(あたたかいあい と つめたいあい) 2003年7月 第11回 今月の言葉

 

温かい愛 と 冷たい愛

「愛の四面性について」②-②
 

●前月に続いて、「愛」の四面性の内の残りの二面・・・「温かい愛」と「冷たい愛」について考察してみます。

●③「温かい愛」とは・・・多分、私たちが通常、「愛」と言っている面で、直接、愛を感じる部分で、文字通りの温かさであり、ハートフルな面の「愛」を意味します。「母性的な愛」であり、「包み込む愛」です。

●④「冷たい愛」とは・・・「冷たい愛」は、直接的には「愛」とは感じられない性質を持っています。むしろ冷たく突き放したり、厳しく叱責したりしますので、当座は相手から「敵意」を抱かれたり、「恨み」を買う場合さえあります。

しかし、自己成長してセンサーが鋭くなったときに、深い愛情・とてつもなく逞しくて豊かな「愛情」が感じられる性質のものです。かなり厳しいものですが、本当の成長・本当の逞しさを身につけたときに感じられる、最も男性性豊かな「ゆるぎない愛」です。

何日後か、何ヵ月後か、何年後かに分かるだろうと、その方を信頼して発信する愛です。

●心地よい対応をすること(温かい愛)は、誰でも、心の余裕さえあればやりたくなる性質のものです。何故ならば、今、相手の方に喜んでもらえるからです。

これに反して、冷たい愛は、いくらその人の将来のためであるとはいえ、今は突き放すのですから、恨まれる可能性が高くなり、かなりの「勇気」と「自信」が必要です。

●そのため、①将来、絶対に有益であるという確たる信念、確たる価値観を持っていることが求められます。

②さらに、今、相手に恨まれても、揺るぎなく自己を保てるだけの「鍛えられた自己」「自己の確立」「自我の成熟性」が求められます。これはかなり厳しい人間性・・・・いい意味での「厳父」のような厳しさが要求されます。

●「温かい愛」と「冷たい愛」は、アメとムチの関係に似ています。

子育ての例で考えて見ますと、幼児はいつまでも母親に甘えて、すがりつきたいものです。母親としては、甘える幼児をできるだけ受け入れてあげる(温かい愛)が、甘え過ぎると思ったならば、父親が必要に応じて厳しく叱ること(冷たい愛)が大切です。

この場合、厳し過ぎるのか、あるいは厳しさが不足しているのかの判断が難しいので、しっかりした価値観(父性性)が求められます。

子育てには、この両者のバランスが重要ですが、現代日本では、「冷たい愛」の部分が家庭や学校教育の現場から無くなってしまったことが、様々な問題として噴出しています。

●「発信的・温かい愛」は、母親的でしょうか。また「発信的・冷たい愛」は、父親的でしょうか。もちろん、両者にそれぞれ必要なことですが、あえて役割分担させればこのようになると思います。

また、「受信的・温かい愛」と「受信的・冷たい愛」は、共に、自己成長に取り組むこと・・・・恰好よく言えば、修行することにより習得できるものです。

●自己成長とは、簡単に言いますと、今までの自分を変えることを意味します。

しかし、多くの方は、今までの自分を維持しようとします。ぬるま湯につかっているように、なかなかそこから立ち上がろうとしない傾向にあります。

その気持ちを十分に尊重しながら、自ら立ち上がろうとするのを待つ(温かい愛)わけですが、長期にわたりいつまでも、今までの自分を維持しようとする場合は、そこから追い出すような対応(冷たい愛)が必要になります。

しかし、長年、そこに閉じこもっていた方にとっては、わずか1メートルくらいの段差が、断崖絶壁のような不安を感じて、なかなか動こうとしませんから、十分な期間が経過した後には、そこから追い出すような対応が必要になります。

●カウンセリングなどの心理的な対応は、母親のように優しく、温かく、心地よい対応(温かい愛)を十分に行ない、エネルギーを十分に補充した後には、「冷たい愛」が必要になります。これはかなりシンドイ対応ですが、この両者のバランスこそが、「子育て」にも「カウンセリング」にも非常に重要です。

(ミニコミ誌「地球通信」2001年5月31日号に掲載したものに、若干の手を加えたものです)。

 

(文責:藤森弘司)

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