●仏教で言う「貧(とん)・瞋(じん)・痴(ち)」の「痴」です。
●私たちの身も心もくたくたに悩ませ苦しめる好ましくない心の現象を煩悩(ぼんのう)と名づけられています。この煩悩の全ての根源を、「貧・瞋・痴」とし、この三つは人間を毒するから「三毒」、人間を迷わせ、惑わせるから「三惑」とも名づけられるのです。
●本当の道理がわからない者を「おろかの者」(愚者)とします。しかしこの愚者は、頭の悪い人間というのではありません。真理や真実を見る目がまだ開けていない人のことです。
仏教の思想でいう真理とは「因縁の道理」です。因縁の道理を分かりやすくいうと、「すべて存在するものは、相互にかかわりあってはじめて存在できるので、一つのものはそのものだけの力では存在できない」というほどの道理です。
●例えば、一つの網の目を考えてみましょう。網の目をただ一つだけ取り出そうとしてもそれは不可能です。一つの網の目の縁(ふち)は、それぞれ隣の網の目とかかわりあっています。それなくしては、一つの網の目はあり得ないでしょう。
その隣の網の目もまた同じように、その周囲の網の目がなければあり得ようがないのです。このように互いにかかわりがあってはじめて、そのものは存在できるから、因縁の理は「相関(互いに関係しあう)の法」といいかえても同じです。釈尊は、この因縁の法則をおさとりになり、この法をよくお教えになったから、当時の人びとは釈尊のことを「因縁の法を説く人」と呼んだといいます。
●相互のかかわりあいということは、互いに力になりあっているともいえましょう。相互の力が出会って、はじめてものごとの存在が可能となるのですから、因縁の法を知るとは、ひらたくいえば「おかげさまの道理がよく分かる」ということになるでしょう。
●この因縁の法則、おかげさまの喜びの分からない人を・・・「愚痴の人」とも呼びます。仏教用語の愚痴は、世間でいう「いまとなっては、いってもどうにもならぬことをくどくどいって嘆くこと」ではありません。愚痴の「痴」は、人間の知性が病気になって、理非の見分けのつかない心をいいます。ここでいう理非は、おかげさまの道理の見分けがつかない病める心根(こころね)をいうのです(迷いを超える[法句経]、松原泰道著、集英社刊、<仏教を読む⑥>1984年)。
●・・・・・・・殺人鬼アングリマーラの世尊への帰依の話は、当時のコーサラ国の首都、舎衛城では誰知らぬ者もない大事件であった。
アングリマーラはコーサラ国のバラモン大臣の子で、学生時代から怜悧聡明で群を抜いていた。バラモンの老いた師について、長年学んでいた。
師のバラモンの若い妻に懸想され、師の留守に誘惑されたので、手厳しく拒絶して逃げ帰った。屈辱を受けたバラモンの妻は自分で衣類を引き裂き、自分の爪で躯の方々に傷をつけ、夫にアングリマーラに犯されかかって、こんな目に遭った。それでも辛うじて自分は貞操を守ったと泣いて訴えた。
●老いたバラモンは嫉妬に狂い、アングリマーラに復讐しようと考えを廻らせた。
さり気ない態度でアングリマーラを呼び出し、
「もはやお前には、すべての学問も修行の方法も教え尽くした。最後に果たさなければならない修行が一つ残っている。それは百人の人間を殺して、指を一本ずつ証拠に切り取り、百の指をつないで首飾りをつくれば、お前の行は完成するのだ」
と言い、その為の刀剣を渡した。
●アングリマーラは驚き怖れたものの、信じきっていた師の命令だからと、それから毎晩町へ出て、辻斬りをはじめた。舎衛城の町では、人々が突如として現われた連続殺人鬼の凶行に怯え、昼間も人出がなくなり、町そのものが死の町のように、暗く沈み込んでしまった。
そのためアングリマーラの殺人は、次第に難しくなってきた。ようやく九十九人を殺し、あと一人で命じられた行が完成するというのに、百人めが通らないので、アングリマーラは焦っていた。
●それを聞いた世尊は、弟子たちが必死に止めるのも聞かず、一人で灯も消えはてた町へ出かけて行かれた。その背後から神通力と武力では第一のモッガラーナが見えかくれに尾いて行った。侍者になって間もなかった私もじっとして居れず、モッガラーナの背後から尾けて行った。
・・・・・世尊が一人静かに歩かれるのを見つけた覆面の殺人鬼が、物陰から躍り出て叫んだ。
「止まれ」
世尊は静かな威厳のある声で言われた。
「私は止まっている。殺人鬼よ、お前こそ止まれ」
その声と態度に、早くもアングリマーラはひるんだが、虚勢を張って問い質した。
「お前は今、歩いているのに自分は止まっているといい、私は止まっているのに、動いているというのか」
世尊はすかさず、
「私は一切の生類に害心を持っていない。だから心は静止している。お前は生類に対して不殺生の自制心を失っているから、心が乱れ動揺しているのだ。動いているのはお前だ。殺人鬼よ、正気に返れ」
と烈しい声で叱咤された。その威厳と正しい叱責に打たれ、その場で正気を取り戻したアングリマーラは刀を投げ捨て、世尊の前にひれ伏した。
●世尊はアングリマーラをその場から祇園精舎につれ帰って、彼の望む通り出家させてしまった。
さすがに精舎の中でもこの事件には騒然となった。
「殺人鬼でも、教団は出家を許すのか」
[あんな奴と一緒に修行するのは真っ平だ」
「世尊の寛容も、度が過ぎていないか」
世尊はそれらの声を無視して、アングリマーラを他の弟子と同様に扱われた。・・・・・・
●毎日托鉢に出ては、町の人々に包囲され、罵声を浴びせられ、石や棒で打ち据えられ、血みどろになって帰ってくるアングリマーラの、傷の手当てをしてやるのも私の役目であった。
「ただ耐えよ」
といわれるだけの世尊の言葉を命綱に、アングリマーラは毎日を耐えに耐えた。
・・・・・・・・・
●国王パセーナディが軍隊を率きつれてアングリマーラの召し取りに押し寄せた時、世尊は、一度自分の弟子となった者は、国王の命と言えど、引き渡すことは出来ないと拒み通した。
パセーナディ王は、帰依している世尊に逆らえず、そのまま引き上げて行った。その緊迫した王とのやり取りの間、アングリマーラは精舎の奥の森の中で、マハーカッサパと二人、寂然と坐禅を組んでいた。・・・・・
●「すべては流転する。同じ状態のつづくものはこの世にない。それを無常という。人も、時も、事件も、噂も・・・・」
世尊の口癖のお言葉の正しさを、私は世尊にお仕えした二十五年間に、事あるごとに思い知らされている。
あれほど、非難と嫌悪の的になったアングリマーラを、教団ではもう誰もみな殺人鬼だったことなど忘れきったように振舞っている。
・・・・・・・・・・・・・・・
●「アングリマーラの母上は御在世か」
私は自分の母の死の連想から尋ねた。
「いや、あの事件の後、私のような極悪な子を産んだという理由で、父に追われ、実家に戻る途中の森の中で縊(くび)れて死んだと聞いている。父もその後、大臣の職を辞し、行方をくらましてしまった。自分の無智の引き起こした罪の深さは、年月を経ても少しも薄らぎはしない。これは今まで誰にも話したことはないが、あの夜、世尊の歩いて来られる前に、もう一人の人間が現われたのだ。獲物に飢えていた狂人の私はたちまちその者を捕らえた。剣を胸に刺しつけた時、
『早く殺しなさい』
と女の声がした。母だった。母が絶叫した。
『百人めに母を殺して、お前も死んでおくれ』
その時、世尊が向こうから歩いて来られた。母に当身をくらわせ、失神させ、私は世尊を襲おうとした。世尊に救われた一部始終を、気絶していた母は知らない。母が自殺をしたのは、私の殺した人々へのお詫びだと思う。
●私の殺した九十九人の人々の家族の悲嘆と不幸を私は忘れたことがない。アーナンダ、この世で一番悪い人間の罪は無智だ(瀬戸内寂聴著「釈迦」新潮社刊)。
●かくすればかくなるものと 知りながらやむに止まれぬ大和魂
という吉田松陰の辞世の句がありますが、「かくすればかくなるもの」と知っているからまだしも、私たちはこれがなかなか分かりません。
特に「育児」がそうです。自分の育て方がどうであったかの反省はとても難しいものがあります。今の親の行為が、すぐに結果として子供に反映されるのならば簡単なのですが、1年、5年、10年後に現われるのですから、その因果関係に気づくのには、やはりそれなりに訓練が必要です。
●しかし、です。しかし、結果が現われている以上、その原因があることは間違いがありません。何々だから、何々が原因だという「単一原因論」は軽蔑すべきですが(心理や医学の世界では、この「単一原因論」が意外に多い!)、原因があることは決まっています。
細かく言えば、ありとあらゆる原因(因縁)が考えられますが、大きく分ければそれほど多くないのではないでしょうか。そして、少なくとも子供の問題であれば、その大きな原因の一つに「親自身」の存在があることは間違いありません。
●この場合、親の関わりが「良かったか、悪かったか」という見方をしがちですが、これは間違いです。「良かったか、悪かったか」という考えをするならば、皆、良かった(止むを得なかった)のです。良いか悪いかの判断ではなく、「原因」は何かです。ここがなかなか理解されにくいようです。
●理解しにくい、あるいは、理解したくない気持ちはよく分かりますが、でもある程度の期間が経たならば、それを理解していくということは「大切」なことです(方向を定めるために)。
いろいろ無念な気持ちはあるでしょうが、でもそれを理解していこうとするか否か、これも「痴」の問題であり、「謙虚さ」の問題だと思われます。決して頭がいい、悪いの問題ではありません。 |
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