2005年12月15日 第41回「今月の言葉」
現場力について (パート②)

●現場力(げんばりょく=職人)とは何か?
 私(藤森)が言いたいことは後回しにして、前号に続いてもう少し新聞、雑誌に出ていたことの紹介を続けます。

 ○週刊ポスト(2005年11月18日)曽野綾子著「昼寝するお化け」の<終生現役>より

 27日間、東欧を車で走って、日本に帰って来た日の深夜のことである。
 午前2時、突然目が覚め、ひどくお腹が空いていると感じた。これが時差というものである。つまりつい昨日まで私の暮らしでは、その時刻は向こうの夕方の6時か7時というわけで、そろそろ晩ご飯という時間なのである。
 そのまま眠ろうとしたが、空腹は睡眠の敵である。かつてアウシュヴィッツなどの強制収容所にいた人々は、悪夢のような現世を忘れるためにも眠りたかったろうに、激しい空腹感がそれを妨げた。それで囚人たちはもともと僅かしか与えられなかったパンの一片を、就寝の時まで取っておいた、という記事を読んだことがある。

 食べるものは何でもよかったのだが、台所に下りてみると、インスタントの焼ソバの買いおきがあった。・・・・・お湯を沸かしているうちに私は焼ソバの箱の蓋を取り、すぐごみくず箱に捨てた。その時ちょっとおかしな気がしたが、私は料理をするかたわら片づける癖があるので、蓋を捨てるのは当然のようにも感じていたのである。
 しかし私はやはり手順をまちがえていたのだった。焼ソバはめんが少し柔らかくなったところで、お湯を捨てなければならない。そのために特殊な構造になっている蓋を取っておかねばならないのである。
 旅行中、私はずっと同行者たちのために、日本食らしいものを用意していた。佃煮とかまぜるだけの散らしずしとか、そんなものばかりだったが、それでも食事の用意らしいものから遠ざかってはいなかった。それにもかかわらず、私はもう日本流のインスタント食品を作る手順を忘れかけていたのである。

 中年以上の日本人は今、ボケ防止のトレーニングをするのに熱心だが、私は二つのことが最も有効だと考えている。
 それは旅行と、料理を含む家事一般である。
 四十代にもなって仕事で旅先へ行くと、私はよく「今日はお一人ですか?」と聞かれることがあった。勘の鈍い私は、誰か秘密のボーイフレンドでも同行していないのか、と聞かれたのだと思ったのだからこっけいなものだ。しかしそれは、つまり私が秘書を連れて来なかったのか、という質問であった。
 四十代、五十代なんて、体力はある。四十代に眼の病気をした時は、私は駅や空港の案内表示板が全く読めなくなったが、それでも私は一人で旅行をしていた。
 幸いにもここは日本で、私は日本語が喋れるし、日本人は皆親切だ。訳を話せば、ゲートは何番ですよ、と代わりに読んでくれる。その後は耳がよかったからアナウンスを聞いていればよかった。

 私と同じくらいか、それより若い人が秘書を連れて歩く理由は、もちろんわからないではなかったが、そんなことをしていると、ぼけるだろうな、というのがその時の感じだった。秘書が切符も保管し、乗り換えの駅も教えてくれる。目的地へ着けばすばやくお迎えの車を探す。秘書はりこうだが、秘書を連れている偉い人はぼけ老人のようである。

 先日、老人ホームの経営者の人に会った。私も家をたたんで老人ホームに入ることを考えないではなかったが、最近はやはりできるだけ自分の家に住みたい、と考えるようになった。
 それが第二の理由、家事や料理をし続けることの大切さに気がついたからである。老人ホームには、大ていの施設に、自分の部屋か共用かで、キッチンがついている。そこで自分の好きなものを作って食べる人はどれくらいいるかが、私の興味だった。
 ホームにいる人たちの大半が、毎日の献立に不満を持っている。歯ごたえのある固い食物が出て来ないとか、塩味が足りないとかいう不満をよく耳にするので、それなら自分で作って食べればいいのに、と私はいつも思っていたのだった。
「ご自分で作って食べる方はほとんどおられませんね」
 経営者は言った。それから私が世間知らずだというような優しい微笑を浮かべてつけ加えた。
 「ホームに入られる方はつまり、長年家事をしていらして、それから解放されたい、という方が多いんです」
 私がひがんだのは、私は小説家だったために、常に家事を助けてくれる人がいたことだった。そのために、私は「家事はうんざり」という境地にまだ達していないと思われたのだろうし、又事実、それは当たっているのかも知れなかった。

 たかがインスタント焼ソバを用意するにも、少し現場から離れると手順が狂うのである。家事というものには総合的な思考と緊張の継続が必要である。家事は下らないものではない。料理だって手順や方法をまちがえれば、熱湯をかぶることもあるし、まずくて喉を通らないようなものもできる。

 一生現役でいてぼけないためには、多分生活の現場から遠ざかってはいけないのである。私は、家事全体が土木工事の工程表のように精密に組み立てられていると思うことがある。
 足りない材料は買い、いらないものは捨て、空間を確保し、古いものから使うようにし、消費の量を測定する。さらに突然の変化にも備えなければならない。雪が降った時のこと、田舎の親戚が突然上京して来て泊めてくれと言った場合、家族の入院、雨もりが始まった時、空調が壊れた場合、すべてどう解決するかを考えておかねばならない。電球一つだって、切れたらどう換えるかは、各人の体力能力にかかわって来る。
 人生はそんなに甘くはないのだ。お金で買える安逸ばかりではない。

 聖書には、働かない者は食べてはいけない、という言葉が明記されている。ほんとうに老化したり病気したりして、できなくなった場合は別だ。すなおに感謝に満ちて人の世話になればいい。しかし一応体が動く人たちは、生涯、働いて自分の生活を経営しつづけて普通なのである。
 デパ地下と呼ばれる食料品売場へ行くと、私は今でも感激する。おかずもご飯もお菓子も、目移りして決められないほど並んでいる。今日はお鍋やお皿を洗いたくないと思ったら、時々こういうものを買って息ぬきもできる。こんなことは、私の子供時代には考えられないぜいたくだったのである。

 日本の生活が豊かに整ってくれば来るほど体は健康でも、依頼心が強いか、少しぼけた老人が増えるだろう。それを警告する声も必要だとこの頃思うようになって来た。

○夕刊フジ(17年11月23日)の「グラスの中の経済学」で『「現場力」は会社を変える原動力』として、永井隆著「現場力・・・その時、彼らは何を思い、どう行動したのか」という本が、ご本人の紹介で掲載されていました。

 昨日21日、10冊目の拙著「現場力」(PHP研究所)が出版された。生産、営業、さらに新規プロジェクトなどの“現場”を描いた本である。
 ・・・・・
 「現場力」とは、特に定義があるわけではないものの、日本企業では広く使われている言葉だ。日本だけではなく、いまや「カイゼン」とともに「ゲンバ」「ゲンバリョク」と使う海外工場もあるほどだ。
 では、現場力を加速させるためには、何をどうすればいいのか。経営トップの方針設定、ミドルの役割、メンバーの意識変化をとらえながら、21世紀のあるべき現場の姿を探った。
 
 ここで一つだけ言えるのは、現場とは生き物であるということ。システマチックな組織論を超えて、人の思いをどう伝えるかにより、現場も会社も変わることができる。
 思いを伝えるため、何を壊し、何を生めばいいのか、読み取っていただければと思います。(経済ジャーナリスト・永井隆)

○夕刊フジ(17年12月8日)の「キャバレー慕情③」で「クラブハイツ」ポーターの高橋弘美さん(56)の「必要とされる限り、いつまでも」より
 キャバレー業界には、「主」と思われるベテランもいる。
 夜の東京・新宿歌舞伎町で、白い帽子に白い上下スーツ、白手袋をはめた初老の男性に出会った。男性は「ようこそお越しくださいました」と声をかけ、流れるような動作でエレベーターに案内してくれた。
 男性は「ポーター」と呼ばれるキャバレーの従業員で、エレベーターで店まで案内するのが仕事。「クラブハイツ」のポーター、高橋弘美さん(56)は別のキャバレーで勤務した期間を含めてキャリア37年の大ベテランだ。交換した名刺は10万枚を超える。
 エレベーター内での会話で、客をひきつけられるかがポーターの腕の見せ所だ。たった40秒間に精神を集中する。
 「有名キャバレーには必ず花形のポーターがいて、年収1,000万円を超える人もいた。ホステスよりも人気があって、ポーター一筋で家を建てた人が何人もいる」
 高橋さんは昔を振り返った。昭和40年、熊本県から上京した。ガラス工場に就職したが、人間関係に悩んで退職。夜の歌舞伎町をさまよっていると、ポーター募集の張り紙が目に入った。
 「田舎から出てきて華やかな水商売にあこがれていた。でも顔がよくないからエレベーターで生きようと思ったんです」
 だが、華やかな世界で待っていたのは厳しい現実だった。マニュアルはあるが、仕事を教えてくれる先輩はいない。肩書きがわからない客は「社長」「会長」と呼ぶが、「俺は社長じゃねえ。いいかげんなこと言うな」と殴られることもあった。
 別のキャバレーに客として行き、花形ポーターの動作や話術を研究した。別の客が「ポーターに会いにきている」と話していたのを聞いて鳥肌が立ち、技術を盗んだ。「楽しい会話をするためには、知識がないと」と考え、いまでも、新聞、週刊誌を欠かさず読み、情報収集と称して飲みに歩く。
 「かつては、福田赳夫元総理とか、政財界の大物もキャバレーに出入りしていたし、公安関係者やヤクザも多くきた。エレベーターを店まで上げると『もう上げるな』って怒られるほど、はやっていた。」・・・・・・・・・

●「現場力」という言葉が、日本企業では広く使われているとは知りませんでした。本来、「現場力」という言葉自体がおかしなものだと、私(藤森)は思っています。
 しかし、やはり「現場力」という言葉を使わざるを得ない状況があるからこそなのでしょう。まさに私が言いたいことがこれです。
 おそらく、ありとあらゆる分野で、このテーマを議論すべき課題だと思われますが、次回は、私が一番言いたい「心理や自己成長」あるいは「医学や医療・治療」「宗教」などの分野で、このこのことを述べたいと思っています(次回、新年1月15日「パート③」に続きます)。

<文責:藤森弘司>

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