2003年2月 第6回 今月の言葉

 

「減点主義」と「加点主義」

 

●人間関係を悪くするには「減点主義(あそこがダメ、ここもダメ)」を、良くするには「加点主義(あそこがいい、ここもいい)」を活用するといいです。

私たちは、家庭でも、学校などの教育の「場」でも、「減点主義」的な指導を受けがちです。そして会社でも同様です。ですから私たちは、知らず知らずの内に、相手の「欠点」「好ましくない点」をとやかく言ってしまいます。
相手の方の「良いところ」はなかなか発見できず、悪いところは、拡大して見えてしまう傾向・クセが私たちにはあります。

●私たちにはいいところが沢山あるのに、いいところは当たり前のように縮小されて、なかなかほめてもらえません。ところがチョット、好ましくないところがあると拡大されて、そういうお前は「最低だ」と言わんばかりに非難されます。

●また、本人がいないところでとやかく言えば、それは偏った情報であり、アンフェアーであることを知りながら、私たちは喜んで欠席裁判(減点主義)をしたくなります。
これは相手の方の欠点よりもはるかに大きな欠点であるのに、私たちはそのことになかなか気がつきません。こういうことのエネルギーを、「あそこがいい、ここもいい」という加点主義に使いたいものです。

相手の方の好ましくない点を、もし発見したならば、自分にそのようなところがないか、自分自身をチェックしたいものです。そうすれば、いかに自分が欠点だらけの人間であるかを発見するでしょう。
また、相手のすばらしいところを発見したならば、そのすばらしさを「率直に」表現できる人間になりたいと私は思います。


●また、好ましくないことには、厳重すぎるほど事実のチェックをし、好ましいことは、遠慮なく、気楽に言えるようになりたいものですが、往々にして、この逆が行なわれるのではないでしょうか。相手の方の、いいところを沢山発見できる方は、より自我が成熟しているといえるでしょう。
また、好ましくないところをより多く発見する方は、より自我が未成熟だといえるでしょう。

相手の方の良いところが見えて、それを率直に伝えたならば、人間関係が悪くなりようがありません。人間関係が悪くなるということは減点主義に陥っているからで、そういうことに気づくことができる謙虚な自分でありたいと私は念願しています。

●考えて見ますと、私たち一個の人間が存在しているというだけで、どれほどすばらしいことでしょうその根源的・絶対的レベルでの価値に気づくと、いわゆる欠点という細かいことなどどうでもいいと思いながら、ついつい文句・苦情を言いたくなる私を日々感じます。
相手の方のすばらしいところを発見したとき、私はさわやかな自分を感じます。その反対のとき、私の心が濁っているのを感じます。

(文責:藤森弘司)

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