●前回の「CIA洗脳実験室」という本は、私(藤森)の直感にあまりにピッタリだったので本当に驚きました。
私のように個人で研究する者にとっては、実験をするということは非常に難しく、ましてや今回のような深層心理の問題は、まったく実験ができません。
そのため私自身を掘り下げた体験や、それらを参考にしたヒラメキや直感、今までに学んだことなどを「総合して得られた結論」を、カウンセリングや人間理解の上での根本精神として活用してきました。そして「その結論」は長年のカウンセリングを通してまったく正しいことが体験的に裏付けられています。しかし、あまりに深層のメカニズムであるために、本気で話ができる機会が、一般の方はもちろん専門家に対してもほとんど全く無いというだけでなく、まれに説明する機会があっても全く理解されないだけでなく、むしろ誤解されるのが落ちでした。
唯一、長年カウンセリングをさせていただいて、本格的な自己成長に取り組んでいらっしゃる「勇気ある少数の方」に、この深い部分のメカニズムをご理解いただいていました。
セミナーなどでも、その説明が必要な流れになったときに、慎重に少し触れる程度ですが、それでも私のセミナーに「数多く参加されている方」以外の方には、専門家でも理解が困難な様子でした。
●CIAのこの洗脳実験は悪用するためのもので、当然、排除すべきものです。しかし、これほど人間の成り立ちを明確に教えてくれるものは他にありません!
逆にいえば、この実験で出された結果を無視して「本来(本格的)の自己成長」はありえないことです。まさに「自己成長とは何か」ということを教えてくれるのが、このCIAの洗脳実験です。
「心・精神」をテーマにして、広い意味での「自己成長」の指導をされる方は、この辺りを少なくても知的には理解すべき課題であると私(藤森)は認識しています。ここを理解しないと、「自己成長」の指導そのものが「交流分析のゲーム」になったり、クライエントの方の心を、結果的に弄んでしまうようなことになりかねません。
私は多くの方からよく聞きます。「あのカウンセラー(精神科医や臨床心理士・心療内科医などの心のケアをする方)はとてもいい人だ」と。
実は、心理関係の専門家は本当にいい人が多いです。一生懸命にクライエントの方を心配し、個人の時間を犠牲にして親身になってお世話をし、多忙を極めるほど優しくて親切な専門家が多いです。
しかし大事なことは、クライエントの方が「自己成長(西洋医学的には、症状の改善)」するために①何が必要で、そのために②何が障害になっているのかを本質的に理解し、そのための③対策を講じられることが肝心ですが、その本質的なことがほとんど全く問題にされないことが、私には不思議でなりません。
それは多分、①この辺りのことについて専門家自身の理解が無いために、この辺りの情報が無いに等しい状況のため、一般の方々が予備知識を持てないこと。
②本質的な部分に取り組む勇気が少ない「専門家(精神科医、心療内科医、臨床心理士、カウンセラー、自己成長関係のセミナーの講師など)や一般の方(書物やセミナーなどを通して、自分自身を見つめようとしている方・・・・・一般に健全な方々と思われていますが、人生の生きにくさや息苦しさを感じているからこそ、この種の書物に興味を持ち、セミナーに参加するものです。むしろ人間である以上、誰もが生きるのに困難を感じているもので、率直に感じている方のほうがより健全と言えます)やクライエントの方」が多いためではないかと、いろいろな市民団体の勉強会やセミナーなどに参加して、私は感じます。
私が何かの機会があってより本質的な情報を提供しても、専門家も含めてほとんどの人が、それ以上の情報に興味を示さず、さらに高度な情報を求めようとしません。そういうことを考えますと、このホームページをご覧になっていらっしゃる方は、より本質的な課題を求めている勇気のある方だと言えます。
そこで少々本気になって解説したいと思います。
<○さて、前回(第36回)の「洗脳について」の中で、特に重要な部分を再録します。>
①アメリカでは、究極の洗脳薬とされるLSDを使ってバッドトリップさせ、地獄を見せると、どんなに意志の強い人間でも子供のようになってしまうことが知られている。
②「感覚遮断」・・・人は何もない真っ暗な部屋に長時間拘束されていると、聴覚、視覚、触覚、味覚、知覚を遮断され、変性意識状態に陥り洗脳されやすくなる。
③その治療は、イタリアの精神科医ルシオ・ビニによって開発された。彼は、食肉処理される豚が頭部に電気ショックを与えられ従順になる様子を見て、それを患者に実験し、同様の効果があることを発見した。
PSIも、一定の電流を頭部に流すことで、信者を従順にする効果を狙っているのだと考えられる。また脳の側頭葉への強い電気ショックは、記憶を消去させる。
④ ・・・だが、このころキャメロンは、マッギル大学の心理学科から生まれたある方法を応用した。
世界的に著名な心理学者D・O・ヘッブは、当時、マッギル大学心理学科長だった。彼の研究グループは、感覚の刺激が動物の成長、とくに精神的成長と学習能力にもたらす影響に関心を示し、一連の実験が行なわれた。それはいかに人間が環境からの刺激、すなわち環境によってもたらされ、人間の精神作用を活性化させる刺激に頼っているかを調べるものだった。この研究は、感覚遮断研究時代の幕開けとなるある実験へとつながった。
一日二十ドルの報酬で有志の大学生がつのられ、部分的に防音装置がほどこされた小部屋に入れられた。彼らはベッドに寝かされ、目を半透明の(光りはわかるが、物の形はわからない)プラスチック製のシールドで覆われ、手は触覚が使えないように筒のなかに入れられ、耳にはイヤホンをさせられた。イヤホンからはつねにブーンという音がし、頭と耳をすっぽり包むU字形のフォームラバーのクッションが枕代わりに使われた。学生たちは、食事とトイレに行くとき以外はこの状態におかれた。
ほとんどの学生が二、三日しかもたず、最高でも六日だった。
実験は二十三名の男子学生に対して行なわれ、結果は驚くべきものだった。最初は退屈していたのが、しだいに落ち着きや集中力がなくなり、問題解決能力が損なわれ、幻視や身体意識障害が起こるようになった。自分の体から離脱しているような感じ、つまり<離人症>が表れた。
<まさに被験者のアイデンティティが崩壊しはじめた>とヘッブは記している。
その後の研究で、この状態におかれた学生は、ふだんならばかにして聞かないようなこと、たとえばオカルトに関することに耳を貸そうとすることがわかった。
こうした奇妙な事柄への関心がずっと失せなかった被験者もいる。
アメリカ空軍の宇宙飛行会議のために用意された1960年5月付けの論文のなかで、キャメロンは、隔離に関する初期の研究が、アラン記念研究所の彼のグループによってどのように応用されたかについて述べている。
それによれば、三種類の実験が行なわれた。
ひとつは目、耳、手による外部の刺激を減らす実験。
二つ目は、感覚受容器(外界からのメッセージを受け取る神経単位の末端器官)から脳へ刺激が伝わるのを阻止することで、感覚の入力を減らす実験。
三つ目は、患者が刺激に反応しなくなるよう、患者の意識の程度をさげる実験だ。
第二の実験は、体内での刺激の伝達を抑えることに焦点をおいている。この研究では、試薬のセルニールが使われた。結果は、無感情、不安、身体像障害、非現実感、離人症、思考障害、組織崩壊、幻覚、妄想症、緊張病などだ。
・・・・・・・
⑤・・・・・本来機能すべき対処装置が機能しなくなるほど不安にさせられた捕虜は、人格の分裂から逃れたいと思うあまり、尋問者を友人、救済者として見るようになる。捕虜を独房へ監禁し、眠らせず、情報を与えず、そのうえ巧みな尋問を行なうと、ほとんどの場合、望みどおりの結果が得られる。この方法は当初ソ連で開発され、中国ではさらに手が加えられて集団の圧力という要素が加わる。
ある仲間集団(ピアグループ・・・年令・地位などが等しく、同じ価値観をもつ集団)の物の見方に順応させるというのは、中国共産党が本土掌握以来行なってきた国民思想改造計画の一環をなすものだ。この技術はアメリカの捕虜に対してきわめて効果的であったことがのちに判明する。
⑥ 日本のある有名なカルトは、あるとき某国から指令が下ると、その信者が一斉蜂起して、自殺的な攻撃に出ることも考えられます。
もっと言えば、反カルト団体を装って、じつはそのカルトがコントロールしているという例がアメリカではある。信者自身は解けたと思わされて、実際信者を脱会させたかもしれない。でもアンカーを解かずに表面だけ脱会させて一般市民に戻しているとしたら、アンカーを作動させるような指令が出たとき、いきなり過激な行動に出たりしても不思議ではないですね。
⑦苫米地・・・・・「洗脳原論」のひとつの結論として、とりあえず日本では、メジャーレリジョンである仏教を信じたらどうだろうかと思いました。宗教の世界には、それなりに縄張りがありますよね。・・・日本は今、ほとんどロシアのように宗教的縄張りがない状態に等しい。
宮崎・・・・・そこに力の空白があるわけですね。ヴァキュームになっているから、カルトでもオカルトでも何でもかまわず吸引してしまう。だから、その真空を別のもので充填してしまえばよいのです。
苫米地・・・・・じゃあ何で充填しようかというときに、・・今の日本社会では精神科医よりも、お坊さんのほうがその役割を果たせると思いますね。変なお坊さんもなかにはいるから、一概には言えないけど。
宮崎・・・・・文化の伝承性や親和性を考えれば、やはり仏教が有望でしょうね。日本人の行動様式や行動文法の基本は、やはり仏教的世界観です。まあ仏教といっても、私の信奉する「縁起と空の仏教」というよりは、「山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)」的なアニミズムと無常の時間観念が主流ですけどね。
苫米地・・・・・いちばん怖いのは、宗教の空白。それを埋めるものであったら、社会の伝統宗教のなかで、メジャーなものを受け入れることに何の問題もありません。
宮崎・・・・・まあ仏教でいえば、やはり根本に立ち戻れ、開祖ブッダや大乗八宗の祖ナーガールジュナにかえれ、というのが私の立場です。
そのうえで、個々人の精神の中核に生じた空洞を埋めていくことができれば、やがて社会を安定状態に導くことができるのではないでしょうか。
●さて、これから述べる私見は、恐らくほとんど語られたことのないであろう課題です。そのために誤解が生じることを恐れます。私(藤森)のセミナーなどでは、機会があるたびに関連して説明していますが、一般にはほとんどまったく理解不能なことかもしれません。
そこで十分に解説することはやめて、さらに詳しく知りたい方は、当総研のセミナーに参加して、ご質問ください。
●上記に述べられていることは、キャメロンの実験ですから当然、少々極端になされていますが、しかし、誠に驚くべきことに、「私たちの乳幼児のころの環境」によく似ていることです。
カウンセリングで、個人の方の深い部分を長期にわたってお世話をさせていただきますと、程度の違いがあっても、ほとんどキャメロンの実験と同じ状況の中で私たち(もちろん私・藤森も同様です)は育ち、そして同じような結果、つまり同様の「症状」が起きています。
●私(藤森)の二番目の子供が新生児、つまり退院直後の時のことです。
寝かしている子供の脇を、多少、ドシンドシンと急いで歩いたとき、子供の表情はまったく変化がありませんでしたが、ビクッとして驚いたのでしょう、万歳するような大きな反応がありました。
また、新生児である我が子のすぐ側でスーパーの袋や新聞紙をガサガサと広げたときにも、万歳をするような同様の反応がありました。そこでわざとガサガサと音を立てましたが、やはり同様の反応をしました。
●このときの体験から、私は次のような仮説を立てました。
胎児は、母親の皮膚や筋膜、そして羊水の厚い防音壁のような完全に防備された子宮の中で成長します。しかし、10ヶ月後、この世に誕生した直後から、周囲の雑音が直接、耳に飛び込んできます。これは私たちの想像を遥かに超えて、新生児には衝撃的な体験であるはずです!
目はまだほとんど見えませんから、この世で最初に体験する怖さ、「恐怖体験」をするのは、「音」だと思います。新生児を抱っこする、抱き心地も重要ですが、しかし、極端な差がでるのは「音」です。
もし、近くでガチャンというガラスの割れる音がしたならば、どんなにビックリするでしょうか。私たちでさえもビックリしますから、新生児の衝撃は、私たちの想像を絶するものがあるはずです。
両親のいがみ合い、モノが投げつけられたり壊れたりする恐ろしい音を耳にして、恐怖で身を固くして耐えるはずです。仮面夫婦的に、妻がじっと耐えて、表向き穏やかな日常生活を送る夫婦がいたとしても、私たち成人した人間は騙されますが、乳幼児は、より本質的なことを動物的な直感力で感じ取りますので、抱き心地や凍った空気などを通して、すべては感じ取られているものです。
私の乳幼児のころも同様の家庭環境でした。私自身を掘り下げれば、どれほど怖い思いをしながら状況に耐えて生きてきたかが容易に想像できます。
●また、胎児のころはどうでしょうか。
以下は私の推測ですが、多分に母胎はストレスフルな状態にあります。自分自身の体を維持することの身体的なストレスと、配偶者の理解不足からくる心理的なストレス。母胎はこのダブルのストレス状態の中にあります。
さて、胎児はヘソの緒を通して母胎から栄養を供給されますが、ストレスフルな母胎のヘソの緒は当然、理想的な栄養供給ができない状態になっているはずです。何故ならば、ストレスは筋肉を収縮させるために、ヘソの緒はリラックス状態よりも収縮して、栄養の供給状態を悪化させるはずです。
この場合、胎児は、栄養を吸入しようとしてヘソの辺りの筋肉を使うのではないかと推測します。私たちが口を一番活発に使うように、ヘソの緒を通して栄養を吸入しようと、腹式呼吸のような動きをするのかもしれません。そしてこれが腹式呼吸の原点なのかもしれません。
この仮説が正しいと仮定すると、誕生後の心地悪い環境に適応させるために、胎児は一番使い慣れているヘソの周囲の腹筋(腹膜)を固くし、呼吸を殺して厳しい環境に耐えようとする・・・・・これが横隔膜を通してコントロールされるようになると考えられます。
多くの方はご存じないかもしれませんが、腹の筋肉・筋膜は誰でも固いものです。ですから「腹(肚)」の出来具合で、胆力や度量を表わすようになったのでしょう(腹のすわった人物)。
国語辞書を見ますと、腹に関わる言葉が多く、例えば「腹がたつ」「腹にすえかねる」「腹の虫の居所が悪い」「腹の虫が治まらない」「腹に一物」「腹を割る」などで、人間の心理状態を「腹・肚(腹筋、腹膜)」が一番表わしているからであろうと思われます。
●こういう妊娠や出産そして乳幼児期に、充分に思いやり(愛情)を出せる男性(夫)は少ないのではないでしょうか。スイカをお腹に抱えているようなシンドイ妊娠中に、女性(妻)をいたわり、辛い部分を補って、妊娠、出産、育児という大事業を共有できる成熟した男性が100万人の中で何人いることでしょう!
そういう理想的な思いを抱いている男性はそれなりに存在することと思われますが、行動が十分に伴っている男性は、10万人に1人でしょうか、100万人に1人でしょうか、それとも1000万人に1人でしょうか、私自身、特に長男のときの強い反省を含めて想像してみて、それほど恐ろしく少ないものです。
数字的にはいないに等しい、天文学的に少ない数字になるはずです。かなりのレベルに達した僧侶や指導者と言われるすばらしい方々でさえもなされていない形跡があります。 それほどこの時期の生育環境は、胎児や新生児や乳幼児の側に立ってみると劣悪な環境にあります。
<「親鸞の場合、最期は娘や孫に看取られているので、孤独死ではない。ただし、長年連れ添った妻は、臨終の席にいなかった。親鸞は仕事を優先するあまり、夫婦間の情愛は二の次となり、ふつうの夫婦のような睦まじさとは縁がなかったらしい」・・・正木晃著「立派な死」文芸春秋社刊>
<大阪大学教授の三木善彦先生は、若いころから吉本式「内観法」を実践された方で、内観学会の副会長を務めた方です。ご自分が内観の指導をされようとしたとき、毎週の指導はとても困難であると生前の吉本先生におっしゃったところ、「子供は親の背中を見て育つので、子供のことは心配せず、内観の指導に励むように」というような主旨で言われたと、三木先生が苦笑混じりに話されたのを記憶しています。>
<小泉純一郎首相は、若い頃に、妊娠中の奥様と離婚。その後、成人した子供が会いに来たが拒否しています。>
●上述のように、ごく普通の夫婦の関係でも、育児というのは本当に難しいものです。
しかし、さらに、嫁・姑の確執があることも稀ではありません。夫や妻が病気ということもありますし、病気や交通事故で早世することもあります。妻や夫の両親の看護や介護の問題もありますし、経済的に困窮することもあります。商売が行き詰ったり、両親が離婚することもあります。
さらに大地震に遭遇することもありますし、戦争中ということもあります。父親がアルコール依存症で苦労したということがあるかもしれません。
上記の何も自分には該当せず、順調な家庭で育ったということが果たしてありえるでしょうか?少なくても夫婦の仲が悪かったかもしれません。
そういう状況であればどれほど育児環境が劣悪になるか、子供の側から見れば、私たちの想像を絶した困難な生育環境の中で育ってきているはずです。
こういう事実をまずしっかりと理解することこそが重要です。
●さて、抉り取るように、あるいは容赦のない分析をしてきました。そうするとこれまた、多くの人によく誤解をされます。
①そこまでやらなくてもいいんじゃないか、そこまでやってどうするのか。
②両親をそこまで責めてどうするのか、一生懸命育ててくれた両親をそこまで悪く思いたくない、などです。
しかしこれは全くの誤解です。私(藤森)は、育児をした父親や母親が悪いと言いたいのでは決してありません。父親や母親も似たような環境の中で育ってきたはずですし、そのまた両親も、そのまた両親も同様のはずです。
いいか悪いかと言えば、誰も悪くはありません。
しかし、そのように育てたという事実はあります。まず大事なことは、こういう絶対的事実を把握することです。これこそが交流分析の「脚本分析」です。
ところが多くの方は、今現在の自分自身を見たり、老いた両親に同情したりして、こういう厳しい分析をするどころか、逆に美化してしまい、「本格的な脚本分析」をしようとしません。
では何故、このような残酷に見えるほどの「本格的な脚本分析」が必要なのでしょうか。それは、
①事実がわからなければ、正しい対策が立てられないからです。これは当然のことですが、これもなかなか理解されないことで、どうしてこれが理解されないのか、私は不思議でなりません。
社員教育、企業の研修の時も同様で、仮に何かのトラブルが発生した場合、正確な原因を把握しなければ、どうして正しい対策が講じられるのでしょうか。
日本では、クレームを起こした人を罰することに重点を置きがちですが、アメリカでは、司法取引をして、その人を免責にしてまで、徹底的に原因を究明して、再発を防止しようとするそうです。
②事実を把握することで、実は両親に感謝できるようになることが目的です。何故かといいますと、上記のような、率直に言えば劣悪な育児しかできなかったということは、両親の育ちが悪かったことを意味します。
例えば私(藤森)の父であれば、アルコール依存症であり、経済的に困窮し、猛烈に厳しい状況の中で私を育ててくださいました。その意味することは、アルコール依存症にならなければいられないほど、父の両親の育て方が劣悪だったことを意味します。父の人格が傷んでいればいるほど、そういう父が私を何とか育て上げたことを考えると、それはものすごくすばらしことになります。
母も同様で、ただただ有り難くて、有り難くて、言葉も無くなります。
③そういう劣悪な環境の中で自分が育ってきたことが明確にわかったならば、今の自分がいたらない、未熟で恥ずかしい人間であっても、ダメだ!ダメだ!と自分を責めるのでなく、受けとめてあげたくなります。これが本当の「受容」です。
つまり、物事を「良い・悪い」という「分別する心」から離れて、仏教の一つの境地である「無分別の心境」になります。私たちは、わかった顔をして、何かを良いとか悪いと考えがちですが、それは単に自分の狭い価値観、あるいは偏った価値観で判断しているに過ぎないことがわかってきます。
以上の三点のために、一見、残酷に思えるほどの厳しい分析が必要になります。そして親に対する「感謝の度合い」に比例して、人はより幸せになります。
本当は「感謝」ではなく、「有り難さ」ですが、これについてはいつか「今月の言葉」で述べたいと思います。
●さて、書けば書くほどキリがありませんので、今回はこれくらいにします。もしかしたら、今月号は、訂正や加筆があるかもしれないことを申し上げておきます。
今回の内容について、どこかで聞いた事がある方、あるいは文献などでご存知の方がいらっしゃいましたら、是非、教えてください。この点、よろしくお願いいたします。
「CIA洗脳実験室」の本の再録⑦の苫米地氏と宮崎氏の対談は、非常に重要なことが述べられています。そこで来月の第38回「今月の言葉」で続きを書きたいと思っています。 |
最近のコメント