2006年12月15日 第53回「今月の言葉」
認知の歪み(1)

●(1)結論から言いますと、私(藤森)は、ネガティブな感情・・・つまり、不快に感じるほとんど全ての感情は、「認知の歪み」からきていると思っています。
 
●(2)「認知の歪み(ゆがみ)」は、「認知療法」の中の重要な心理学用語です。
 大地震や交通事故、極端な場合には戦争などがありますので、このような非日常的なことを除くと、日常的に味わうほとんど全ての「不快な感情」は、「認知の歪み」であると、私は思っています。
 わかりやすくするために、多少、大げさに表現していますが、でも、私の実感としては、日常的に味わう多くの「不快な感情」は、「認知の歪み」であると思っています。
 心理学でいう「認知の歪み」とは若干、意味合いが違いますが、世の中、「認知の歪み」が溢れているのに驚いています。心理学の専門用語である「認知の歪み」を単純化して、「認識の歪み」「間違い」「思い違い」「取り違え」「勘違い」「理解不足」「価値観の違い」等などを含んだ意味として、これから色々な事例をシリーズで紹介していきたいと思います。
 心理学である「認知療法」の中の「認知の歪み」は、シリーズを数回続けた後の最終回に詳しく説明します。

●(3)私(藤森)は、あまり本を読まず、勉強とか研究とかいわれるものもあまりしない人間であることは、このホームページの中でも、しばしば述べています。このことをなかなか周囲の人に信じてもらえないのですが、私は、心理学の世界における職人的な人間です。
 情報として仕入れたものを、未熟な自分が、いかに「こなせるようになる」か、日常の中で、自らをチェックすることを中心に考える、心理学の世界では化石的に珍しい人間です。
 そのために、情報に詳しくなく、しかも、自分の得意な部分のはずの心理学でさえも、「定義」的にシッカリ判っていないことが多く、その点では、恥ずかしい人間です。議論などをしたとき、セミプロや一般の方のほうがよほど詳しい事があって、内心、ギョッとすることがあります。
 長年、ご指導いただいた先生で、ある意味で私を一番よく知ってくださっている方でさえ、私が本をたくさん読んでいると思われていて、ビックリしたことがあります。
 このようにあまり勉強をしない、いわゆる頭が悪い人間であることを、自分自身で力説するのもおかしな話です。本をたくさん読んでいると思われているほうが都合が良い面もありますので、それはそれとして・・・でも、やはりあまり本を読んでいません。

●(4)何故、こんなことをわざわざ力説するのかといいますと、
(a)本をあまり読まない私が読む本の中に、世に広まっている理解、解釈がいかにおかしいか、あるいは間違っているかを示していることが多いのに、私は驚いているからです。
 私がたくさん読んでいて、その中の一部に、そういうものがあったというのならばわかりますが、あまり読まない本などの中に、世に伝わっている認識の間違いを述べていることが多いのに、私は正直、驚いています。私が偶然、そういう本などにめぐり合っているのか、それとも世の中に伝わる情報に、私のいう「認知の歪み」が多いからなのでしょう?
(b)本などの資料をあまり読まないことは、私の恥ずかしい部分ではありますが、たくさん読んでいると誤解されていることもまさに、今回のテーマである「認知の歪み」であるからです。
 心理学の正式な「認知の歪み」の解説をする前に、世の中の「認識が間違っている」「誤解されている」幾つか、驚くべきことを、これから数回にわたって、シリーズでお送りしてみたいと思います。

●(5)第52回「今月の映画」、「地下鉄に乗って」でご紹介した、故・後藤田正晴氏の新聞の記事を、まずは再録します。

 読売新聞、平成10年11月3日<「ひとり語り」後藤田正晴さん>より(元官房長官・故人)
 僕はかつて、悪の権化のように言われたことがあります。ところが、今ではいい者の典型のように言われます。けれども、僕自身の本質は何も変わってはいません。

 僕は最近、ある書物(「情と理」講談社刊)を出版しました。僕のこれまでの歩みを口述記録したものです。その時に、つくづく感じましたが、同じものを見ても、見る立場が違えば、まるっきり違った形に見えます。しかし、そのもの自身は何一つ変わっていません。そういうことを感じた時に、僕は自分で歴史を口述しながら、歴史というものに真実はあるのだろうか、と思いました。
 僕自身は役人の場では26年のうち18年が警察、8年が内閣や自治省などで過ごしました。軍人が6年です。役人時代はなんと言われたか。政治の場に入って何と言われたか。
 役人時代はこれぐらい窮屈な厳しい男はなかったというのが評価です。役人としての人生は比較的恵まれていましたね。

 ところが政治の場に出てね、20年やったんですよ。そのうちの三分の一がねえ。これはまあ、悪の権化ですね。最初の昭和49年の参院選で落選しましたが、選挙違反者が多数、出ました。次の昭和51年の衆院選では、その直前にロッキード・スキャンダルに絡んで僕の名前が出ました。
 僕は何もしていない。間違いであるが、それが原因で落選したとなれば、これはぬれぎぬを着せられたまま消えていくことになる。僕にとっては人間の尊厳をかけた選挙でした。必死でした。
 政治の場に入る直前にそういうことがあったわけですが、3年目に自治大臣になりました。当選2回で。比較的早い方でしたが、悪者でねえ、国会でも随分、厳しい攻撃を受けました。
 だんだん、それがねえ、真ん中の三分の一時代に入ってくるにしたがって、少し、評価が変わってきました、これが違うというふうに、確かに。それで最後の三分の一になると、これはまあ大変いい政治家だということになっちゃったんです。ところがね、僕自身は役人の時からも政治家になっても一つも変わっていません。自分自身は何も。
 僕は合理主義者で同時に合法主義者です。極端な右、左は僕は絶対にきらいなんだ。排斥します。そういう中からいつもバランスを考えます。ところが、世間の批評と言うのはまるきり極端なんです。まさに虚像だ。

 それぐらい、歴史の見方というのは難しい。特に、今ある人の人物評と言うのは、これくらい難しいものはない。しかし、その逆の評価を受けたまま、それをぬぐい去ることができずに、志半ばで去っていった人もいるでしょう。さぞかし、無念だったろうと思います。
 僕の人生というのは、役人、軍人、政治と移りましたが、半世紀以上、公的な仕事ばかりに携わってきました。役人から政治の場に進み、大きく変わったことが一つあります。それは世の中を見る目です。選挙を戦って、暮らしの中に目線を置いて見ると、世の中が今まで見た世の中とはまるきり違いました。役人時代に見ていた世間というのは、役所という一つきりの窓からだけ見えていた世間なんです。<後略>

●(6)夕刊フジ、平成18年2月15日「井沢元彦の再発掘、戦国編“人物日本史”(第83回)」<東大は前田家に逆らえない>より
 しかし、いくら「太閤記」から「前田利家の裏切り」の事実が抹殺されていたとしても、明治になってからは研究が自由になったから、ウソはバレたのではないか、と考える人もいるだろう。
 だがバレない。その理由は、日本の歴史学の基礎を作ったのは東京帝国大学だからだ。「東大」だからダメなのである。
 「東大」なら何でも一番だと思っている人々はまだ絶滅はしていない。霞ヶ関のあたりにはまだ棲息しているようだが、実は東大だから余計にダメということも世の中にはあるのだ。前田家は江戸時代ずっと生き残り、明治になってからは華族(貴族)になった。前田侯爵様である。もちろん、その上には天皇家が君臨する。そんな名家の始祖の批判はできない。
 それに日本史の研究者として世に立つつもりなら、旧大名家の所有する史料は絶対に必要だ。「あの人には史料は貸せない」などということになったら研究者としての未来が閉ざされてしまう。念のために言うが、前田家が圧力をかけたと言っているのではない。そんなことしなくても、研究者、特に官学系の研究者は萎縮してしまうということだ。
 特に東大がダメなのは、東大(本部)がどこに建てられたか調べてみればわかる。本郷にある赤門とは、もと前田家の門なのだ。「用地払い下げ問題」で「真実のペンがにぶる」というのは、昔からある話なのである。
 だからこそ私のような、どこの組織にも属さない一匹狼が、歴史を書く必要があるし、その方がプロの歴史家の書く歴史より正しいこともたくさんある。
そのことをぜひ認識していただきたい。

 さて、結局、利家の裏切りによって柴田勝家は敗れたわけだが、勝家という男が見事なのはこの後利家から人質として預かった娘を、殺さずに利家のもとに送り返したことだ。
 「裏切った相手」にである。
 「約束違反」とはいえ、つい最近まで主君の妻と孫だった女たちをハリツケにかけて殺した秀吉と、何という違いだろう。<後略>

●(7)最高級の権威の歴史も、上記のように信頼性が薄い事もあるようです。ならば、私たちの日常には、「思い違い」や「勘違い」「誤解」などがたくさんあると考えたほうが良いのかも知れません。
 特に、不快な感情を味わうときの多くは、私たちの「誤解」や「勘違い」、単なる「価値観の違い」によるものがとても多いように思われます。その「認知の歪み」を心理学的に考察する前に、さらに上記のような間違いの幾つか紹介していきたいと思っています。
 今回の中で、最も、私が注目する箇所は、上記、井沢元彦氏の次の部分です。

<だからこそ私のような、どこの組織にも属さない一匹狼が、歴史を書く必要があるし、その方がプロの歴史家の書く歴史より正しいこともたくさんある。
そのことをぜひ認識していただきたい。>
(【週刊ポストより】井沢元彦氏・・・作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の80年に、「猿丸幻視行」で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史小説に独自の世界を拓いた。本連載(注・週刊ポスト)をまとめた「逆説の日本史」シリーズのほか、「天皇になろうとした将軍」「言霊の国」「解体新書」「虚報の構造 オオカミ少年の系譜」など著書多数)

<次回(2)に続く>

<文責:藤森弘司>

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