2004年9月15日第26回「今月の言葉」「不条理について」
投稿日 : 2018年3月6日
最終更新日時 : 2018年3月6日
投稿者 : k.fujimori
2004年9月15日 第26回「今月の言葉」
●広辞苑によりますと、「①道理に反すること。不合理なこと。背理。②実存主義の用語で、人生に意義を見い出す望みがないことをいい、絶望的な状況、限界状況を指す。特にフランスの作家カミュの不条理の哲学によって知られる。」とあります。
●今年は大型の台風が数多く日本を襲い、多くの県で大被害が発生しました。家の中に泥水が1メートルも入り込んで、家具類がメチャメチャ、車も泥水に流されています。
がけ崩れで亡くなった方もいます。家の中で溺れたお年寄りの方もいました。屋根が吹き飛ばされた家もあります。青森では、収穫期が近づいているリンゴが沢山落ちてしまいました。
イラクでは毎日、何人、何十人もの人たちがテロや戦争で亡くなっていることが放映されています。
つい最近では、ロシアで学校を占拠したテロにより、爆弾の破裂と銃の乱射により、300人以上の人たちが殺されました。
●私が幼児のころ、母が着物を質に入れて医者に連れて行ってくれたことがありました。
私が生まれる1年前は、特攻隊の若い兵士が多数、戦死しました。
関東大震災や阪神・淡路大震災もありました。
近い将来、関西や関東で大震災が発生することが報じられています。
毎年、1万人近い人たちが交通事故で亡くなっています。
アメリカやカリブ海諸国を、巨大なハリケーンが襲い、大きな被害が出ています。
●毎日毎日、不条理な事件や事故が世界中で多数発生しています。
しかし直接自分の身の上に降りかかるまでは、今の日本は世界的にみて恵まれすぎて、順調にいくことが当たり前のような感覚になってしまっているように思えます。平和ボケ日本。
そのため、不条理な出来事に遭遇したとき、権利を主張しすぎたり、或いは抵抗力が弱くて不条理につぶされてしまったりする傾向にあります。
でも世の中は「不条理」、人生は「不条理」だらけで、その最たるものは「死」です。仏教では「四苦八苦」といい、最初の四苦は「生・老・病・死」を指しますが、これは「不条理」を言っているのだと思います。
●高校や大学の入学試験。
誰でも受験資格があり、試験の成績次第で平等に入学できます。極めて平等な制度のように思えますが本当でしょうか?
まず、進学できるだけで恵まれていることにならないでしょうか。それは最低限「経済的」に恵まれていなければ進学できませんし、精神的・身体的にも進学できる程度には「健康」に恵まれている必要があります。
また、受験の機会は平等ですが、それまでの期間に大きな不平等があります。家庭教師についたり塾に通える環境に恵まれているか否か、勉強に打ち込める家庭環境にあるか否かなどなど。
一流の大学、特に東大のような大学に入れる学生は、明らかに家庭環境に恵まれている一部のエリートだけだということは、関係者にとっては今や常識だそうです。
私が中学3年生のとき、父が食堂を始めました。45年も前のことですが、夜遅くまでお客様が来てくださり、お酒も出していたので夜の12時過ぎに閉店し、毎日、寝るのが1時過ぎ。学校では毎日、よく居眠りをしました。
●オリンピック。
オリンピックに参加できるだけでも、素質や環境に恵まれているはずですし、候補になっても、練習の環境、諸外国に遠征するための莫大な費用、猛烈にお金を掛けた道具類、一流のコーチ・・・。
今回のアテネオリンピックの女子マラソン優勝者の野口みずき選手は、日刊ゲンダイ(16年8月24日)によりますと、
「兄と姉は高校に行かず働いており、両親は『うちは経済力がなかったから』と野口も進学させるつもりはなかったという。熱心に陸上に取り組む野口を思いやった兄姉が『私たちの分まで、みずきを高校に行かせてあげて』と両親に願い出たことで高校進学が認められた。
・・・・・ワコールに入社したが、慕っていた藤田信之監督が会社側と指導方針をめぐって対立、解任された。監督が退社すると野口も後を追った。
退社後は、同様にワコールを退社した先輩の真木らと5人の共同生活を送ったが、稼ぎはなく、失業保険で食いつなぎながらの『貧乏練習』を続けた。
5ヶ月間の失業生活の後、女子陸上競技部を新設したグローバリーに入社。02年の名古屋国際マラソンで初マラソン初優勝を飾った。
数々の逆境をものともせずに勝ち得た金メダル。野口を見守り続けた周囲の喜びも格別だったはずだ」という極めてまれな場合もありますが。
●今、パラリンピックが行なわれています。本日の読売新聞(16年9月21日)スポーツ欄の「きずな」。
競泳を見ていて、改めて「うーん」と声が漏れてしまった。
男女の百メートル自由形の予選。手や足がある選手、ない選手、それぞれが、片手で水をかいたり、背泳ぎだったり、腰をくねらせるだけで前進したり。スタートも、最初から水に入っている選手と、飛び込む選手がいる。まさに「自由形」だ。
泳ぎ方によってスピードに大差が出る。予選に限って言えば、順位や記録を競うというより、各自が「自分の泳ぎ」の集大成を披露する舞台のように見えた。
自分の母親は、幼児期から左足が動かない障害を持っている。「体育には縁がなかった」と話していた。
そうした大多数の障害者にとって、競泳金メダリストの成田真由美(34)のような大活躍は、まぶしい金字塔だろう。と同時に、予選で消え去った選手たちが見せたさまざまな奮闘の姿もまた、心を揺さぶる。(稲葉光秋)
●不条理をベースにして自分の人生をどのように生きたら良いのか。仏教でいう「自業(じごう)」はこの「不条理」を言っているように思えるのですがいかがでしょうか。
「自業に住する念仏門、衆生(しゅじょう)の積重(しゃくじゅう)するところの業に随(したが)いて、一切の諸仏はその影像(ようぞう)を現じて、覚悟せしむることを知るが故に」<華厳経・入法界品(にゅうほっかいぼん)、善財童子が最初に指導していただいた先生が「悟りを開いた境地」の中の一つ>。
「わがいのちの独自なはたらきを、それを自業として引き受けて生きるとき、あえていえば『自業を自得していく』といいますか、そのときには仏さまが直接の姿ではなく、いわば化身して、私たちには見えない影の姿として寄り添ってくれていて、そして私たちを悟りの世界に導いてくれるからだと記されているのです。端的にいいますと、自分の業を引き受けて、つまり自業を自得していくときに、深い宗教的境地が開けてくるのだということをいっているのだと思います」(大須賀発蔵著、「心の架け橋<カウンセリングと東洋の智恵をつなぐ>柏樹社刊」)
<第15回「今月の言葉」、第16回「今月の映画」ご参照>
●元巨人の大投手・金田正一さんは、昔の対談で、今の子供たちは日頃、遊びで小さな怪我を体験しないから、大きな怪我を負ってしまう。小さな怪我をしていれば、大きな怪我を避けることが上手になるという趣旨のことを述べていましたが、「不条理」についても同様ではないでしょうか。 |
<文責:藤森弘司>
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