2004年8月15日 第25回「今月の言葉」  (6月より「今月の言葉」は、15日になりました。)
「木枠」と「猿まね」について

●いろいろな武道や芸道、スポーツ、あるいは学問にしても、先人の「型」とか「形」を真似ます。これは剣道や茶道などで言われる「守(しゅ)・破(は)・離(り)」の「守(師の教えをひたすら学び、守ること)」に相当します。

●そして私(藤森)は、土木や建築などで使われる「木枠」を「守」に例えています。
 例えば家を建てるとき、家の土台作りにまず「木枠」を作ります。その木枠の中にセメントを流し、セメントが固まるのを待ちます。
「木枠」は、土台を作るうえで非常に重要なもので、しっかりした「木枠」を作ることこそ、土木や建築の基礎工事に欠かせないものです。「木枠」がいい加減であれば、家や橋が傾いてしまいます。

●しかし「木枠」は、セメントが固まったならば取り外される運命にあります。
もしこの「木枠」を、せっかく作ったのだからと、その後もズーッと大事にしたらどうなるでしょうか。当然、家を建てるのに支障が出てきます。
 でも「木枠」は、土台作りに欠かせないもので、「木枠」が無ければ、あの強固なセメントも役に立ちません。「木枠」があるからこそ、セメントが役に立つし、立派な家が建ちます。
 しかし、セメントが固まれば取り外される運命にあります。

●「木枠」が無ければ、立派な家が建ちませんが、「木枠」を大事にし過ぎてもいけませんし、セメントが十分に固まる前に「木枠」を取り外してもダメです。
 タイミング良く取り外すことが重要で、早すぎても、遅すぎても良くありません。

●さてこのことをビジネスや営業の成功例に例えて見ましょう。
 よく成功の秘訣という本が出版されますが、「成功の秘訣」というのが本当にあるでしょうか。例えば、日本一の車の販売をした人、保険やいろいろな商品のトップセールマンだった人の「成功の秘訣」といった本が沢山あります。
 或いは「起業」した人の「成功哲学」のような本も沢山出版されています。
 これらの成功体験を真似して、果たして成功するでしょうか。

●日本マクドナルドのカリスマ的創業者・藤田田氏は、安売りハンバーガーで、最後はどうだったでしょうか?
 また、相撲で元藤島親方(元大関・貴乃花)は、藤島部屋全盛時代、マスコミのインタビューに答えて「若者を見れば、伸びる人間かどうか分かる」と言い切りました。
 もし本当にそうであるならば、何故、藤島部屋(その後の双子山部屋)は若貴兄弟の引退で衰退したのでしょうか。

●成功している当人でさえ、流れ、勢いに乗っているときだからこそ、いろいろなことが上手くいくのであって、その勢いが衰えてしまえば、神通力は失われてしまいます。ましてやその形を真似する人が成功するでしょうか。

●最近の経営手法はアメリカ流がもてはやされ、グローバリズム全盛のように思われ、恐らく日本では未曾有のリストラが行なわれたり、年俸制が採用されています。
 そして日本式年功序列や終身雇用制が否定されていますが、その結果、一流といわれる大企業で何が起こっているでしょうか!

●かつての日本では信じられないようなお粗末な事故が頻繁に発生しています。
 特に、原子力発電のように、チョッとのミスが巨大な事故になることが最も懸念される現場においてさえ、数年前には「バケツ」でやって事故が発生しましたが、今回も関西電力で驚くような酷い事故を発生させています。
 10ミリの厚さのパイプが、7分の1の1.4ミリまで磨り減っているのに、点検が行なわれていなかったなどということが信じられるでしょうか。

●カリフォルニア大準教授のスティーブン・ボーゲル氏は朝日新聞「時流自論」でこう書いています(「日刊ゲンダイ」平成16年8月12日付より)。
「米国での人員削減は多くの場合、収益、生産性、株価のどれを基準にしても企業業績の向上に結びついておらず、むしろ業績を損ねていることも少なくない」「日本は欠陥のある米国モデルの本質や、有効性、そして日本への適合性を探ろうとせずに、ただまねているように思えてならない」(6月13日付)。

●私(藤森)が一番強調したいことが、ここで述べられています。日本への適合性を探ろうとせずに!!です。これが表題で述べている「猿まね」で、ボーゲル氏は上記の中で、私流に言えば「猿まね」を忠告しているのだと思います。

●「猿まね」と「木枠」は同じもので、まずは「猿まね」をすることが肝心です。いいか悪いかは「真似」、つまりやってみないことには判断できません。
 しかし、国民性とか個性とか歴史や気候風土というものがあります。「科学」やロボットのように、性格を考慮せず、ただ真似れば同じものができるというものならば良いのですが、そこに個性や人間性を考慮すべきものを、ただ真似るだけで良いでしょうか。

●真似たものを、日本という国なり、自分なりに活用するとき、当然、微妙な不具合があるはずです。そういう不具合を微調整しながら「適合性」を工夫することが最も大事なことで、日本の文化や宗教は、先人たちが十分に工夫してきたように思われます。
 しかし、最近の(多分、戦後の)日本は、主としてアメリカの価値観を「猿まね」しすぎているように思えます。

●そういう「猿まね」が、例えば、他者の「成功の秘訣」の「猿まね」にもなっています。それらを参考にして、自分流にいかに「適合」させるかは、ほとんど「創作」に近いほどの創意工夫が必要です。
 創意工夫するということは、建築で、セメントが固まれば「木枠」を取り外すように、「猿まね」した元の「形」のものを捨てることを意味します。
「猿まね」をさせていただいた「元の形」に感謝はするが、「元の形」は、自分流のものを完成させるまでのつなぎというか、参考にさせていただくものであって、「元の形」をそのまま取り入れることを意味するものではありません。
 セメントが固まるまで活用するが、固まった後には「木枠」を取り外すように、「自分流」のものが完成されたときには、「元の形」のものは、取り外す、つまり捨て去られる運命にあるものです。

●今の日本の教育は、こういうことが出来ない人間を育ててしまっているのではないでしょうか。マニュアル人間はまさにこういうことが極端に出来ない人間のことをいうのでしょう。
「人生には答えが無い」とか、「自分で考える」ということが極端に苦手なようで、「研修」などでこのことを理解していただくことがとても困難に感じています。

○<このテーマは膨大に述べたいことですが、今回はひとまずここまでとします。今後も、機会があれば「自己成長」に絡ませて述べたいと思っています。>

(文責:藤森弘司)

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