2003年6月 第10回 今月の言葉

 

発信愛 と 受信愛

 

 「愛の四面性について」②-①

 

●私達は通常、一言で「愛」と言いますが、「愛」を多角的・分析的に考えてみたいと思います。私の考えでは「愛」には、四面性があるように思えます。
その四面性の内のニ面・・・・・「発信愛」と「受信愛」について考えて見ます。
①「発信愛」とは・・・・・多分、私たちが通常、「愛」と言っている面で、「思いやり」とか「やさしさ」とか「温かさ」などのように、相手に働きかけるハートフルな気持ち・精神を意味します。

②「受信愛」とは・・・・・テレビの受信機のように、相手から働きかけられたものを「愛」として受け止めることを意味します。この受信機の感度を高めることによって、見過ごされやすい様々な愛を拾うことが可能になります。
 それはちょうど、アンテナを調整することで、テレビの画面がすっきりするのと同様、自分の周囲に届いている種々様々な働きかけ(東洋の「気」・「気持ち」・「行為」)を、より多く、より質の高い「好意」「愛」として受け止めることが可能になります。

この受信愛は相手の方の意志に関わらず、受け止め方次第で、どのようにでも解釈ができますので、いろいろなことを「善意」・「好意」・「愛」として受信できるようになります。その結果、周囲の方々との人間関係はさらに良くなりますし、自身の生き方がさらに「楽」になります。

●自分自身が発する「行為」の「質」を高める(「発信愛」の質を高める)ことは重要ですが、働きかけられた「行為」を、より「質」の高いものとして受け止める(「受信愛」の質を高める)ことができるようになることは、さらに重要なことです。

●私達は多くの場合、自分の「気分」や「好き嫌い」で、相手の方の気持ちを判断しがちです。
例えば、相手の方の行為が、自分にとって不快な感じがすると、「嫌なやつ」だとか、「失礼な対応」だというように「悪意」に受け止めてしまいます。
しかし本当にそうでしょうか。自分にとっては心地良くなかったかもしれないが、相手の方は「善意」・「好意」・「愛」をもって対応してくれたことかもしれません。事実は分からなくても、そのように受け止める(受信する)ことができたならば、心地悪いと思った体験が、うれしい気持ちになることができるのではないでしょうか。

●私たちが人間関係を悪くする多くの場合は、「受信愛」のセンサーが少々サビついていることから発生しているように思えます。また、相手の方がくれるものが「要らない(不要)」場合は、そのものを断りながらも、その気持ちには「感謝」できるはずです。

例えば、お腹がいっぱいであれば、食べ物は断っても、その好意・気持ちには感謝できます。この場合、食べ物に焦点が合いすぎて、背後の気持ちを見失うことから、誤解が生じます。

●このように、見えない、感じない部分にどれだけ思いを及ぼすことができるかが、「受信愛」の真髄です。「発信愛」の場合は、自分にとって「心地良いこと」を相手の方に働きかければ良いので、判断がしやすいことですが、「受信愛」は、自分にとって「心地悪いこと」や、見えない部分、感じない部分を、「愛」として感じられるようにセンサーを磨くのですから、十分な訓練・練習が必要になります。

●私が体験した例を、これからお話します。
私が中学・高校の頃、我が家の生活は一番貧しいときでした。そのため、中学・高校の6年間、私は6回の遠足と2回の修学旅行に参加することができませんでした。

当時母は、ささやかな衣料品店を営んでいて、私はしばしば学校を休んで、衣料品の仕入れの手伝いにでかけたものでした。

クラスメイトが修学旅行に出かけた中学三年生の時のことです。肌寒い季節の明け方に、母と私はいつものように家を出て、仕入れに出かけました。人っ子一人通らない道を、バスの停留所に向かって歩いていると、偶然にも、修学旅行から帰ってきた観光バスと出会いました。

バスの窓から友人たちが手を振っています。とっさのことで、私も反射的に「おーい」と応えて手を振りました。観光バスは一瞬の内に通り過ぎ、辺りはまた元のように静寂を取り戻しました。

母を見ると、10メートルほど先を、全く何事も無かったかのように、私に背を見せながら、スーッと歩いていました。
ただこれだけのことで、その後は、私の記憶から薄れて、忘れていました。

●それから20年くらい後のことです。自己成長に取り組んでいた私は、ある日のこと、この時の光景が思い浮かびました。
その時、「観光バスとすれ違った瞬間、母の心は凍りついていたはずだ!」という直感が飛び込んできました。

私を修学旅行に参加させられないことだけでも、母は辛かったはずです。それがよりによって仕事に行く途中に、旅行から帰ってくるバスと出会ってしまうとは、なんと皮肉なことでしょう。わずか1分ほどの時差があればすれ違わずにすんだほど、皮肉な運命のいたずらでした。そんな不運な場面に出くわしてしまった母は、「間違いなく心が凍りついていたはずだ」という強い実感が湧いてきました。では何故、母は心が凍りついたのでしょうか。

それは「私を愛してくれていた」からです。すでに亡くなっている母には確認できませんが、「絶対に正しいと言う確信に満ちた実感」がありました。親から費用を出していただいて、当たり前のように参加したならば、修学旅行に参加させていただきながらこの実感は無かったはずです。

「これは何と幸せなことでしょう!」

今まで全く気がつかなかったこの場面で、心を凍りつかせるほど私を思ってくれる母の愛が感じられました。母は、私を愛していたからこそ心を痛めてくださったのです。これに優る幸せがあるでしょうか。
私は間違いなく母に深く愛されていたという強い実感が得られた(受信できた)一瞬でした。その場面は、長年、母の背中から私に発していた「気」(詰まっていたパイプ)が私に通じた(受信できた)瞬間でした

(ミニコミ誌「地球通信」2001年5月31日号に掲載したものに、若干の手を加えたものです)。

 

                    (文責:藤森弘司)

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