2007年10月15日 第63回「今月の言葉」
「病気」と「自己成長反応」について

●(1)前回の第62回、「今月の言葉」「瞑眩(めんげん)・治癒反応・自己成長反応」の続きです(第46回「危機と自己成長」は、今回のことを理解するのに参考になります)。
「自己成長反応」について説明する前に、「病気」とは何か?これについて説明します。
恐らく、一般に「病気」とは、「嫌なもの」、「治療すべきこと」、「避けるべきこと」などのような意味に受け止められていることと思われます。しかし、本当は逆で、「病気」とは、「良いもの」、「大切にすべきもの」す。
●(2)では、「病気」とは何でしょうか?
ここで「病気」というものを、一般にいうところの「病気」に限定せずに、種々様々な「症状」のすべてを「代表」するものとします。
では「種々様々な症状」とは何か?
私たちはストレスを受けると、それを可能な限り抑圧して、潜在意識の中に溜め込み、ストレスを感じないようにします。しかし、そのストレスを抱えきれなくなると、満杯になったダムが水を放出するように、無意識界からストレスという「邪気」が溢れ出ます。その溢れ出た「邪気」は、以下の三つの形を伴って「症状化」されます。
①身体的な症状・・・一般に西洋医学が扱う「種々様々な病気」
②心理的な症状・・・一般に精神科、神経科、心療内科、カウンセラーなどが扱う症状です。日常生活は普通に行なわれているが、夫婦仲が非常に悪いなども含まれます。
③行動化・・・・・・・・非行や暴走族的な行動などに現われる症状で、一般にカウンセラーや警察関係者が扱うもの。
 「種々様々な症状」とは、以上の三分野に現われる全ての「症状」を意味します。
そこでここでは便宜的に、「病気」とは、上記の①②③の全てを含むことにします。

●(3)例えば、会社での人間関係に疲れて「胃潰瘍という病気」になったとします。そうすると、この人は、人間関係に疲れて、ストレスの限界に達した結果、そのストレスという「邪気」を、無意識的に、「胃潰瘍」というに形に「症状化」して放出したと理解します。
 では何故、その人は、会社の人間関係に疲れたことで「胃潰瘍という病気」になったのでしょうか?極端な例を除いて、「そのような状況」は、誰にでも遭遇する可能性があるのではないでしょうか?少なくても、同じ会社に在籍する人ならば、似たような人間関係を、多くの人が体験しているのではないでしょうか?また、仮に、その人が、上司から「イジメ」を受けていたとします。そうであるならば、何故、その人が「イジメ」を受けたのでしょうか?
 ここに、その人の生き方、人間関係の作り方の「上手でない性格傾向」があることがわかります。そういう場面での対処方法の未熟さがストレスを溜め込み、そして、そのストレスという「邪気」をうまく処理できず、やがて「病気」という形で放出された、つまり「症状化」されたということがわかります。そして、その症状が「胃潰瘍」であったり、「ウツ」であったりします。

●(4)さて、それでは、多くの人が同様の体験をしているであろう場面で、何故、その人は「胃潰瘍」になったり、「ウツ」になったりするのでしょうか?
一般に、「症状は疾病」であるといわれています。つまり「症状は病気」であると。そのために「病気」は良くないものとして扱われます。
しかし実は「症状は療法」(医聖ヒポクラテス)なのです。「症状が疾病
である」と理解されれば、当然、「病気」は良くないものになりますから、上記の①②③の専門家は、その症状を治療しようとしますが、「症状が療法である」ならば、「症状」を治療することは、完全に間違っていることになります。

●(5)例えば、「不登校」の子どもがいるとします。「症状が疾病であるならば、「症状」を治療することは正しいことですから、不登校の子どもを、何とか学校に通わせようと努力する専門家は正しいことになります。
しかし「症状が療法」であるならば、その「症状」は、何かを治療しようとしていることになります。風邪をひいて、熱が出るという「症状」が出た場合、それはウィルスを退治するための「発熱」であることは、多くの方がご存知でしょう。ですから、無闇に熱を下げる薬を服用しないことは、かなり常識だと思われます。
そうであるならば、「不登校」の子どもをなんとか「登校」させようとすることは、完全に間違っていることになります。最近は、学校関係者にも経験則で、「登校刺激」を出さない、つまり学校に行かせようとしないことは、かなり理解されてきましたが、それは一体何故なのか、それでは一体どうしたら良いのか、ということが全く理解されていません。
恐らく、「症状(不登校)は疾病」であるが、学校に行かせようとする「登校刺激」は逆効果であることがわかったので、「登校刺激」は出さないことにしたが、それに代わる方法がわからず、手探り中であろうと思われます。
「不登校という症状が療法」であるという発想は、多分、皆無であろうと思われます。

●(6)話を広げると、説明が難しくなりますので、例を「胃潰瘍」「ウツ」に限定してみます。
まず「胃潰瘍」ですが、先ほどの例であるならば、確かに職場にはストレスが多いですが、同様の環境で、多くの人が仕事をしています。その環境の中で、何故、その人は「胃潰瘍」になったのでしょうか?
「胃潰瘍」を抱えていらっしゃるクライエントの方を十分に対応していくうちに、ある状況の中で、その人固有の反応をしていることがわかってきます。そして、「その人固有の反応パターン(クセ)」が、どうやら「胃潰瘍の原因」らしいということが分かってきます。
そのように考えてみますと、「その人固有の反応パターン(クセ)」は、それ以前の人生の中で身につけてきたことがわかってきます。そうすると、極端な場合を除いて、その職場が唯一最大の問題ではないということに気がつきます。●(7)それ以前に体得したそのクセは、そのクセを体得したときの環境に「うまく
適応するために体得したもの」ですから、そのときの環境には、大変「有効」だったはずです。その反応パターンが有効だと思うからこそ、その人は、その「クセ」を継続して活用します。
しかし、その環境の中では有効であっても、環境が変わった「場所」でそのクセを使っても、当然、そのクセは、新しい環境にうまく適応できませんので、毎日がストレッスフルになり、溜め込んだストレス(邪気)はやがて満杯になり、溢れ出して「(胃潰瘍に)症状化」したのです。
喩えて言えば、帰国子女が日本の生活習慣とかなり違う積極的な対応をして、学校でイジメに会い、体調を崩すのに似ています。例えば、アメリカで生活してきた帰国子女は、アメリカでは当然の行動であったために、それと同じ行動を取っているだけなのに、それが日本では目立ちすぎてイジメに遭ってしまいます。
アメリカでは、足をイスやテーブルに乗せて会話しても問題ありませんが、日本ではヒンシュクを買ってしまいます。それでも何がヒンシュクを買っているのか分からなければ、やがてその人は病気になってしまうでしょう。やはり日本では、テーブルに足を乗せずに会話すべきで、日本では、この姿勢、態度は間違っていることに気付き、それを変えることが大切です。
「胃潰瘍」になったクライエントの方は、まさにこれと同様です。
今までの環境(上記の例では、アメリカ)ではオーケーだったのに、今の職場(日本の学校)では、それがどうもよろしくない(イジメに遭ってしまう)。しかし、本人は、何が悪いのか分かりません。もがけばもがくほど、悪循環になってしまいます。
例えば、上司に叱られるから、休日も返上して仕事をするというようなことになりかねません。売上が悪いと、人の何倍も責任を感じ、体を壊してもガンバってしまう。やがて、家庭はおかしくなるし、自分の体は疲労困憊するし、それでいて、評価は少しも高くならない。やがて体のどこかがパンクしてもおかしくはありません。そういう経過の中で現われたひとつの症状が「胃潰瘍」です。

●(8)そこで、種々様々な技法を駆使して、今の状況にうまく適応できる「新たな反応パターン」を体得する練習をすることになります。
 「新たな反応パターン」を練習していると、やがて、状況に対しての「自分の価値観・考え方」がおかしいことに気付きます。「認知療法」では、これを「認知の歪(ゆが)み」といいます(12月より、心理学の「認知の歪み」を始め、本格的な心理学の解説を長期にわたりお届けします)。
 「A」という状況では妥当な判断であっても、「B」という状況では違う判断をする必要があるはずです。偶然に同じということはあるでしょうが、本来は、禅でいう「是々非々」、つまりその場、その場で、適切な判断をすべきであるのに、状況が違っても、いつも同じ判断をしていることが分かってきます。或いは、昔はよれでも良かったが、今の職場で、そのような反応をすることは、状況的に妥当でないことがわかってきます。

●(9)このように「是々非々」の対応が少しでもできるようになると、人間的に成長してきている、自分の人間的な固さ、融通のきかなさが、以前よりも柔軟になってきていることが感じられてきます。
 職場の問題から「胃潰瘍」になったと思っていたことだったが、人間的な変化・成長をすることで、家族関係も改善されるし、生きる意欲も高まってきます。そうやってすこしずつ、この新たな「反応パターン・柔軟性」を身につけていきますと、かなり早期の段階で「胃潰瘍」は自然消滅します。少なくても、大した問題ではなくなってきます。
 つまり「胃潰瘍」は、現在の環境や状況に相応しくない「反応パターンのクセ」、「認知の歪み」があることを教えてくれる

 「重要なサイン」だったわけです。そのサインの意味を解読して、サインが教えてくれていることの「目的」を達成すれば、胃潰瘍になる意味が消滅するのですから、治るわけです。

●(10)ということは、単に薬や手術で「胃潰瘍」のみを治してしまったならば、人生の生き方のまずさを「修正する絶好の機会(チャンス)を失うことになります。そうすると「胃潰瘍」はひとまず消えたかもしれませんが、生涯、ずっと、「人間関係のまずさ(歪み)」を修正することなく、「生きにくさ」、「人生の辛さや重苦しさ」を抱えながら生き続けることになります。ですから、こういう対応は「対症療法」といわれ、病気は「疾病」、つまり悪いものであるということになります。
しかし、「胃潰瘍」が、その人に、「生きかたの拙さ」を教えてくれていることに気付いて、「拙い生き方のクセ」の修正に取り組んだならば、その後の人生がどれほど「生きやすく」なるでしょうか!!!
その莫大な財産を手に入れるために、「逆恨み」されてまで、体は「胃潰瘍」になって、教えてくれていたことがわかります。そうであるならば、「病気」は悪いものではなくて、「病気」は、実にすばらしいことを教えてくれていたことになります。「病気」のお陰で、すばらしい成長ができたことに気づくはずです。
ですから、(1)で述べたように、「病気」とは、その人がさらに成長して、人生をより良く生きられるように導いてくれる、とても「良いもの」「大切にすべきもの」であるということになります。ここのところは、もっともっと説明したいのですが、いずれまた、機会があるときに、さらに詳しく説明したいと思います。<なかなかうまく説明できない不全感があります。わかりにくいでしょうか?さらに詳しく説明したいのですが、くどすぎるようにも思えてしまいます。この辺りでいいかなと思うと、今度は、逆に説明不足のようにも思えて、自分の学者的能力不足を嘆いています。今後、いろいろな形で補っていきたいと思います>

●(11)さて、いよいよ本題に入ります。本題の「自己成長反応」を説明するのに、一番、「ウツ」が分かりやすいので、「ウツ」の例で説明します。
「ウツ」の問題に対応してきますと、「ウツ」の奥底に、巨大な怒りが存在していることが分かってきます。この怒りに気付き、怒りの発散に取り組み始めると、周囲の人に対して、やたらと怒りっぽくなります。人間関係としては、大変、まずい状況になります。専門家としては、可能な限りコントロールをしながら、慎重に進めることは当然のことですが、それでも、洪水が堤防を決壊させるのと同様に、いろいろなところで怒りが放出されてしまいます。また本人は、今まで「いい子」で通ってきたのに、怒りっぽくなって怒りを出してしまうことに「罪悪感」や「自己嫌悪」を感じてしまい、苦しみます。

 まさに、これこそが「メンゲン」や「治癒反応」で説明された不快なできごとですが、自己成長をするためには絶対に通らねばならない場所です。そしてこれが、私が提唱する心理的な分野における「自己成長反応」です。
 ですからその意味するところは、前回に説明した漢方の分野の「メンゲン」や西洋医学の分野の「治癒反応」と全く同じで、広い意味での「心理学・精神世界の分野の反応」としての「自己成長反応」です。

●(12)ここでもう一度、前回の「メンゲン」の定義をご紹介します。
 「瞑眩(めんげん)」は、服薬後に現われる悪心、頭がクラクラする、胸が苦しくなるなどの反応で、「薬を服して瞑眩せざれば、その疾病いえず」(中国漢方医語辞典)
「服薬後に現われる悪心、頭がクラクラする、胸が苦しくなるなどの反応」と同様に、「自己成長」を図る上で、本当の自己成長が始まると、必ず、周囲との不適応が起きます。これは自己成長をする上で、必ず起きることであることを理解して、そこのところを通り抜けるまで、十分にクライエントの方をサポートできることが重要です。これは理屈を越えたことで、心理学の本をいくら読んでもわかることではありません。実際に自分が体験し、体得していないと、十分なサポートはできません。ましてや、私が提唱する「自己成長反応」が出ない対応は、全く、心理的な対応(一般にカウンセリングといわれるものや、精神科、心療内科など)としては
問題外ということになります。

●(13)それでは、何故、「自己成長反応」が起きるのでしょうか?
それは、実は、今まで「潜伏」していたものなのです。「潜伏」していたものが「表面化」した結果です。喩えて言いますと、毒饅頭を食べて、その毒が胃袋にあって、ムカムカしながら生きてきた人が、ある日、胃袋にある「毒」を吐き出して、カーペットを汚すようなものです。いくら高級なカーペットであっても、毒を吐き出して楽になったほうが良いでしょう。高級なカーペットを汚してはいけないと思い、ムカムカしながら、胃袋にある毒を抱えているほうが、周囲の評価は高いのですが、それでは自分の人生が辛く、重苦しいです。
 つまり、周囲の高い(?)評価を守ることで、自己を犠牲にしていたのですが、そのおかしさに気付き始めれば、他人の評価よりも、自分の人生を大切にしたくなるのは当然のことです。

 私は、「漢方」も「西洋医学」も素人です。素人の妄想で述べるならば、「漢方のメンゲン」も「西洋医学の治癒反応」も、「潜伏」していたものが表面化したものだと推測しています。
 少なくても、「自己成長反応」は、潜伏していたものが「表面化」したものです。ですから「自己成長反応」は起きなければいけないし、起きることが正しい対応をしていることになります。<これらのメカニズムを、さらに詳しく知りたい方は、メールをください。一般にオープンにするには、若干、差しさわりがあり、表現を抑えていますので、個人的にお尋ねくだされば、いくらでも詳しくお教えいたします>

<文責:藤森弘司>

言葉TOPへ