2006年9月15日 第50回「今月の言葉」
「実感の影」について

<「実感の影」についての解説>自己回復総研資料F-0201
■私たちは、誕生以来、日々、時々刻々に、色々な刺激に対して「実感」を感じています。

●その「実感」についての反応を、主として両親に、そのまま受け入れてもらえれば、その刺激に対して、正しい「実感」を感じて成長します。
 例えばオムツが濡れたり、お腹が空いて、泣いたり暴れたりして要求を出すときに、それに気づいた親が、可能な限り速やかに、要求を満たしたならば、その後も、この乳児は、オムツが濡れたり、お腹が空いたりしたときに、その不快感を「実感」としてそのまま感じられる人間として成長します。

●ところが多くの場合、私たちが乳幼児の時の両親の状態は、忙しかったり、疲れていたり、病弱であったり、経済的に困窮していたり、夫婦の関係がよくなかったりして、ストレッスフルな状態にあるものです。
 乳幼児というものは、言語表現がほとんどできない上に、要求過剰であり、かつ、猛烈に自己中心的です。親がどんなに過酷な状態であったとしても、一切お構いなく、過剰な要求をドンドン出してきます。
 親がどんなに快適な状態にあったとしても十分に満たすことが困難なほど、過大な要求を自己中心的に出してきます。
 ましてや上記のように、親自身がストレッスフルな状態であれば、乳幼児の要求をまともに満たすことは、ほとんど不可能になります。
 オムツがいくら濡れてもそのままであったり、空腹がなかなか満たされない場合、オムツが濡れている不快感や空腹感は適切に感じられなくなってしまいます。

●また、両親がいつもいがみ合っていたならば、家の中の凍ったような空気や、怒鳴りあったり、物が壊れる音の怖さに対して、「実感」する感覚が鈍くなったり、感覚しなくなったりしても不思議ではありません。
 また、乳幼児が一人寂しく放置されることが多ければ、寂しい「実感」が感じられない人間になってしまいます。

それでは本来の「実感」が「抑圧」され、正しく感覚されない「刺激」に対して、私たちはどのように「反応」するのでしょうか?それが上記の図です。
 その場その場で感じられるはずの正しい「実感」、本来の「実感」は「抑圧」されますので、刺激に対して、上記のように「歪んだ反応」をするようになります。

●「本来の実感」は、その家庭固有の育児環境にふさわしい歪み方をして、それが自分の「正しい実感」に対する「反応」であると錯覚して、自分自身を「正当化」するようになります。
 下水道の管が詰まったときに、中の水がどこかに溢れ出るように、抑圧された「実感」は、何かの形に変形して表面化します。その主なものを表わしたのが上記の図です。私(藤森)が個人の方の「自己成長」のお世話をさせていただいたり、自分自身の体験を踏まえて、大体、こんなものでいいのではないかと考えています。

 以下、それぞれの解説をします。
(1)<「行動化」とは何か?>
 多くの「実感」の中で、両親に最も受け入れてもらいにくい感情は「怒り」です。乳幼児の頃は、「怒り」を感じると、直接的に表出します。例えば、面白くないことがあれば、哺乳瓶やオモチャを放り投げます。要求が通るまで泣き続けたり、バタバタ騒いだり、しばしば、手のつけられない状態になります。
 それらの「怒りの放出」を、いつも適切に、愛情深く受け止めることは、ほとんど不可能であるといっても過言ではありません。さらに、多忙であったり、ストレッスフルな状態であれば、逆に親の側が「カンシャク」を起こしても不思議ではありません。
 その上に、両親自身が、自分の両親に、このような感情を適切に受け入れてもらえていないはずですから、自分の子どもの「怒りの放出」を適切に受け入れることは、不可能であるといって差し支えありません。
 そういう「怒りの感情」を強く「抑圧」しなければならない状態が長期に継続したならば、「怒りのエネルギー(感覚)」は、「右脳」から「脳梁(のうりょう)」を通って「左脳」へ渡らなくなってしまいます。いくら配達しても受け取ってもらえない郵便物は、やがて配達されなくなるように。
 その「怒りのエネルギー(感覚)」が暴発して、例えば、テーブルを引っくり返すような態度を取ったり、イジメや非行や暴力などの形で放出されるとき、それらを「行動化」と言います。

(2)<「身体化」とは何か?>
 一般に言われる西洋医学的な対応が必要な病気を言います。何らかの感情を抑圧していて、つまりストレッスフルな状態が限界点に達したときに、西洋医学的な治療を必要とする形で、抑圧しているエネルギーが「体」に放出されるとき、それを「身体化」と言います。いわゆる「病気」といわれるものです。

(3)<「知性化」とは何か?>
 「怒り」の感情を「知性」や「教養」などのエネルギーに転化することです。正常な「知性」は聞いていても自然ですが、「知性化」の知性は不自然です。何があっても理論・理屈をいう。どんなことにも自己主張し、自分の考えを曲げない。「意固地」的であり、また、いろいろなことをわかったようなフリをして、実は、なかなか「納得」せずに、自分の考えを死守する。多くの場合、その奥に「怒り」を内包しています。
 怒りを中心とした「感情」を、感情として放出せずに、感情のエネルギーを「理論武装化」するエネルギーに転化。議論のための議論的。
 「知性化」された理論は、冷静に聞いていると「矛盾」することが多いものです。

(4)<「認知の歪み」とは何か?>
 昔は、戦争や疫病や食糧事情などで、一家に一人くらいの割りで亡くなる人がいたものです。一人の子どもを育て上げることは非常に大変でした。そのために親は、子供の命を一番大切にしていました。
 ところが特に現代日本は、命よりも「学歴」や「成績」や「ファッション」などの、本来は優先順位の低いものが命よりも上位にくるようになってしまいました。それが最近のマスコミを賑わす事件です。これらはまさに「認知の歪み」つまり「認識の間違い」「価値観の歪み」です。
 門限にうるさい父親が、門限に遅れた娘を厳しく叱る場合、親は「愛」だと思っているが、娘はガンコでひどい親だと思うでしょう。娘が家出をしたくなるほどの厳しさが「愛」だというのは「認知の歪み」です。
 「~すべきだ」というのも、かなり「認知の歪み」が多いものです。ほとんどの場合は、「~すべき」ではないものです。「~しても良いし、~しなくても良い」ものです。
 以前、新聞に投書されていました。
 ある父親が「無遅刻・無欠勤」を続けるために、子どもの運動会も授業参観も、そして結婚式も出なかったそうです。これも「認知の歪み」です。この方は、無遅刻・無欠勤を「続けるべき」だと認識していたのでしょう。「無欠勤」を中止して、授業参観しても良いのではないでしょうか・
 私たちの日常は、ほとんど、と言っても良いくらいに、「認知の歪み」が溢れています。これの反対が、禅でいう「是々非々(ぜぜひひ)」です。

(5)<「イメージ(精神化)」とは何か?>
 「イメージ(精神化)」と表現したかったのですが、パソコンの図形がうまく作成できないために「イメージ」だけになりました。
 「イメージ(精神化)」とは、「身体化」の反対で、ストレッスフルなエネルギーが心理・精神的な分野に放出されることを意味します。一般に西洋医学では「精神科」「神経科」「心療内科」が主として対応する病気であり、あるいはカウンセラーと呼ばれる人たちが担当する分野です。「ウツ」「不安」「パニック症候群」などです。

(6)<「フェルトセンス(感じられた感覚)」とは何か?>
 これは「フォーカシング(焦点づけ)」といわれる「心理学」「心理療法」の一つです。
 (5)の「イメージ(精神化)」とほとんど同じかもしれませんが、バランス的にあえて加えてみました。何か気になること、何か引っかかることがよくあります。(5)の「イメージ(精神化)」ほどではないのですが、何か引っかかるようなことがよくあるとでも言いましょうか?
 もしかしたら、オカルトやカルト、あるいは迷信的なものや、「星占い」や「手相」「姓名判断」「血液型」等々に強く引かれるタイプは、もしかしたら(6)に相当するのかもしれません。
 いわれなき物事に強く引かれて、余り、疑いを持たないタイプも、この(6)に相当するのかもしれません。合理的な根拠がなくても強く信じてしまう。
 「オレおれ詐欺」に引っかかったり、マルチ商法に引っかかるのも、このタイプに相当するのかもしれません。

●私たちは皆、その家庭固有の歪んだ育児環境の中で育ちますので、正しく「実感」を感覚する能力が「欠如」しているものです。そういう育児環境で育った「未熟な私たち」が育児をするのですから、育児環境がさらに悪化することを率直に認識することこそが、逆説的ですが、よりよい育児環境を作ります。
 良い環境で育てている、自分はまともに育てているという認識こそが、実は、劣悪な環境を作っているものです。それが現在の、マスコミを賑わす様々な事件です。
 「浄土真宗」でいう「二種深信(にしゅじんしん)」(第3回「今月の言葉」ご参照)です。未熟な自分に気づくことこそが肝心で、これが「謙虚」です。うまく育児をしているというのは「傲慢」さの現われです。
 (6)で述べましたように、合理的な根拠がないのに、自分はそれなりにうまく「育児」をしているというのは「傲慢さ」の表われです。一生懸命には育てたかもしれませんが、うまく育てたというのは、あまりにも現状を知らなさ過ぎるものです。
 自分は「未熟」な人間であることを認識している人、より良い環境で育児をして上げられなかった「悔い」を感じられる親にこそ、より素直な子どもが育つのではないでしょうか。

●さて、なかなか適切に表現できず、アップロードが遅れてしまいました。次号<「実感の影」と「影の引き戻し」>で、補足も含めて、さらに詳しく解説させていただきます。

<文責:藤森弘司>

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