2004年5月 第21回「今月の言葉」
自己成長と「脳作業」について

●自己成長について述べるとき、「自己成長とは何か」という定義が必要です。
「交流分析」という心理学では、私たちは育ってくる環境の中から、「脚本」を身につけるといわれています。
脚本とは、一生の大雑把な生き方を幼児期に身につけ、それに沿って私たちは人生を過ごすといわれています。ちょうど映画の台本に沿って演技をするように。それを脚本といいます。
「脚本」については、詳しくは2002年9月の第1回「今月の言葉」をご参照ください。)●この脚本からの脱皮、脱出を目指すこと、あるいは、「脚本」で与えられた役割を止めることが「自己成長」であり、本当の意味での「自立」であると、私(藤森)は考えています。

   多くの場合に「自立」というとき、「経済的な自立」を指しているようです。  経済的な自立や成人したときに大人になったと思われますが、それは肉体的な大人であり、経済的な自立であって、心理的・自己成長的な意味(人間として)の自立ではありません。

●今や、日本では非常に多くの方々が「交流分析」という心理学を学んでいます。
そして、少し深く「交流分析」を学んだ方ならば、多分、ほとんどの方が「脚本」という言葉、概念をご存知だと思います。
   しかし、この脚本に取り組む方が、極めて少ないのには驚かされます。
「交流分析」を学んで、「脚本」の概念を知っている多くの方が、ご自分自身の「脚本」を余りご存知ないようですし、「脚本」に取り組んでいる方は、さらに少ないように思われます。

●ご自分の「脚本」のホンの一部でものぞいて、その厳しさに直面して、「交流分析」を学ぶのを止めたり、自己成長に取り組むのを止めるのならば、十分に理解できます。
   しかし、実際はそうではなく、自分自身を知ることを止める代わりに、他者を分析したり、学問的に理論を学ぶことで、「自己成長」に置き換えてしまっている場合が多いことが私には不思議でなりません。
   心理学は、自分自身をより良く知るための手段であり、その経験が他者を援助(カウンセリングなど)するのに有効です。

●また、自己成長に取り組むということは、何かを「実践」することを意味しますが、実践せずに、学問的に理論を学ぶことが「自己成長」であると勘違いをしている人が、これまた非常に多いのには驚きです。
   学問というものは「抽象的」なものです。抽象的なものを、「自分」という具体的なものに変換するには、「実践」が不可欠です。
   例えば、「育児書」は抽象的に書かれています。今現在、実際に育児をしていない方には、育児書での一般教養は大変有効ですが、それがそのままわが子の育児に当てはまるということは、偶然を除いてありえません。

●つまり「学問」は、一般教養であり、「抽象的」であり、単なる「情報」の集積です。養老孟司著

「バカの壁」によれば、情報は不変(絶対変わらない)です。一定不変の情報をいくら沢山集めても、「学者」になったり、本を書くのでない限り、それは単なる情報の寄せ集めをしただけのことです。
それをもって「自己成長」していると考えるならば、まったくの誤解で、これこそ「交流分析」が一番強調している「脚本」の強化にすぎません。
これに対して「実践」は、自分自身の「成長」であり、「具体的」です。日々時々刻々変化する「自分(無常・万物は流転する)」が、刻々に触れ合う社会や周囲との関わり方や、受け止め方がより適切になるための練習です。
刻々と変化する自分が、一定不変の情報をいくら集めても、「実践」を抜きにして、適切に活用できるわけがありません。抽象的で一定不変な情報(学問)を、刻々変化する自分に具体化したときに、本当に「わかった」「腑に落ちた」というのです。

●学者になることや本を書くことではなく、自己成長を希望する人やそういう方を支援する人が、理論という情報のみを収集することを、私の造語で「脳作業」と呼んでいます。この「脳作業」は、ほとんど「百科事典」の編纂と同じ作業です。
すべての「技術」は、実践によって「獲得」されます。
野球、サッカー、剣道、柔道、茶道、華道、料理、掃除、洗濯、ソバの作り、造酒、外科医の手術、歯科医の治療、幼児が洋服を着たり、ボタンを留めるのも、言葉の習得も、立って歩くのも、パソコンを操作できるようになるのも、電卓も、ソロバンも、大工、塗装、板金・・・・・・こんなことをイチイチ列挙するまでもなく「常識」です。
でも、「心理学」だけは「実践」が無くて、どうして「自己成長」が可能なのでしょうか。どうして「本」を沢山読んだり、理論を学ぶだけで成長できるのでしょうか。極めて不思議なことです(不変な情報が、偶然にも自分のハートにスパークするという例外もまれにあることはありますが)。

●カウンセリングも同様です。クライエントの方は、日々時々刻々と変化をします。それをどうして

  不変な「情報(学問や理論)」で対応できるのでしょうか。
例えば、剣道をやろうとする人が、剣道の実力がある方よりも、剣道理論や古今の剣道家に精通しているだけの人(例えば作家)を尊重するようなものです。


自己成長に取り組むすべての方に「バカの壁」を推奨します。

(文責:藤森弘司)

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