●現場力(げんばりょく=職人)とは何か?
私(藤森)が言いたいことは後回しにして、まず新聞、雑誌に出てきた言葉をご紹介します。面白い内容ですので、それぞれ少々長文の引用をさせていただきます。
○夕刊フジ(17年8月2日)「ピイプル」欄、真田広之氏のインタビューより
公開中の映画「亡国のイージス」(阪本順治監督)で、テロリストに奪われた海上自衛隊の護衛艦奪還のために奮闘する男・仙石を演じる仙石は現場のたたき上げ、45歳の先任伍長(海曹長)だ。
真田は役作りのために、広島県江田島市の海上自衛隊に体験入隊し、伍長の試験を受ける同世代の自衛官を目の当たりにした。
「普通のおっちゃんなのに、目の奥にすごさがあった」「外見は自分より年上に見えるんですが、肉体的にはスポーツ選手と変わらない感じでしたね」
●この映画では、仙石伍長は現場の叩き上げで、テロリストに奪われた護衛艦を、一人で奪還する。現場の叩き上げなので、護衛艦のすみずみまで知り尽くしている。また多くの隊員を体を張って指導してきて、信望もある。
それらが全て生きてきて、艦を縦横に動き回り、ありとあらゆる道具・武器を活用して、ボロボロになりながら、一人で奪還します。
これこそまさに「現場力」です。○週刊ポスト(17年8月5日)大前研一氏の連載「ジャングルで勝ち抜く戦闘力をつける・ビジネス新大陸の歩き方」第35回「新商品を2週間で開発して世界中に届けるスペイン企業の『現場力』に学べ」より
これまで「中年総合力」という話を何回かにわたり述べてきた。情報収集力や分析力、構想力、企画力などについて考えてきたわけだが、それらに加えてビジネス新大陸で重要なのが「現場力」である。
<「ビジネス新大陸」とは、ビル・ゲイツ率いるマイクロソフトの「ウィンドウズ」バージョン1が誕生した1985年以降(アフターゲイツ=AG)、パソコンとインターネットが急速に普及する中で立ち現われた新しい経済=“見えない大陸”を指す大前研一氏の造語。従来からある実体経済にとどまらず、ボーダレス経済、サイバー経済、マルチプル(倍率)経済を包括する。>
この「現場力」が、最近の日本では失われてきているような気がしてならない。それはどういうことなのか、小売業の世界を例に説明しよう。
たとえば、アパレルメーカーは、いま来年の春物商品を企画している。どんな色の商品をどれくらい作ればいいのか、どのサイズをどれくらい作ればいいのか、ということを見極めている最中だ。その基礎になっているのは、前年までの統計である。
ところが、いま若い女性に人気の高いスペイン生まれのカジュアルブランド「ZARA(ザラ)」では、全く別の方法を使っている。
たとえば、東京・六本木ヒルズ店の店長から、うちの店ではこういうTシャツが売れていて在庫が足りなくなりそうだ、と本社に連絡が入る。
すると、わずか48時間以内にその商品が店に届くというオンデマンド・システムを構築しているのだ。そればかりか、全く新しい商品でも2週間あれば作れるというから驚きである。
これから流行しそうなパンツやドレスが出てきたら、それに沿った物をすぐに作って店に並べられる。要するに、アパレル版の「ジャスト・イン・タイム」方式なのだ。
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現場の店長が注文を出せば、5着でも10着でも、すぐに作って配送する。・・・・・世界のどこでも24~48時間以内に商品を届ける。
だから店頭在庫もない。これこそが「現場力・現場感覚」を生かしたZARAの強みであり、アパレル業界の「デル」と呼んでもいいだろう。
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もう1社、ZARAと同じく急成長しているアパレルメーカーが、スウェーデンの「H&M」(へネス・アンド・モーリッツ)だ。ZARAほどファッション性は高くないものの、スウェーデンの会社らしく質実で品質が良く、価格はZARAより少し高いぐらい。
日本にはまだ進出していないが、世界21カ国に1121店舗を展開し、ヨーロッパではZARAを抜いてトップになっている。アメリカでは日本からの女性旅行客が殺到している。
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限定商品が出ると、それを目当てに来店するお客が他の商品も買うから、売り上げが12~13%も増加するそうだ。H&Mは、ZARAとは異なる「現場力」を持った企業といえるだろう。
それにひきかえ、日本の小売業は「現場力」が完全に不足している。その理由は、統計に頼りすぎているからだ。今や衰退産業になった総合スーパーをはじめとする小売業の人たちの間では、統計さえマネージしていけばいい、という考えが主流になっている。
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ZARAは現場の体温を感じながら店舗にフォローできる体制を確立し、H&Mはスポット的に有名デザイナーを起用するという企画性を前面に打ち出している。しかも、両社はお客さんとの接点でそれを実現している。
一方、日本の小売業の場合は、本社部門に立て籠もって販売データだけを頼りに現場感覚をおろそかにしている、といわざるをえない。
それが「顧客との接点」を失っている最大の原因だと思う。日本の小売業はもっと現場感覚に重きを置き、それに本社部門が対応していくべきではないだろうか。
○週刊ポスト(17年8月19・26日)大前研一氏の連載、第37回「世界中から商品を買う『電子調達』にも『自分の目と舌』という感性が必要だ」より
前回は、総合スーパー(GMS)をはじめとする日本の小売業の人たちが統計指標を偏重して「現場感覚」を失っていると述べた。大手GMSの経営者の中には、自分は営業も販売も店長も購買もやったことがないが、統計を見ていれば経営はできる、と豪語した人もいる。
しかし、それは大間違いだ。なぜなら、今、小売業で最も大事なのは現場と購買だからである。
実は、GMSの業績が低迷している一方で、高い収益を上げている中堅スーパーも存在する。たとえば埼玉県を中心に千葉県、群馬県、栃木県、茨城県に店舗展開している食品スーパー「ヤオコー」、広島県をはじめとする中国地方を基盤として兵庫県、香川県、九州地方に大型ショッピングセンターや食品スーパーのネットワークを拡大している「イズミ」、福島県を中心に宮城県、山形県、栃木県、茨城県に店舗展開しているイトーヨーカ堂グループの食品スーパー「ヨークベニマル」などである。
これらの企業に共通しているのは、経営者に鋭い現場感覚があって経営指標よりも現場を重視し、お客さんから目を離していないことである。
だから、お客さんの財布の使い方の変化を敏感に察知し、それに応じて地域別、店別に商品をクリエートすることで高収益を維持しているのだ。大手スーパーや外資系の巨大企業が攻めてきても、あたふたしていない。顧客に目線が行っているからである。
こうした店を見れば、なぜダイエーが凋落したのかよくわかる。つまり、ダイエーが蘇生するために一番重要なのは、現場感覚を磨いて購買を一から見直すことなのだ。
しかし、現在のダイエーの“再建屋”経営陣がそれを理解しているとは思えない。
今、世界の小売業の購買には2つの大きな特徴がある。
一つは「電子調達」だ。これは新大陸の話でもあるのだが、世界で最も良くて最も安いものを電子商取引によって調達することをいう。
従来のように取引慣行に則って旧知の問屋や商社から買うのではなく、見たことも会ったこともない世界中の相手から買うという、ある意味で非常なシステムだ。
それに世界で最も長けているGMSがアメリカの「ウォルマート」とフランスの「カルフール」で、この電子調達を駆使すれば、商品の仕入れコストは半分以下になることもある。
しかし、見えない相手から買うということは、信用情報や支払い条件などで相当のノウハウを積んでいなくてはならず、一朝一夕に電子調達のメリットを享受するわけにはいかない。
もう一つは、味まで含めて世界の供給の現場を知り、自分でグローバルに調達する、ということだ。たとえば、スペインのイベリコ豚、ポーランドのハムやベーコンなど、世界で一番美味しいといわれているものを、今までのように商社任せではなく、自分で見つけて直に調達する時代になっている。
それで成功したのがアメリカの「フレッシュディレクト」である。ニューヨークで急成長している食品の宅配会社で、牛肉、サーモン、野菜、果物などの生鮮食品を生産者、あるいは「コンチネンタルグレイン」や「コンアグラ」のような穀物メジャーから直接仕入れ、非常に安い値段でお客さんに届ける。
コーヒーもコロンビアから自分で焙煎して宅配している。これは市価の半値で売っても、利益が75%もあるという。
日本のGMSも、そういう世界の調達の現場を見て、世界の味を自分の舌で判断し、日本人の舌に合っているものを生産者からグローバルに直接調達してくる必要があるのだ。
ところが逆に日本では、商社や問屋の役割がここに来て増しているのが実情だ。ダイエー再建にも丸紅が参加しているし、西友には住友商事が、ローソンには三菱商事が資本参加している。
世界を探せば、美味しくて安いものが山ほどある。とくに、肉や乳製品、ジャムなどのパンまわりにはあふれている。よく「日本人の舌は特別にデリケートだ」という人がいるが、それは嘘だ。・・・・・・
要するに、日本人の舌は確実に国際化し、世界標準に近づいているのだ。そのことに日本のGMSの経営者は一度、普通の主婦30人を連れて世界のスーパーマーケットを回り、いろいろな食品を味覚して主婦たちの意見を聞いて見るべきだと思う。そのくらいのことをやって現場から組み立て直さなければ、日本のGMSは甦らないだろう。
今から20年ほど前のアメリカでは、小売業のトップ10にGMSが6~7社入っていた。それが今やウォルマート1社だけ。トップ10の大半はディスカウンターや「オフィスデポ」のような専門店になった。
日本でも家電量販店の「ヤマダ電機」が売上高1兆円を超えてきた。約4兆2000億円のイオンや約3兆6000億円のイトーヨーカ堂とはまだ差があるが、両社のGMS部門は収益が極めて低い。ヨーカドーはコンビニで、イオンはモールで稼いでいるというのが実態だ。
いくら売上高が大きくても、収益を出せない企業は存続できない。今や衰退産業となった日本のGMSが生き残っていくためには収益を高めるしかないのだ。
・・・・・・つまり電子調達という新大陸の無慈悲なシステムと、自分の目や舌という感性を組み合さなければならない。そういう提案力・・・私は生活提案力と呼んでいる・・・をつければ、日本のGMSも再び収益を高めることができるはずだ。
まさに商売の基本に返って「現場力」を磨いていくことが求められているのである。
○週刊ポスト(2005年11月18日)「日本のテレビを斬る」で、医師・ジャーナリスト福家孝氏の<ザふるさとランキング>のタイトルが次のようになっていました。
「データに頼るだけでなく現場の肉声と笑いからテーマを浮かび上がらせる新手法の今後に期待」
○週刊ポスト(2005年10月21日)斎藤孝著「賢者はかく語りき(44)」の「小林秀雄・その①」<職人的仕事とは自分で「かんな」を作ることだ>より
いま学生たちに小林秀雄を読ませると、「何をいっているのかわかりません」という反応が返ってくる。私の学生時代も「小林秀雄を読めたら一人前」という空気があったが、いまも昔も、「コムズカシイ」という評価に変わりない。
だが、癖のある言い回しや表現に目を奪われずに、彼のいいたいことのみを取り出せば、小林秀雄は実に「シンプル」な人である。彼ほど一貫してブレずに、シンプルな主張を繰り返していた人を私は知らない。
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<壺を見るのではなくて、壺から眺められるという経験が、壺の姿を納得するコツみたいなもんだな>
まるで禅問答のようだが、主張はいたって明快。「目の前にあるもの(壺)をじっくり見ろ」ということである。
ひとつのものに向き合うという姿勢は、「職人」的である。実際、小林秀雄は職人を尊敬していた。小林は作家の永井龍男との対談の中で、「大工のかんな」を持ち出し、「職人は自分のかんなを作っていくものだ」というようなことをいう。
<頭の計算や計画に決して服従しようとしない、かんなという道具の存在は、実に大事なことだと思う。これを容認した上での職人の仕事というものは、全く自然で健康な仕事だと僕は思うのだ。それが仕事の楽しみだと言っていいだろう>
ここでいう「かんな」は、「壺」と同義だ。このように小林秀雄は、自身も、職人的仕事をしようとした人であった。
<「万葉集」をよく読んでいれば「万葉」というものは壺みたいになるでしょう。(略)本居宣長には「源氏物語」がたしかに壺に見えています>
小林秀雄にかかれば、江戸の国学者・本居宣長もまた、一介の「職人」なのであった。
実際、彼は、自分の「壺」を見つけた人・・・つまり職人的芸術家たちを愛した。例えばセザンヌを「死ぬまで、まっとうな職人で押し通した」と評価した。天才作曲家・モオツァルトも、職人として評価した人の一人だ。
小林秀雄がいうには、モオツァルトの制作とは、「その場その場の取引」であった。モオツァルトはそれに、不平不満をもらすこともなく、ただひたすら、オファーに応えるだけだった。
<強い精神にとっては、悪い環境も、やはり在るがままの環境であって、そこに何一つ欠けている処も、不足しているものもありはしない。不足な相手と戦えるわけがない。好もしい敵と戦って勝たぬ理由はない。命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ>
私たちはとかく、「この仕事は自分に向いていないんじゃないか」とか、「自分らしい仕事をしたい」と思いがちだ。
こうした意見は、正論に聞こえるが、小林秀雄からみればNGであろう。どんな仕事であろうとも、それに応えるのが職人であるからだ。
仕事とは「個人的理想」という抽象的なものではなく、「相手からの要求」という具体的なもののためにするものだ。「もっといい仕事を!」「もっといいポジションを!」と不平不満ばかり口にしているビジネスマンには、「壺」も「花」も見えてはいないのだ。
当の小林秀雄本人もまた、職人的文筆家であった。
日本の文芸評論を確立したといわれる大家であるが、その本格的始動はいささか情けない理由だった。
23歳の時である。小林秀雄は詩人の中原中也と出会う。彼らは生涯の親友となるのだが、同じ年、彼は中也の恋人であった長谷川泰子とも出会っていた。
どうしようもない男である。小林秀雄は、出会ってから3ヶ月も経たないうちに、親友の恋人を強奪する形で、同棲をスタートする。三角関係のドロドロである。だが同棲を始めたはいいが、2人分の生活費がいる。さてどうしたか。
<若い頃からの、長い売文生活を顧みて、はっきり言える事だが、私はプロとしての文士の苦楽の外へ出ようとした事はない。生計を離れて文学的理想など、一っぺんも抱いた事はない>
言い方はやや偉そうだが、ようするに、奪い取ったオンナを養うため、売文で生活費をかせいだのだ(長谷川泰子とは3年もたずに別れるのだが・・・)。
小林秀雄はいうまでもなく、昭和の文壇をリードした大家である。理想や理念のために、批評していたとしても不思議ではない。が、小林は、生計を離れた理想など抱いたことがない、と言い切っているのだ。自分は売文家である、と。これは、小林秀雄の明確な職人意識(=プロ意識)であった。
<職人といえば、まあぼくらでも職人には違いないんだが・・・。ぼくらの道具と言えばことばだからね。ことばという小がんなを持っているかいないかというところだけが、ぼくらとしろうととが違うわけだろう>
小林秀雄は、理想のかわりに、「かんな」であり、「壺」を持った。それが「セザンヌ」であり、「モオツァルト」であり、「本居宣長」などであった。骨董を触るようにものをじっと見る。職人の目線で凝視する。頭ではなく、身体で感じる。それを言葉にする。これが、小林秀雄の「仕事のやり方」であった。
だが嫌な仕事でもオファーに応え、職人に徹するのは、簡単なことではない。だから彼はこう呟いたのだ。
<一人一人が、自分の狭い道を辿るのだね>
「狭い道」とは、職人的生活の先に伸びている道のことである。
《次回、12月15日「パート②」に続く》 |
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