教科書を使わなくてもいいほどなのです。 「第二の秘密は教師だった」
それだけの信頼を寄せられる「教師」が、2つ目のキーワードです。
フィンランドの教師は高い能力が求められ、大学院で修士号を取得しなければ教師になれません。教師になっても、実践的な研修を絶えず受けます。
教師の採用は各学校が独自に行い、校長と地域の父母代表が面接するのです。
面接に合格しても、最初は仮採用。他の教師はひんぱんに研修に行くので、その間に代理で生徒を教えます。この教え方を見て、正式採用するかどうかを決定するのです。これなら、日本でよくある「はずれ先生」はいなくなります。
原則として教師に転勤はありません。いったん採用されると、定年まで同一校で勤務します。「転勤までの辛抱」という姿勢は許されず、教師に逃げ場がない分、教育は腰を据えて真剣勝負になります。
また、校長は30代や40代という若い人が多いのには驚きました。日本のように、教師を長年務めて50代でやっと校長に、というケースはありません。校長は、教師に教育に専念してもらえる環境づくりというマネジメント能力で採用が決まります。教師を管理するという発想はありません。職員会議もほとんどなく、職員室は、先生たちがコーヒーを飲みながら情報を交換する“談話室”でした。
日本の教育再生会議は、「校長の指導力を高めるため」として、校長と教師の間に副校長や主幹職を新設し、管理を強化するように提言しましたが、フィンランドは、教師を管理しないことで高い学力を実現しているのです。
「“落ちこぼれ”を出さない」
キーワードの3つ目は、「落ちこぼれを出さない」ことでした。1クラスの生徒数は20人前後の少人数で、少しでも授業についていけない子がいると、その子だけの補修授業をすぐに設けます。「平等な教育こそ重要」と、リンドルース委員長も強調していました。
それだけ教師の負担は増えますが、生徒ひとりひとりの学力を底上げすることが、学力世界一を達成した理由でもあるようです。
フィンランドは、西のスウェーデン、東のロシアという2つの大国にはさまれ、自国の生き残りに懸命です。独立国家jとして生きていくためには優秀な人材の育成が急務。それには平等な教育を。この明確な国家戦略を実践してきたのです。実はこれは、戦後の日本が目指したことでもありました。フィンランドは、それを愚直に続け、学力世界一を達成したのです。
<いけがみ・あきら・・・1950年長野県生まれ。慶応大学卒業後、73年にNHK入局。報道局社会部記者などを経て、94年から「週刊こどもニュース」のキャスターに。わかりやすく丁寧な解説が人気を集める。05年よりフリージャーナリスト。著書に「そうだったのか!現代史」「ニッポン、ほんとに格差社会?」など多数> |
●(3)週刊ポスト、2007年2月2日号「ビジネス新大陸の歩き方・第103回」(大前研一氏)より
「自分の好きな時間に好きな場所で学ぶサイバー大学に問われる真の教育理念」
前回、日本の大学が少子化問題をクリアするには、大学の数を半減するか、大学を日本人が21世紀のビジネス新大陸に適応していくための実戦的な職業訓練の場に変えて対象年齢を18歳以上の日本人全員に広げるしかない、と述べた。後者の場合は、学生が働きながら学べるように大学をサイバー化しなければならないが、そうなると、キャンパスの概念も一変する。
私が学長を務めているサイバー経営大学院「ビジネス・ブレークスルー(BBT)大学院大学(www.ohmae.ac.jp)」は、インターネットを使った世界初の双方向、かつビデオ・オン・デマンドの「エア・キャンパス(AC)」というシステムを作り上げた。このバーチャル・キャンパスなら、学生は時間も場所もシフトすることができる。また教授とだけではなく、クラスメートとAC上で侃々諤々議論をすることができ、お互いに学び合っている。
さらに、BBTが制作した4500時間の過去の抗議や経営者の話がいつでも見られるエア・サーチというビデオライブラリーもある。ビジネス新大陸時代のサイバー大学は、学生が自分の好きな時間に好きな場所で働きながら学べるようにしなければならないからだ。
日本の大学教育には、もう一つ大きな問題がある。文部科学省に「コンテンツ」という概念がないことだ。だから、たとえば経済原論は、大半の大学がポール・サミュエルソンMIT(マサチューセッツ工科大学)教授の教科書を使っている。
日本の大学の経済学教授は自分の学説を教えているのではなく、サミュエルソン教授の学説を解説しているだけなのだ。そういう講義は社会科学系に多いが、基本的には他の学問も似たり寄ったり。みんな外国から“輸入”した学説を翻訳してそのまま教えるか、複数の学説をモンタージュして解説しているにすぎない。明治以来、日本の大学でオリジナルの学説を展開している教授は、極めて稀なのである。
とくに経済学や経営学の分野では、実際に企業経営に携わった経験のある実務家が教えていないことも問題だ。ちなみに「ビジネス・ブレークスルー大学院大学」の教授陣は、ほとんど全員が実務家である。ビジネスを教えるのだから当然である。
私にいわせれば、大学教育はコンテンツがすべてだ。そして、ベスト・コンテンツは世界に一つか二つしかない。サイバー大学なら、それをダイレクトに学ぶことが可能になる。たとえば経済原論は、もしサミュエルソン教授の教科書を使いたいなら彼が直接教える講義をインターネット上で受けられるようにすればよいのである。
私たちはGE元会長ジャック・ウェルチ氏の直接講義を提供しているが、そのインパクトは計り知れない。そうした時、従来の日本の大学教授は、学生の理解を加速することを手伝う役割になる。いわゆるTA(ティーチング・アシスタント=補助教員)だ。どうせ、これまでも海外の学説を解説していただけだからやることは同じである。
また、最近の日本の大学は知名度の高いタレント教授を増やしているが、私の経験では、そういう人は名前を貸すだけで本当に気持ちを込めて教えない。講義というよりは講演に過ぎない場合が多い。学生にとっては百害あって一利なし、である。
前回も述べたように、これからの少子化時代に日本の大学・大学院が生き残っていく方法は「ビジネス新大陸に適合して高い給料を取れるような能力を身につけるための訓練をする場」に変わり、対象年齢を拡大してサイバー化するしかないわけだが、その場合、既存の組織を温存し、今あるものをお色直しするという発想では絶対に対応できない。
ビジネス新大陸時代のニーズに適応するためには、全く新しい構想の教育機関を、白い画用紙の上にゼロから描いていかねばならないのだ。
「まずは教授会の在り方から変えよ」
ところが、それを日本の大学で実行するのは至難の業である。なぜなら、大学の意思決定機関が教授会だからである。サイバー大学の先駆けである「ビジネス・ブレークスルー大学院大学」は、これまでに何度も他の大学から提携を持ちかけられたが、すべて“破談”に終わっている。教授会での議論になると、必ず90%以上のメンバーが頑強に反対するからだ。2~3人の教授が変わりたいと思っても、大多数の教授は変わりたくないのである。つまり、日本の大学は“変われない仕掛け”を持っているのだ。
では、なぜ今回、25校ものサイバー大学・短大・大学院・大学院大学が文部科学省の認可を受けて07年4月に開校することになったのか?文部科学省が、このままでは日本の高等教育が破綻するという危機感を募らせ、申請を続々と認可し始めたからではないか。
しかし、これは大いに疑問である。現にここ1、2年認可を受けたところのほとんどは1年後に改善警告を受けている。つまり、申請した通りには運営していない、ということである。
重ねていうが、教育は神聖なものであり、こういう人材を育てたい、という強固な理念、哲学、信念がないといけない。だからこそ私自身も学生たちの指導に多くの時間を費やしている。
うちの卒業生には成功してほしいから、言葉の端々に出てくる間違った考え方や曲がった価値観など、世の中に出て失敗の原因となる要素を取り除くことに最も私の時間を割いている。その観点から見ると、教育は他のどんな産業よりも時間がかかる。ファストフードのようにマニュアルで1万人を教えるというわけにはいかないのである。
そういう理念、哲学、信念がなければ、それは教育ではなくビジネスだ。そして、これまでに開校したサイバー大学・大学院や今回認可された25校の中には、ビジネスとして金儲けのために参入してきたとしか思えないところが少なくない。
サイバー大学は何となく儲かりそうだとか、専修学校や予備校が大学を持ったらハクがつくとか、校舎を増築しようと思っていたけれどサイバーなら要らないとか、そういう安易な理由で、どっと参入してきたという感じである。
私の本音としては「教育者でない奴は入ってくるな!」といいたいところだが、文部科学省に対して認可をやめてくれという気はない。教育はそんなに甘いものではないし、学生たちにどこが本物かを嗅ぎ分ける能力はあると思うので、いずれ偽者は淘汰されるに違いないからだ。おそらく、今後乱立するサイバー大学・短大・大学院・大学院大学の大半は、ビジネス新大陸時代の徒花(あだばな)に終わるだろう。
<大前研一氏・・・1943年生まれ。マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社長、本社ディレクター等を経て、94年退社。現在、UCLA政策学部教授、ビジネス・ブレークスルー代表取締役などを務める。著書に「ドットコム仕事術」「日本の真実」他多数。HPはhttp://www.kohmae.com>
<ビジネス新大陸とは・・・ビル・ゲイツ率いるマイクロソフトの「ウィンドーズ」バージョン1が誕生した1985年以降(アフター・ゲイツ=AG)、パソコンとインターネットが急速に普及する中で立ち現われた新しい経済=“見えない大陸”を指す大前氏の造語。従来からある実体経済にとどまらず、ボーダレス経済、マルチプル(倍率)経済を包括する。「新・資本論」(東洋経済新報社)参照> |
●(4)日刊ゲンダイ、平成19年1月20日「“LEC大学”スピード認可に竹中の影」より
「小泉改革特区で発足」
文科省が改善勧告に乗り出す「LEC東京リーガルマインド大学」。まるで大学の体裁をなしていないのに、たった3ヶ月で新設が認められた不自然さ。背後には、前大臣の竹中平蔵(55)の影がちらついている。
LECは04年4月に構造改革特区を利用し、初めて株式会社が開校した大学だ。全国14ヶ所にキャンパスがあり、運営するのは司法書士や公務員など資格試験の予備校を経営する東京リーガルマインド。スタート当初からズサンな実態を指摘する声が学生などから続出していた。
「予備校生と大学生が同じテキストで、一緒の教室。多くの授業はビデオ映像を流すだけ。教員には研究スペースもなく、ほとんどが別の仕事と掛け持ち。ひとりの教員が物理と現代政治を教えるケースもありました」(関係者)
文科省がようやく実地調査に乗り出したのは昨年1月。しかし、改善されたのは「教室の前3列目までを大学生、後列を予備校生に区切った程度」(学生)。今回の勧告処分は遅すぎたくらいだ。
怪しいのは、たった3ヶ月のスピード審査で認可が出たことだ。通常、大学新設の申請は4月末までに提出され、その後、7ヶ月にわたる審議会の審査を経て、認可が下りる。ところが、LECは03年10月末に申請して、翌年2月中旬に認可が出る特例が認められた。
「株式会社の学校経営の解禁初年度で、新制度推進がその理由でした。LECは申請に必要な運動場の確保を倉庫と倉庫に挟まれた猫の額ほどの土地などでごまかしたのに、スピード審査のため、見落とされたのです」(関係者)
こんなデタラメが何故まかり通ったのか。実は、竹中がLEC大学の旗振り役だったのだ。「竹中はLEC校舎で“竹中塾公開講座”と題し、過去5回講演。昨年6月の5回目は反町勝夫学長との対談でした。竹中個人の後援組織“トリガーラボ”もLECと組み、“スーパー公務員養成熟”という講座を開いている。LECのパンフには、“竹中塾開催により、構造改革のさらなる推進を応援します”とあり、相当な熱のあげようです」(政界事情通)
株式会社の学校経営が実現したのは、竹中が中心となってまとめた03年の「骨太の方針」に盛り込まれたためだ。竹中は議員を辞めても、説明責任が残っている。 |
●(5)読売新聞、平成19年2月8日「教育・研究なおざり、自治体に監督責任」(社会部・村井正美)より
「LEC大学に改善勧告」
東京のJR水道橋近くにあるLEC大千代田キャンパス。独立した建物はなく、経営母体の株式会社が全国展開する資格試験対策予備校が入るビルに同居する。
約50人が入る教室では、大学生と予備校生が一緒に授業を受けていた。最前列に大学生向けの専用席こそあるものの、教える人もテキストも同じ。大学の専任教員の多くが予備校生講師を兼務していた。
こうした大学と予備校が混然一体となった状態を、文科省は「大学のあり方としてふさわしくない」と判断。そして、そもそも専任教員の6割が一度も授業を行なっていない点などが大学設置基準などの法令に違反すると認定し、1月25日、学校教育法に基づく改善勧告を発動した。
株式会社による大学設立は2003年、構造改革特区に限って解禁された。その第一号がLEC大で、これまでに計6大学が設立された。
従来、企業が私立学校を運営するには学校法人を作る必要があり、手続きも煩雑だったが、特区制度を利用する株式会社立大学では、そうした手続きを省くことが可能になった。利益を上げるために学生の獲得が重要となる分、「学生のニーズに敏感に対応する教育を提供できる」(デジタルハリウッド大学)というメリットも強調された。
だが、LEC大の実態を見ると、株式会社立大学の「負」の面が表れたと言わざるを得ない。予備校との同一化は、資格取得を目指す学生ニーズを重視するあまり、本来大学に求められる教養教育や研究を軽んじた結果といえる。予備校生と一緒に授業を受けさせたり、教員を配置せずにビデオだけの授業を行なった背景には、効率的な経営を優先する姿勢があった可能性も否定できない。
今回の問題は、特区制度における株式会社立大学のチェックのあり方についても、課題を投げかけている。
この制度は、「地域の特性を生かした教育を行なうために大学が必要」として、自治体が内閣府に申請し構造改革特区になると、株式会社の大学設置が可能になるというもの。特区申請する自治体の責任は重大で、もしも大学の経営が立ち行かなくなれば、学生の受け皿を探すことなどが義務付けられている。
にもかかわらず、LEC大学がキャンパスを作る際に特区申請した千代田区など14自治体のうち、同大の教育が本当に地域の特性に見合ったものかをチェックしたり、授業実態を把握したりしていたところはほとんどない。
大学の設置認可の最終権限は文科省にあるとはいえ、「大学設置の詳しいことはわからない。自治体の権限もはっきりせず、文科省に任せきりだった」という、ある自治体担当者の言葉は、無責任であきれるばかりだ。
さらに、文科省の対応が迅速さに欠けたのではないかとの指摘もある。
LEC大が予備校と一体化していた問題については、04年4月の開校直後から、各方面で言及されており、文科省も同大への定期調査で、この点を繰り返し調べてきた。しかし、大学の新設を容易にした規制緩和によって、大学設置基準などの法令から細かな規定がなくなった結果、LEC大の実態に様々なおかしな点があることはわかっても、具体的にどの法令違反にあたるかを特定することが難しく、改善勧告まで3年近くを費やしてしまった。
文科省には今も、大学設置を望む株式会社数社からの相談が寄せられており、今後、特区制度による株式会社立大学が誕生する可能性はある。しかし、政府は今回の問題などを重く見て、株式会社による学校設立の全国解禁を当面見送る方針を固めている。
大学設置・学校法人審議会委員の北原保雄前筑波大学長は「大学はモノを作るところではない。失敗したからといって簡単にやめられない」と語る。教育は、営利追求という株式会社の物差しで、はかりきれるものではない。そのことを、企業も行政も今一度認識する必要がある。
■すでに設立されている株式会社立大学
①LECリーガルマインド大学、開設年度2004年、特区・千代田区、大阪市、札幌市、横浜市など計14自治体
②デジタルハリウッド大学、 〃 2004年、特区・千代田区、大阪市、八王子市
③ビジネス・ブレークスルー大学院大学、05年、特区・千代田区
④グロービス経営大学院大学、 、06年、特区・千代田区、大阪市
⑤日本教育大学院大学、 、06年、特区・千代田区
⑥LCA大学院大学、 、06年、特区・大阪市 |
●(6)日刊ゲンダイ、平成19年3月3日「学生の過半数は職員」より
「特区認可の大原大学院大」
小泉ー竹中構造改革特区で認められた大学・大学院のデタラメがまた発覚した。06年4月に設立された「大原大学院大」(東京・千代田区)の学生の過半数が、職員だったことが文科省の調査で分かった。
同大学院は簿記専門学校などを展開する「大原学園」が特区の認可を受けて設立。会計専門職の養成を掲げて入学者を募集したが、26人の定員が埋まらなかったため、学園内の職員から希望者を募り、16人を入学させたという。その際、学費は一般学生より50万円安い年間120万円としていた。
また授業の出席回数が半分にも満たない学生も5割以上いて、そのほとんどが職員だった。
今回の調査ではほかにも03年度以降に開設された502大学のうち計34校に対し改善項目が指摘された。特に株式会社設立の「デジタルハリウッド大」は要注意の「留意事項」が付された。 |
<文責:藤森弘司>
言葉TOPへ
最近のコメント