2004年4月第20回「今月の言葉」「怒りと恨みについて」
投稿日 : 2018年3月6日
最終更新日時 : 2018年3月6日
投稿者 : k.fujimori
2004年4月 第20回「今月の言葉」
●「怒り」とは何かという解説は多分、必要ないと思います。
ここでは、どういうときに「怒る」のかということを考えてみたいと思います。
腹が立つから怒るのだと思います。
では、どういうときに「腹」が立つのかを考えてみたいと思います。
●ここで、3月の「今月の言葉」「受容」を参照していただきたいのですが、私たちは意識していると否とを問わず、現実を「受容(受け入れる)」しながら生きています。
暑い日、寒い日、大切な日に雨が降ったり、強い風が吹いたり、雪が降ったり、病気や怪我をしたり、実に種々様々な出来事に出会いながら、毎日を生きています。
その「無常(同じでないこと)」な毎日を、好むと好まざるとに関わらず、私たちは受け入れながら生きています。
●現実は、このように「無常」な毎日を「受容」しながら、多くの人は70才、80才、90才まで生きています。
しかし、私たちの「意識」は「受容」せず、かなり反発しながら生きています。
例えば、大事な予定が雨で中止になったり、車に泥水をはねられたり、大事なものを壊したり失くしたり、病気や怪我などで機能を損傷したり、石につまづいて転んだり、電車に乗り遅れたり・・・・・・。
●こういう実に多くの、そして様々の出来事に対して、私たちの「意識」が上手に受け入れられなかったときに、どうやら「腹が立つ」、つまり怒りを感じているようです。
別の言い方をすると、「受容」できなかったときに、「怒り」を感じるようです。
しかし現実は意識に上らないほどの小さな出来事も沢山あります。
例えば、外に出たときに予想外の雨に降られたり、石につまづいたり・・・・・などのチョッとしたことは意識にのぼらないので、自覚していないだけですが、恐らく軽い怒りをおぼえているはずです。
意識に上らない程度の軽いものは、知らないうちに処理されていますが、自然に処理されない程度の大きなものに直面したときに、本人も周囲も「怒り」として「認知・認識」されるのではないかと思われます。
●例えば、100円玉を落として、コロコロっとどこかへ転がっていって失くしたような場合は、多くの場合オーケーでしょう(微かな怒りを感じているはずですが、多分、怒りを自覚しないかもしれません)が、もし、1万円札が風に吹き飛ばされて失くなってしまった場合は、かなり腹が立つのではないでしょうか。
また、わずか10円玉でも、公衆電話をかけようとして取り出した最後の一個を落として失くした場合には、かなり腹が立つのではないでしょうか。
●次に、「恨み」は一体何でしょうか。
私の定義では、「怒り」が根腐れしたものが「恨み」です。
「怒り」が処理できず、長年、腹を立てているうちに、人格の奥深くに潜伏して、「怒り」が腐ってしまったようなものが「恨み」です。
そのため、自己成長のための「個人ワーク」をするときに、その一塊を取り出すのに、とても難しく、グズグズになってしまいます。
そのために、細心の注意と工夫をしながら「患部」全体を取り除くのには、かなりの熟練が求められます。
多くの場合、「グズグズになっている一塊」の一部を取り除いて、全体が処理されたような錯覚がなされているように見受けられます。
●さて、「恨み」の元が「怒り」であり、種々様々な出来事を受け止め損なったときに、「怒り」が発生するとなると、私たちが、人生をより良く、より穏やかに生きるには「受容」する能力を高めることに他ならないのではないでしょうか。
それには二つの道があります。
●一つは、「ストレス耐性」を高めることです。このことは、第21回「今月の映画(ラブ・アクチュアリー)」をご参照ください。
二つ目は、種々様々な出来事の受け止め方(認知・認識の仕方)が上手になることです。そのための取り組みとして、各種のセミナー(体験学習講座)を実施していますので、いろいろな方法を体得していきますと、同じもの・同じことが何でもないものになってきます。
例えば、学校の成績が良いことが人生にとって重要であると「認知・認識」していたとします。
しかし、人生にとって、学校の成績は大した問題ではないと認識し直せば、それ以後は、成績表は余り気にならなくなるのではないでしょうか。
少年野球をやっていて、レギュラーを目指し、父親が「松井秀喜選手」のような目標を立てていたけれど、ある日、考えを変えて、元気で楽しそうにやっている子供の姿こそ宝であると思えたならば、「松井は松井、わが子はわが子」と思えるのではないでしょうか。
つまり、「価値観の変更」です。価値観が変更されれば、補欠選手のわが子を愛することができるようになるのではないでしょうか。
●いずれにしましても、外界、つまり自分の体の外側に発生する様々な出来事を、いかにスムーズに「受容」していくか、これが人生をより上手に生きるか否かにするようです。
また、体の内面に発生するものに対しての「怒り」が、いわゆる「病気」です。これも同様に、いかに「受容」していくか否かが「治癒」に重要な影響を及ぼすようです。 |
(文責:藤森弘司)
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