2004年12月15日第29回「今月の言葉」「則天去私」
投稿日 : 2018年3月6日
最終更新日時 : 2018年3月6日
投稿者 : k.fujimori
2004年12月15日 第29回「今月の言葉」
●則天去私(そくてんきょし)は、晩年の夏目漱石の言葉です。
若いころに漱石の本を読んでいてこの言葉に触れましたが、よく理解できませんでした。
●先月、仕事で四国・愛媛県の松山に出張しました。すぐ近くに道後温泉があり、温泉に入りに行きました。
「道後温泉本館」とありますので、ホテルかと思いましたら、由緒正しい温泉屋さんとでもいうのでしょうか、お風呂屋さんのように、温泉風呂に入るだけのところです。
しかしただのお風呂やさんではありません。1階は銭湯のように、300円で「神の湯」の温泉に入るだけですが、2階は、左半分が「海の家」のように着替えて、階下の「神の湯」の温泉に入り、湯上りに簡単な茶菓が出て、料金は620円です。
●2階の右半分は同様の形式ですが、利用する温泉は2階にある「霊の湯」をゆったり利用でき、料金は980円です。
3階は、個室を利用できて、「霊の湯」を利用して、料金は1240円です。
そして4階は、「又新殿(ゆうしんでん)」と呼ばれる日本で唯一の「皇室専用浴室」です。明治32年に桃山時代の建造物にならって破風造りで建てられていて、昭和25年、昭和天皇が全国巡幸の折に利用されたそうです。
●個室専用の3階には、松山中学の英語教師として赴任していた「夏目漱石」がよく利用した部屋も、当時のまま保存されていました。「坊ちゃん」に出てくる先生たちの写真が掲げられています。
そして、この部屋に「則天去私(「小さな私を去って、大きな自然に沿って生きる」)」の額がありました。漱石が亡くなる1年前だそうです。あの天才・漱石にして、亡くなる1年前ということは、私が、自分の小ささに忸怩たる思いの毎日もむべなるかなです。
(「漱石は、精神分析の創始者・フロイトよりも先に精神分析的な小説(深層心理)を書いた」と誰かが書いた文を読んだことがあります。)
●「則天去私」を読んで、明治の宗教家・清沢満之の「天命に安んじて人事を尽くす」を思いました。
多くの方は多分、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉をご存知かと思いますが、これは俺が俺がの「ガ」が強すぎるように思われます。
清沢満之の「天命に安んじる」のこの言葉には、小さな存在、未熟不明な私が救われます(この項は、後日とします)。
●この「道後温泉本館」は由緒正しく、この本館を中心に街並み・商店街が出来ているような印象です。
この本館は由緒が正しいので当然のことですが、私にとってかなりおどろおどろしい建物で、でも、どこかで見たことがあると思い尋ねてみますと、「千と千尋の神隠し」に出てくる建物のモデルになっているとのことでした。
●3000年を超える歴史を持つという、日本最古の道後温泉は、古くから大勢の偉人や墨客に愛され、神話の昔の大国主命をはじめ万葉の歌人、山部赤人、松山にゆかりの名僧・名月、正岡子規、また伊藤博文、与謝野鉄幹・晶子、吉川英治、ほか、実に多くの来訪が記録に残っているそうです。
「道後温泉本館」は、明治27年に約20ヶ月の工期、13万5千円という破格の予算で建造され、三層楼の壮大な建物は築後100年を迎えた平成6年、国の重要文化財の指定を受けているとのことです。
●私(藤森)が泊まったホテルは公立学校共済組合道後宿泊所の「にぎたつ会館」といいますが、「にぎたつ」とは妙な名前だなと思っていました。「にきたつの道」もありました(道路名は「ぎ」ではなく「き」です)。
地図を見ていて、「額田王の歌碑」とあるのを見て、やっと合点がいきました。
私の記憶する数少ない万葉の歌・額田王(ぬかだのおおきみ)の歌「熟田津(にぎたつに)に・船乗りせむと・月待てば・潮もかなひぬ・今は漕ぎ出でな」(「熟田津に出動の時を待っていたが、明るい月も出た。潮の加減も申し分ない。さあ、全船団よ、今こそ漕ぎ出せ。」中大兄皇子(なかのおおえのみこ)の心になりきって作った歌・・・・井上靖著、額田女王より)から取った名前でした。
地図には「額田王」「塾田津」とありますが、人名事典では「額田王」「熱田津」、井上靖著では「額田女王」「熟田津」となっています。
●目一杯力んで生きてきた私にとって「則天去私」は、これから老境に入る私の最大のテーマです。多少なりともこの心境に近づいたときには、かなり「存在」が楽になっていることでしょう。
「則天」とか「天命に安んじる」とかは、人生の中に「死」を受容して生きることではないかと私流に思っています。
「人間は死にゆく存在」は、日本の心身医学の創始者・故池見酉次郎先生の言葉です。 |
<文責:藤森弘司>
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